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人形劇  作者: あかさたな


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16/25

16. 上機嫌

 


 春季親睦会まで、あと二週間。

 自室に戻ったシルビアは、ソファの傍らに置かれた箱へ静かに視線を落とした。


 先ほど、公爵夫人から届けられたものだ。


 シルビアは蓋を開けた。

 淡い銀糸で繊細な刺繍が施された舞踏靴。

 月光を受けて、ほのかに輝いている。

 誰もが見惚れるような、美しい一足。

 けれどシルビアには、それがまるで枷のように思えた。


 ……この靴を履いて、殿下をよろめかせる。


 そっと指先で靴に触れる。

 胸の奥が、じわりと沈んだ。



 ***



 翌日の昼休みに、シルビアが中庭のベンチで一人本を開いていると、不意に影が差した。

 顔を上げると、そこに立っていたのは、アシュレイだった。

 灰色の瞳がじっとこちらを見下ろしている。


 珍しい。

 学園内で、彼が近づいてくることはほとんどない。


「……何かご用ですの?」


 いつものように距離を取った声音。

 アシュレイは眉をひそめた。


「そんな顔もするんだな」


 シルビアの胸が小さく跳ねる。


「何のことかしら」


 反射的に微笑みを作る。

 だがアシュレイは視線を逸らさない。


「最近、妙だ。顔色が悪い」


 まただ。

 レオンハルトも、アシュレイも。

 どうしてそんな些細な変化に気づくのだろう。


「気のせいですわ」


 そう返すと、アシュレイは小さく舌打ちした。


「……またそれか、親睦会のことだろ」


 シルビアの肩がわずかに強張った。


「殿下とファーストダンスを踊るんだってな」


 皮肉るような声音。

 けれど、その奥にあるのはいつもの嘲りとは少し違っていた。


「無理してるなら、やめればいい」


 一瞬、言葉を失う。

 思ってもみなかった言葉だった。


「……何をおっしゃっているの」


 かろうじてそれだけ返す。

 するとアシュレイはふっと鼻で笑った。


「別に、お前がどうなろうと知ったことじゃない」


 ぶっきらぼうにそう言って踵を返す。

 数歩進み、それから足を止めた。

 振り返らないまま、ぽつりと落とす。


「ただ、最近の母上は妙だ。浮かれすぎている」


 それだけ言い残して、彼は去っていった。

 残されたシルビアは、しばらくその場から動けなかった。

 胸の奥がざわつく。

 アシュレイも、何かを感じ取っている。

 その事実が、恐ろしくて。

 けれど、ほんの少しだけ救われるようでもあった。



 ***



 シルビアが学園に行っている頃、長い回廊を、侍女のマリアが銀盆を手に静かに歩いていた。

 公爵夫人に頼まれた紅茶を届けるためだ。

 アルヴェール家に十年以上仕えてきた彼女にとって、この屋敷の空気の変化には敏感だった。


 そして最近、明らかにおかしい。

 春季親睦会が近づくにつれ、公爵夫人はひどく上機嫌になっていた。

 それだけなら珍しくない。

 だが問題は、その笑みだった。

 まるで、待ち焦がれた劇の幕が上がる直前のような、ぞっとするほど恍惚とした表情をよく目にするようになった。


 公爵夫人の私室の前へたどり着く。

 中から、かすかに声が漏れていた。


「……ええ、もうすぐよ」


 甘く蕩けるような、公爵夫人の声。

 マリアは足を止める。


「ようやく、わたくしの物語が正される」


 ぞくり、と背筋が粟立った。


 物語?

 意味が分からない。


 けれど、その声音に宿る異様な熱だけははっきり伝わった。

 次いで、くすくすと笑う気配。


「今度こそ、間違えさせないわ」


 思わず息を呑む。

 その瞬間――。


「誰かしら?」


 扉の向こうから、柔らかな声が響いた。

 マリアの身体が強張る。


「お、お紅茶をお持ちしました」


 数秒の沈黙。

 やがて扉が開いた。

 そこに立つ公爵夫人は、いつもの優雅な微笑を浮かべていた。


「まあ、ご苦労さま。ここでいいわ」


 公爵夫人は何事もなかったように紅茶を受け取る。

 そして、扉がゆっくりと閉まっていく。

 マリアは初めて公爵夫人に恐怖を覚えた。



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