第91話 まっさら
その朝のことは、体感ごと書く。
日曜だった。よく寝て、目が覚めて(ベッドで)、カーテンを開けて、いつものコンビニに朝飯を買いに出た。
歩き出して、十歩目くらいで、気づいた。
……ん?
んん?
視界が──**開かない。**
いつもなら、意識すれば視界の隅にうっすら残ってた、あの消えかけのステータスの気配。白紙みたいになっても、開こうと思えば開けた、あの薄い層。
それが、ない。
開こうとする。開かない。もう一回。開かない。念じる。開かない。目を閉じて、開ける。──ただの、朝の住宅街。
(おい!! システム!! 表示は!!)
《……確認しました。本システムの、表示機能が──消えました》
(消えたって、お前)
《残っているのは、もう、この声だけです》
三年半、俺の現実に重なり続けたゲーム画面が、完全に、消えた。
俺は、道の真ん中で、立ち尽くした。
最初に来たのは、喪失感──のはずだった。三年半の相棒だぞ。俺の努力の履歴、俺の目そのものだった視界だぞ。悲しめ、俺。惜しめ。
……来なかった。
代わりに、来たのは。
朝の光が、やけに、白い。空が、変に、高い。すれ違ったおばちゃんの買い物袋から、ネギが、堂々と、はみ出てる。世界の全部が、注釈ゼロの、剥き出しの、初見の。
「………………うわ」
声が、漏れた。
「うわーーー……」
漏れた声が、伸びた。
「**うわーーーーー!!!**」
叫んでた。朝の住宅街で。パジャマ同然の男が。両手を広げて。
なんだこれ!! 世界、こんなに明るかったか!? 空、こんなにでかかったか!? ネギ、こんなに面白かったか!? 視界が消えたんじゃない、逆だ、逆!! **目隠しが、取れたんだ!!**
「お兄さん、大丈夫?」
ネギのおばちゃんに、心配された。
「大丈夫です!! 最高です!!」
「そう。よかったわねえ」
よかったです!! おばちゃんの寛容さも最高です!!
⸻
コンビニで朝飯を買って、帰り道、俺は何度も空を見上げた。
見上げて──ふと、気づいた。
この青、知ってる。
三年半前。初めて、朝まで残る成果が出た日。始発で帰った、あの朝。駅から家までの道で見上げた空が、いつもより、青かった。ばかみたいに、青かった。あの時の俺は、成果のせいだと思ってた。勝った男の目には、空も青く見えるんだな、って。
──今日の俺の戦果は、ゼロだ。声かけゼロ。札ゼロ。表示すら、もう、ゼロ。
なのに、同じ青なのだ。あの朝と、寸分違わず、同じ青。
……つまり、あの青は、最初から、空の色じゃなかった。
**目の側の、色だった。**
何かが開いた朝の目には、空は、ああ映る。開かせたのが勝利だろうが、卒業だろうが、空は同じ色を返す。三年半かけて、答え合わせが済んだ。
卒業ってのは、視界を失うことだと思ってた。
違った。
**満了**だった。あの視界は、三年半かけて、俺に世界の見方を教習して、教習が終わったから、外れたのだ。補助輪と同じだ。外れた朝が、一番、風を感じる。
喪失では、なかった。
一ミリも。
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