32. 甘い演技と見透かす瞳
昼休みの廊下を手を引かれたまま歩いていた。
その距離の近さに、シルビアは内心で静かに呼吸を整える。
「今日は逃げないんだね」
ふいに、レオンハルトが楽しそうに言った。
「以前なら断られていた気がする」
「気が変わりましたの」
「それは嬉しい変化だ」
蒼い瞳が柔らかく細められる。
その視線が熱っぽくて、シルビアはほんの少し目を伏せた。
ここで笑う。
まるで、嬉しさを隠しきれないみたいに。
シルビアはそっと唇を緩める。
「殿下は、すぐ顔に出ますのね」
「君のせいだよ。そんな風に笑われたら、隠せるわけがない」
向けられる言葉が真っ直ぐすぎて、心が少し騒めいた。
***
案内されたのは、本館一階のサロンだ。
大きな窓から暖かな日差しが差し込み、白いクロスの敷かれた丸テーブルが静かに並んでいる。
落ち着いた空気の中、レオンハルトは窓際の席へ向かった。
自然な仕草で椅子を引く。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
シルビアは優雅に腰を下ろした。
その瞬間、レオンハルトがふっと目を細める。
「今日の君はすごく素直だね」
「以前のわたくしは、素直ではなかったと?」
「かなり手強かった」
楽しそうに返され、シルビアは小さく笑う。
「殿下がしつこすぎるのですわ」
「否定できないな」
穏やかな笑いが起こる。
以前なら、こんな空気にはならなかった。
もっと張り詰めていて、互いに距離を測っていたはずなのに、今は違う。
シルビアが恋する令嬢を演じるたび、レオンハルトは目に見えて甘くなる。
やがて昼食が運ばれてくる。
シルビアは静かにナイフを入れた。
その様子を、レオンハルトがじっと見ていた。
「……なにか?」
視線に気づいて恥ずかしそうに尋ねると、彼は少し困ったように笑った。
「いや。君って、本当は美味しそうに食べるんだなと思って」
「あら、褒め言葉ですの?」
「もちろん」
レオンハルトは頬杖をつきながら、柔らかく目を細める。
「以前も言ったけど、僕は好きだよ。ちゃんと食べる君が」
シルビアは少し照れたように視線を逸らした。
「……そんなに見つめられると、食べづらいですわ」
「ごめん」
そう言いながら、視線はまったく逸れない。
むしろ、ますます嬉しそうになっている。
(効きすぎでは……?)
シルビアは内心で小さく息を吐いた。
その時、不意にレオンハルトが言った。
「でも、気づいてるよ」
「……何にですの?」
蒼い瞳が、まっすぐこちらを見る。
「君が、かなり頑張ってること」
心臓が、小さく跳ねた。
けれど以前のような恐怖は来なかった。
やはり気づかれていたと、腑に落ちる。
彼は以前からずっと、シルビアの作った顔を見抜いていた。
それでも、問題はない。
今は王子に恋するセリーヌを演じればいいだけ。
公爵夫人の脚本は、ちゃんと続いている。
シルビアは静かに微笑む。
「頑張っているように見えまして?」
「うん」
レオンハルトは即座に頷いた。
「視線を伏せる間とか、笑うタイミングとか。すごく綺麗に作ってる」
見事なほどに、見抜かれている。
「それでも、嬉しくてたまらないから困る」
その言葉に、シルビアの指先がわずかに止まった。
レオンハルトは困ったように笑う。
「多分、普通なら警戒するべきなんだろうね」
「でしたら、警戒なさってみては?」
「無理だな」
あっさり返される。
「好きな子に特別扱いされたら、そんなのは無理だよ」
シルビアは言葉に詰まった。
こんな風に言われるたび、調子が狂う。
全てが作り物なのに、彼はそれを知っていてなお、嬉しそうにするのだ。
「殿下は、単純すぎるのではなくて?」
「君限定だよ」
さらりと言われ、シルビアは危うく視線を逸らしかけたが、踏みとどまる。
そして、ほんの少し頬を染めて、息を落とした。
「でしたら、もっと慣れてくださいませ」
次の瞬間、レオンハルトが完全に黙った。
数秒後、片手で目元を覆う。
「……無理だよ」
「あら」
「ここまで僕を翻弄できるのは、君ぐらいだ」
「ふふっ、光栄ですわ」
シルビアが微笑むと、レオンハルトは深く息を吐いた。
「本当に、心臓に悪いよ」
けれど、その声音はどこまでも甘かった。




