第93話 ラスボス
そいつは、夢と現実の境目に、現れた。
眠りかけの夜だった。うとうとの中で、ふ、と、懐かしい重さが、目の奥に戻ってきた。
視界だった。
消えたはずの、あのステータスが──全盛期のフル解像度で──俺の視界に、展開されてた。
【 Lv.45 】
声掛け:1428 札:236 成功率:歴代最高値
視界の中の夜の駅。雑踏の全員にタグ。警戒値。予測値。装い。妖精の羽、騎士の剣、火の髪、白銀の鎧。全部が読める。全部が、輝いてる。
そして、声がした。
《おかえり》
……その声は、システムの声に、似てた。似てたが、違った。もっと大きくて、もっと古くて、俺自身の三年半の声を全部混ぜて煮詰めたような、何かだった。
《見ろ。全部、数えられる。全部、読める。全部、増やせる》
《この視界を返そう。音も返そう。チリ、、ン、を、もう一度》
……ああ。
こいつか。
こいつが、ラスボスか。
⸻
魔王でも、ライバルでもなかった。
俺のラスボスは──数えられるものだけの、世界そのものだった。
三年半、俺をレベル45まで運んでくれた世界。声を数え、札を数え、成功率を数え、俺の価値を毎晩、数字で保証してくれた世界。優しくて、分かりやすくて、寂しさに一番よく効く世界。
そいつが、最後の夜に、全盛期の姿で、迎えに来た。
《戻ってこい。お前は俺の中で、強かった》
「──ああ。強かったな」
俺は、夢の中の夜の駅で、答えた。
「なあ。一個だけ、聞かせろ。お前、俺に何をくれてたんだ? 毎晩、数字で。あれは、何の保証だった?」
《……証明だ。数えれば、証明できる》
「何を」
《お前に、価値があることを。》
……。
……そうだよな。
それだ。それが、お前の飼い方だった。俺は、断られるのが怖かったんじゃない。「価値がない」と証明されるのが怖かった。だから毎晩、反対の証拠を集めた。お前は、その証拠を数えて、保管して、利子をつけてくれた。世界一优しい、恐怖の銀行だった。
「──もう一個、聞かせろ。このゲーム、誰が作った?」
《…………》
「お前じゃないよな。……俺だ。俺が、俺の恐怖で作ったんだ。価値を証明し続けなきゃ生きてちゃいけないっていう、俺のルールで。お前はただ、俺の作った盤面を、誰よりも忠実に、運用してくれてただけだ」
だから、倒さない。
誰かの作ったゲームに反逆するんじゃない。俺の作ったゲームを、俺が、畳むだけだ。
「世話になった。ほんとうに。……だから、ちゃんと納めて帰るわ」
俺は、右手を上げた。
三年半の技を、一個ずつ、呼んだ。
「【詠唱】」
──駅三周の夜。風呂での素振り。「作った奴、天才かよ」。ブロックしてもいいんで!! ……型よ、お前は俺の声帯だった。声の出ない男に、最初の言葉をくれた。
納め。
「【擬態】」
──妖精の国の言葉。騎士の国の誰何。火の国の速度。呼び込み誤認www 新規オープン準備中www ……お前は俺に、世界が多言語だと教えた。
納め。
「【楔】、【開帳】」
──小さく通す勇気と、先に開く勇気。会社でも観光客でも、勝手に動いてくれた二本。お前らはもう技じゃない。癖だ。持っていく。
納め。
「【朧】」
──隠した顔と見せた顔。どっちが本物か、三年悩ませてくれたな。答えは「全部」だったよ。
納め。
「【焚火】」
──……。
一番、長く手に持ってた。
……プリンの子の笑い声。橙色に灯った札。焼き鳥屋の火。タコパの湯気。この技だけは、納める場所が、技の棚じゃなかった。
胸に、仕舞った。
納め。
《────》
視界が、軋み始めた。ラスボスの声が、掠れていく。
《なぜだ。強くなれるのに。数えれば、証明できるのに。お前の三年半を、俺だけが、数えて、覚えていてやったのに──》
「……ああ、そうだな」
不意に、目の奥が、熱くなった。
「数えててくれたな。お前だけは。誰も見てない夜の、俺の一声も、俺の空振りも、俺の千四百二十八回を、全部──」
うわ、と思った時には、遅かった。
「────う、」
「うわ」
「うわあああああ────……!!」
夢の中の駅で、俺は、声を上げて泣いた。三年半ぶん。声の出せなかった半年ぶん。悲しめなかった奈落ぶん。静かに泣いた夜たちの、未払いの音量ぶん、全部。
だってそうだろ。
こいつは、敵じゃなかったんだ。床の男に、初めて「増える数字」をくれた世界だ。倒す相手じゃない。降りる場所だ。世話になった電車から、自分の駅で、降りるだけ。
泣きながら、俺は、最後の表示に手を伸ばした。
【 ??? 】【 計測不能 】
──こいつだけは、納めない。こいつは最初から、お前の盤面の外の住人だった。連れて帰る。
「じゃあな」
俺は、視界の電源に、内側から、手をかけた。
《……ミナモ》
──その声は、ラスボスのじゃなかった。
いつもの、あの、《》の声だった。三年半、俺の視界に住んでた、俺の相棒の。
《最後に、一件だけ、報告があります》
(……聞くよ)
《本システムの記録によれば──開眼の夜、本システムはあなたを「興味深い個体」と評価しました。三年半の全データを照合した、最終評価を、報告します》
(……)
《いい個体、でした。》
「────個体て」
泣きながら、笑った。
「最後まで、個体て、お前……www」
《はい。……三年半、ご一緒できて、光栄でした》
「──こちらこそ、だよ。相棒」
俺は、電源を、そっと、落とした。
チリ、、ン。
──最後に一回だけ、あの音が、鳴った。
さよならの音として聞くあの音が、あんなに綺麗だとは、思わなかった。
⸻
朝、目が覚めた。ベッドで。頬に、乾いた涙の跡があった。
夢だったのか、現実だったのか。どっちでもいい。
倒し方が「降りること」のボスは、降りた朝に、消えてる。
そして、あの《》の声も──その朝から、二度と、しなかった。
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