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人形劇 〜悪役令嬢を演じさせられた少女は王子を翻弄する〜  作者: のぎこ


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46. 盾

 


 翌朝、シルビアはいつもと変わらない時間に食堂へ向かった。


 昨夜のことが、まだ頭を巡っている。

 自分の恥ずかしい格好。掴まれた熱い手の感触。顔にかかる吐息。


 セリーヌとして会えばいいから、まだ平静を保っていられる。

 これがシルビアとして会うとなれば、きっと動揺を隠せてはいないだろう。


 緊張しながら、食堂に入る。

 食堂はまだ誰も来ていなかった。そのことに安堵する。


 いつもの席に座り、少しの間もないうちに、公爵、公爵夫人、アシュレイの順で、食堂に入ってきた。


 アシュレイが食堂へ入ってきた時、シルビアは無意識に両手を重ねた。


 アシュレイは淡々と朝の挨拶をして、席に着く。

 普段と何も変わらない。

 一瞬、昨日のことは夢なのか、と考えるが、即座に否定する。


 ーーあんな夢を見るわけがない。


 食事を始めてから、シルビアは時々アシュレイを見た。

 アシュレイはパンを小さく千切って口に運んでいるところだった。


 その流れで、隣に座る公爵夫人へ目を向けた。


 彼女は微笑みながら、紅茶に口をつけている。

 口元は弧を描いているが、目は笑っていない。


「セリーヌ。学園で何を言われても、気にしてはだめよ。あなたに非はないの。噂を信じる者の方が愚かなのだから、堂々としていなさい」


 シルビアは小さく「はい」と頷いた。


 公爵夫人は荒くカップを置く。


「悔しいなら、目で黙らせなさい。声を荒げる必要はない。あなたはアルヴェール公爵家の令嬢よ。愚物と同じ土俵に立つ必要はないわ」


 公爵夫人はシルビアのことを本当の意味で心配している訳ではない。

 ただ、自分が作り上げた作品が他人の手で穢されるのが不愉快なだけ。

 分かっているのに、胸が少し暖かくなった。


 食事が終わり、馬車に向かうために、アシュレイの後ろを歩く。

 玄関から外に出ると、ひやりと心地のいい空気が肌を包んだ。

 馬車に乗り込み、走り出す。

 しばらく、車輪の音だけが続いた。


 外の景色が、あっという間に流れていく。


 ーー学園に行きたくない、と強く思う。


 あんな目で見られていただなんて、考えるだけで血の気が引いた。

 怖くて、気持ちが悪い。


「いつも、あんな夜着を着ているのか?」


 あまりにも唐突な質問に、シルビアは目を瞬かせ、アシュレイに顔を向けた。

 アシュレイは向かいの席で窓の外を見ている。


 一瞬のうちに、昨夜の姿を見られたことを思い出して、耳の奥まで熱くなる。


「……いきなり何を仰いますの」

「いや、腹が冷えそうだと思ってな。女性はあまり身体を冷やさない方がいいというだろう」

「余計なお世話ですわ」

「ああいったものが好きなのか?」

「昨夜のものは、お母様が選ばれたものです。わたくしが好きで着ているわけではございません」

「母上が?」


 アシュレイの視線がこちらを向く。


「ーー他にもあるのか?」

「ございますわ」

「もっとしっかりとした布のものはないのか?」

「……どれも似たようなものです。薄い生地で、肩や胸元が大きく開いていて、透けるものばかりです。お母様が、それが美しいと仰って」


 言いながら、恥ずかしくなっていく。

 目をとても合わせていられなくて、シルビアは視線を窓の外へ逃がした。


「ですから、二度と、夜にわたくしの部屋へ来ないでくださいませ。次に来られても、絶対に入れません」

「昨夜はどうぞ、と返事をしただろう」

「女性の使用人かと思いましたの。男性だと分かっていれば、部屋には入れませんでした」


 アシュレイは、かすかに息を吐く。


「それは正しい」


 シルビアは窓に映るアシュレイを見た。

 彼の口元がいつもより、緩んでいた。


 揶揄われているのかもしれない。


 昨夜、誰なのか確かめていたら、知られずに済んだのに……。

 気軽に入室の許可なんてしなければよかった。



 馬車が学園へ着き、外へ出た瞬間、視線が刺さる。

 その視線は昨日よりも鋭く感じた。

 怖気付きそうになるけれど、公爵夫人の言葉を思い出し、背筋を伸ばし歩き出す。


 何もやましいことはしてないのだから、堂々としてればいい。


 その時、アシュレイがシルビアの前に立った。

 まるで、周囲の視線からシルビアを隠しているようだった。


 アシュレイは何も言わず、無言で歩いている。

 後ろから彼の背中を眺めた。


 状況が重なり、たまたまそう見えただけで、勘違いかもしれない。


 シルビアは足を止めてみた。

 すると、アシュレイも足を止めた。


「行くぞ」


 彼は後ろを振り返らずにそう言った。


 ーー勘違い、じゃない?もしかして、本当に周囲の目から隠そうとしてくれているの?


 シルビアのことを気にしていなければ、彼はシルビアが足を止めたことに気がつかなかっただろう。


 今まで、アシュレイはシルビアのために何一つ動いたことがない。

 何を見ても、何を聞いても、自分とは関係がないと思っているのが透けて見えた。


 それなのに今、彼はシルビアのために行動してくれている。


 昨夜のことで、アシュレイが怖かった。

 意味不明な彼の行動は、公爵夫人との血の繋がりを感じた。


 シルビアはそれに振り回され、平静ではいられず、中々眠りにつけなかった。


 でも、今は怖くない。

 アシュレイの背中が頼もしく見える。


 一人じゃないと、そう思えた。


 校舎へ続く道の途中で、一人の令息がアシュレイとシルビアの間に割り込んだ。


 道を塞がれ、シルビアは足を止めざるを得ない。


 たまにシルビアに話しかけてくる、そばかすの散った令息だった。

 彼は笑みを浮かべていたが、その笑みはぎこちなく、目だけが爛爛と輝いていた。

 そして、胸に手を当てて、シルビアに向けて身を乗り出す。


「セリーヌ嬢。あなたを慕う一人として、僕にもお慰めを下さい」


 言葉は、あまりにも直接的だった。

 周囲の音が遠のき、体が固まる。

 全身が拒否をしていた。


 シルビアは冷ややかに彼を見上げ、唇を開いた時ーー。


「そいつは、そんな女じゃない」


 低く、唸るような声が響く。


 アシュレイだった。

 彼の顔は、いつもの無表情ではない。

 眉間がわずかに寄り、灰色の瞳が冷たく細められている。


 ーー怒っている。


 そう、はっきりと分かった。


「商売女でも探せ」


 アシュレイの怒気を正面から受け、そばかすのある頬が強張り、目には怯えが浮かんだ。離れるように後ずさる。


「し、失礼いたしました」


 彼は早口でそう言い、逃げるように離れていった。


 今、起きたことが信じられなかった。


 ーーどうして庇ってくれたの?


 シルビアは呆然とアシュレイを見た。


 アシュレイは令息の背中を睨むように鋭く見送ると、ようやくシルビアへ目を向けた。


「お前も大変だな。根も葉もない噂を広げられて」

「アシュレイ様、ありがとうございました」

「礼はいらない。ただ腹が立っただけだ」

「腹が立つ、ですか。……今まで見て見ぬふりだったのに、何故今日は助けてくれるのですか?」

「……ただの気まぐれだ」


 アシュレイはそれ以上何も言わず、二学年のフロアへ歩いていった。


 ーー気まぐれ……。


 彼の行動について考えるのはやめた。

 公爵夫人も気まぐれで、よくシルビアを振り回す。

 それに近いものだろうと理解して、納得した。


 教室にあと少しで着いてしまう。

 シルビアは静かに深呼吸を繰り返した。


 慌ただしく、生徒の声で騒がしい教室に入った途端に、全ての音が消えた。


 居心地が悪い。


 クラスメイトがシルビアを見ているのが分かった。


 でも、動揺を外に出してはいけない。

 セリーヌとして、堂々と背筋を伸ばして、席に着く。


 少し離れた場所から椅子が動く音がした。

 些細な音なのに、教室が静まり返っているせいで、やけに目立って聞こえる。


 鞄から必要な物を整理していると、机の横に誰かが立った。


「ごきげ……いえ、おはようございます。セリーヌ様」


 顔を上げると、ミレイユが少し緊張した様子で立っていた。


 この場面で、ごきげんようと挨拶するのは確かにおかしいと思い、シルビアも「おはようございます」と簡素に挨拶した。


 ミレイユは深く大きく息を吸う。


 最後は謝罪をしてくれたが、今日は何を言われるのかと、警戒した。


 彼女はゆっくりと膝をついた。

 両手は胸の上で握られ、目は少し伏せている。


「昨日は、誠に申し訳ございませんでした。確証のない噂話で、セリーヌ様を責めるなんて、間違っておりました。どうか、償いをさせてください。わたくし、どんなことでもいたしますわ」

「償いなんていりませんわ。ただ、フォルタン様の誤解が解ければそれでいいです」


 ミレイユが驚いたように、目を大きく見開く。


 まるで、無茶なことを要求されると考えていたようだった。


 しばらくミレイユの様子を見ていると、彼女の瞳が潤んできた。

 シルビアはそのことに動揺する。


 ーー態度を冷たくしすぎた?


 ミレイユの唇が震え、涙がつう、と頬を伝う。


「わたくし、あんな酷いことを言ってしまいましたのに……優しいのですね」


 ーー優しい……。


 それは、セリーヌに相応しくない言葉だった。


 優しくしたつもりは一切ない。

 目線も、口調もいつも通り冷たく返した。

 償いがいらないと言ったのも、面倒を増やしたくなかったから。

 許す言葉も言っていないし、慰めの言葉もかけていない。


 なのに、目の前の令嬢はセリーヌが優しいと泣いている。


 シルビアはどんな顔や態度で、何を言うべきなのか分からなくなって、混乱した。


「勘違いも甚だしい。わたくしは優しくなんてありませんわ」


 シルビアはカバンからハンカチーフを取り出し、少し乱暴に差し出した。


「目障りですから、その涙を拭いてくださいませ」


 ミレイユは目を瞬かせた。

 彼女の目に溜まった涙が流れていく。


 ミレイユは差し出されたハンカチーフを呆然と見つめ、目線を上げてシルビアを見た。


 彼女の顔が赤く染まる。


「ありがとうございます……」


 ミレイユは震える指でハンカチーフを受け取り、恐る恐る涙を押さえた。


 その時、ミレイユの後ろから、レオンハルトが教室に入ってくるのが見えた。


 瞬時に冷ややかなセリーヌから、甘やかなセリーヌに表情を作り直す。


 レオンハルトはまっすぐシルビアの席に近づいた。


 跪き、目を赤くしたミレイユを見て、彼は驚く顔をした。


「ごきげんよう、殿下。フォルタン様が、その……謝罪をしてくださいましたの。わたくしは、少しも気になどしておりませんでしたけれど」


 強がるように響いた。

 自分でも、思った声と違った。


 だが、視界に目を赤くしたミレイユが入ってきて、どうにも調子が悪い。


 レオンハルトはシルビアを見た後、ミレイユの手元へ視線を移動させた。


「そのハンカチーフ、セリーヌ嬢のものだよね?なぜミレイユ嬢が持っているの?」

「貸しましたの」

「……そう」


 レオンハルトの口元が、微かに笑う。

 だが、目が少しも笑っていなかった。


「ミレイユ嬢」


 名を呼ばれ、ミレイユの肩がわずかに跳ねる。


「そのハンカチーフは、後で必ず返してあげてね」

「もちろんでございます。きちんと洗って、お返しいたします」

「別にそのままでもいいですわ。わたくしは気にしません」

「結構、濡れてしまいましたの。恥ずかしくてセリーヌ様にお返し出来ませんわ。よろしければ、わたくしのハンカチーフを今日はお使い下さい」


 確かにこのままでは不都合が多い。

 例えば手を洗った時に、濡れたまま放置する。ましてや、制服で手を拭くなんてことは令嬢として相応しくない行動だった。

 貸してもらおうと口を開く。


「……ではーー」

「僕のを貸すよ」


 シルビアは目を瞬かせた。


「それでは殿下のハンカチーフがなくなってしまいますわ」

「タオルがあるから大丈夫。ほら、使って」


 そう言って、見事な刺繍のハンカチーフを差し出される。


 ーー本当にいいのだろうか?


 レオンハルトを覗き込む。


 彼はその場の流れで嫌々差し出しているのではなく、嬉々ときて差し出していた。

 彼のとろけるような笑みが目に刺さる。


 シルビアは、少し目を伏せ、嬉しさを噛み締めるようにハンカチーフを受け取って、胸に抱く。


「ありがとうございます、殿下。大切に使わせていただきます」


 その言葉や仕草に、レオンハルトだけじゃなく、何故かミレイユまで顔を赤くした。


「あ、あの、わたくしこれで失礼致しますわ」


 ふらふらと立ち上がりながら、歩いていくミレイユを見ていると、それを遮るようにレオンハルトが立った。


「随分とふらついてましたが、ミレイユ様は大丈夫でしょうか?」

「さあ、どうかな……。それより僕はセリーヌ嬢の方が心配だ。無理をしていない?」


 シルビアはすぐに大丈夫だと微笑もうとした。

 けれど、たくさんのことが胸の中で混ざって、返事が少し遅れた。


「……大丈夫ですわ」

「本当に?辛かったら、言って」

「殿下は、心配しすぎですわ。それにわたくしのことを信じてくれる方もいると分かりましたの。それだけで一人ではないと思えましたわ」

「それは、アルヴェール公爵令息のこと?」

「……え?」

「今朝、珍しく彼が君を庇っていたね」

「まあ、見てらしたなら声をかけて下されば、良かったのに。殿下と一緒に登校したかったですわ」

「彼と何かあった?」


 そう聞かれて、一瞬のうちに昨夜のことを思い出す。

 教室に来たことで、忘れかけていたが、あんな恥ずかしい姿を男性に見られた。


 思い出した瞬間、羞恥で頬に熱が上った。


「大したことではございませんわ」

「そうは思えないな……。詳しく聞きたいところだけど、……君が話したくなった時に聞くよ」


 詳しく追求されないことに安堵する。


 夜着のこともそうだが、アシュレイのあの恐ろしい行動は誰にも話せない。

 それこそ、誤解を招いて、変な噂が広がってしまう。


 それに、あんな透けたネグリジェを着ていると知られたら、恥ずかしくてレオンハルトの前にいられない。


「……ありがとうございます」

「うん。だから、そんな顔をしないで」

「そんな顔?」

「困ったような顔」


 そう言って、レオンハルトは微笑んだ。


 その微笑みはいつもとどこか違う。

 唇の端は柔らかく上がっているのに、笑っては見えない。

 蒼い瞳が陰っている。


 シルビアは、胸の奥がかすかにざわめくのを感じた。


 今の彼は優しい。

 けれど、その下で、何かが煮詰まっているような感覚を覚えた。


 その時、朝のホームルームを告げる鐘が鳴る。

 その音で教室の生徒たちが席へ戻り始める。


 レオンハルトは、シルビアを見て、微笑む。


「また後で」


 シルビアは嬉しそうに「はい」と頷いた。


 レオンハルトは自分の席へ歩いていく。


 まっすぐと席に戻るものかと思ったが、彼の視線が横へ流れた。

 そして、その目が一瞬で冷えたように見える。


 一体何を見ているのだろうと、その先を追う。


 その先にいたのは、ミレイユだった。

 ミレイユはシルビアの白いハンカチーフを大切そうに握っていた。


 レオンハルトの方をもう一度見た時、彼は着席するところだった。


 教師が教室へ入ってきて、ホームルームが始まった。



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