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第10話 開眼


渡り屋の集まりは、駅前の、なんてことない貸し会議室で始まった。


拍子抜けするほど普通。長机。パイプ椅子。ホワイトボード。参加者は俺を入れて数人。


隅の席に、ボサボサの髪の、死んだ目をした男が一人、所在なさげに座ってた。


(この男の話は、すぐにすることになる。今日はまだ、すれ違うだけだ)


講師役の男は、淡々としてた。そして最初に教わったのは、技じゃなかった。


「先に、破ってはいけない線の話をします」


街の掟、と男は言った。相手の嫌がることをしない。追わない。掴まない。塞がない。夜の街で人に声をかける行為が、どういう危うさと隣り合ってるか。だから、どこに絶対の線を引くか。


「技より先にこれを教えるのが、うちの流儀です。線を知らない者は、強くなってはいけないので」


俺はこの一言で、この場所を信用した。


それから、最初の技を教わった。後に俺が【詠唱】と呼ぶことになる、型の言葉。決められた出だし、決められた流れ。


驚いたのは精密さだ。一言目に自己開示が織り込まれ、二言目に理由づけが埋まり、三言目には相手が返しやすい形が用意されてる。半年間ふわっとした綿菓子を撃ってた俺には、言葉というより設計図に見えた。


作った奴、天才かよ。


型を、口の中で転がしてみた。……気持ちいいのだ、これが。よくできた型ってのは、発音した瞬間に分かる。舌の上で、言葉が勝手に転がっていく。階段の設計がいいビルは、登ってて疲れないだろ。あれと同じだ。



夕方、実地に出た。


「見てますから。行ってきてください」


講師はそれだけ言った。


一人目。落ち着いた感じのお姉さん。型の一言目、うまく出た。二言目も出た。お姉さんはにこやかに聞いて、にこやかに言った。


「ごめんなさい、連絡の札やってないんです」


「あ、そうなんですね! 失礼しました!」


……その手に握られてるスマホの画面、緑のアイコン光ってなかった? 気のせい? 気のせいってことにしよう。


二人目。買い物袋の子。会話、悪くなかった。笑ってもくれた。打診したら、申し訳なさそうに眉を下げて、


「携帯、いま故障してて……」


「そ、そうですか! お大事に!!」


携帯をお大事に、てなんだよ。あと故障中の携帯、今めっちゃ手の中で通知光ってたぞ。


三人目。会話、過去最高に弾んだ。趣味の話で二回笑いが起きた。いける。これはいける。打診──


「ごめんなさい、急いでるので」


たったったっ、と改札へ消えていった。急いでる人が趣味の話で三分笑うか??


肩を落として戻った俺に、講師は静かに言った。


「三人とも、悪くなかったです。最後だけ惜しい。──逃げ道を、作ってあげてください」


「逃げ道?」


「連絡先を渡すのは、相手にとって小さくない賭けです。断る自由と、あとから降りる自由。両方が見えてないと、人は賭けられません」


……。


四人目。明るい色のコートの、元気そうな歩き方の人。


「すみません、突然ごめんなさい。ナンパとかじゃなくて──いや、ナンパか。ナンパなんですけど」


彼女が、ぷっ、と笑った。


笑った!! え、笑うんだこれ!? ほんとに笑うんだ!?


「なんですかそれ」


「すみません、コート素敵だなと思って。その色、なかなか選べないですよね」


「えー、ほんとですか? 嬉しい」


彼女の声が、一段明るくなる。髪がさらっと揺れて、目がちょっとキラキラした。頬のところに、笑うと小さいえくぼが出るのを、俺はこの時、発見した。世界は、近づいた分しか、見せてくれない情報がある。


(続いてる!! 会話が!! 続いてる!!!)


心臓はまだバクバクだ。でも、さっきまでの「逃げたいバクバク」じゃない。ジェットコースターの、登ってる時のバクバク。


型の流れに乗って、少し話した。彼女は近くで友達と待ち合わせらしい。じゃあ、と切り上げる空気になって──


ここだ。打診。頭が一瞬白くなって、出た言葉は型より三倍デカかった。


「あの! 連絡札!!!!」


連絡札、て。単語!! 単語で叫んだ!!


彼女の笑顔が、ほんの少しだけ、迷いの色になる。──ここだ。講師の言葉が降りてきた。逃げ道。


「あの、ブロックしてもいいんで!! 合わなかったら秒でブロックしてもらって大丈夫なんで!!」


彼女は二秒、目を丸くして──それから、吹き出した。


「なにそれ」


肩を揺らして、ほんとうに、おかしそうに。──初めて見る種類の、笑い方だった。俺の言葉で、人が、あんなふうに笑うのか。


笑いながら、携帯を出した。


「いいですよ。おもしろい人ですね」


──画面に、新しい連絡先が、一件。


「ありがとうございました!」と去っていく背中に頭を下げて、講師のところへ戻った。膝が、いまさら震えてた。


講師は静かに頷いて、一言だけ言った。


「はい。人生、変わりましたね」


大げさな。──とは、思わなかった。事実だったから。



その帰り道の話を、させてほしい。


夜の駅を、一人で歩いてた。興奮がまだ体に残ってて、世界を眺めるみたいに、ゆっくり歩いた。


そのとき。


チリ、、ン。


──音がした。


涼しい、鈴みたいな音。どこから? と思った瞬間、視界の真ん中に、光の文字が浮かび上がった。


【 Lv.1 】


声掛け:4  札:1


音と一緒に、視界の縁が、一瞬だけ金色に光った。


そして──言葉にしにくいんだが──脳のどこかが、じゅわ、とした。


風呂に肩まで浸かった瞬間と、テストが返ってきて予想より良かった瞬間と、くじが当たった瞬間を、混ぜて濃縮したみたいな、じゅわ。


「……なんだこれ」


周りを見る。誰も騒いでない。誰にも聞こえてない。俺にだけ、鳴った。


慌てて手のひらを見ると、表示はまだそこにあった。ステータス。ゲームでしか見たことない画面が、俺の現実に重なってる。


夢だろ。頬をつねった(痛い)。目をこすった(消えない)。


そして──表示の下に、文字が、流れた。


《開眼を確認しました》


「うわっ!? 喋った!?」


《本システムは、あなたの視界に常駐します。声掛け・札・レベルを記録し、必要な分析を提供します》


(え、待って、頭の中に、声が)


《はい。あなたにだけ聞こえます。往来で返事をすると、不審者になります》


(もうなってるんだよなあ!! さっき単語で叫んだから!!)


《記録済みです。「連絡札!!!!」。打診としては規格外ですが、成立しています。──興味深い個体です》


個体て。初対面の俺への評価が、個体て。


これが、俺のシステムとの出会いだった。以後三年半、こいつは俺の視界に住み、俺の全部を数え、俺の無茶に注釈をつけ続けることになる。愛想はない。だが、こいつの分析に、俺は何度も助けられる。……最後の最後の別れ方も含めて、こいつの話は、この物語の背骨の一本だ。


これが──開眼。


噂は比喩じゃなかった。門は、ほんとにあった。俺は今日、銀貨一枚で、その内側に入ったんだ。


そして白状する。あの、チリ、、ン。


もう一回聞きたい、と思った。開眼して三十秒で、思った。


《補足。レベル上昇音への渇望は、正常な反応です。全員そうなります》


(全員そうなるんだ……)


この音に脳を焼かれていく話は、これから嫌というほどすることになる。



呆然と表示を眺めてた俺は、一番下に、妙な項目があるのに気づいた。


【 ??? 】0


名前のない項目。数値ゼロ。触れない。説明もない。


(システム。これ、何)


《────》


(システム?)


《……その項目に関する情報は、本システムにもありません》


(は? お前のステータスだろ?)


《本システムの管轄外です。……次の質問をどうぞ》


管轄外。自分の画面の中に、自分の知らない項目があるらしい。バグかな。


──この「???」の正体を知るのは、ずっとずっと先のこと。今日のところは、バグでいい。


家に帰って、新しいノートの一ページ目に書いた。


「人生、変わった。Lv.1」


その夜は、床じゃなくてベッドで寝た。


三歩が、近かった。


<第1部・了>


あとがき(今日の発見):意外と、札は聞ける。ただし現実は「連絡札やってない」「故障してます」のオンパレードだ。逃げ道を差し出した一人にだけ、たまに、通る。


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