49. 返事
窓の外が白みはじめ、カーテンの隙間から、ほのかな光が漏れ出す。
いつもの起床時間より随分と早く、シルビアは目を覚ました。
目が冴えてしまって、再び寝る気にはなれない。
起きてから途端に不安になった。
自ずと、枕の横にあるクッションを手繰り寄せ、胸に抱く。
表情には憂いがあった。
――わたしのまま接して、マルソー様にがっかりされたらどうしよう……。セリーヌみたいな性格の子が好ましいのかな?そうなったら、立ち直れる気がしない。
自然と抱く力が強くなる。
告げることが待ち遠しい。
けれど、セリーヌとシルビアの違いをどう思うのか、考えると怖い。
そのまま、うだうだと時間を過ごした。
使用人の機械的なノックが聞こえると、シルビアは表情をセリーヌへと作り変える。
「どうぞ」
返事と共に女性の使用人が入ってきて、朝の準備が始まる。
彼女たちは余計なことをしたり、関係ないことをシルビアに話しかけたりはしない。
ただ、機械的に仕事を全うする。
シルビアも彼女たちに関係のない話を振ったことはなかった。
何気なく、彼女たちの動きを観察する。
動きに無駄がなく、素早く効率的。
しかも、みんな脳面のような顔をしていた。
表情がないのは、シルビアの世話をするのが嫌なだけかもしれないが……。
昨夜、公爵夫人と話してから、改めて人生設計を考えた。
卒業後に屋敷に居座るつもりはないが、公爵夫人の侍女として働くのは無理だと改めて感じる。
彼女たちの軍隊のような動きについていける気がしない。
邪魔になって、おろおろと立ち尽くす未来が見えた。
故郷に戻ったら、何で生計を立てていくのか考える必要があった。
孤児院の職員として、働くことも考えたが、食い扶持が増えることによって、さらに貧しくなるだろう。
だったら、暮らしていけるだけの収入があって、孤児院の子供たちを助けられるような職業に就きたい。
そうして、思い浮かんだのが、医師だった。
子供たちが病気になっても、医者にかかれない人はごまんと居る。
シルビアの故郷は田舎で、隣町まで行かないと医師にはかかれない。
貧しい人は行けないし、裕福な人でも隣町に行くまでに症状が悪化してしまうことだって珍しくなかった。
――医者になれば、孤児院だけじゃなくて、みんなの助けになる。
現実は甘くないだろう。けれど、挑戦する意義がある。
幸い、シルビアは貴族学校に入れさせてもらえて、資料は図書室に潤沢にあった。
医療系の授業がないのが残念だが、贅沢は言えない。
卒業後に医師の試験を受けて、認定試験を受ければ、医師として活動ができる。
試験の合格率は約3%の超難関。筆記だけではなく、実地試験も受けなくてはならない。
独学だけでは限界がある。
だが、そこで公爵家の力を借りるのは嫌だった。
公爵夫人の提案を断った身の上で、厚かましいことはしたくない。
誰かに師事を受けることができるか、と考えた時に思い浮かんだのが保険医だった。
レオンハルトに連れて行かれて、一度保健室に行ったことはあるが、保険医は不在だった。
あれから、保険室には一度も行っていない。
師事を受けられるかどうかは分からないが、頼んでみるのもいいかもしれない。
支度が終わり、朝食の席へ向かう。
食堂には公爵とアシュレイが着席していた。
シルビアは二人に向かって一礼する。
「ごきげんよう」
「おはよう」
「……」
アシュレイは短く返し、公爵は相変わらず無視。
シルビアを見ることすらしない。
彼の中で、シルビアの存在は抹消されているみたいだ。
席に座り、公爵夫人を待つ。
だが、彼女は一向に来なかった。
公爵の眉間の皺が濃くなっていく。
「エレノーラは何をしているんだ」
「直ちに確認して参ります」
公爵の不機嫌な様子に、慌てて使用人が飛び出す。
公爵夫人が時間に遅れるなんて珍しいと思って、すぐに昨夜の様子が浮かぶ。
――もしかして、夜更かしして、起きられないとか?
シルビアは腑に落ちる。
「何か心当たりでもあるのか?」
アシュレイの問いにシルビアは冷たく返す。
「直接尋ねてみればよろしいのでは?」
「俺が聞かなくても、父上が聞きそうだ」
公爵へ視線を移す。彼は見るからに苛立っている。
確認しに行った使用人が戻って来て、「奥様は食堂へいらっしゃらないようです」と報告する。
その言葉を皮切りに、食事が運ばれてくる。
温かいものはしっかり温かく、冷たいものはぬるくなってもいない。
予定よりも提供がだいぶ遅れたのに、料理長の細やかな気配りを感じた。
公爵夫人がいない本邸での食事は初めてかもしれない。
今日は何故かアシュレイがたくさん話しかけて来た。
素っ気なく返しても、関係なしに質問をしてくるから、シルビアは簡素に答える。
「いつも完食しているけど、苦手な食材はないのか?」
「ありますわ」
「無理に食べているのか?」
「こちらでは出たことがありませんの。だから、毎日美味しく頂いております」
「具体的に何が苦手なんだ?」
浮かんだのが、樹皮を煮た物と虫料理。
二度と食べたいとは思わない。
「……秘密ですわ」
「教えてくれてもいいだろう」
「そんなにわたくしのことが気になりますの?」
「隠されると知りたくなるものだろう?」
シルビアはげんなりした。
「わたくしの嗜好なんて、アシュレイ様には関係がありません。いい加減、質問攻めはやめて下さる?」
「じゃあ、苦手な食材を教えてくれたら、今日はもう質問しない」
こんな質問攻めが夜まで続いたら、身がもたない。
断ったら、余計躍起になって質問してくるのだろうか。
想像して辟易する。
気が進まないが、シルビアは質問に答えることにする。
「……樹皮とか、虫とかは苦手ですわ」
「樹皮!?虫!?それは食材じゃないだろう」
「種類によっては毒もないし、食べることは出来ますの。美味しくはないですけど……」
「孤児院は樹皮や虫を食べる程、貧窮しているのか……。それは問題だな」
「流石に常食はしておりません。他に食べ物がない時だけです。それでも恵まれてる方ですわ」
シルビアは視線を落とした。
「孤児院に入れない子たちは、路上での生活を余儀なくされます。彼らの生活は想像以上に過酷で、秋にはよく見かけた子達が、春になると見かけなくなるなんてことはよくあることなのですよ」
場が静かになった。
シルビアが顔を上げると、たくさんの視線と目が合った。
特に、公爵と目が合ったことに驚く。
こうして目が合ったのは初めて会った時以来だろうか。
そのことに動揺し、シルビアは慌てて付け足す。
「このようなこと、朝食の席でする話ではありませんでしたね」
「いや、なかなか興味深い話だ。もっと詳しく聞きたいところだが……約束だからな」
「アシュレイ様の知りたがりなご性格、結構なことですが、それをわたくしに向けられるのは迷惑ですわ。前のこともありますし、お控えになって」
「一番身近のよく分からない女がお前なんだよな」
それはそうだと思った。
***
馬車に乗り込む時、アシュレイが滑らかに手を差し出した。
一瞬戸惑って、シルビアはその手に指を重ねる。
そのまま、彼に支えられながら、馬車へ乗り込んだ。
少しの間もなく、アシュレイが乗り込むと、扉が閉まり、馬車がゆっくりと進み出した。
「最近はお優しいのですね。いつもの気まぐれですか?」
「女性をエスコートすることは、男として当たり前のことだろ」
「では、今まで男だと思われていたのかしら?」
「そんな訳がないだろう。……今まで悪かった」
神妙な顔でアシュレイが謝罪する。
「どこか体調がお悪いのですか?嫌いなわたくしに謝るなんて、らしくありませんわ」
「今は違う」
アシュレイの答えにどうしていいのか分からない。
――嫌われるためにセリーヌの演技をしているのに、思うように嫌ってくれない。殿下のこともあるし、わたしの演技には何が足りないの?
「どうしてそんな顔をするんだ……あ、いや。今のは独り言で質問ではないからな」
一人で慌てるアシュレイ。
そんな彼の姿は初めてみた。
――未熟なわたしのせいで、原作のセリーヌからどんどん離れていく。お母様に相談した方がいいかもしれない。
アシュレイと別れて、一年生のフロアへ向かう。
シルビアは自分のクラスを素通りして、一年三組へ向かった。
胸が脈打ち、呼吸が早くなっていく。
緊張で、手が汗ばんだ。
――まず、なんて声をかけるべき?挨拶して、友達になりたいって言えばいいのかな?でも、断られたらどうしよう……。
三組の教室の前で、シルビアは足を止める。
中を覗くと、朝らしい賑やかな空気があった。
生徒たちは思い思いの場所で、歓談を楽しんでいる。
その中でもリゼットはすぐに見つかった。
彼女は机に顔を伏せている。
腕を枕にするようにして、堂々と眠っている。
彼女の後毛が少し跳ねているのが分かった。
背筋を伸ばして座る令嬢たちの中で、その姿はあまりにも目立つ。
自由なリゼットの在り方に、シルビアは頬を緩ませた。
先ほどの不安などなかったかのように、すんなりと彼女の前に立てた。
「マルソー様、起きていらっしゃいますか?」
言うと、リゼットの肩が大きく跳ねる。
「えっ!?」
リゼットが勢いよく顔を上げた。
大きく見開かれた琥珀の瞳。額に残る押し付けた服の跡。口元に光る涎。
すぐにリゼットは我に返り、涎を袖口で拭った。
「ごきげんよう、マルソー様」
「おはよう、セリーヌ。びっくりしたよ〜。でも、なんで私の教室にいるの?」
そこでリゼットは、何かに気がついたように身を乗り出す。
「もしかして昨日の返事をくれるの?」
琥珀の瞳が、キラキラと輝く。
シルビアは少し息を整えて、緊張気味に口を開く。
「はい。……わたくしもマルソー様とお友達になりたいと思いましたの。気が逸って、早朝から押しかけてしまいましたわ」
「えっ、いいの!?」
リゼットが机に両手をついて、椅子から立ち上がる。
「今から、嘘でした、冗談でした、っていうのはなしだからね。もう、本気にしちゃったんだからっ」
「まさか、そんなことしませんわ。マルソー様、これからはお友達として、よろしくお願いいたします」
「うん、うんっ、よろしくね」
嬉しそうに何度もリゼットが頷く。
「友達になった記念に、今日こそ一緒に昼ご飯を食べようよ!セリーヌのこともっと知りたいし……だめかな?」
シルビアは少し思案した。
頭を過ぎるのは、レオハルトのこと。
今日もいつもの流れでお昼を彼と食べるものだと思っていたが、約束を交わしている訳ではない。
シルビアは頷く。
「分かりましたわ」
「本当に?」
「ええ……」
シルビアは口元を少し緩めた。
「マルソー様と話すのが楽しみです」
「私もよ」
彼女の声が明るく弾む。
そしてすぐ、リゼットが首を傾げて不思議そうにする。
「ねえ、ちょっと気になることがあるんだけどいい?」
「何かしら?」
「昨日のセリーヌと性格違くない?あ、ごめん、流石に失礼だよね。でも、なんか素直っていうか、柔らかいというか……」
「マルソー様には自分の気持ちをまっすぐ伝えたいって思ったんです。こんなわたくしは嫌ですか?」
落ち込んだようにシルビアが言うと、慌てたようにリゼットが手を顔の前で振る。
「別に嫌になったりしないけど、不思議に思っただけ。これはこれでありというか、全然いいと思う」
「良かった」
シルビアが安心したように頬を緩ませる。
「では、昼食になったらまた伺いますわ」
「うん、待ってるね」
笑顔でリゼットが頷く。
シルビアは三組を出て、廊下を進む。
その足取りが軽くなっていることに気づき、歩き方を優雅な歩行へ修正した。
一組に入り、自分の席に向かおうとした時、ミレイユが緊張めいた固い表情で近づいてくる。
彼女の片手には可愛らしいデザインの手提げ袋があった。
「ごきげんよう、セリーヌ様」
「ごきげんよう」
ミレイユは手提げ袋の中から、白いハンカチーフを取り出す。
ハンカチーフはシワなく丁寧に畳まれていた。
端がぴたりと揃い、小さな刺繍側を表にして、両手でミレイユが差し出す。
「昨日は、ハンカチーフをありがとうございました」
「ご丁寧にありがとうございます」
シルビアはそれを両手で受け取る。
その生地は滑らかで、清涼でいい香りが鼻を抜けていった。
シルビアはハンカチーフを鞄の中へしまう。
ミレイユは何か言いたげに、唇を少しだけ開ける。
けれど結局、唇は閉じられ言葉にはならなかった。
何を言いかけていたのか、シルビアには分からないが気になった。
「何か?」
「いえ……何でもございません。失礼致します」
そう言って、ミレイユは一礼して、自分の机に去っていった。




