14. 空白
夕暮れの図書塔は静まり返っていた。
王城の一角にそびえるその石造りの塔は、王族や上級貴族のみが立ち入ることを許された記録保管庫でもある。
薄暗い室内には、古い紙と革の匂いが満ちていた。
「こんなところに呼び出すなんて、ずいぶん大げさですね」
積み上げられた書類の山を前に、カイルが呆れたように肩をすくめる。
レオンハルトは黙ったまま、一冊の記録簿へ視線を落としていた。
アルヴェール公爵家養女、セリーヌ・アルヴェール。
星光532年に、正式に養女として迎え入れられた。
礼儀作法、教養、舞踏、いずれも優秀。
学園入学資格に問題なし。
そこまでは、ごく普通の記録だった。
問題は、その前。
「……ない」
レオンハルトが低く呟く。
「ですよね」
カイルが別の資料を机へ置いた。
「戸籍登録以前の経歴が、綺麗すぎるくらい何もない」
孤児院の名称。
所在地。
引き取り日。
それすらも詳細がない。
明らかに異常だった。
普通なら、それに加えて、里親の報告書や身元確認記録が残っているはずだった。
これを見ると、突然彼女が公爵家に現れたように見える。
「彼女は本当に孤児院にいたのか?」
しばし沈黙が落ちた。
塔の高窓から差し込む夕陽が、机の上を赤く染めている。
レオンハルトは資料へ視線を落としたまま、静かに言った。
「公爵家ほどの家が、身元の曖昧な少女を養女にすると思うか?」
カイルは即答した。
「ありえません」
アルヴェール公爵家は、この国でも屈指の名門だ。
血筋と格式を何より重んじる。
そんな家が、出自の不明瞭な娘を迎えるなど考えにくい。
「明らかに異常だ」
レオンハルトの蒼い瞳が鋭く細められる。
***
その頃、シルビアは夜会用の作法の指導を受けていた。
磨き上げられた広間。
頭上で揺れるシャンデリア。
公爵夫人が優雅に扇を揺らしながら、冷ややかに告げる。
「来月、春季親睦会があるわ」
シルビアの動きがわずかに止まった。
王都の有力貴族たちが集う、社交界の催し。
「あなたも参加するの」
喉がひやりと冷えた。
「……わたしが?」
「ええ」
公爵夫人はうっとりと微笑む。
「学園だけでは足りないもの。もっと多くの目に晒され、もっと強く印象を刻みなさい」
そして、ゆっくりと歩み寄る。
「そこで殿下に、決定的な違和感を植えつけるのよ」
冷たい指先がシルビアの顎を持ち上げる。
「忘れないで。あなたは愛されるためにいるのではない」
青い瞳が狂気めいて揺れる。
「嫌われ、拒まれ、物語を正しい結末へ導くための存在なの」
シルビアは唇を噛みしめた。
「……はい」
返事をしながら、胸の奥がざわつく。
春季親睦会。
上手くやらなくてはならない。
学園とは違って、公爵夫人が見ている。
失敗はできない。
***
翌日の昼休みの教室で、シルビアが席で本を開いていると、不意に影が差した。
顔を上げると、そこに立っていたのは、レオンハルトだった。
教室がざわめく。
彼はいつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに告げた。
「セリーヌ嬢」
蒼い瞳がまっすぐ彼女を射抜く。
「来月の春季親睦会、最初の一曲を僕と踊ってくれないかな」
世界が、止まった。




