17. 軽薄な男
昼休みの中庭は、春の陽射しに満ちていた。
色とりどりの花々が風に揺れ、噴水の水音が穏やかに響く。
シルビアは木陰のベンチに腰掛け、一冊の本を開いていた。
活字を目で追っているはずなのに、内容はまるで頭に入らない。
春季親睦会まで、あと十三日。
そのことを考えれば考えるほど、胸の奥が重く沈んでいく。
その時だった。
「へえ」
不意に、すぐ頭上から軽い声が降ってきた。
「詩集なんて読むんだ。意外」
シルビアが顔を上げる。
そこに立っていたのは、見知らぬ青年だった。
柔らかく跳ねた茶髪。
人懐こい笑み。
どこか飄々とした空気をまとっている。
制服の意匠からして、一学年上。
「失礼ですが、どなたでしょう?」
シルビアは本を閉じ、警戒を隠さずに問う。
青年は芝居がかった仕草で胸に手を当てた。
「これは失礼。名乗り遅れた」
にこりと笑う。
「カイル・ヴァレンティンと申します」
その名に、シルビアはわずかに目を見開いた。
第二騎士団長の息子。
そして――レオンハルトの側近。
「あなたが」
思わず漏れた声に、カイルが片眉を上げる。
「おや。ご存知だった?」
「有名ですもの」
学園内でも、彼の名はよく知られている。
成績優秀で剣技も一流。
そのくせ、女性に気軽に声をかけては軽口を叩く。
どこまで本気なのか分からない、掴みどころのない男。
「それで、何かご用かしら」
シルビアは冷ややかに微笑む。
すると、カイルはシルビアの隣に座って、気軽な調子で言った。
「そんな警戒しないでよ。ただ綺麗な子が一人でいたから、話しかけただけ」
胡散臭い、そう思った。
「でしたら、もう十分ではなくて?」
ぴしゃりと返す。
普通ならすぐに退くだろう。
けれどカイルは、楽しそうに目を細めた。
「うわ、ほんとに冷たい。……殿下が気にするのも分かるな」
「どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味」
カイルは噴水へ視線を向けたまま、さらりと言う。
「最近、殿下ってば、ずっと君のこと考えてるからさ」
殿下が、自分のことを……。
確信した。
これは、探りだ。
きっとレオンハルトに頼まれて来たのだろう。
「光栄ですわね」
シルビアはゆっくり微笑む。
そして、公爵夫人に教え込まれた通り、ほんのわずかに首を傾げたまま、じっとカイルを見つめた。
意味ありげに、沈黙を引き延ばす。
カイルの笑みが、ほんの少しだけ固まった。
その瞬間を見届けてから、シルビアはふっと視線を外す。
「ですが、わたくしには関係のないことですわ」
静かに本に目を落とした。
やがて、ふっと小さな笑い声が落ちた。
「なるほどね」
カイルの声音が、わずかに変わっていた。
先ほどまでの軽薄さが薄れ、何かを確かめるような響きが混じる。
「確かにこれは、気になる」
シルビアが視線を向けた時には、彼は既にベンチから立ち上がっていた。
カイルは去り際、笑顔でひらりと手を振る。
「じゃあね、セリーヌ嬢。また」
その背を見送りながら、シルビアは本を握る指先に力を込めた。
あまり、関わりたくない。
軽薄で、掴みどころがなくて。
そして何より、あの一瞬。
彼の瞳が鋭く細められたのを、見逃さなかった。
まるで仮面の奥を覗こうとするような目。
レオンハルトとは違う。
けれど同じ種類の危うさを感じる。
胸騒ぎが、じわりと広がった。
***
その日の放課後の生徒会室で、二人の男が話し合っていた。
「で、どうだった?」
レオンハルトの問いに、カイルはにやりと笑った。
「面白い子ですね、あれ」
窓辺に寄りかかりながら続ける。
「綺麗で、冷たくて、隙がない。……でも」
茶色の瞳が細められる。
「どこか作り込みすぎている」
レオンハルトの蒼い瞳が鋭く揺れた。
「やっぱり」
カイルは肩をすくめる。
「無理をしているのは間違いないでしょうね。何を隠しているのかは分かりませんけど」
珍しく真面目な声音で言った。
生徒会室に、重い沈黙が広がった。




