幕間・ダイの書(下) ※エピローグ
引っ越しの前に、ミナモさんが、うちに寄ってくれたんですよ。
妻が「タコパの器、持って帰ります?」とか言って(あげません、うちの伝統器なので)、三人で茶ぁ飲んで、だらだら喋って。
で、帰り際に、玄関で、ミナモさんが急に言ったんです。
「あ、そうだ。ダイ、一個聞き忘れてた」
「なんすか」
「──あのオレンジの靴下、まだ持ってる?」
……。
「…………え?」
「オレンジの靴下。お前が最初、渡り屋に履いてきてた。俺、あれ見て『こいつは本物だ』って思ったんだよ。だから、記念に取ってあるのかなって」
……ミナモさん。
大変、言いにくいんですけど。
「あれ、すぐ捨てましたけど。」
「────は?」
「え、だって、ダサかったんで。服買ってもらった次の週くらいに、捨てました。あの頃の服、もう一着も持ってないです。なんであの服でいいと思ってたのか、今見ても分かんないんで」
ミナモさんの固まった顔、初めて見ました。三秒くらい固まって、それから、玄関で、腹抱えて笑い出して。
「捨てたのかよ!! 俺の三年半の、感動の象徴を!!」
「知らないですよ!! 勝手に象徴にしないでください!!」
「本物の証だぞ、あれは!!」
「ただの、引き出しの一番上にあった靴下です!!」
妻まで笑ってました。ひどい夜でした。
⸻
──でも、ミナモさんが帰った後、ちょっとだけ、考えたんです。
靴下は、捨てました。あの頃の服も、全部。ダサくて、傷んでて、見てられなかったので。
でも。
あの靴下を履いてた男が、震えながら貰った一枚の札。あの札の「不可能じゃないんだ」。あの日、服の店の鏡で見た、配り直された自分。タコパの器。ロシアンたこ焼きの伝統。焼き鳥屋の暖簾。震える手で参加した、全部のゲーム。
──それで手に入った暮らしの中に、俺、今、住んでるんですよね。
この家も。この器も。隣で笑ってる人も。
物は、捨てました。あの頃に始まったものは、一個も、捨ててないです。むしろ全部、ここにあります。今の家の中に。
……ってことを、ミナモさんには、言ってません。
言ったら絶対、「それノートに書いていい?」って言うので。
書くんだろうなあ、どうせ。あの人、そういう人なんで。
──あ。
書かれてますね、これ。
まあ、いいや。
ミナモさん。靴下は捨てましたけど──あの日、声かけてくれて、ありがとうございました。
俺の青春、あなたの一声から始まったんで。
<幕間・ダイの書(下)・了>
<『声をかけるたびレベルが上がる。なのに俺は、まだ床で目を覚ます』全百話+幕間・完>




