18. 対決
放課後の談話室は、いつもより賑やかだった。
春季親睦会が近づくにつれ、生徒たちの話題はそのことで持ちきりだ。
誰が誰と踊るのか。
どの家が参加するのか。
どんな装いで現れるのか。
その中心にいるのが、セリーヌ・アルヴェールだった。
レオンハルトに、最初の一曲を申し込まれた令嬢。
その噂はすでに学園中へ広がっている。
シルビアは教室の窓際の席で、帰り支度を始めていた。
周囲から向けられる好奇と嫉妬の視線が、肌に刺さるようで、早くここから離れたかった。
その時――。
「少し、よろしいかしら」
凛とした声が空気を切り裂いた。
顔を上げると、そこに立っていたのは、見知らぬ令嬢だった。
「どなたでしょうか?」
「ああ、失礼を。わたくし、エレノア・ブランシュと申しますわ」
深い赤髪を高く結い上げ、琥珀色の瞳がまっすぐこちらを見据えている。
一目で分かるしたたかさと気高さ。
エレノア・ブランシュの存在は、公爵夫人から聞かされていた。
この学園の三年生で、侯爵家の御令嬢。
王子の妃候補として名前が挙がることが多い。
そして何より――。
レオンハルトに想いを寄せていると噂される存在。
公爵夫人が、彼女はいい舞台装置になると喜んでいたのを思い出す。
教室の空気が一瞬で張り詰めた。
誰もが、この対面の意味を理解したのだ。
「場所を変えましょう」
有無を言わせぬ口調だった。
その提案にシルビアは頷いた。
周囲のざわめきを背に、二人は教室を後にした。
***
中庭の東屋へ行くと、そこは教室よりは少ないものの、二人きりという風にはいかなかった。
数人の生徒達が、興味深そうにシルビアたちを見ている。
エレノアは足を止め、周囲に目を走らせた。
「これから大切なお話をするの。後から来て申し訳ないけれど、外していただけるかしら」
その言葉に生徒達は東屋から出て行き、遠巻きにして何かを会話しているようだった。
そんな様子を眺めていると、エレノアがゆっくりと振り返った。
「さて、単刀直入に聞くわ。あなた、殿下に何をしたの?」
琥珀の瞳が、シルビアを射抜く。
「何のことかしら」
「とぼけないでっ!」
エレノアの声が鋭くなる。
「殿下が、あんな風に誰かを気にかけるなんて、今までなかったことよ!」
その声音には、怒りだけではない感情が滲んでいた。
焦り。
不安。
そして、悲しみ。
シルビアはゆるやかに微笑む。
「わたくしは何も知りませんの。ただ、殿下がいきなりダンスに誘ってきて、驚きましたわ。何か理由があるなら、わたくしが知りたいところです」
「いつまで、とぼけるおつもり?もし殿下を弄んでいるなら、許さないわ!」
シルビアの胸が、どきりと音を立てた。
弄ぶ。
そんなつもりはない。
けれど、セリーヌとして振る舞っていること自体が、そう見えるのかもしれない。
だからこそ、否定出来なかった。
シルビアは、ほんのわずかに首を傾げた。
「どうしてそんなに必死なのですか?」
エレノアの表情が揺れる。
「……っ!」
「殿下が誰に興味を持とうと、あなたには関係のないことでしょう?……ああ、もしかして、特別な感情をお持ちなのですか?だとしたら、お相手をブランシュ様に変えるよう、わたくしからお伝え致しましょうか?」
次の瞬間ーー。
ぱしん、と乾いた音が響いた。
鋭い衝撃が頬を打つ。
「あ……」
エレノアは声を短く漏らして、打った右手を静止させながら、目をさまよわせた。
動揺を隠せていない。
シルビアは、ぴくりとも表情を変えなかった。
ゆっくりと顔を戻し、乱れた髪を指先で整える。
そして、いつものように完璧な微笑を浮かべる。
「……わたくしからの提案は、気に入らなかったようですわね」
冷ややかな声色に、エレノアははっと息を呑む。
だがその瞬間、微笑の奥に、一瞬だけ見えたものがあった。
空っぽのような、ひどく静かな目。
そこには、なんの感情もない無機質さがあった。
「……っ」
エレノアの瞳が揺れる。
何かを言いかけては呑み込む彼女へ、シルビアは優雅に一礼した。
「失礼いたしますわ」
シルビアは背を向ける。
歩幅は乱さず。
姿勢も崩さず。
誰が見ても、完璧なセリーヌのまま。
人気のない学園の林の奥までたどり着いた時、そこで初めて、足が止まった。
そっと頬に触れると、熱を持っていた。
けれど痛みよりも、格段に胸を締めつけたのは、エレノアの瞳だった。
まっすぐで。
必死で。
ひたむきで。
誰かを、あんな風に想えるのだ。
その事実が、どうしようもなく眩しかった。
素直に自分でいられるエレノアが羨ましかった。
「……どうして」
かすれた声が漏れる。
気づけば、一粒だけ涙が頬を伝っていた。
シルビアは息を呑む。
違う。
こんなのは、セリーヌじゃない。
慌てて指で拭う。
何度も呼吸を整え、表情を作り直す。
もう、誰にも見せてはいけない。
そう言い聞かせながら。
***
この出来事は、瞬く間に学園中へ広がった。
そして、それはレオンハルトの耳にも届いた。
「……エレノア嬢が?」
レオンハルトが目を見開く。
報告を持ってきたカイルは、いつもの軽さを抑え、肩をすくめる。
「けっこう、本気だったみたいですよ」
レオンハルトの表情がほんのわずかに険しくなる。
カイルは窓の外へ視線を向けながら続けた。
「その後、シルビア嬢は林の方に、一人で歩いて行ったそうです」
その瞬間、レオンハルトは静かに立ち上がった。
椅子がわずかに音を立てる。
「殿下?」
「探す」
短く告げる。
その声は、いつもの冷静さをわずかに欠いていた。
カイルは小さく目を細めるが、何も言わなかった。
廊下に向かう背中は、歩幅こそ変わらない。
それでもどこか、いつもより早い。
春の夕陽が、校舎を赤く染める。
その色はまるで、静かに燃え始めた炎のようだった。




