第38話 化け物の谷
ミオの部屋に通いながら、俺の夜の攻略も続いてた。
そんなある夜、狗ノ谷に遠征した。梟ノ森と全然違う、光の強い街だ。歩いてる人間のレベルが違う、と噂には聞いてた。
噂は、控えめだった。
まず、無手の人を、再び見た。
そう、あの人だ。俺の原点。手をブラーんとさせた、始まる前に終わってる男。一年半ぶりに見たその人は、相変わらず脱力してて、相変わらず、すれ違いざまの二言で世界を書き換えてた。
俺の視界は、今や警戒値も予測値も読める。読めるはずだった。
【 計測不能 】
《……白旗の在庫が、切れそうです》
(お前の白旗、在庫制なのかよ)
次に見たのは、笑顔の男だった。
その男は、何もしてなかった。ただ立って、笑ってた。営業の笑顔じゃない。デフォルトの顔面が、もう、焚火だった。
その男が誰かを見る。相手が、微笑み返す。声をかける前に、相手が微笑み返すのだ。
(おかしいだろ)(技どこ?)(顔面が技かよ)
──それから、休憩に寄った通りの縁で、事件が起きた。
自販機の前で水を選んでたら(俺の水歴は長い)、隣に、ふわ、と香水の気配が立った。
「──ねえ、君たち」
振り向くと、お姉さんがいた。火の民の、多分最上位。髪が夜の光で燃えるみたいに揺れてて、ヒールが高くて、目線がまっすぐで。俺の視界のタグ表示が、読み込みに〇・五秒かかった。この街のレベル帯、表示にラグが出るのか。
「梟ノ森の子でしょ、君たち」
「……なんで分かるんですか」
「歩き方。あっちの子は、路地を見ながら歩くの。この街の子は、光を見ながら歩く」
(見抜かれてる!!)(というか近い!! 距離が近い!! この街の標準距離、二歩バグってる!!)
心臓、バクバク。香水の匂いが、質問の途中でふわっと来る。ずるいだろ、この国の民は、匂いまで技なのか。
「勉強しに来たんです。この街の、その……レベルの高さを」
「ふうん。偉いね」
お姉さんは、ふ、と笑った。──大人の笑い方だった。俺の知ってるどの国のどの笑いとも違う、余裕だけでできた笑い。
「一個だけ教えたげる。この街でレベルが高く見える人はね──」
彼女は、俺の胸元を、指先で、とん、と一回だけ突いた。
「──誰より場数踏んで、誰より振られてきた人だから。近道は、ないよ」
そして、ヒールの音を鳴らして、光の方へ歩いていった。
(………………)
(……今の、声をかけられたのは、俺たちの方だよな?)
《肯定。……この街では、観測者も、観測されます》
胸元に、香水の残り香が、しばらく漂ってた。あの匂いは忘れない。……キモいか? でもあれは、技術の匂いだった。多分、何千の夜の。
──そして、真打ちを見た。
路地の入り口で、スーツの男が、女の人と話してた。よくある光景だ。よくある光景なのに、俺の足が、勝手に止まった。
会話が、見えなかったのだ。
技の起点が、ない。詠唱が、ない。焚火の工程が、ない。なのに相手の警戒値が、俺の見てる前で、するすると溶けていく。まるで最初から知り合いだったみたいに。三分後、二人は連れ立って歩いていった。
「……今の、うちらの世界の人?」隣にいた同期が、掠れた声で言った。
「いや」俺は首を振った。ぞくり、と背中が冷えてた。「──本職だ」
夜の街には、俺たちの遊びと地続きの場所に、遊びじゃない世界がある。呼び込み。営業。プロの捕食者たち。彼らの技は俺たちと同じ文法で、火力だけが桁違いで、そして目的が違う。
帰りの電車で、俺は一人で考えてた。
技術は、包丁だ。料理にも使えるし、別のことにも使える。俺が磨いてるこの技術は、磨けば磨くほど、あの本職たちの技術と、見分けがつかなくなっていく。
分けるものが、あるとしたら。
線だ。街の掟。契約と詐欺はしない。読まなかった目次。
──俺の線は、あの夜も、まだちゃんと引かれてた。
引かれてた、と思う。
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