47. 物好きな令嬢
昼休みになり、レオンハルトがシルビアの席へ来る。
眼が合うと、彼は嬉しそうに笑う。
「行こうか」
約束はしていない。
だが、彼と昼休みを過ごすことが、日常になっていた。
それが今となっては助かっている。
不必要に近づく人が、レオンハルトといると少ない。
いても、彼が追い返してくれる。
レオンハルトと過ごす昼休みは存外居心地がよかった。
シルビアは眼や口元を緩ませる。
「……はい」
嬉しそうに頷くと、レオンハルトの眼が更に柔らかくなる。
教室を出て、レオンハルトは、いつものようにシルビアを壁側に歩かせ、自身は人側を歩く。
それも本当に、助かっていた。
故意なのか、故意じゃないのかは分からないが、誰かとすれ違いざまに接触するのが、とても嫌だった。
「殿下といると安心いたします。とても息がしやすくて、快適なのです。わたくし、殿下がいないとだめみたいですわ」
「そう思ってくれるのなら、光栄だな」
「――だけど、少し不安になりますの。わたくし、殿下の重荷になってはいないかしら」
「重荷なわけがない。君と過ごす時間が何よりも大切なんだ。会話だけでこんなに満たされた気分になるのは、セリーヌ嬢だけだよ」
「そんな風に思って下さっていたなんて、嬉しいですわ」
受け取った言葉を噛み締めるように、言う。
シルビアが今言った言葉は、本心だった。
自分が快適に過ごせているのは、彼のおかげ。
冷静にみると、彼を利用しているみたいで、心苦しい。
――今更、なのに。
自分がどんどん悪女になっていく。
見せかけの愛の言葉でレオンハルトを翻弄し、いいように操る――まるで悪い魔女みたいに。
少し救われるのは、レオンハルトが聡く、演技に気付いているところ。
甘い言葉を囁いても、全てを本気にしない彼の在り方は罪悪感を薄れさせた。
セリーヌは自分とは違うと割り切っているが、たびたび苦しく思うのは、自分がまだ未熟だからに違いない。
歩きながら会話を続けていた。
そこに、後ろからレオンハルトを呼ぶ男性の声が聞こえる。
「殿下」
振り向くと、長身の男子生徒が向かってくる。
まっすぐと伸びた背筋。乱れがない制服。落ち着いた顔立ち。歩いているだけなのに不思議と貫禄があった。
――見覚えがある。二年の生徒会副会長。来季の生徒会長と名高い人物。
副会長は軽く一礼する。
「少し、確認したいことがございます」
レオンハルトは一度シルビアを見て、副会長に戻す。
「今?」
「申し訳ございません。急ぎです」
レオンハルトの眉が、ほんのわずかに動いた。
それから、すぐにシルビアへ向き直る。
「先にサロンへ向かってくれる?終わったら、すぐに行くから」
そう言ってから、彼は少し身を屈める。
周囲には聞こえないほどの声で囁く。
「寄り道せずに、まっすぐサロンへ向かって。誰に話しかけられても、立ち止まらないで。無視していい」
「そこまでなさらなくてもーー」
「して」
短く強い言葉だった。
「お願いだ。今は、そうしてほしい」
蒼い瞳には、隠しきれない心配が浮かんでいた。
「……分かりましたわ」
「ありがとう」
彼は名残惜しそうにシルビアを見る。
それから、副会長とともに廊下の奥へ歩いていった。
――まっすぐサロンへ。誰に話しかけられても、立ち止まらない。
言われた通りにしようと思った。
けれど、足を踏み出してすぐ――。
「セリーヌ嬢」
横から声がする。
聞こえないふりをして進む。
だが、前方にも人が立った。
「少しだけでいいんです……っ」
「殿下がいらっしゃらない今なら、お話しできますよね」
「そんなに警戒なさらなくても、いいではありませんか」
一人ではなかった。
前にも、横にも、後ろにも。
気づけば数人の男子生徒に囲まれていた。
逃げ道がなくなる。
シルビアは足を止めた。
止めるしかなかった。
彼らの眼は、妙に熱を帯びている。
何かを期待しているように見えた。
「道をお空けくださいませ」
冷たく睨む。
彼らが笑った。
「そういうふりなんでしょう?」
「それとも、全員で移動しますか?」
全身が冷える。
「何を仰っているのか、分かりませんわ」
「噂が本当なら、我々にも機会をください。きっと、ご満足頂けると思います」
ニヤニヤといやらしく笑う彼らと、これ以上一緒にいたくない。
何を想像しているのか知らないが、気持ちが悪い。
「退いてくださいませ」
もう一度言う。
それでも、彼らは下がらなかった。
その時――。
「通れないから、通してくれる?」
女性の声が、後ろから聞こえた。よく通る、明るい声。
令息たちのわずかな隙間を押し広げて、背の高い令嬢が現れる。
男の子のような短い髪。髪は跳ね、動くたびに不規則に揺れる。
猫のようなアーモンド型の琥珀色の瞳が、きらりと明るく光っている。
彼女がぐるりと見回す。
「こんなに大勢で取り囲んで、迷惑だって思わないの?彼女が嫌がってるの、分からない?」
令息たちの顔色が変わる。
「いきなり割って入ってきて、なんなのですか?」
「分を弁えた方がよろしいのでは?」
「ご令嬢には関係がない」
「関係あるよ。通れないんだからっ」
令嬢が腕を組んで、ふんっと鼻息を吐く。
「それに、嫌がってる女の子を囲むのって、最高に格好悪いと思うけど」
令息の一人が鼻で笑う。
「ご自分がモテないからって嫉妬してます?まあ、その髪じゃ、令嬢どころか女性にも見えませんね」
「性格もきついなら、顔まできつい。セリーヌ嬢の目元を見た後に見ると、余計にあなたの眼が吊り上がって見える」
「言葉遣いも平民みたいで品がありませんね。本当に貴族なのですか?――もしかして、田舎者でしょうか……?」
彼らは口々に笑った。
令嬢の眉がぴくりと動く。
「田舎者だと、何か困るの?」
「山から降りてきた猿は、女性には見えないって話ですよ。田舎には、流行りの洋装店も、靴職人の店も、菓子商もない。さぞ退屈だったのでは?――お可哀想に」
「見る目がないね」
「は?」
少女はにっと笑った。
「空気は美味しいし、自然が豊かで最高だけど」
その明るさが、余計に彼らを苛立たせた。
「だから、なんだっていうんですかっ!ここは都会です。そんなに田舎がお好きなら、山へ帰りなさい」
「誰もお前の話なんて興味がないんだ。引っ込んでろ」
酷い言葉が溢れていく。
――関わるべきじゃない。セリーヌなら反応しない。
でも、酷い言葉を聞くたびに、胸の奥が冷えていく。
彼女は助けようとしてくれただけだ。
それだけで、不当に容姿や故郷を貶められている。
寄ってたかって、まるでいじめのよう。
あまりにも酷い。
我慢ができなかった。
「短い髪は溌剌としていて、とても似合っています」
令嬢が目を瞬かせる。
「猫のような大きな瞳も、可愛らしくて魅力的ですわ。都会と田舎、どちらにも素敵な部分がございます。田舎を貶めるのは簡単ですが、田舎の良さを知る努力をした上で発言した方が良いと思います」
廊下が静まった。
令息たちが言葉を失う。
きょとんとした令嬢は、ぱっと快活に笑った。
「ありがとう……っ!」
彼女の手がシルビアの腕を掴む。
「行こう」
「えっ」
返事をする前に、腕を引かれる。
勢いのままに、令息たちの隙間を潜り抜けていく。
抗議の声が聞こえるが、彼女は気にせず駆け抜ける。
そこから少し離れた廊下まで来た。
令嬢がぱっと手を離す。
「大丈夫?」
「……ええ」
答えて、はっとする。
今の自分は、セリーヌではなかった。
彼女の明るさに呑まれて、普通に返事をしてしまった。
顔を整える。冷たく、高慢に。
「別に助けてくださらなくても、自分で何とかできました」
言うと、令嬢は目を丸くした。
それから、にっと笑う。
「そうは見えなかったけどなあ」
「あれくらい余裕ですの。いつも撃退しておりますのよ」
「へえ」
「ですが、今回は余計な手間がかからずに済みました。そのことは感謝しております」
「周りくどいなあ。普通に、ありがとう、でいいと思うけど」
令嬢が楽しそうに笑う。
「あなたって、なんかおもしろいね」
「目の病院をお勧めいたしますわ」
「酷いっ!……でも残念。自慢じゃないけど、人より目はいいの」
「では、頭かしら……?」
「辛辣!!まあ、それはいいや。ねえ、友達になろうよ!」
「……なぜ?」
「なぜって」
令嬢が首を傾げる。
「――友達になりたいって思うのに、理由なんている?私がなりたいって思っただけよ」
「無理ですわ」
「え、なんで?」
「わたくしにお友達は必要ありませんの」
言った瞬間、胸の奥が痛んだ。
――セリーヌに友達はいらない。彼女は冷たく、高慢で、孤高の令嬢。
そうでなければならない。
「変なの。――まあ、私もこんな性格だから、貴族の友達はいないけど」
「貴族の?」
「私の領地って田舎でさ、貴族と平民の距離が近いのよ。だから、平民の友達は多いの。でも、貴族で友達になりたいと思ったのは、あなたが初めてよ」
――わたしも平民みたいなものだけど。
そう思うとおかしかった。
おかしくて、嬉しい。
彼女の言葉が、まっすぐと入ってくる。
思ってはいけないのに。許されないのに。
友達になってみたいと思ってしまう。
セリーヌに友達は必要ない。
誰かと親しくなれば、また役から外れてしまう。
公爵夫人には、きっと反対される。
――でも、聞いてみるだけ……聞くだけならいいかもしれない……。
シルビアは顎を上げる。
精一杯、高慢に言った。
「物好きな方ですわね。まあ、そんなに言うなら、考えるだけはしてあげてもよろしくってよ」
令嬢の顔が一気に明るくなる。
「えっ、いいの!?」
「考えるだけですわ。まだお友達ではありませんもの」
「うわあ、嬉しい!」
琥珀色の目を輝かせて、令嬢が両頬に手を当てる。
そのまま、くるりと一周回った。
彼女の制服の裾が空気をすくう。
「聞いていますの?」
「聞いてる聞いてる。考えてくれるんでしょ?」
令嬢が弾むように言った。
「ねえ、じゃあ……お昼って空いてる?」
「申し訳ありません。予定がありますわ」
彼女は少し残念そうにしたが、すぐ笑う。
「そっかぁ。――じゃあ、近いうちに返事を聞かせて!私はリゼット・マルソー。一年三組なの」
「セリーヌ・アルヴェールです。一年一組ですわ」
「知ってるよ。有名人だもん」
その言葉に、気持ちが暗くなる。
リゼットはにこにことしたまま、廊下の向こうを振り返る。
「ご飯が待ってるから、そろそろ行くよ。じゃあ、セリーヌ、またねっ」
そう言って、リゼットが駆けるように去っていった。
シルビアは本館一階のサロンへ向かう。
サロンに入ると給仕がにこやかに出迎えた。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
「二人です。後ほど来ると思いますわ」
「かしこまりました。お席は選ばれますか?」
「いいえ」
「では、ご案内いたします」
給仕の後ろをついていく。
「こちらです」
給仕が椅子を引く。
シルビアは着席した。
給仕が離れると、急に周囲の音が遠くなる。
果実水の入ったグラスが、シャンデリアの光を受けて、キラキラと光っている。
――リゼットの瞳もキラキラと輝いて見えた。
……友達、か。
孤児院では当たり前だったものが、今はひどく遠い。
リゼットのことを話したら、公爵夫人は何と言うのだろう。
しばらくして、サロンの入口に人が入ってくる。
確認すると、レオンハルトだった。
彼は少し早足に向かってくる。
立ったまま彼は、シルビアの全体を見まわした。
シルビアの表情。髪や服の乱れ。手元。
何かを確かめるように、短く視線を動かす。
「大丈夫だった?」
シルビアは微笑む。
「問題ありませんでしたわ。ご心配ありがとうございます」
「誰かに話しかけられた?」
一瞬、動きが止まる。
――話すべきだろうか。
あの後すぐに令息たちに囲まれてしまったこと。
リゼットに助けられたこと。
レオンハルトのお願いを守れなかったこと。
少しだけ迷って、笑顔を作る。
「……大したことはありませんわ」
「そう……。よかった」
レオンハルトが向かいに腰を下ろす。
準備されていたのか、すぐに料理が運ばれてくる。
シルビアは食器を手に取り、食事を始めた。
しばらくして、シルビアが口を開く。
「先ほどは、急ぎの用件だったみたいですけれど、わたくしと食事をしていて大丈夫ですの?」
「うん。もう大丈夫。交流会の件で、少し確認があっただけだから」
「そうですか」
「待たせてごめん」
「いいえ。殿下を待つ時間も、悪くありませんでしたわ」
シルビアが優しく微笑む。
肉を切るレオンハルトの手が、わずかに止まる。
彼は目を伏せ、短く息を吐く。
「……やっぱり慣れないな」
「まあ……」
シルビアがくすり、と笑う。
レオンハルトが顔を上げて、首を傾げた。
「……今日はなんだかいつもより楽しそうだ。――何か、いいことでもあった?」
なんてことない、ただの問いかけ。
けれど、胸が小さく跳ねた。
リゼットの笑顔や言葉が頭をよぎる。
それらを言うつもりにはなれなかった。
「ございます。こうして殿下とお食事ができることが何よりも楽しいんですの」
照れたようにシルビアが言う。
レオンハルトだけを見つめて、甘やかに目尻を下げた。
レオンハルトは何故か沈黙した。
照れているのではない。
喜んでもいない。
無表情でただシルビアを見ている。
何を考えているのか、胸の内が読めない。
「……殿下?」
呼ぶと、彼の口角が上がる。
「……僕も同じ気持ちだよ」
どこか彼の様子がおかしい。
不意に心配になった。
「もしかして、お疲れですか?本日は一人で過ごします?」
「ううん、少し考えてただけ。疲れてないから気にしないで」
「そうですか」
「昼休みは君といられる貴重な時間なんだ。1人にするなんて、悲しいことを言わないで」
「殿下はそんなにわたくしと一緒にいたいのですか?」
「一緒に生活したいくらいだよ」
「まあ……」
水準が高すぎて、少し引いてしまった。




