第25話 結願
イチが、試練を走り切った。
結願、というやつだ。期限の最終日、渡り屋の広間で、走り切った者たちがささやかに讃えられた。イチは照れくさそうに立ってて、上位者に肩を叩かれてた。
結願した者は歩き方が変わる、と広間では言われてた。迷信だと思ってた。
迷信じゃなかった。
数日後、一緒に夜の駅を歩いて、分かった。イチの歩きから、探す動きが消えてた。前は雑踏を「探して」歩いてた。今は、ただ歩いてる。ただ歩いてる男が、すっと一回だけ動いて、
「すいません」
一言。彼女が止まる。俺の視界に【計測不能】。
《……また白旗です。彼の前では、本システムは旗屋になります》
前より、静かになってた。一撃が。研がれた刃は、最後は音が消えるらしい。
「なあイチ。試練って、何が一番効いた?」
帰り道に聞いた。イチは少し考えて、言った。
「……期限すかね。終わりがあると、今日サボれないんで」
「なるほど」
「あと、毎日出ると──考える暇が、ないっす。考える暇がないと、体が先に覚える」
考える暇がない。それは俺の対極だった。俺は考える男だ。ノートに書き、分析し、設計して、それから動く。
どっちが正しいんだろうな、と一瞬思って、すぐやめた。
正しさの問題じゃない。イチは何万回の反復で山を登ってて、俺は設計図で山を登ってる。斜面が違うだけで、山は同じだ。げんに俺の数字も、俺のペースで、ちゃんと上がってる。
──定石を使う者と、定石を作ろうとする者。
当時の俺は自分を後者だと思ってた。思ってたが、後者を名乗るにはまだ、俺は何も作ってなかった。作った気になれるほど、数字が上がってた。それだけだった。
それにしても、と俺は隣を歩く友を見た。
結願した男の隣は、風が鳴る。
いい風だった。あの夜の風は、ほんとうに。
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その夜、帰ってから、セルケと少しだけ通話した。
「今日ね、友達がすごかった」と俺は言った。「一年ずっと、同じ一言だけ磨いてた奴がいて。今日、その一言が完成に近づいてるとこ見た」
「へえ」と彼女は言った。「ミナモくん、友達の話する時、声が明るいね」
「そう?」
「うん。……その話は、してくれるんだね」
一瞬、間があった。
彼女はすぐ「なんでもない」と笑って、明日の話に変えた。電話を切ったあと、枕に顔を沈めて、俺はさっきの間のことを考えた。三十秒くらい考えて、寝た。
三十秒。あの頃の俺が、ドアの前に立ってられた時間は、それが限界だった。
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