第54話 ノエラ
彼女に会ったのは、そんな時期だった。
梟ノ森の、本屋の前。閉店間際の店から出てきた彼女は、買ったばかりの本を、歩きながらもう開こうとしてた。歩き読み予備軍である。危ない。
「すみません、それ、歩きながら読むと電柱にぶつかるやつです」
彼女は顔を上げて、きょとんとして、それから笑った。
「ぶつかったこと、あります」
「あるんだ」
「二回」
「二回!?」
それが、ノエラだった。
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ノエラは、信じる人だった。
出会って何度目かの夜、彼女は自分の夢の話をしてくれた。今は雑貨屋で働いてて、いつか、自分の店を持ちたいこと。どんな棚にするか、もう決まってること。ノートに店の見取り図を、何十枚も描いてること。
「笑います? こういうの」
「笑わない。──見せて、見取り図」
見せてもらった。何十枚のノートは、本気の人のノートだった。俺のあの記録ノートと、同じ種類の狂気が宿ってた。
「ミナモさんは? 夢、あります?」
「俺は──」
俺は、語った。
四の間のことを。枠のことを。錨のことを。数字から自由になった人間が、どれだけ遠くまで行けるかを。俺がこれから、この考え方をもっと多くの人に届けて、それで──
「──世界、変えられると思ってる。大げさじゃなく」
言った。言ってしまった。世界を変える、と。
普通なら、引かれる台詞だ。分かってる。でもノエラは、引かなかった。
彼女は、目を輝かせて、言った。
「いいですね、それ」
「……引かないの?」
「引かないですよ。だって」彼女は、自分のノートを軽く叩いた。「本気の人の話、私、好きなんです。本気かどうかは、聞けば分かるので」
信じる人は、信じる人を見抜く。
俺たちは、急速に近づいた。彼女は俺の話を、誰よりも深く聞いてくれた。俺は彼女の店の夢を、誰よりも本気で応援した。夜中まで、互いの「いつか」を語り合った。彼女の淹れる茶は独特の配合で、彼女の部屋は、いつも本と、その茶の、あったかい匂いがした。
全てが、輝いて見えた。
本の言葉も、彼女の目も、俺の未来も、夜の街も、全部。
──全部が輝いて見える時期、というのがある。
あれが何の予兆なのか、知ってる人は、知ってると思う。
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