第2話 こんな世界があるのか
夜勤明けの床で、携帯を見ていた。
見たいものがあるわけじゃない。指が勝手に画面を撫でて、流れてくるものを目が受け取るだけの時間。娯楽ですらない。点滴に近い。
その点滴に、ある夜、異物が混ざった。
街の雑踏で、男が、女の人に声をかけている動画だった。
は? 迷惑系?
──違った。
男は笑ってて、声をかけられた側も、数秒後には笑ってた。二人はちょっと話して、連絡先を交換して、別れた。
それだけの動画を、俺は三回見た。
三回目で、気づいた。俺、息止めて見てる。
分かるだろうか。俺の人生には「知らない人に声をかける」って選択肢が、存在してなかったんだ。
ないものは、選べない。メニューに載ってない料理は、頼めない。
俺のメニューは三行だった。学校で出会う。職場で出会う。友達の紹介。
三行とも、売り切れてた。
だからあの夜、俺が知ったのはモテる方法じゃない。
メニューの外に、世界があるってことだ。
「……こんな世界が、あるのか」
声に出てた。床で。一人で。
画面の向こうの男は、語り部みたいに喋った。
曰く──声をかけることは、技術である。
曰く──技術であるということは、学べるということである。
曰く──学べるということは、生まれつきじゃないということである。
一言ごとに、俺の中で、ギイ、と音がした。錆びた扉が開く音。
関連動画を、夜が明けるまで見た。同じような男たちが、同じような街で、同じようなことをしてた。
そしてコメント欄の奥で、変な噂をいくつも拾った。
──終電後の駅には門が開く。潜る者にしか見えない。
──潜ると「見える」ようになるらしい。数字とか、もっと変なものとか。
──獣の門はやめとけ。あそこは最高難度だ。始めるなら辺境から。
──一晩で百の縁を拾う男、実在するぞ。俺は見た。
はいはい、と思った。ネットの与太話ね。門て。見えるて。
……与太話じゃなかったと知るのは、もうちょい先の話。
とにかくその朝、決めた。決めたっていうか、こうだ。
どうせ人生は下り坂。なら坂の途中で変な脇道入っても、失うもんがない。
行こう。駅へ。声を、かけに。
──行くだけなら、誰でもできるんだよなあ。
行くだけなら。
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