第6話 水鏡
ところで、だ。
ここまで読んで、賢明な諸君は思ってるはずだ。「そこまで苦労するなら、水鏡を使えば?」
水鏡。鏡の中で人と出会える仕組みだ。自分の顔と紹介文を鏡面に浮かべて、誰かが良いと思えば灯りをつけてくれる。灯り同士なら、言葉を交わせる。街に出る必要も、声を張る必要もない。文明の利器。
使ったに決まってるだろ。
駅を三周する男だぞ。楽な道を探す嗅覚だけは超一流だ。
結果を報告する。
一ヶ月。灯り、二つ。
うち一つは、どう見ても人間じゃない何かだった(紹介文が全部投資の話だった)。
実質、一つ。三十日で、一つ。
しかもその一つと交わした言葉は、二往復で途絶えた。二往復目の俺の渾身のメッセージ(下書き四十分)は、今も既読のまま、鏡の底に沈んでる。
俺は洗面所の鏡の前で、自分の顔を見た。
ボサボサの髪。丸くなった輪郭。夜勤で漂白された肌。生活を諦めた服。
……そうだよな。鏡は、映すよな。それが仕事だもんな。
水鏡は、写真と文章で戦う世界。つまり勝負が始まる前に、持ち札で決まってる世界だ。俺の持ち札じゃ、テーブルにすら着けなかった。
⸻
ずっと後になって、街の男たちとこの話になった。面白いことが分かった。
全員だった。
全員、水鏡で灯りがつかなかった側だった。誰も口にしないけど、聞けば全員、苦笑いして頷く。
水鏡に映る者は、路上には来ない。
来る必要が、ないから。
俺たちは、鏡に映らなかった者たちだった。だから鏡の外で戦うしかなかった。
惨めな話に聞こえる? でも今の俺はこう思ってる。
鏡に映らなかったおかげで、俺は街に出た。
人生の入り口ってのは、だいたい「締め出された場所」の隣にある。
さて。水鏡が閉じて、退路は消えた。残る道は一本。あの駅で、生身の声を出すこと。
季節は、冬に入っていた。
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