表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人形劇  作者: あかさたな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/22

6. 幕が上がる

 


 入学式の朝は、驚くほどよく晴れていた。

 窓から差し込む光が白いカーテンを透かし、室内を淡く照らしている。

 それなのに、シルビアの胸はひどく重かった。

 昨夜はほとんど眠れなかった。

 浅いまどろみのなかで何度も目を覚まし、そのたびに、公爵夫人の言葉が耳の奥でよみがえった。


 ――あなたは王子を誘惑して、焦がれ、決して報われない。


 まるで呪いのようだった。

 扉が叩かれ、侍女たちが入ってくる。


「お支度を」


 淡々とした声。

 もう聞き慣れたはずなのに、その響きだけで身体が強張る。

 制服に袖を通し、髪を整えられ、薄く化粧を施される。

 鏡の前に座る少女は、もうシルビアではない。

 少し垂れた優しげな目元は、細めればどこか妖艶に見える。

 柔らかな金髪は気高く整えられ、そこにいるのは高慢で美しい令嬢セリーヌ。

 物語から抜け出してきた悪役令嬢。

 高貴で、気品に満ちていて、誰が見ても完璧な令嬢。

 その姿に、シルビア自身だけが置き去りにされていた。

 背後に、公爵夫人が立つ。

 鏡越しに視線が絡んだ。


「下がりなさい」


 公爵夫人の一言で、侍女たちが一礼して部屋を出ていく。

 扉が閉まり、二人きりになった。

 公爵夫人はゆっくりと鏡越しにシルビアを見つめた。


「いいわ」


 その一言に、胸の奥がひやりと冷えた。

 褒められているはずなのに、少しも嬉しくない。


「今日から、あなたの舞台が始まる」


 公爵夫人はシルビアの肩に手を置いた。

 白く細い指は、まるで枷のように見えた。


「失敗は許されないわ」


 シルビアは静かに頷く。


「……はい」


 その返事に、公爵夫人は満足げに微笑んだ。


 食堂には、すでに全員が揃っていた。


 公爵。

 公爵夫人。

 そしてアシュレイ。


 シルビアが席につくと、アシュレイが露骨に眉をひそめる。


「本当に学園へ行くんだな」


 シルビアは優雅にナプキンを広げながら、ちらりと視線を向けた。


「何度も確認なさるなんて、そんなにわたくしと同じ学び舎に通えるのが嬉しいんですの?」


 アシュレイのこめかみに青筋が浮く。


「誰が」

「あら、違いました?」


 鼻で笑う。

 それだけで、彼の目が険しくなる。


「……学園で妙な真似をするな」


 その言葉に、公爵が静かに口を開いた。


「アシュレイ」


 低い一声。

 咎めるというより、黙れという圧だった。

 アシュレイは口を閉ざす。

 それきり、食卓は沈黙した。


 パンをちぎる音。

 カトラリーの触れ合う音。


 静かで、整っていて、どこまでも冷たい朝食だった。

 シルビアは機械のように食事を終えた。


 屋敷の正面には、公爵家の紋章が刻まれた黒塗りの馬車が待っていた。

 学園へ向かう馬車は、アシュレイと同乗だった。

 向かい合う席。

 狭い空間に流れる沈黙は、食堂よりも息苦しい。

 窓の外では、街がゆっくりと流れていく。


 石畳。

 店先に並ぶ花。

 行き交う人々。


 どれも新鮮で、眩しかった。


 シルビアは思わず見入る。

 その横顔を、アシュレイがちらりと見た。


「……田舎者みたいだな」


 はっとして、シルビアはすぐに視線を戻す。


「失礼ですわね」

「珍しいか」

「そんなことはありませんわ」


 言い返しながら、胸が痛む。

 本当は外の世界が珍しくて、懐かしかった。

 でも、それを見せてはいけない。

 アシュレイは鼻で笑った。


「せいぜい、公爵家の名を汚すなよ」


 それきり、彼は窓の外へ視線を向けた。

 シルビアもまた、黙るしかなかった。

 やがて馬車が止まる。

 扉が開かれた瞬間、ざわめきが押し寄せた。

 王立ルミナス学園。

 白亜の校舎は朝日に輝き、広大な庭園には春を代表する花々が咲いている。

 噴水の水音。

 行き交う生徒たちの華やかな笑い声。

 それは、まるで別世界だった。


「立ち止まるな」


 アシュレイの冷たい声で我に返る。


「……ええ」


 馬車を降りる。

 その瞬間、周囲の視線が一斉に集まった。

 ひそひそと交わされる囁き。


「あれがアルヴェール公爵家の……」

「養女でしょう?」

「初めて見た」

「ずいぶん綺麗だけど……」


 好奇。

 警戒。

 値踏み。


 そのすべてが肌に刺さる。

 けれど、シルビアは顎を上げた。

 公爵夫人に叩き込まれた通りに。

 視線を受け止め、微笑み、完璧な歩幅で進む。

 どれほど怖くても。

 どれほど逃げたくても。

 セリーヌは決して怯えない。


 校舎の前で、アシュレイが足を止める。


「ここから先で馴れ馴れしくするな。俺に話しかけるな」

「ご安心を」


 シルビアは優雅に微笑んだ。


「こちらこそ、必要以上に関わるつもりはありませんわ」


 アシュレイは鼻を鳴らし、そのまま人波の中へ消えていった。

 周囲には知らない顔ばかりだった。

 一瞬だけ足がすくみそうになる。

 けれど、それすら許されない。


 そんな時。


「失礼」


 背後から、不意に声がした。

 低く、よく通る声。

 振り返ると、そこにいたのは、一人の少年だった。


 陽光を受けて輝く、淡い金の髪。

 澄んだ蒼い瞳。

 整いすぎるほど整った顔立ち。


 その姿を見た瞬間、周囲の空気が変わる。

 ざわめきが波のように広がった。

 シルビアの呼吸が止まる。

 知っている。

 いや、この国で知らない者はいない。

 第一王子、レオンハルト・エーヴェルシュタイン。

 その人が、まっすぐこちらを見ていた。


「君はアルヴェール公爵家の養女だね」


 穏やかな微笑み。

 それだけで、空気が華やぐ。

 けれどシルビアの背筋には、冷たいものが走った。


 ――あなたは王子を誘惑するの。


 公爵夫人の声が蘇る。

 逃げたい。

 けれど、逃げられない。

 シルビアはゆっくりと微笑んだ。

 完璧に。

 一分の隙もなく。


「ええ。セリーヌ・アルヴェールと申します」


 そして、教え込まれた通りに、ほんのわずかに視線を伏せ、恥じらうような間を作ってから、顔を上げる。


「お目にかかれて光栄ですわ、殿下」


 レオンハルトの蒼い瞳が、わずかに細められた。

 その表情の意味を、シルビアはまだ知らない。

 ただひとつ分かったのは、この瞬間、本当に幕が上がったのだということだけだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ