第37話 ミオ
その子に会ったのは、梟ノ森の、ゲーム屋の前だった。
夜の九時。小脇にゲームソフトの袋を抱えて、すたすた歩いてくる子がいた。俺は声をかけた。焚火の第一法則に従って、先に笑わせにいく詠唱で。
彼女は足を止めて、俺を三秒眺めて、言った。
「今日クリアしたいゲームがあるから、十五分ね」
「……十五分?」
「うん。それ以上は無理。タイマーかけるよ」
かけた。ほんとにかけた。スマホのタイマーを、俺の目の前で。
(なんだこの子www)
《ペースを、完全に握られています。……本システムの経験上、初の展開です》
十五分、話した。彼女は大学生で、ゲームが好きで、話のテンポが独特だった。俺の質問に対する答えが、いつも半歩ズレてて、そのズレが面白い。タイマーが鳴った瞬間、彼女は「はい終了」と言って、でも、去り際にこう付け足した。
「連絡先、置いてけば? 気が向いたら返す」
置いてけば、て。ドロップするのは俺かよwww
──後日、気が向いたらしく、返ってきた。
⸻
ミオの部屋に初めて上がった日のことは、よく覚えてる。
「うち、何もないよ」と彼女は言った。
ほんとに何もなかった。ゲーム機と、灰皿と、積まれた本と、あとは最低限。物の少なさがセルケの部屋と似てるのに、空気は全然違った。セルケの部屋が「澄んだ水」なら、ミオの部屋は「消したばかりの蝋燭」だった。煙の匂いが、薄く、部屋の輪郭を曖昧にしてた。
「そこ座って。今いいとこだから」
彼女はゲームの続きをやった。俺は座って、それを眺めた。声をかけた男を部屋に上げて、ゲームの続きをやる。普通なら「え?」となる状況が、彼女の部屋では、なぜか一番正しい過ごし方に思えた。
「……ミオって、変わってるって言われない?」
「言われる」画面から目を離さずに答える。「で、それ、質問? 確認?」
「確認かも」
「なら合ってる」
ボスを倒して、彼女はコントローラーを置いて、煙草に火をつけた。細い煙が、ゆっくり天井へ登っていく。
「ミナモはさ」と彼女は言った。「夜、あの辺でよく声かけてるでしょ」
「……見てたの?」
「見えてた。うちの帰り道だし」
(バレてる!!)(落ち着け俺)
「聞かないの? そういうの、どうなのとか」
「聞いてほしいの?」
「……いや」
「じゃ、いい」
煙が、ふう、と吐かれた。それで、その話は終わった。裁かれなかった。興味を持たれもしなかった。ただ、置かれた。俺の夜の生活が、彼女の部屋の床に、他の物と同じ顔で、ぽん、と。
この子は、何も持ち込ませない。過去も、外の世界も、意味も。この部屋にあるのは、今だけだ。
⸻
──色気の話を、少しだけしていいか。
ミオは、綺麗というより、危うい方の子だった。部屋着の袖が長くて、指が半分隠れてて、煙草を持つ時だけ、その指が全部出る。その、指が出る瞬間が、なんか、駄目だった。何が駄目なのか説明できないが、駄目だった。
あと、距離感がバグってた。ゲームの二人プレイの時、肩が触れる。触れたまま、彼女は一切気にしない。俺だけが気にしてる。柔軟剤と煙の混ざった匂いが、近い。画面の中で俺のキャラが崖から落ちた。三回連続で。
「ミナモ、下手になってない?」
「なってない」
なってた。原因は言えない。
《観測の打ち切りを、推奨します》
(理由は)
《それ以上の観測は危険だと、本システムの勘が言っています》
(システムに勘があるのかよ)
《本日、実装されました》
遅かった。
その夜のことは、書かない。
書かないが──帰り道、俺の服から、煙と柔軟剤の匂いがした。電車の窓に映った俺は、しまりのない顔をしてた。
---




