第3話 駅三周
土曜、夕方。駅、到着。
作戦はこうだ。歩く。いい感じの人がいたら、声をかける。以上。
今なら分かる。これは作戦じゃない。「山に行く。いい感じの熊がいたら素手で倒す」と同じ構文だ。
でも当時の俺は大真面目だった。動画は百本見た。理論は完璧。あとはやるだけ──
やるだけ、だった。
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十七時〇四分。改札を出る。
人、多っ。想定の三倍いる。
十七時〇六分。歩き出す。いい感じの人……いる。めっちゃいる。想定の十倍いる。
十七時〇七分。一人目とすれ違う。
(今だ)
(今……)
(…………)
すれ違った。声、出てない。足も止まってない。俺は完璧な通行人だった。
十七時〇八分。二人目。
(よし、今度こそ)
心臓が、ドッ、と鳴る。
(え、待って、なんて言うんだっけ、一言目、あれだ、あの、すみませ──)
すれ違った。
は??? 俺の口、仕事しろ!?
十七時十五分。喉カラカラ。自販機で水を買う。飲む。落ち着け俺。
……用もないのにもう一本買う。
両手が水で埋まった。声をかける以前に、手が塞がった。天才か?
十七時二十二分。トイレの鏡の前。口を開けたり、閉じたり。発声練習のつもり。
鏡に映ってたのは、口をパクパクさせる不審な魚だった。
十七時四十分。一周目終了。声かけゼロ。すれ違いざまに会話を「始めかけた」回数、三。全部、脳内で終わった。脳内の俺、めっちゃ喋るのに。
十八時十五分。二周目、終了。声かけ数ゼロ。収穫:この駅の自販機の配置を完全に把握。
十九時〇二分。三周目。──来た。
完璧な瞬間が来た。歩く速度、方向、人の少なさ、全部揃った。
ふわっとした髪の人が、こっちに歩いてくる。
心臓、バクバクバクバク。
三メートル。息を吸う。
二メートル。喉が、締まる。
一メートル──
すれ違った。
無音で。
彼女の背中が雑踏に消えていく。いい匂いだけが、ふわっと残った。
……。
(今の子、行けたやろ)
行けてない!! 息吸っただけ!! 吸って吐いた!! それは声かけじゃない、深呼吸っていうんだよ!!
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十九時四十分。撤退。
本日の戦果。駅三周。声かけ、ゼロ。深呼吸、十四。水、二本。
帰りの電車の窓に、俺が映ってた。
笑えてきた。悔しさより先に、笑いが来た。なんだこの生き物。百本の動画で理論武装した男の実戦成績が、水二本て。
でも家の床に座って、一個だけ気づいた。
俺、今日、駅に立った。
人生で初めて「声をかけるため」に外に出た。結果ゼロ。ゼロだけど、先週までの俺は、盤面に駒すら置いてなかった。
今日、駒は置かれた。動いてないだけで。
その夜、ノートを買うと決めた。
この無様、全部記録してやる。
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