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人形劇  作者: あかさたな


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5/22

5. 最終調整

 


 屋敷の庭にあった雪がゆっくりと溶け、冷たい風の中にかすかな春の匂いが混じり始めた頃、シルビアは公爵夫人に呼び出された。

 公爵夫人は一通の封筒を手にしていた。

 深紅の蝋で封じられた、重厚な手紙。


「届いたわ」


 うっとりとした声音。

 公爵夫人は丁寧に封を切り、中の書状を広げた。

 目を走らせて、満足げに微笑む。


「今年から、あなたも学園へ通うの」


 シルビアは目を瞬かせた。

 " 学園 "

 その言葉が胸に落ちる。

 屋敷の外の知らない世界へ行ける。

 ほんのわずかに、胸が揺れた。

 公爵夫人は机から一冊の本を手に取った。

 それは、『薔薇と黎明の王冠』。

 何度も何度も読み聞かされた物語。

 その表紙を愛おしげに撫でながら、夫人は微笑む。


「いよいよ舞台が整ったわ」


 青い瞳に熱が宿る。

 狂気じみた、恍惚の光。


「王子も、物語を彩る方々も、あなたと同じ学年」


 ぞくり、と背筋が冷えた。


「配役はほぼ揃った」


 くすり、と喉を鳴らして笑う。


「あと足りないのは、運命の恋に落ちる少女だけ。あなたは王子を誘惑するの」


 その言葉に、呼吸が止まる。


「……えっと、誘惑ですか?」

「ええ」


 公爵夫人は頬を染めた。

 まるで恋に夢見る少女みたいに。


「第一王子、レオンハルト殿下をセリーヌが誘惑するのよ」


 国民である以上、聞いたことのある名前だった。

 街の人々が讃える、この国の誇り。

 聡明で、美しく、民に慕われる王子。

 どうしてそんな人を自分が……?


「悪役令嬢が王子を惑わせ、冷たくあしらわれる様をわたくしは見たいの」


 その声は歓喜に震えていた。


「恋の障害となり、運命の乙女を苦しめ、そして最後には破滅する」


 青い瞳がシルビアを射抜く。


「現実で」


 ぞくり、と全身が粟立つ。

 この人は本気だ。

 本当に現実を、物語に変えようとしている。


「でも、わたし……」


 掠れた声が漏れる。

 恋なんて知らない。

 誰かを誘惑なんてしたことない。

 王子にどう接すればいいのかもわからない。

 そんなシルビアを見て、公爵夫人は優雅に微笑んだ。


「大丈夫」


 ひやりと冷たい白い指が頬を撫でる。


「あなたはセリーヌを演じればいいだけ」


 逃げ道はなかった。



 ***



 次の日の朝は、いつもより早かった。

 まだ外は薄暗い。

 シルビアが目を覚ます前に、扉が開いた。


「お支度を」


 侍女の声は淡々としていて、支度の流れは速かった。

 いつもより無駄がない。

 ドレスが選ばれ、髪が整えられる。

 そして、いつの間にか背後に、公爵夫人が立っていることに気づく。

 鏡越しに目が合った。

 一気に顔が引き締まる。

 さっきまでの顔が、"シルビア"になっていないかが気になって仕方がなかった。

 今の自分は“セリーヌ”だった。


「……」


 公爵夫人はしばらく黙ってシルビアを見ていた。

 その沈黙が長いほど、空気が重くなる気がする。

 やがて、夫人が小さく息を吐く。


「セリーヌ以外は下がりなさい」


 その言葉に、侍女が部屋を出ていく。

 完全に二人だけになる。

 夫人は失望したようにシルビアを見た。


「まだ足りないわね」


 その一言だけで、背筋が冷える。


「何が……でしょうか」


 シルビアは静かに問う。

 公爵夫人は鏡越しに目を細めた。


「見られている自覚よ」

「……」

「あなたはまだ、ただそこにいるだけ」


 冷たい指先が、シルビアの顎に触れる。

 それは、優しい触れ方ではなく、角度を測るような動きだった。


「人はね、美しいものを見るとき、理由を探すの」


 シルビアの呼吸がわずかに浅くなる。


「笑顔が美しいと思った時、どうしてあの人は笑ったのかと、意味を考え始める」


 指先が離れる。


「それが惹きつけるということ。今のあなたは美しいのではなく、ただ整っているだけ。それでは足りないの」


 公爵夫人の声は、淡々としていた。

 シルビアは何も返せなかった。

 そもそも、美しいという曖昧な表現の仕方が分からない。


「それでは、始めましょうか」


 その後の時間は、離れに戻ったかのような指導だった。

 美しさを基準に、立ち方、視線、呼吸の間、微笑みの角度。

 何度も、何度もやり直しを命じられる。


 少しでも動作が早ければ「見苦しい」

 少しでも動作が遅ければ「くどい」

 感情を出しすぎると「違う」

 感情を消せば「空っぽ」


 終わりがない。

 完成の基準だけが、少しずつ上がっていく。

 喉が乾いていくが、表情は決して崩せない。

 崩した瞬間に、何かが終わる気がした。



 ***



「いいわ」


 ようやく、その言葉が聞けたのは夕方だった。

 公爵夫人は小さく手を叩く。


「今日はここまで」


 その瞬間、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。

 だが、解放ではない。

 ただの中断だ。

 公爵夫人が部屋を出ようとした直前、彼女は足を止めて振り向いた。


「悪くはなかったわ。ただし、まだ完成ではない」



 ***



 翌日、公爵夫人が部屋に来た。


「あなたに見せたいものがあるの」


 その言葉に、わずかな違和感を感じる。


「見せたいものってなんですか?」


 だが、答えはすぐに与えられなかった。

 公爵夫人はそれ以上説明せず、ただ歩き出す。


「ついてきなさい」


 廊下を進む。

 普段は通らない場所だった。

 すれ違う使用人の数が少ない。

 やがて、ある部屋の前で止まり、その扉を公爵夫人が開ける。


「見なさい」


 中には、姿見が部屋の中心を囲むように並んでいた。

 姿見の数が異様なほど多い。

 不思議な部屋だった。


「ここはね、あなたを見るための部屋よ」


 シルビアの呼吸が止まる。


「……わたしを」

「そう、中心に立ちなさい」


 恐る恐る中心に立つ。

 立つと、自分の像が鏡に無数に映った。

 鏡の一つに、公爵夫人が指を向ける。

 そこに映る自分を横目で見る。

 少しだけ、いつも見る角度と違った。


「どの瞬間も、完璧である必要がある。一瞬の油断も許されない」


 視線が重なる。

 鏡越しに。


「あなたは、そういう存在になるの」


 それは命令だった。



 ***



 シルビアは鏡の中の自分を見つめる。

 たくさんの自分がいる。

 どれも同じ顔をしているはずなのに、少しずつ違う気がした。


(……わたしは、何なのだろう)


 その問いだけが、喉の奥で形にならないまま残る。

 公爵夫人は満足そうに微笑んだ。


「いいわ。その顔を忘れないで。日が落ちるまで続けるのよ」


 そして、公爵夫人は部屋を出ていった。

 静かに扉が閉まる。

 シルビアはひとり、鏡の部屋に残される。

 無数の視線の中で。


 ずっと、無数の自分を見ていると、おかしくなりそうだった。

 それからは、鏡の部屋で指導を受ける事が多くなった。

 学園での礼儀作法、貴族たちとの会話、舞踏会での立ち居振る舞い。

 そして、王子を誘惑するための演出。


「視線は長すぎても短すぎてもだめ。相手に好意があると思わせる絶妙な間を作るの」


「微笑む時は少しだけ秘密を含ませて」


「触れる時は偶然を装って恥じらう仕草を」


 もう、やめたい。

 でも、逆らえない。

 出来るまで、何度も繰り返す。

 出来ても、もっと完璧になるまで終わらない。

 シルビアは次第に、考えることをやめていった。


 怖い、辛い、苦しい。

 そう思えば壊れてしまう。

 だから、ただ演じる。

 ただ従う。

 それだけだ。


 ***



 学園への入学を目前に控えたある日、本邸の廊下で、シルビアは偶然、アシュレイと鉢合わせた。

 野生的な灰色の瞳がこちらを捉える。


「学園へ行くらしいな」


 低く、冷たい声。


 シルビアは顎を上げて、セリーヌとして返事をする。


「ええ」

「……迷惑な話だ」


 胸がちくりと痛む。

 嫌われるように振る舞ってきたのだから、当然だ。

 それでも、真正面からそう言われると苦しかった。

 でも、そんな反応はセリーヌに相応しくない。

 だから、鼻で笑って見せた。


「学園では一学年上ですわね。同学年じゃなくて残念ですわ」

「絶対にお断りだ」

「わたくし学園に行くための準備で忙しいんですの。用事がおありでないなら、失礼いたしますわ」

「家紋を傷つけるようなことはするな、それだけだ」


 吐き捨てるように言って、アシュレイは去っていった。

 その背中を見送りながら、胸の奥に残る痛みに、そっと目を伏せた。


(どうして寂しいの……?)



 ***



 入学式の前夜、公爵夫人が自室に訪れた。

 その腕には、学園の制服があった。

 袖を通すと、濃紺を基調とした気品ある仕立てのドレスだった。

 公爵夫人はその姿を眺め、満足そうに息をつく。


「素晴らしいわ。あなたはわたくしの最高傑作よ」


 その言葉に、胸の奥が冷える。

 人ではなく、作品。

 そう思われているのだと、改めて思い知らされる。


「明日からが本当の始まり」


 公爵夫人の青い瞳が妖しく光る。


「忘れないで。あなたは王子を誘惑して、焦がれ、決して報われない」


 その声は甘い。

 けれど、刃のように鋭い。


「そして」


 恍惚と微笑む。


「わたくしの理想の恋愛劇を完成させるの」


 シルビアは小さく頷いた。

 逆らえない。

 逆らえば、孤児院のみんなが危ない。

 そう信じてきた。

 それだけが、自分を支えてきた。

 なのに、なぜだろう。

 胸の奥に、言いようのない不安が広がっていた。

 その夜、シルビアはなかなか眠れなかった。

 明日、新しい舞台の幕が上がる。



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