第35話 写鏡
ルドの話をしなきゃならない。
正直、気が重い。でも、この話を抜くと俺の物語は嘘になる。
ルドは渡り屋の同期だった。俺と同じ時期に開眼して、俺と同じ速度で夜の世界に来た男。頭の回転が速くて、話が面白くて、そして俺より、レベルの昇りが速かった。
そのルドが、ある夜、焼き鳥屋の帰りに言った。
「ミナモ、お前まだ正面から声かけてんの?」
「……他に何があるんだよ」
「あるんだな、これが」
ルドは携帯を出した。画面には、水鏡。俺が締め出された、あの鏡の世界。
「水鏡で会った『てい』にするんだよ」
「……は?」
「マッチしたことにして会うの。相手には水鏡で繋がったって記憶の入口を作る。そっから先は普通にやる。──路上の警戒、全部スキップできる」
《……警告。当該手法は、出会いの経緯そのものを書き換えています》
「試しに一回やってみ。世界変わるから」
ルドは笑ってた。悪人の顔じゃなかった。攻略の裏技を見つけた、ゲーマーの顔だった。
⸻
──やった。一回。
白状する。やったのだ。俺は。好奇心と、十七連敗の記憶と、「レベルの昇りが速い」ルドへの、口に出してない何かが、俺の線を一晩だけ緩めた。
結果:通った。
嘘みたいに、通った。路上で三十分かかる警戒の解除が、ゼロ秒で終わってる。会話が最初から中盤だった。橋が、最初から架かってた。
(つよ……え、この術、つよくない??)
つよかった。強すぎた。帰り道の俺は、ちょっと浮かれてた。浮かれて、ステータスを開いて──
固まった。
視界の中の、俺の名前の書体が。
滲んでた。
擬態の時みたいに、相手の世界の書体に変わってるんじゃない。丸文字でも明朝体でもない。輪郭が、ぐにゃ、と、溶けかけた何かになってた。読めるけど、読みにくい。俺なんだけど、俺の字じゃない。
「…………」
《────緊急報告》
システムの声が、初めて、硬かった。
《あなたの名前の描画が、破損しています》
(……破損)
《擬態は、相手の世界にあなたを翻訳する技です。翻訳には、原文が残ります。──ですが、写鏡は》
(写鏡は?)
《**原文の方を、書き換えています**》
ぞわ、と、背中が冷えた。
俺は路上で立ち止まったまま、自分の滲んだ名前を、しばらく見てた。
さっきの子の顔が浮かんだ。楽しそうに笑ってた。あの笑顔は本物だった。俺の会話も、嘘はなかった。
──ただ、始まりだけが、この世に存在しない。
契約と詐欺はしない。それが俺の、たった二本の背骨の一本だった。今夜のあれは、契約か? 詐欺か? どっちでもないのか? どっちでもあるのか?
分からなかった。分からないことが、答えだった。
俺の線は、分からないものを「セーフ」に分類できるほど、太くなかった。
---




