第55話 物差し
その頃の俺の、恥の記録を置く。
焼き鳥屋。いつものカウンター。同期が、嬉しそうに報告してた。
「今月、札二十枚いきました! 自己ベストです!」
「おー!!」と一門が沸く中で、俺は、笑顔のまま、こう言ったのだ。
「──まだ数えてんだ?」
「……え?」
「いや、いいんだけど。数字、更新してる時が一番危ないぞ。それ、錨だから」
場が、す、と冷えた。
同期は「あ……はい、気をつけます」と笑って、話題は流れた。流れたが、あの一瞬の冷えを、俺は感じ取れなかった。感じ取れないくらい、俺は正しさに酔ってた。
数日後、イチと二人になった夜、あいつが、ぼそっと言った。
「ミナモさん」
「ん?」
「最近、なんか……上から来ますね」
「……上から?」
「前のミナモさんは、隣から来たんすよ。今は、上から来る」
イチは、それ以上は言わなかった。俺も、その時は「そうか? 気をつけるわ」と流した。
流しながら、内心、こう思ってたのだ。
──イチはまだ、枠の中にいるから、そう見えるんだろうな。
……最低だろ。書いてて、今、胃が痛い。
でも、これが「解放」の正体だった。数からの解放を唱えながら、俺は新しい数を数え始めてた。誰が枠の外にいて、誰が中にいるか。誰の解放度が高くて、誰が低いか。
数字の物差しを捨てた手で、俺は「物差しを捨てた度」の物差しを握ってた。
一番高いところに自分を置ける、最悪の物差しを。
物差しからの解放が、新しい物差しになる。この病気に、当時の俺は名前をつけられなかった。名前をつけられない病気は、治せない。
そして病人の隣には、彼の言葉を信じて目を輝かせる人が、いた。
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