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人形劇 〜悪役令嬢を演じさせられた少女は王子を翻弄する〜  作者: のぎこ


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48/49

48. 許可

 


 その夜、シルビアは公爵夫人の私室にいた。

 向かいには、公爵夫人がいる。


 今夜の彼女は、優雅な仕草で片手を胸元に置き、どこか芝居がかった笑みを浮かべている。


 ――殿下役だった。


「君がそうして愛らしく微笑むたび、僕は少しずつ、戻れなくなっている気がする」


 シルビアが感慨極まったように、公爵夫人の胸元の手に両手を添え、上目遣いで見上げる。


「っ、……嬉しいです。もっとわたくしに夢中になって下さいませ。殿下にはわたくししか見てほしくないわ」

「すでに君しか見えない」

「……殿下」


 公爵夫人の頬にそっと唇を落とす。


「――ずっとわたくしだけを見ていて下さいね」


 言うと、公爵夫人の目がカッと見開かれた。

 震え出した身体の揺れを押さえつけるように、公爵夫人が腕を抱く。


「ああ……っ!なんて素晴らしいの。ときめきが予想のはるか上を超えていったわ。この場面を現実で見られたら、どんなに素敵かしら……」

「実際ここまでするのは、難しいかと」


 公爵夫人が眉を上げる。


「あなた、まだ慣れないの?そろそろ殿下と口付けを交わしてもおかしくない頃ではなくて?」

「く、口付け……?ええっと、自分から直に触れることは、なかなか難しいです。あっでも、殿下の服越しに触ったことは何度かありますし、差し出された手に触れたことはあります」


 恥ずかしそうにシルビアは俯き、人差し指を合わせた。


「何よ、それ。幼子でももっと大胆になれるわよ。わたくしには積極的な演技をするじゃない。その調子で殿下にも同じことをするだけよ」

「お母様は女性ですから、恥ずかしいけれど思いっきり演じられるんです。それに積極的に動かないと満足されないじゃないですか……」

「その方がときめきますもの。清廉な交際なんてつまらないわ。あなたの、異性との触れ合いに不慣れなところは、問題ね。今度、アシュレイを呼んで練習が必要かしら」

「――いいえ、どうかお許しください」


 力強く何度もシルビアが首を振る。

 それを見た公爵夫人が溜息を吐く。


「呼ばれたくなければ、もう少し大胆に触れられるようになさい」

「……はい」


 会話も落ち着いた頃、シルビアは落ち着かない様子で意味もなく指をいじりはじめる。

 それを怪訝に公爵夫人が見やる。


「あの……今、お話してもいいですか?」

「何かしら?」

「今日、学園で、少し変わったご令嬢に会いました」

「変わったご令嬢?」

「リゼット・マルソー様と仰る方です。とてもお元気で、おられるだけで場が明るくなるようでした。それに、わたしがご令息に囲まれてしまった時に、助けてくれたんです」


 公爵夫人の眉が吊り上がる。


「まあ、素晴らしいご令嬢ですこと。――だけど、嫌だわ。あの馬鹿げた噂を信じるものが、あなたに集まってくるの?それはどなた?抗議を送るので家名を教えて下さる?」

「すみません。名乗られていないので、家名はわからないんです」

「無作法ね」

「大勢の男性に囲まれて、何を言っても本気にされなくて……怖かったです。セリーヌを演じてなかったら、取り乱していたかもしれません。でも、マルソー様のお陰で無事に離れることができました」


 シルビアは視線を落とした。


「連れ出してくれた後、マルソー様が、わたしに……友達になってほしいと、言ってくださったんです」


 公爵夫人は冷ややかな視線をシルビアへ送る。


「それで?友人欲しさに、了承でもしたのかしら?」

「いいえ、そんな勝手な真似はしません。ただ……返事は保留にしました」

「何故?」

「セリーヌに友達は必要ないって分かっています。――でも、彼女は明るくて、素敵な女性で……わたしも友達になりたいって、思ってしまいました……」


 言い終えると、胸の奥がきゅっと狭くなった。

 うまく息が吸えない。


 ――叱られる。でも、もう止められなかった。


 不安で目が潤んでいくのがわかる。

 それでも構わず、公爵夫人を見上げた。


「お母様……だめですか?」


 声が震える。


 ほんのわずかに公爵夫人の青い瞳が揺れていた。

 やがて、彼女の眉間に深い皺が寄り、形のいい唇が固く結ばれた。


 ――厳しい表情……。やはり、だめなのだろう。


 胸の奥から熱が引いていく。


 ――明日、マルソー様に断りにいかないと……。


「……すみません、忘れてください」


 言うと、公爵夫人は大きく息を吐き、こめかみを額を押さえた。


「――いいですわ」

「え?」

「そのご令嬢と友人関係になることを許します」


 シルビアは瞠目した。


「いいんですか?」

「否定しようと思ったわ。でも、何故かしら。最近、あなたが悲しんでいる姿を見たくないと思うの。あなたの仕草や表情一つに魅了されて、わたくしは自分の意思を通せなくなる」


 公爵夫人の言葉に愕然とする。

 けれど、思い起こせば、最近の彼女はシルビアの演技にうっとりとするだけで、厳しさは薄れている。

 以前より幾許かは接しやすく感じていた。


「……お母様は確かに変わりました。昔は容赦がなくて、怖くて、わたしの意見は聞いてくださらなかった」

「聞く必要がないと思っていたの……。ただ完璧なセリーヌを作り上げることだけを考え、あなたに接した。セリーヌは冷たく高慢で、わたくしの胸は一切ときめかなかった。だけど、あなたが恋をする演技を見せてくれるようになってから、わたくしの中で色んなことが変わったの」


 噛み締めるように公爵夫人が言う。


「――あなたがわたくしを変えたのよ」

「わたしが……?」

「わたくしが殿下役として、あなたに愛を囁かれていると、奇妙な感覚になるの。すごく満たされていて、これまで感じたことのない幸福が溢れてくる。あなたにどんどん夢中になっていく。それが今は楽しいの」


 シルビアは困惑した。


 ――演技一つでここまで変わるものなの?


「どうしてそんなに夢中になれるんですか?演技だって……嘘だって分かってるのに」

「演技とか嘘とか、そんなのはどうでもいいの。愛らしいあなたの演技を間近で体験できる以上の娯楽はないわ。今となっては、あなたがいない生活は酷くつまらないでしょうね」


 しみじみと公爵夫人が言う。


「あの……学園を卒業したら、養子縁組は解除されて、わたしはこのお屋敷を出ていくんですよね?舞台に立てないわたしは用済みなんですよね?」

「気が変わったの。別に無理して出ていく必要はないわ」

「でも、公爵様やアシュレイ様は納得しないんじゃ……。短い間のお遊びだから、大目に見られているんですよね?」

「まあ、そういう側面もあるかしら。仮に家の籍から抜けても、わたくし専用の侍女として仕えればいいのよ。それなら、誰も文句を言わないわ」


 明るい調子で公爵夫人が言う。

 シルビアは少し目を伏せ、ゆっくり首を振った。


「……そう言って頂けて、光栄です。ですが、卒業後は故郷に帰ろうと考えています。むこうには知り合いも多いですから」


 言うと、焦ったように公爵夫人が口を開く。


「うちに居てくれれば、お給金は弾むわ。卒業してからも孤児院への援助は継続するし、欲しい物も買ってあげる」

「すみません……。お気持ちはありがたく頂戴します」


 公爵夫人の顔が悲しそうに歪む。


「ーーそう、いなくなってしまうのね……」


 言葉にも悲しみや寂しさが滲んでいた。

 シルビアはお願いを聞いてもらったのに、公爵夫人の提案を断ってしまった。

 罪悪感で、胸が締め付けられる。


「あなたがいなくなったら、何を楽しみに生きていけばいいのかしら。もう、小説や稚拙な演劇では満足出来ないの」

「まだ、卒業までたっぷりと時間があります。お母様が他に好きなことを見つけれるよう、わたしも協力します」


 公爵夫人が目を丸くする。

 そして、瞳を爛々と輝かせた。


「その言葉に嘘はない?」

「はい、わたしに出来ることがあれば言ってください」

「そう、ありがとう。実は、あなたにやってもらいたいことがあります」


 シルビアは姿勢を正す。


「セリーヌ役とは違う役を演じて、わたくしに見せて欲しいの」

「違う役、ですか」

「まったく別の物語のヒロイン役よ。何を演じてもらうかはこれから考えるわ」


 ――結局また演技?これでは何も変わらないのでは?


 刺繍とか、お茶とか、演技とは関係ない方向で協力すると伝えたつもりなのに、結局シルビアが演技することになっている。


 これでいいのだろうか?


 シルビアは頭を悩ませる。

 聞いてみようと口を少し開く。

 だが、公爵夫人が考え事に夢中になっているのが、傍目から見ても分かった。

 とても別のことを提案できる様子ではない。


 それから、しばらく時間が過ぎた。

 存在を忘れられている気がして、シルビアは「あの……」と声をかける。

 弾かれたように公爵夫人が顔をあげた。


「……ああ、今日はもう下がっていいわよ」


 ――絶対に忘れられてた。


 今日は公爵夫人に何を言っても、聞く耳を持たないだろう。

 そう判断して、シルビアは一礼した。


「では、失礼します」


 そのまま、退室しようとした時だった。


「セリーヌ」


 名前を呼ばれて、足を止め、振り向く。

 すると、公爵夫人と目が合った。


「友人になるなら、あなたらしくなさい」


 シルビアは大きく瞬きをする。


「わたしらしく、ですか?」

「そうよ。折角友人が出来たのに、すぐ嫌われては、わたくしの葛藤が無駄になるわ。……あなたも傷つくでしょう。それで演技に身が入らないのは、わたくしの本意ではありません」


 恐る恐る伺うようにシルビアが聞く。


「……いいのですか?」

「ええ。ただし、口調は今の平民丸出しの話し方ではなく、令嬢らしくなさい」

「分かりました。……えっと、お母様の前でも令嬢らしく話した方がいいですか」 

「わたくしの前ではそのままで結構よ。外聞があるから言っただけで、今の口調も存外気に入ってるの」

「……助かります。平民口調が出ないように気を張らなくていいので」

「用件はそれだけよ。退室していいわ」

「はい、失礼しました」


 シルビアは再び丁寧に一礼して、公爵夫人の部屋から出た。


 そのまま、少し廊下を歩いていると、突然、実感が湧いてくる。


 ――マルソー様と友達になれる。

 公爵家に来てから、初めての友達。

 しかも、セリーヌを演じずに、シルビアらしく友達づきあいが出来る。

 変に強がることも、冷たくもしなくていい。

 自分らしく接することが出来るんだ。


 今になって喜びでいっぱいになる。

 セリーヌの演技を忘れて、シルビアに笑顔が溢れた。


 返事を返したら、リゼットはどんな顔をするだろうか。


 廊下を進むシルビアの足取りは、軽かった。



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