第100話(最終話) 朝
書き終えたのは、明け方だった。
……いや、正確に言おう。この百話を書き終えた「今」が、明け方なのだ。窓の外が、薄青い。もうすぐ、朝が来る。
最後だから、種明かしを、少しだけ。
ここまで読んでくれた諸君は、もう気づいてると思うが──この物語の一話目、「今でも、たまに床で目を覚ます」と書いた俺と、今この行を書いてる俺は、同じ机にいる。円環ってやつだ。あの一行から始めて、三年半をぐるっと回って、俺は今、始まりの椅子に帰ってきた。
ソファから落ちて腰を痛める夜も、まだある。彼女に「また床で寝てた」と笑われる朝も、ある。人間、そんなに完成しない。
ステータスは、もう、開かない。開き方も、忘れた。
レベルが今いくつなのか、知らない。声かけの通算が結局何回だったのか、札が何枚だったのか、細かい数字は、ノートの奥で、静かに黄ばんでいってる。
あんなに毎晩数えてた数字を、一個も覚えてない男になった。
代わりに、覚えてるものがある。
プリン二個の夜の笑い声。ダマ裁判の判決。オレンジの靴下の眩しかった朝。「す、す、好きです」の速報。串一本の余りもん。プシ、こつん。おいしかったよ。見つかった? でも好きです。ごはん、ちゃんと食べてね。いいですよ! の即答。アイスの、半分。寝癖の人が呼ぶ、俺の名前。
数えられないものばっかり、覚えてる。
──あの名無しの項目が、最後に「計測不能」になった理由が、今なら分かる。
あれはバグじゃなかった。あれは最初から、この百話ぶんの、覚えてるものの置き場所だった。数える機能しかなかった俺の視界が、唯一、数えられなかったもの。三年半かけて、俺がやっと倉庫から居間に運んだもの。
名前は──つけない。
名前をつけたら、逃げる気がする。そういうやつなのだ、あれは。
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窓の外が、白んできた。薄青が、だんだん、あの青になっていく。
初めて成果が出た朝の青。卒業の朝の青。
──「終わり」って書く朝の空も、同じ青なんだな。知らなかったよ。
最後に、これを読んでる、いつかの俺へ。
床は、硬いか。
硬いよな。分かる。頬の横の木目も、「何のために起きるんだっけ」も、全部、俺のところにも、あった。
だから、これだけ置いていく。
俺は、声をかけた。震えて、噛んで、「大丈夫でした!!」とか言った。それでも世界は終わらなくて、地面は硬いままで、硬いってことは──立てるってことだった。
お前の駅にも、門はある。お前の門が、声かけじゃなくてもいい。ゲームは、色んな種類が開催されてる。賭け金を渋るな。参加しろ。以上が、床の先輩からの、引き継ぎ事項の全部だ。
……ん。朝だ。
コーヒーを淹れて、彼女が起きてくる前に、この最終話を、書き終える。
三年半、俺は数えた。声を、札を、レベルを、夜を。数えて、数えて、数え切って、それで分かった。人生でほんとうに欲しかったものは、一個も、数えられない棚にあった。
だから、俺の物語の結びは、これでいい。
もう、数えない。
それでも俺は──朝で、目を覚ます。
<完>
あとがき(最後の発見):百話、読んでくれてありがとう。最後の発見は、これだ。──「終わり」って書いた朝のコーヒーは、人生で一番うまい。お前のぶんも、いつか、淹れといてやるよ。
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