13. 観察者
昼休みの廊下での出来事が、レオンハルトの頭から離れなかった。
あの長くゆっくりと向けられた眼差し。
意味ありげな微笑。
そして、何も言わずに通り過ぎていった後ろ姿。
普通なら、あれは好意を匂わせる仕草だろう。
けれど、不思議とそうは感じなかった。
まるで、誰かにそう振る舞えと教え込まれたような、不自然さ。
机に広げたノートへ視線を落としながら、レオンハルトは小さく息をついた。
放課後、生徒会室には静かな陽光が差し込んでいる。
「珍しいですね」
向かいの席から、呆れを含んだ声が飛んだ。
顔を上げれば、濃い茶髪の少年が肩をすくめている。
第二騎士団長の息子にして、レオンハルトの側近、カイル・ヴァレンティンだった。
「何がだい?」
「殿下がそんなに一人の女子を気にしてるのが、ですよ」
レオンハルトは眉を寄せた。
「別に、そういう意味じゃない」
カイルはにやりと笑う。
「高慢そうだけど綺麗な子ですよね。話しかけたら冷たくあしらわれそう」
「そう見えるけれど、たぶん違う」
レオンハルトは窓の外へ視線を向けた。
庭園が夕陽に照らされて、花々が揺れている。
その景色の中に、温室で見たセリーヌの一瞬の表情が重なった。
白い花を見つめた時の、あの顔。
張りつめた仮面が、ほんのわずかにほどけた瞬間。
「あれが、本当の顔だった」
思わず漏れた呟きに、カイルが首を傾げる。
「何か言いました?」
「……いや」
レオンハルトは目を伏せた。
気になるのは、美しいからではない。
珍しいからでもない。
彼女は、助けを求めているように見えた。
それが気のせいなのかどうか、確かめたかった。
***
その頃、シルビアは鏡の部屋にいた。
無数の鏡に映る、無数のセリーヌ。
その中心で、公爵夫人が静かに微笑んでいる。
「違うわ」
冷たい声。
「もっと、相手が不安になるように」
シルビアは再び視線を作る。
ゆっくりと見つめて、わずかに唇を持ち上げる。
たっぷりと意味を含ませて。
「……まだ甘い」
やり直し。
「何を考えているか分からないと思わせなさい」
やり直し。
何度も。
何度も。
足が震え、喉が渇いても終わらない。
「セリーヌ」
鏡越しに、公爵夫人が呼ぶ。
「殿下はどうだった?」
シルビアはかすれそうになる声を押し殺した。
「……困惑しておられました」
その瞬間、公爵夫人の瞳が恍惚に揺れた。
「ええ、それでいい」
うっとりと頬を染める。
「その違和感が積み重なって、やがて嫌悪へ変わるの」
シルビアは俯いた。
本当に、そうなのだろうか。
レオンハルトの蒼い瞳に浮かんでいたのは、嫌悪ではなかった。
もっと別の――。
何かを知ろうとする色だった。
***
翌朝、レオンハルトは登校するとすぐ、カイルを呼び止めた。
「ひとつ頼みたいことがある」
「珍しいですね。何です?」
レオンハルトは周囲を確認してから、声を潜める。
「アルヴェール公爵家の養女について調べてほしい」
カイルの目が丸くなる。
「……は?」
「表向きの経歴じゃなく、それ以前も」
驚きに満ちた沈黙。
「殿下、それは」
「確証はない」
蒼い瞳が、まっすぐ前を見据える。
「でも彼女は、何かを隠してる。何か大変なことに巻き込まれているのなら、見過ごせない」
その言葉に、カイルはいつになく真剣な顔になった。
「……分かりました」
***
同じ頃、教室へ向かう廊下を歩きながら、シルビアは胸騒ぎを覚えていた。
理由は分からない。
けれど、何かが静かに動き始めている。
そんな予感だけが、胸の奥でじわじわと広がっていた。
そしてその予感は、確かに正しかった。
誰にも知られぬまま。
レオンハルトは、彼女の閉ざされた過去へと手を伸ばし始めていた。




