第1話 床と、鎧の女
この街には、鎧を着た女が歩いている。
嘘だと思うだろ。俺も最初はそう思った。
でも、いるんだ。夜の駅の雑踏に、白銀の鎧を着た女が。人混みをかき分けて、ヒールの音をカツ、カツ、と鳴らして。誰も振り返らない。誰にも見えてないから。
見えるのは、潜った者だけだ。
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先に、この街のルールを話しておく。どうせお前も、すぐ潜ることになるんだから。
終電のあと、ターミナル駅には「門」が開く。潜る者にしか見えない門だ。門の内側では、人と繋がる力が、数値になる。
声をかければ、経験値。
連絡先は、ドロップ品──「札」と呼ぶ。
レベルが上がると、音が鳴る。チリ、、ン、という涼しい音だ。あの音を一度聞いた男は、もう戻れない。脳のどっかが、じゅわ、とするんだ。これはやった奴にしか分からん。
視界も変わる。すれ違う人の上に、その人の生きる世界が「装い」として描画される。ふわふわの子の背中には妖精の羽が生え、姿勢のいいお姉さんの腰には騎士の剣が下がり、夜に強い子の髪は火の粉みたいに光る。
で──冒頭の鎧だ。白銀の鎧の女たち。どの国の言葉も通じない、最高難度の装い。あの鎧の正体を知った夜、俺は多分、この物語で一番でかい音を立てて、崩れて、組み直った。まあ、それは先の話w
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門の内側には、化け物どもがいる。
一晩で百の縁を拾う男が、いる。噂じゃない。俺は見た。なんならそいつと焼き鳥を食う仲になった。
海の向こうの神々の遺物──神器と呼ばれる規格外の武器を担いだ連中がいる。相手の心を断定で撃ち抜く【ブリューナク】の使い手。抜かないことで最強の【レーヴァテイン】の主。俺の視界は、そいつらの技の前で、何度も白旗を上げた。表示はいつも同じ。【計測不能】。
銀貨一枚で入れる「渡り屋」って互助の場があって、期限を切って毎夜出撃する「試練」って修行があって、走り切った奴は「結願」って呼ばれて、ちょっとだけ歩き方が変わる。
梟ノ森って迷宮の路地の奥には、何も聞かずに焼き鳥を焼く大将がいて、あの人の上にだけは、俺の視界は最後まで、何の表示も出せなかった。
それから──これは都市伝説なんだが。
声をかけたことが一度もないのに、一度も独りだったことがない男が、昔、いたらしい。
零ノ手の開祖。真偽不明。……いや、真偽不明ってことに、しとくわw
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さて。
俺はこれから、この世界で成り上がる。
先に言っておく。遠慮はしない。俺は技を覚える。【詠唱】で言葉の設計図を握り、【擬態】で国々の言語を操り、【焚火】で夜を橙色に灯す。駅三周の男が、化け物どもと肩を並べ、夜の街を無双する。レベルの音を浴びるほど鳴らして、天辺の見える高さまで登る。
登って──それから、全部を失って、また床に戻る。
これは、そういう話だ。上がって、落ちて、それでも朝が来る話。百話ある。全部ほんとにあったことだ。
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で、だ。
伝説だの神器だの言った口で恐縮だが、俺の物語は、鎧よりも門よりも、ずっと手前から始まる。
床からだ。
あの頃の俺は、夜勤をしていた。
窓のない部屋。白い蛍光灯。終わらない作業。時間の感覚が最初に死んで、次に曜日が死んだ。
仕事は詰んでた。上は詰まって、横は辞めて、下は入ってこない。
給料は──通帳を見なければ、あると信じられる程度。
通帳は見ない。見ると、給料より先に「返す方」の数字が目に入るから。
そう、借金があった。若気の至りってやつ。金額は言わない。言わないが、返済日の前の週は、コンビニの棚の前で百円単位の計算をした。おにぎりを一個、棚に戻した夜もある。戻したおにぎりの棚の冷気を、手の甲でまだ覚えてる。
朝六時、職場を出る。
世界で一番明るい時間を、世界で一番眠い男が歩く。すれ違うのは全員、出勤していく人たち。俺だけが逆流。
家に着く。飯か風呂か、どっちかの気力しか残ってないから、日替わりで選ぶ。
で、寝る。
ベッドは、あった。あったのに。
ベッドまでの三歩が、遠い日があるんだ。座り込んで、携帯見て、気づいたら昼で、床。
床で目を覚ますと、最初に見えるのは天井じゃない。
頬のすぐ横の、フローリングの木目。
それを見ながら、毎回思う。
──で、今日は、何のために起きるんだっけ。
答えはない。用意する予定もない。
人生ってのはこういう平坦な下り坂がだらだら続いて、そのうち終わるもんだと思ってた。
衝撃的な出会いなんて、ない。
現実なんて、変わらない。
二十何年生きた結論が、それだった。
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──なあ。
いま床にいる誰かに、先に一個だけ言っておく。
俺はこのあと、声をかける。たった一声だ。その一声から、鎧の女も、神器も、レベルの音も、天辺も、奈落も、全部が始まる。
人生は、賭け金を渋ってゲームに参加しなければ、クッソつまんないままだ。
参加した男の記録を、これから百話かけて置いていく。
始まりは──一本の動画だった。
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