第96話 春夏秋冬
イチから、飯に誘われた。二人だけで、というのは、珍しかった。
焼き鳥屋のカウンター。串が来て、茶が来て(あいつも、俺も)、イチは、しばらく無言で食ってから、言った。
「……報告が、あって」
「ん」
「──彼女が、できました」
「!!」
俺は、串を落としかけた。
「マジか!! いつ!? どこで!?」
「一年前」
「一年前!?」
一年!! 隠してたのかこの男!! 一門の誰も知らんぞ!!
「す、すいません。その……ちゃんと続くって分かってから、言おうと思って。で──先週、一年経ったんで」
一年経ったんで。
律儀か。お前は何もかも、律儀か。
聞けば、出会いは水鏡だったらしい。あの、練習と言って始めた、文字の道場。文字のやり取りを重ねて、会って──そして、会った日に、イチは、決めたのだという。
「最初に、全部、言おうって」
「全部?」
「俺、路上で声かけしてたこと。……あと、その」
イチは、茶を一口飲んで、静かに言った。
「──俺、昔、最初の音が、出なかったんです。子供の頃から、ずっと。『す』が、出なくて。それが嫌で、それだけのために、何万回も、練習して」
……。
初めて、本人の口から聞いた。俺が三年半、聞かずにいたこと。誰も聞かずにいたこと。
「それも、言ったんです。会った日に。かっこ悪いかなと思ったけど、隠して始めるの、嫌で。──で、言おうとしたら、緊張して、その、めちゃくちゃ詰まって」
「うん」
「『す、す、す、好きです』って」
「──告白になっとるやないか!!」
「なりました」
「事故!?」
「事故です。……でも」
イチは、少しだけ、笑った。俺が三年半で見た中で、一番、素の顔で。
「彼女、笑わないで、待っててくれたんです。俺の『す』を。最後まで。──で、『はい』って」
……。
俺は、茶を飲んだ。飲まないと、何か出そうだったから。
何万回の「すいません」を研いだ男の、人生でいちばん大事な一撃が、素振りゼロの、事故の「好きです」だった。しかも、一番隠したかった詰まりごと、まるごと、受け取ってもらえた。
【開帳】、というやつだ。技名で呼ぶのは野暮すぎるけど。
「──で、この一年、どうだった」
「……春に花見して、夏に祭り行って、秋に、その、旅行して、冬に、実家に、挨拶に」
「フルコースやないか」
「フルコースでした」
春夏秋冬。
一撃の男が、一年を、一人と、丸ごと。
大将が、俺たちの前に、串を二本、とん、とん、と置いた。
「余りもんじゃ」
──二本。
……大将。あんたの「余りもん」、出るタイミング、良すぎるんだよな。
---




