第70話 鎧
その夜明けの話を、最後に置く。
眠れない夜だった。栓を見つけてから、酒の効きが、悪くなってた。電源が、落ちきらない。俺は深夜の梟ノ森を、あてもなく歩いて、始発待ちの時間、コンビニ前の縁石に座ってた。
隣に、先客がいた。
女の子だった。黒い重ね着の、前髪の長い──
視界が、描画した。白銀の、鎧。
あの、鎧の子たちの一人だった。俺が三年間「攻略難度S。後回し」と書いて、後回しにし続けた、あの装い。
彼女は、あったかい缶のコーンスープを持って、始発を待ってるらしかった。俺は何も言わなかった。攻略する気力も、もう、なかった。ただの、始発待ちの二人だった。
先に口を開いたのは、彼女の方だった。
「……お兄さん、顔、死んでるよ」
「……そっちこそ」
「うちのは、いつもだから」
彼女は、コーンスープを一口飲んだ。粒が出なかったらしく、缶を軽く振った。
沈黙。でも、嫌な沈黙じゃなかった。底にいる人間同士の沈黙には、独特の互換性がある。
「お兄さんさ」と彼女が言った。「前、この辺で声かけしてた人でしょ」
「……よく見てるな、みんな」
「見えるよ。うちら、見るのが仕事みたいなもんだから」ふ、と笑って、「──で、うちらには、かけてこなかったよね。一回も」
「………………難しそう、だったから」
「難しそう」彼女は、その言葉を、口の中で転がした。「この服のこと?」
「……まあ」
「これね」
彼女は、自分の袖を、軽くつまんだ。黒いフリルの、俺の視界が三年間「鎧」と訳し続けた、その装いを。
「──目印なんだよ」
「……目印?」
「うちらの側の子は、これ見たら、分かるの。あ、この子も、こっちの子だって。初めての場所でも、この服の子が居たら、話しかけられる。仲間がいるって、分かる」
……。
「みんなさ、これ見ると、ガードしてるとか、病んでるとか、近寄るなオーラとか思うでしょ。逆なんだよね。これ着てる時が、一番──」
彼女は、コーンスープの残りを飲み干して、言った。
「──見つけてほしい時、なんだよ」
⸻
始発の音が、遠くでした。彼女は「じゃ」と立ち上がって、改札の方へ歩いていった。
俺は、縁石に座ったまま、動けなかった。
視界の中で、彼女の背中の鎧が、朝の最初の光を受けて、鈍く光ってた。
──鎧。
俺の視界は、三年間、正しく描画してた。あれは確かに、鎧だった。硬くて、重くて、簡単には開かない。
間違ってたのは、翻訳の先だ。
俺は、鎧を「威嚇」と読んだ。近づくな、の記号だと。攻略難度Sの、防御特化の敵だと。
違った。
鎧ってのは──戦場にいる人間が、着るものだ。
戦場にいる人間が、それでも、同じ戦場の誰かに見つけてもらうために掲げる、旗。あれは威嚇じゃなくて、招待状だった。読める者にだけ読める、「私はここにいる」の。
教本の、あの素っ気ない一文が、降ってきた。
『装いの意味は、教えない。街で確かめよ』
……確かめたよ。三年かかったけどな。
《…………記録を、訂正します》
システムの声が、静かに言った。
《鎧、の項目。「攻略難度S」の注釈を──削除しました。……三年分の、誤訳でした。本システムの》
(俺の、だよ。お前は俺の読んだ通りに書いただけだ)
そして、朝の光の中で、もっとでかいものが、音を立てて崩れ始めてた。
鎧の子だけの話じゃ、ないんじゃないのか。
妖精の羽も、騎士の剣も、火の髪も──俺の視界が三年間「攻略対象のデータ」として読んできた、あの装いの全部が。あれ、全部、彼女たちの側の、事情で、旗で、生存で、戦場だったんじゃないのか。
俺は敵の情報を読んでたんじゃない。
──人の人生を、敵の情報として、読んでたんだ。
タグは、読めてた。三年間、誰よりも読めてた。
タグの意味だけが、一個も、読めてなかった。
【 ??? 】8
<第7部・了>
あとがき(今日の発見):発見を一個。夜明けのコンビニ前の縁石は、この街で一番、人が正直になる場所だ。理由は分からん。多分、夜と朝の、どっちの掟も効かない時間だからだと思う。
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