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追想の愛は誰の為に  作者: 伊藤猫
第五章 わたしの檻
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8.回帰



 アイリスが部屋から出ていき扉が閉じたのを確認するとゲリーはターゲスのことを見た。


「ターゲス卿にフィラデルフィア。見苦しいものを見せてしまって申し訳なかったな」

「お気になさらず。元々そのつもりだった」


 フィーも同じように頷く。アイリスが隣にフィーを座らせたのもああいうことになるのを分かっていたからのようだし、後でアイリスにはお礼を言わねばならない。

 そして今度はロイクに視線を向ける。気まずいのだろうかと思ったが一瞬ターゲスの方に視線を向けていた。


「その、ロイク……」

「……ターゲスは全て知ってる。気にせず話しても構いません」

「今回の件については私も関わっているからな」


 実際はもっと前から知っているのだけれどそこまで説明する必要はないらしい。

 ゲリーはターゲスの言葉に頷くと「教会で何があったんだ」とロイクに問いかけた。それにはフィーの身体の変化についても含まれているようだった。


「私が女神から受けていた呪いが解けました」

「そうか……それにしてはそれは……」


 ゲリーもロイクが疲れていることを察していたらしい。

 もうロイクの顔はそれが普通になってきているような気がしているけど。


「呪いが解けたことで色々面倒なことが発覚しましてね」

「あ、あの。それは私の方から話します」


 またロイクが長く説明するのも憚られてフィーが説明することにした。

 フィラデルフィアが女神の生まれ変わりであることを自覚したこと、女神の夫ことアセビにかけていた呪いとアセビが女神にかけていた呪いのこと、そしてプランツ教の教祖と会って過去のわだかまりを解消したこと。

 時々ロイクから補足説明をしてもらったので時間がかかったが、ゲリーは黙って聞いてくれた。


「……そうか」


 そっと息を吐いたその重さはその息の量よりも重たく見える。


「ロイク。お前はその後どうするんだ」

「今後、ですか」

「まさか書物を売り払った金だけで生活するなんて言うまい」

「俺では畑仕事が出来ないとお思いで?」

「それだけで生きてけるならな」


 まるでできることならやってみろと言いたげだ。

 ロイクなら平民のように自給自足の生活することも出来るだろうが、何を懸念しているのだろう。


「……そうですね。本を保存するための魔石も必要ですから。……生憎これまでの研究成果を売ろうにも魔法省は取り合ってくれない。魔術道具も手続きが面倒だ」

「お前もいい加減魔法省との仲を改善したらどうだ」

「生憎、悪食の私は嫌われているようだ」

「……」


 ゲリーは難しい顔で黙り込む。


「なら(こちら)にこれまで作った魔術を譲ってくれないか。そろそろ出し惜しみするのもやめろ」

「……それを言うならそちらもいい加減魔法省との仲を改善したらどうだ。俺は兎も角お前ならそれくらいできるだろう」

「生憎、武力と魔力は別物だからな。魔力のない私ではどうしようもできない」

「……」


 ターゲスとの会話も途絶える。

 押し問答のような状態になるのでフィーは居心地が悪くなる。しかしゲリーはちらりとフィーを見るとこれ以上ロイクを追及するのを止めた。


「どうお前にも色々と策はあるだろう。協会もお前を簡単に手放しはしまい」

「だといいんですが」


 結局その話はお開きとなったのだった。

 気付けばもう夕方になっており、部屋も大分暗くなっていた。


 夕食後、帰り際にフィーはロイクに話しかけられた。


「フィア、月曜日に時間を貰えないだろうか」

「来週?」


 平日なので授業がある。午後なら空いているが何をするのだろう。


「ナスタチウム女史に会う。既に先触れは出したが学生のお前がいた方が良いだろう」

「わかった。いいよ。挨拶?」

「そんなところだ」


 ナスタチウム先生はロイクが人口魔石のきっかけを学院に売った際に口利きをしてくれた女性だと聞いている。

 ロイクが学生の頃も色々世話になったようなので直接会いに行くのも不思議ではない。

 フィーも小等部の頃は彼女からよく叱られたものだ。



―――



「わざわざここまで顔を見せに来るなんて珍しいこともあるのですね。お元気そうで何よりですよ。ミスタ」

「女史も相変わらずでなにより」


 人払いされた広い研究室で三人はお茶を嗜んでいた。

 案内で終わりかと思ったがナスタチウムから誘われてフィーも参加することになったのだ。

 ベンジャミンの研究室はカメリアがいないとすぐに散らかるくらいには煩雑にされているが、ナスタチウムの研究室は華美なものは無いものの綺麗に整頓されている。こういった場所で教授の性格が出るようだ。


「貴方から先触れが来たときはどうしようかと思いましたが無事相まみえることが出来て安心しました」

「どうしよう、とは?」

「事前に話をしているにもかかわらず入れない者もたまにいるのですよ。

 大抵は魔法省から厄介払いされている者ですが。学院が今の体制になっても未だに金を掴ませてまで嫌がらせしたい者もいるのです。貴女がいたおかげですね。ミス・ヴィスコ」

「わ、私ですか」


 しわのある笑みをこちらに向けられたフィーは思わず挙動がおかしくなる。小等部にいた頃は彼女からあまりそうした笑みを向けられてことはなかったので、突然優しくされると恐怖を感じるのだ。


「貴女のことですから、門の前で彼を待とうと思ったのではなくて?」


 図星だった。


「……護衛からせめて受付で待とうと言われました。ロイクは談話室でいいと言っていたんですが」

「そのお転婆は相変わらずですね。外で待っていたところで早く着くわけではないでしょうに」

「あはは……」


 誤魔化せていない苦笑する。ロイクは複雑な表情を浮かべていた。

 専門分野以外でも様々な授業を受け持っている彼女だ。フィーが小等部にいた頃でもマナーについても細かく指摘された事があったことを思い出す。


「ところでミスタ。貴方がここに来た理由は?」

「……先日領地管理について官庁の文官と面会をしましたのでご挨拶を。貴女には色々世話になりましたから」

「私は何もしてませんよ。貴方がしてくださったのはただの()()()()でしょう?」


 フィーは置いてあったチョコレートを口にする。この街のお菓子はバニラが使われたものが多いのでたまにはバニラの香りが控え目なお菓子が食べたくなるのだ。

 菓子を食べながらちらりとロイクを見るが、彼が孤児院の人間以外の前で笑みの仮面を外し、和んだ表情で接するのを見るのは初めてだ。大人を信用できないと言っていた彼にとっては大きな変化ではなかろうか。それともナスタチウム相手だからだろうか。


「それでも私からすれば貴方からの恩恵は大きいものでしたよ」

「教え子からそう言われると、私も教壇に立つ甲斐があるものです」


 ロサ=メアリー・ナスタチウムは炎や熱に関する魔術に精通している教授である。

 今でこそ小等部の寮監や教育指導担当として学生たちの生活を指導しているが、その研究実績は多岐に渡る。フィーが学院に編入したばかりの時も説明をしてくれたのはナスタチウムだ。

 彼女は編入したばかりのフィーに対して身分関係なく接してくれている数少ない教師の一人だった。

 以前知ったがロイクが人口魔石のきっかけを学院に売り渡す際に渡りをつけてくれたのはナスタチウムだそうだ。ロイクも彼女を手柄を奪うことはしない教師だと信頼していたらしい。


「ですがなぜ官庁へ?」

「領地の管理文官の辞退の願いを。正式に役目が終わるのはまだまだ先ですが何事もなく受領されました」

「そうですか……領地を。貴方のご友人はなんとおっしゃっていたの?」

「先ほど文官に話をしたばかりなのでそういった話はまだなにも」


 表沙汰になってはいないがカレンデュラ家は内乱中、裏でターゲスをはじめとした軍の関係者とかかわりを持っていた貴族の一つだ。そんな家が領地の管理から降りるのを軍は黙っていないとナスタチウムは思ってるのかもしれない。

 しかし元帥になったターゲスのことを理解しているフィーとロイクは別にそれについては気にしたこともなかった。


「それに、ここ数年は私も監督するだけで管理については手は出していませんでしたから」

「貴方は放任するところがありますからね。大方魔術なり呪術なり研究をする時間を増やすのでしょう?」

「……どうでしょうね。孤児院から離れることはないので」


 ロイクがその返答をする間際の表情の変化をフィーは見逃さなかった。



―――



 それから少し雑談してからロイクとフィーは研究室を後にした。


「ロイク、折角だし少し見て回りませんか?」

「どうした?」

「いや、何となく思っただけだけど……」


 思わず敬語になったのは知らぬふりをする。

 今更だが今のロイクは貴族らしい装いだ。先ほど役所に行ったばかりだから当たり前なのだが、いつもは後頭部で束ねていた長い白髪も今は下に降ろして三つ編みにしているということもあり、雰囲気が大分違うのだ。


「カレンデュラ殿からすれば久しぶりの学院ですから、折角ですし東側の庭とかどうでしょう。今の時間は人が少ないはずですよ」

「そ、そう。私も一緒なら問題ないと思うし」


 フィーの後ろに控えていた護衛の一人が発言する。普段から二人が控えているが、茶会では交代で護衛に回ってくれていた。

 気を回してくれたようだがロイクの視線が胡乱げである。フィーが振り返れば護衛は小さく親指を立てていた。

 その様子を見ていたロイクはフィーに手を差し出してくる。


「案内してくれるんだろう?」

「……うん」


 フィーがエスコートする形で互いの手を握る。女性が男性をエスコートするのもなんだか妙な感覚ではあるが、今はこちらの方がしっくりと来た。


 学院はとても広く、昔は貴族の社交場の役割もあったのでその名残として庭や東屋がいくつかある。

 現在は庭師を雇う余裕がなくなったせいか必要最低限でしか整えないので、若干寂れつつあるが、季節によって野草となった花が色鮮やかに咲くし、東屋のひび割れた柱に巻き付く木蔦にさえ趣を感じるのは、木蔦に囲まれた家や建物が多いアイーシュの街並みに見慣れたからかもしれない。


「東の庭か」

「行ったことある?」

「いいや、庭に行く用は無かったからな」


 フィーはカメリアから礼儀作法を学ぶために人気のない東屋に行くことがあったので大体の中庭の場所は知っている。

 カメリアから礼儀作法を学んでいると話を聞いたコスモスが知らない間にカメリアと仲良くなり、三人で一緒にお茶をするようになったのだ。

 そう思うと自分とコスモスのような平民に対して対等に話を聞いてくれたカメリアはそれなりに珍しいタイプの令嬢だ。


 移動中ロイクは時々周囲を見ていたので学院時代を思い出して懐かしく感じていたのだろう。

 フィーは以前からロイクの悪評を聞いていたので、もしかしたら居心地が悪くなるかもしれないと後から思い出して後悔したが、こちらを見る学生の悪意ある視線はロイクではなく自分への方が多いように思える。何もしていないのに睨まれるのは勘弁して欲しい。


 中庭に着いたところでロイクは口を開いた。


「最近、ウルとはどうしてる」

「ウォル?……ターゲスさんを手伝う日が多くなったみたい。なんかすごい能力を習得したからとかなんとか」


 ロイクがシャトーバニラに来てからウォルはロイクと顔を会わせていない。昨日はターゲスがフィーと共にゲリーの家に来たが、その時もウォルは同席しなかった。

 ターゲスの手伝いとは言うが、ターゲスというよりクライアンなど側近兵に付いて行っているような気がする。ターゲスも元帥になったのでそれに伴って周囲も慌ただしくなるしウォルもターゲスの養子なので必然的に注目を浴びるのだろう。

 そのため最近のフィーはウォルよりもターゲスやその側近達と共にいる時間の方が長い。


「すごい能力?」

「詳しくは分からないけど。ウォルはターゲスさんみたいな筋肉になるために理想的だったみたいで」

「……アイツは血の純度が高いからな」


 ウォルは村の中でも竜人族を守るために代々狼族のみだけで受け継がれていた家の子供だった。

 事実ウォルの父親は村一番の力持ちだったし、フィーと同じ年に生まれたのは竜人族を守るためでもあったのだろうが、それは結果として生まれ持った魔力を薄めることとなり、その分強靭な肉体を得られる才能を身に付けた。


「昔は私よりも小さかったのにな……」


 ターゲスから普段の食事の指定までされていたのだ。ヒヤシンスは慣れた様子で支度をしていたがフィーは今までの食事と違うメニューにかなり戸惑った。しかもターゲスが菓子を強請るので更に面倒だった。


「お前はあまり嬉しくなさそうだな」

「分かるの?」

「お前は以前から分かりやすいだろう」

「……ウォルなりに色々考えてるみたいだけど、なんだか置いてかれた気分かな」

「お前はよく弟に置いて行かれるな」


 ウォルに置いていかれるのはこれで二度目だ。一度目はウォルが先に孤児院に行くと決めた時である。


「寂しいけど、嫌じゃないんだよ」


 まだ姉離れできていないと思っていたら、知らない内にウォルがフィー主体で考えなくなっている事に気付いた時にはウォルの中で先に進もうとしていた。

 むしろお互いが自分のことを考えていられるのなら置いて行かれると感じなかったのかもしれない。

 現在のフィーは完全燃焼している。今まで目標としていたことが失われてどうすればいいか分からなくなっているというのは、フィー自信が分かっていた。


「ターゲスから聞いた。進路に迷っているらしいな」

「……進路って……」


 卒業はまだ先だ。それに現時点でフィーはまだロイクの婚約者であるのでその後の未来なんてほとんど決まったようなものだ。


「母上からもなにか言われたんだろう。お前が決めたことなら俺は否定もしない」


 その言葉に昨日の件を思い出して一瞬フィーは苛立ちを覚えたが、己の右上にあるロイクの顔を見上げてその感情はふっと消える。

 昨日ロイクが疲れているように見えた表情が、今目の前で間近にある。白髪という容姿もあってか儚げにも見えた。

 アイビーが死を決意した頃の晩年のアセビのようだ。いやあれは今思えば焦燥していたのだったか。ならばなぜ目の前にいる彼は何処かに消えそうな顔をしているのだろう。


「ねぇ、ロイク――」

「あら、奇遇ですわねフィラデルフィア」


 後ろから聞きなれた声にフィーは咄嗟にロイクの手を離した。


「カメリア、ベンジャミン先生!?」

「私はついでかい」

「フィラデルフィア、いくら普段の先生は影が薄いとはいえ、ついでのような言い方はあんまりですわ」

「カメリアも容赦ないな」


 カメリアがベンジャミンの腕を引く形で共にいたのだ。それは教師と学生の距離では無いが二人の場合はフィーが見慣れているからかカメリアが老人介護している様に見える。

 ベンジャミンは相変わらず目の下にクマがあるのに何だか清々しい顔をしているが、研究が一段落付いたのだろうか。


「お二人が一緒に外にいるのは珍しいですね」

「先生の作業が一区切り付きましたから。たまには歩かないと足腰が悪くなりますわ」

「老人じゃないんだから……」


 同じ事を考えていたのでフィーはそっと視線を逸らす。

 しかしベンジャミンはフィーの後ろにいたロイクに気付くと一気にその目は見開いた。


「ロイク・フォン・カレンデュラ……!?」

「……」


 ロイクは突然フルネームで呼ばれ眉を顰める。

 カメリアはフィーの隣にいる男が昨日聞いた噂の婚約者だと知ってそっと口元に手を添えながらロイクを見る。

 フィーはベンジャミンに尋ねる。


「彼と知り合い、ですか?」

「……済まない。彼とは在学期間が被っていてね。私が一方的に知っていただけだ。紹介をしてくれないか。フィラデルフィア」


 初耳だ。ベンジャミンの年齢は知らないがロイクと在学期間が被っていた可能性もあったことを考えていなかった。

 紹介してもいいかとロイクに目を向ければ構わないと頷いた。


「彼はロイク・フォン・カレンデュラ。昨日話した私のこ、婚約者です」

「ロイク・カレンデュラだ。うちのフィアが世話になっている」

「オリバー=バーチ・ベンジャミンだ。隣の彼女はカメリア=レベッカ・ローレル。フィラデルフィアと同学年だ」

「カメリアです。お会いできて光栄ですわ。カレンデュラ伯爵」

「こちらこそ。だがもう伯爵を名乗るつもりはないよ」


 ロイクは大人に向ける作った笑みを二人に見せる。カメリアはそんなロイクに一瞬だけ頬を染めたようだが、フィーが少し睨みを利かせれば気付いたカメリアは肩を竦めた。

 しかしロイク相手に感情が高ぶっていたのはベンジャミンもだった。


「貴方が三年生の時、私は一年生だったんだ。また貴方の顔を見る事が出来て幸運に思う」

「……そこまで言われる立場では無いのは教鞭をとる貴方がよく分かっているでしょうに」

「それでも、貴方のような人材は稀有だ。退学してしまったことが惜しまれた」


 ベンジャミンがここまで特定の誰かに食い付いてくるのは珍しい。カメリアもそう思ったようでそっとフィーに近寄るとこっそり話しかけてきた。


「貴方の婚約者は一体何をした方ですの?」

「医学部にいたことくらいしか私も存じ上げません……」


 カメリアがやや不機嫌になる理由は目に見えているが、フィーも困惑している。

 二人の様子を見る限り二人は初対面らしい。

 呪術を研究しているベンジャミンとは学部も学年も別だろうから授業がロイクと話すような機会も無いはずだから当たり前なのだけれど。

 しかしそんな困惑した二人を置いてベンジャミンはロイクの手を握ってきた。


「今までもミズ・ナスタチウムに色々研究成果を横流ししていただろう?人口魔石の功績もある。どうだろう、孤児の入学を促すだけでなく、貴方も学院で研究を」

「お前が期待しているのは教理に反する非人道的な研究のことか?」


 ロイクから笑みが剥がれ落ちた。きらりと首元が光る。彼がいつも身につけていたペンダントだ。元はダリアが身に付けていたものだからだろうか。それがやけに目に入った。

 このまま二人を放置するのはまずい気がして前に出ようとしたが後ろにいたフィーの護衛に止められる。


「貴方を傷付けるつもりはなかった。だが」

「生憎、私は子供達を家に残してまで研究者として学院に来るつもりはない」


 ベンジャミンの手を払い除ける。

 ロイクはダリアのために学院に行った。しかし退学になった理由までは聞いてないし、それが彼の中で傷になっていることもなんとなくフィーは察している。


「すまない。失言を許して欲しい。だが未だ家柄に拘る魔法省の元貴族が多い中で、貴方のような存在が必要だと私は思っている」


 ベンジャミンはその名前から貴族家系の出身だが性格は根っからの研究者だ。

 学院では研究費を捻出するために魔法省の人間との社交は欠かせないと聞く。ベンジャミンは数少ない呪術を研究している人材として学院にいるだけで家柄に拘る者達とは考えが対称的であるため、その存在は色んな意味で浮いている。


「……いいや、だが……当時の私を知った上で疎まない者がいたことに驚いた」

「今は呪術を極めている私とて、学生の頃は魔術を究めていたんだ。時間さえあれば語り合いたいと思うくらいだ」

「……そうか」


 フィーはロイクの顔を見上げる。ロイクの顔が明るくなっていたがロイクがフィーと目を合わせた途端すぐに元に戻った。その一瞬の表情の変化に気付いてしまったフィーはロイクと再度手を繋ぐことができなかった。


「ベンジャミン先生、そろそろお暇しませんこと?」


 カメリアはベンジャミンの腕を引き寄せてはロイクとの会話に割り込んできた。


「え、だがしかし」

「先輩方のお掃除もそろそろ終わるころですわ。戻らないと、次は論文の編纂作業がありますわよ?」

「君たちも見ていただろうしレポートをまとめる能力は信頼している。今回も問題ないはずだ」

「研究した張本人が確認しないと意味がありませんわ。それにカレンデュラ殿はフィラデルフィアの婚約者ですわよ」


 カメリアの言葉でようやくベンジャミンはフィーたちを放置していたことに気付き、謝罪をする。


「すまない、時間を取らせてしまったようだ。フィラデルフィアも悪かったね。今日は研究室に来ないとは聞いていたが」

「……いいえ」


 むしろこんな理由で会話を打ち切らせて良かったのだろうかと思って申し訳なくなる。


「カレンデュラ殿。最後に呪術を究める者として一つ聞きたいが良いだろうか」

「……答えられることなら」


 先ほどまでの笑みを浮かべた顔から普段の野暮ったい前髪で目が隠れた表情の読めない彼がいる。


「貴方が学院にいた頃にあの研究していた理由は噂程度にしか聞いてないが色々察しがつく。しかし、それが達成できる道筋が立ったとして、貴方は誰を犠牲にしようとしていた?」



―――



 パパルナは僕が初めてできた同類だった。

 彼女がまだ幼い頃、山の麓から一度降りた父上から人の心が読める存在だと紹介されたことがあった。

 顔を会わせたときはまだ足もおぼつかない幼い子だったけれどその時は兄妹として仲良くなりたいと思った。

 この子が十三歳になるのが楽しみで仕方なかった。

 十三歳になった彼女は僕のことを覚えていなかったことが残念だったけれど。


 パパルナはちょっかいをかけられやすい。

 心が読めるということで里に来てから早々に他の年の近い男達から嫌がらせを受けていた。

 嫌がらせはすぐに注意をして止めさせた。

 なぜ反抗しないのかと彼女に聞いてみたがすぐに逃げられた。

 どうしたら仲良くなれるのだろう。

 僕と年の近い妹のイーリスに聞いてみたけど「そんなの知らないわよ」と素っ気なく返された。

 僕はめげずに彼女に声をかけていくことにした。


 パパルナはよく一人になる。

 いつも日陰から周囲の様子を伺うようにひっそりと過ごしていた。

 引きこもり気質は姉上と似ているが、彼女の場合は単純に人と関わるのが苦手なようだった。

 狩りが得意な者同士、一緒に狩りに行こうと誘うもすぐに逃げられてしまう。

 その逃げる手数が多くて思わず関心してしまった。

 それから僕と彼女の間で追いかけっこするのが通例となってしまった。

 最終的には僕の能力で見つけるのだけれど、どうして分かるのだと拗ねられた。


 パパルナは寡黙な子だ。

 どうやら母上と同じように言霊の力が強いらしく、感情を表に出さないようにしているのもそれが理由らしい。

 口で話すのが苦手ならと念話で対話を試みたらある程度返してくれるようになった。

 イーリスにそれを話せばパパルナに同情すると言われた。


 パパルナは人の感情に敏感だ。

 パパルナは行動を先回りをするので姉上からは気が利くとよく褒められていた。

 暗闇の狩りに有利な彼女の力は素晴らしい。

 だけど僕のことは中々気を回してくれない。なんなら僕の目の前で羊肉を食べる始末だ。

 そんなに羊肉が好きなのかと聞いてみたら羊肉も嫌いではないけど好物は魚の塩焼きらしい。全く違った。


 パパルナは僕が他人の記憶が読めることを知らなかった。

 教えていなかったかと言えば、知らないと即答されてしまった。

 それから自分たちはこれまでにないくらいたくさんのことを話した。

 手を繋いで安心しきったパパルナの顔を見るのは初めてで、驚いてしまった。


 パパルナは立派な女性に育った。

 この里に来てからたった数年でパパルナは綺麗な女性になった。

 里の若い男のなかにもパパルナを気にする者が現れ、僕は妹離れをしなければならないことに気付いた。

 僕は兎も角、パパルナには僕のせいで好きな異性が現れないのも申し訳ないと思う。

 一線を置くことにしたけれど、それを彼女は納得がいかない顔をした。


 パパルナは思っていたよりも執念深かった。

 今度は彼女が追いかける番になった。

 どんなに避けてもパパルナは僕の行く手を阻んだ。

 心が読めるくせに追いかけ回すからこんこんと避ける理由を話したのに押し切られてしまった。

 結局僕は彼女に堕ちてしまった。僕の心を彼女の方が良く理解していた。


 パパルナは僕の心の唯一の『闇』だ。

 父上の愛を母上が受け止めたように、パパルナは受け止めた。

 僕の醜い感情を闇に覆い隠してくれるその甘美な背徳に僕は溺れてしまった。

 僕の自慢の妹であり妻だけれど、その時だけは彼女を誰にも見せたくなかった。


 パパルナは人に甘い。

 母上が自分を食べて欲しいという願いも受け入れた。

 姉上が僕らに頼んだことを彼女は拒否しなかった。

 けれど僕が記憶に鍵をかけたことについても咎めることはなかった。


 パパルナは優しい。

 僕が姉上を咎め、里のみんなが僕を責めてもパパルナは許してくれた。

 力の制御が出来なくなった自分を受け止めてくれた。

 彼女の力が僕の力を打ち消してくれた。

 全てが見えなくてもいい。僕は家族だけを見ていたいと思える。僕は幸せだ。


 パパルナは黙って出て行ってしまった。

 赤子を一人連れて里から出て行ってしまった。

 小さい娘と息子も置いて出て行ってしまった。

 僕は捨てられたのだろうか。


 パパルナは何処に行ったのだろう。

 姉上は探しに行くことを許してくれなかった。

 僕は膨れ上がる力を使って彼女を探した。だけど彼女を見つけることが出来ない。

 その時やっと僕は彼女の心が読めていなかったことを気付いた。

 彼女も力の制御が出来なくなっていたことに気付いていたのに、僕はそのフォローをすることが出来なかった。


 僕は結局自分自身のことしか考えられていなかったのだ。



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