第7話 季節が変わる
ここからしばらくは、地味な話だ。派手な事件は起きない。でもこの地味な期間を飛ばすと俺の話は成立しないから、早送りせずに書く。
まず、ノートが一冊終わった。
世界一情けないデータで始まったノートは、終盤、ちょっと違うものになってた。失敗の記録の隙間に、小さい勝利が挟まり始めたのだ。
「本日、視線が合った。会釈された」
会釈!! 諸君、笑うなかれ。近づいた俺に気づいた相手が、警戒じゃなくて会釈を返した。俺が「話しかけてきそうな、まあ普通の人」として処理されたってことだ。三ヶ月前は、近づいた時点で相手の歩速が上がってたんだぞ。
進歩である。切ない? 切ないな。でも進歩なのだ。
「本日、道を聞かれる」
事件だった。俺が、聞かれた側。おばあちゃんにだが。
駅に自然に立ててる証拠だと解釈した。道は完璧に教えた。この駅なら誰よりも詳しい。伊達に十七周してない。
「本日、隣に並べた。三秒」
並んで、吸って、吐いて、終わった。いつもの深呼吸。でも距離〇メートルは、初。
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──良い記録ばかり並べたが、正直に言うと、折れかけた夜も、あった。
冷たい雨の夜だった。人が少なくて、少ないからこそ声をかけやすいはずで、なのに一声も出せずに、傘の下で二時間立ってた。
帰り際、駅の窓ガラスに映った自分と目が合った。
濡れた、冴えない、何者でもない男。半年近くやって、声の一つも出せない男。
その夜、ノートに初めて、データじゃない一行を書いた。
「もう、やめようかな」
書いて、ノートを閉じて、寝た。
──翌朝、その一行を、ぐしゃぐしゃに塗り潰した。
理由は、大層なもんじゃない。朝起きたら、悔しかった。それだけだ。夜の弱音は夜のもので、朝の俺は、朝の俺だった。
ただこの経験で、一個ルールができた。夜に書いた結論は、翌朝まで信用しない。
このルールには、この先ずっと、助けられることになる。
⸻
季節が変わった。
コートを着て歩いた駅を、コートなしで歩ける頃、周回数を合計してみた。
半年。声かけ数、ゼロ。周回数、三桁。
普通なら心が折れる数字だと思う。でも俺は、妙に折れなかった。
積んでたからだ。
声は出てない。でも駅の地形は頭に入った。人の流れは読める。潜る男たちの動きは百人分見た。失敗の段位は上がり続けた。
発射台は、組み上がってた。あとは点火するだけ。
点火の日は、自分で決めた。次の土曜。
理屈はもうこねない。これ以上の準備は、準備という名の逃走だ。
土曜が、来た。
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