7.話し合い
「フィラデルフィア。貴女ティータイムの時間も捻出できない程余裕がないの?」
紫色の髪の女性から嫌味っぽい口調で話しかけられ、フィーは時計を見た。
「カメリア、え、もうそんな時間?」
「貴女が来てからそこまで経っておりませんけど、見るからに進んでないでしょう。いくら久しぶりの研究室だからといって根詰めすぎては非効率よ。
ベンジャミン先生もいつもより少しお早いですがお茶にしませんこと?」
研究室の長であるオリバー=バーチ・ベンジャミン教授もカメリアの言葉に反応するように顔を上げると椅子から立ち上がった。
この呪術専門の研究室は今は他の学生は授業に参加しているため、学生はカメリアとフィラデルフィアしかいない。
カメリアが持ち込んだ魔術道具を使えばあっという間に湯が沸き、ポットに注げば茶葉の香りが立つ。片付けられたテーブルの上に教授が秘蔵の菓子を出せば簡易的なお茶会が始まった。
カメリア=レベッカ・ローレルは赤みがかった紫色の髪に緑色の目を持つ人族の女性だ。
容姿や名前から彼女の家が貴族家系の出身であることが分かる。左耳の上に飾られている真っ白な椿に黄色いタンジーの花を添えた髪飾りがトレードマークだ。
同年代の女性の中では高めの身長で高飛車な態度を取るので、周囲から遠巻きにされがちなのが玉に瑕である。
そしてフィーと同じ高等部三年生である彼女は研究室の主である教授を差し置いてこの研究室を牛耳っているせいで、学年性別関係なくこの研究室に在籍している数少ない男子学生は全員彼女に頭が上がらない。
「流石ローレルのお茶は相変わらず香りが良いね」
ベンジャミン教授はフィーが高等部に上がって間も無い頃自身の研究室に勧誘した張本人だ。
ぼさついた艶のない青い髪が野暮ったく見えるが、その隙間から見える瞳は紫色をしており、身なりを整えれば十分良い顔立ちになるのだろうなというのが分かる。実際式典の時の彼は別人になる。
目の下は紫のクマがべったりと貼り付けられ、前髪の隙間から見える目は寝不足で目つきが悪く疲れ切った顔も相まって周囲からは亡霊のようだと怯えられがちだが、本来は温厚でやわらかい口調をしていた。
「ふふ、お褒め頂き光栄です。茶葉も普段のと違うようでしたので美味しく淹れられるか心配でしたが……お気に召したようで何よりですわ」
「あぁ、南方の……確か旧ガーデニア領で作られる品種だ。内乱で販路が封鎖されてたけど数年ぶりに流通されて手に入れることが出来たらしい。カメリアのも見ない魔術道具だ。君の実家の新商品かな」
カメリアは満足そうに口角を上げるが、フィーは未だに茶の味の変化が分からない。茶葉の違いを知るのも貴族の嗜みらしいが、生憎フィーはガーベラの苦いお茶で育ったこともありお茶の善し悪しが判断できない。
二人の会話に首を傾げているフィーを見たカメリアは分かっていたように首をすくめるだけだった。
「えぇ。侍女を雇う家も少なくなってきておりますから絶対需要もありましてよ」
「平民にも需要がありそうだね。おいくら?」
一度に沸かせる容量が少ないので大所帯には向かないが、すぐにお湯が沸くのは楽そうだ。
「貴女の意見は聞いておりませんわ。それにこれは試作品ですの。まだ一般にお出しすることは出来ませんわ」
「それは残念」
ぴしゃりとフィーからの商談を断られる。売り出したらターゲスに買ってもらおうとフィーは決める。
フィーは養子になって数ヶ月はターゲスに物を強請ることに躊躇していたが、ターゲスとウォルが毎日消費する食料の多さを実感してからは躊躇しなくなった。無駄遣いはしてないのだから問題ないだろう。
「君も魔術道具の方に行けばいいのに……」
「我が家の事業とわたくしの学びたい学問は別です。跡継ぎは弟がいますもの」
ベンジャミンの呟きにそう反論するがカメリアが陰気で陰湿なイメージの強い呪術を専攻しているのもベンジャミン目当てだからなのはこの研究室にいる学生全員が知っている。
ベンジャミン本人はそれを知って知らずか、しかしいつものやり取りなので一息吐いてからフィーに視線を向けた。
「フィラデルフィア。休暇中のことはコスモス君から聞いた。災難だったね」
「あはは、ご心配おかけしました……」
「そうですわ。復帰しても中々こちらに顔を出さないんですもの。挨拶くらい常識でしてよ」
「ごめんなさい」
ベンジャミンは頬を膨らませているカメリアを見て苦笑している。彼女は怒っているようだが彼女なりにフィーを心配していたということはフィーも理解している。
「折角ですし里帰りから今に至るまで洗いざらい話してちょうだい」
「カメリア」
「分かっておりますわ先生。ですがわたくしの気が済みませんもの。それに貴女昨日どこにいらしてたのかしら?」
フィーはふいに視線を逸らす。
ベンジャミンはカメリアに困った顔をするがカメリアはぷんすこと擬音が付きそうな表情でフィーに追及してくる。
「ぐ、軍事機密で……」
「軍事機密?貴女ヴィスコ卿の娘とはいえ立場としては一般人ですわよね?」
「うっ……」
「これ以上はやめなさいカメリア」
ベンジャミンが諭しようやくカメリアは引き下がった。
フィーの情報を他者に売るつもりはカメリアには無いだろうが流石に追及されると困る。
「いい加減躱す言葉くらい覚えなさいまし」
「あはは……」
フィーもそれは分かっている。しかしここ数日の鬱憤が彼女の胸の内に溜まりに溜まっていた。
「流石にお城のこととか、色々なところに巻き込まれたのを話すことは出来ないんですが……」
そう前置きして話し始めれば、唐突な婚約からの帰還、そして教会やら軍やら色々なところに巻き込まれている間、婚約者の家でも色々あったらしく、先日婚約者の母親から婚約破棄の提案をされたことを話した。
学院に入学した理由にロイクに関わることがあるのでその目的が達成できるのは良いが、協力できずにいるので置いてけぼりにされてしまっているなどと愚痴や不満までこぼせば、カメリアは思考が停止していたのかじっとしたまま動かず、ベンジャミンは興味がない話だったのかいつの間にかその場で自分の研究レポートを読み返していた。
しかし話し終えればカメリアははっと意識を引き戻したのかテーブルに両手を付いた。
「貴女、カレンデュラ伯と婚約したの!?」
「え、は、はい。でもそこまで驚くこと?」
小等部から高等部に上がる女子は少ない。女性の結婚適齢期は短い。学問にはげむよりも婚約者を探したり花嫁修業をした方が効率的だからだ。
もし高等部に進学しても結婚を期に退学することが多く、卒業式に立つ女子学生は行き遅れかと疑われがちだ。ということもあり真面目に研究する者はごくわずかである。
「貴女ならいつも共にいる騎士の誰かかと思っていたから……」
「……多分私はロイク……彼から婚約を提案されるまでは誰とも結婚するつもりはなかったと思います」
「一途ですわね。恋物語なら好感が持てそうですが」
カメリアから見ればフィーの周囲にいる異性は研究室のメンバーか護衛の騎士ばかりだ。騎士たちもフィーに余計な虫が付かないよう監視していたのできっと養父であるターゲスが決めるのだろうと思っていたのかもしれない。
しかしフィーはロイク以上に好きになる人はどこにもいないので誰とも添い遂げるつもりはなかったし、ターゲス自身もフィーの相手については考えるつもりはなかったようだ。というよりロイクがフィーを囲い込むことは分かっていたから何もしなかったのだけれど。
ここまで言えばカメリアは呆れた顔をした。
「貴女呪われていたものね。その原因は彼?」
その言葉にほとんど会話を聞いていなかったはずのベンジャミンもピクリと視線を向けてくる。
フィーがロイクに呪われていることを知っているのはベンジャミンだけだ。それも翼を封印しただけのものなのだが、それはフィーの背中の翼を見れば解呪していることは目に見えていた。
「え、どうして」
「呪術を使う言霊は、誰かを呪っているか誰かに呪われていないと使えませんわ。貴女のような方がそこまで強力な呪術を使えるなんておかしいもの。基本中の基本です」
真面目に勉強していれば呪術の使える人の違いは分かる。だからフィーの言霊がやたら強い理由はそこまで行きつくことは可能だろう。
フィーは自分が呪われているのではなく、呪っているのだと思っていたからそう思われていたなんて思わなかった。
「わたしが誰かを呪ってたのは本当だよ。なんだかお互い呪い合ってみたいで」
「……思っていたより面倒な仲ですのね」
「あはは……」
呪い合う仲でありながら婚約するなんてよほど重たい仲だと思われているようだ。事実前世のことも含めればそうなのだろうが。
「……とはいえ、あちらのお母さまが婚約破棄を提案するなんて、そちらも何かあったのかしら?」
「それはカレンデュラのことだから……でももうじき広まると思うから待って」
カレンデュラ家が領地を返還するのは決定事項だろうが、正式に手続きをする前に広める訳にもいかないだろう。
それを察したのかカメリアはこれ以上追及することはしなかった。
「そうですか。正直、貴女の嫁ぎ先なんてどうでもいいですわ。わたくしには価値のない情報ですもの」
カメリアはそう言いながら一瞬ベンジャミンを見ては自分のカップを口に付けた。
「結婚なんて……むしろ好いた殿方に嫁げることすら幸運なのに」
「……」
カメリアの机には文官資格に関する参考書が一冊置いてあった。
彼女はきっと卒業すれば親が決めた者に嫁ぐのだろう。本来なら文官資格も結婚すれば家庭に入る彼女に必要ないものだ。しかし実家の店が開発した試作品を使う割には彼女はいかんせん家には反抗的だ。
「……興が冷めましたね。フィラデルフィア、貴女他に面白い話ありませんこと?」
「そんな唐突に……あ、この前軍で小さい魔獣を見たよ。色々知ってたら教えて欲しいって言われて」
「なんですって!?」
あ、これも話すのはタブーだったかなと後で後悔したのだった。
―――
カメリアと話をして三日後の午後、フィーは学院で授業が終わった後研究室には寄らずターゲスと共にシャトーバニラにあるカレンデュラ家の応接間にいた。
「あの、二人は許してくれましたけどターゲスさんまで来てよかったんですか?」
「身内の話し合いとはいえ第三者の意見も必要だろう。お前の将来もあるしな」
ターゲスがゲリーと直接会うのは魔術学院でロイクが退学して以来だそうだ。
しかし今回の件でターゲスは何か考えがあるのかゲリー夫妻に直接その話し合いに同席してもらえないかと打診したのだ。
大抵上流家庭では家族会議をする際、客観的な意見をもらったりその話の監督をしてもらうために無関係の人間を呼ぶことも多いのだそうだ。今回その役目をターゲスが請け負った形になるらしい。フィーは本来部外者だが現時点でロイクの婚約者なので同席だけする。
ロイクの養女であるリナリアは仕事もあるので不在だ。学生であるはずなのに侵略以降さらに忙しくなっているようだが元気にしているだろうか。
同じ街にいるにもかかわらず未だフィーはリナリアと再会していないのが、ウォルやターゲス達は既に数回会っているのは立場上仕方ないにしても羨ましいと思ってしまう。
しばらくすると部屋の扉が開きゲリー達が部屋に入ってきたのでターゲス達は挨拶のために立ち上がる。
二人の後ろからロイクも続いて入ってきていたが旅の疲れにしては少々やつれた顔をしていた。その顔をどこかで見た事がある気がするが思い出せない。
しかし彼はフィーと目を合わせた途端その顔は消える。
「……!フィア、それにターゲスまで。なぜ二人が――」
「監督役として参加することにした。殴り合いの喧嘩になったら困るからな」
ターゲスがかぶさるように返答すれば、ロイクは両親がいる手前抑えているのだろうか今にも舌打ちしそうな顔をした。
話し合いはゲリーはすでに隠居しているが窓際の一人用の椅子に座り、その真正面にロイクが座る。
フィーはそのままターゲスの隣に座るものだと思っていたが「フィーはこっちね」とアイリスに腕を引かれて隣に座らされた。ゲリーから見て左側の長椅子だ。それに一同は一瞬目を止めたが何も言わなかった。
アイリスと対面する形でターゲスが座り、アイリスの侍女がお茶を淹れて部屋から離れるのを確認すると、ゲリーは口を開いた。
「ロイク、領地の管理を完全に手放すそうだな」
「えぇ。文官資格を持つのがほとんど協会にいない私しかいないのは問題でしょう。それに今後カレンデュラの名前だけで動かすのは難しくなってくるはずだ」
以前アイリスが言っていたことと似たようなことをロイクが答える。
「そうか。私は既に引退した身だ。それについてはお前に任せる。……だがこれだけは確認させてくれ。孤児院を手放すというのは本当か?」
その声は信じたくないという感情がにじみ出ていた。ロイクはカップを一度口に付けると肯定の言葉を告げた。
「手紙に書いた通り、孤児院は協会に管理を任せるつもりです」
「それは、お前は子供達を捨てるということか?」
ロイクは眉を顰める。アイリスも険しい顔を浮かべているのでフィーも不安になるが、その間ターゲスは茶菓子を口にしながら様子を伺っている。呑気にもほどがないだろうか。
「捨てるとは言ってませんよ。我が家だけでは守れなくなる日がくるからそうしただけです」
「ただでさえダリアが死んでから母親と呼べる者がいないというのに、父親までいなくなったら子供が不安がることが分からないのか?」
フィーが硬直する。ロイクの妻になれば孤児たちの母親役になるのは分かっていたが、今になって責任が重くのしかかる。
フィーには現在アネモネとシオンという二人の実子がいるが軍の施設で保護されているし、再会した時フィーは彼らから母親と呼ばれるのを拒んだ。そんな自分に母親役が務まるのだろうか。
「だいたい五年前の時もそうだが子供から目を離す親が何処にいるというんだ!今回も教会に脅されたなら軍にでも助けを求めればよかっただろうに!」
五年前というとフィーとウォルがロイクに拾われた時のことだろうか。
隣にいたアイリスが手を取ることで自分が震えていたことに気付いた。アイリスの方を見れば彼女は頷く。大丈夫だと言っているようだった。
「言いたい放題言わないでいただきたい。それが出来なかったから俺は前に出たんです。それに教会のことは貴方がよくご存じのはずだろう」
「ならばなぜこちらに連絡をしなかった!?私たちはガーベラからの連絡が来てようやくその事態を知ったんだぞ!」
「二人ともいい加減にして頂戴!ターゲス卿とフィーがいらっしゃってるのにいい歳した大人二人がそんなに声を荒げてどうするつもりですか!」
アイリスの一喝で言い争っていた二人は一瞬で鎮まる。
気前悪そうに目を逸らす様子が親子だなと思う。「だいたい……」とアイリスは右手を額に当てると呆れた顔をゲリーに向ける。
「ゲリー、貴方もフィーに責任を背負わせるような言動をしないで頂戴。この子は五年前にロイクが家出先で保護してくれなきゃ最悪死んでいたの。それにダリアのことを多少なりとも気にしているのよ?」
「ぬ……」
「ロイク、貴方はもう少し婚約者を尊重しなさい。ダリアの時も似たようなことがあったでしょう。今回の件も貴方はろくにフィーに手紙を寄こさなかったみたいじゃない。対してリナリアは知ってたみたいだし」
「は、母上……」
「どうせまだカレンデュラ家の人間じゃないからとか、学院に復帰したばかりで勉強が忙しいだろうからって変に気を遣ったつもりなんでしょうけど、何も知らないところで事が進めば不愉快になるのは貴方も同じでしょうに」
ロイクのその様子では図星だろう。ロイクがアイリスを苦手としている理由が何となく分かったような気がする。
リナリアは今軍の管轄である病院で手伝いをしているとウォルから聞いている。本来なら自分よりも忙しいはずだ。フィーも無意識にロイクを睨み上げてしまった。
「だが俺は子供たちを捨てたつもりはない」
「しかしお前は」
「お三方、一度認識のすり合わせをしたらどうか。私は『管理』という言葉がどうも引っ掛かる」
今まで無言だったターゲスが口を開けばその場が一斉に彼に向く。しかしターゲスは「これは美味いな」と呑気に自分の茶菓子を平らげ茶をすすっていた。
アイリスは慌ててお茶と菓子のおかわりを近くに置いてある台車から出そうとするがゲリーはお構いなくと手で制する。
ターゲスの人柄を理解しているフィーとロイクは変にマイペースなところがあるターゲスに呆れているがゲリーとアイリスは困惑していた。
ターゲスはお茶を飲み干せば、「私が見るからに」と話を続けた。
「ゲリー殿と夫人はロイクが孤児院を邸ごと協会に下賜し、ロイクはカレンデュラ邸から出ていくと思っているようだが、お二人はそう思っていることで間違いないだろうか」
ゲリーとアイリスは座り直しながらお互いに顔を見合わせるとターゲスに頷く。ロイクはそれに驚いていたが、ゲリーはそんなロイクに向き直った。
「ロイクはそれで間違いないか?」
「違う。そしたら俺は路頭に迷うだけだ」
もしロイクが路頭に迷っても案外しぶとく生きそうだ。それはロイク以外の全員がそう思ったようだがロイクは説明を続けた。
ロイク曰く、今まで孤児たちはカレンデュラ家の所有物という扱いで、孤児院と言う名前も便宜上そう呼んでいただけで、施設としては存在しなかった。国からもらっていた補助金も領地の運営費という建前で渡されていたのだ。
ゲリーが腹を立てたのもそういう事情があったからだろう。
なのでロイクはそれを今後施設として正式に設立するためにまずは孤児院の管理者を協会に変えようとしているだけだそうだ。
「本来、孤児院の子供達はカレンデュラ家の所有物という立ち位置だったから守れた。しかし今後は我が家の名前だけで子供達が守れると思うか」
「む……しかし……」
孤児達もカレンデュラ家で育てられたという実績があるから比較的仕事を見つけやすかったのだそうだ。名前だけでも貴族が後ろ盾なのだ。平民の中ではそれだけで心強い。
しかしカレンデュラ家が領地を国に返還すればその立場は完全に平民と何ら変わらなくなる。
「だがお前はどうするんだ。あの邸も多くの子供を受け入れるために造ったものとは言え……」
「周囲の土地ごと全て協会に売る。その金で孤児院の隣に新しく土地を買うつもりだ」
カレンデュラ邸の周囲はほとんどが森だしその森も一定の範囲までは全てカレンデュラ家のものだ。
だからその所有している土地を一度全て協会に売り払い、その金で孤児院からそう遠くない場所の土地を一部買戻し、そこに新たな本邸を建てて生活する予定だそうだ。
その後はロイクも本邸と孤児院を行ったり来たりする生活を送るつもりらしい。面倒にはなるがカレンデュラ家の所有物が孤児院から無くなるので、一部改築すれば受け入れられる子供達も増えるだろうとのことだ。
ロイクの説明にゲリーの身体からは力が抜け、アイリスは安堵の息を漏らしていた。
「これは説明が足りないロイクが悪いな」
「勘違いするのが悪い」
ターゲスの茶化しを一蹴したロイクは茶で口を潤していた。
お茶も大分冷めているだろう。話も落ち着いたのでフィーは外で控えているであろう侍女に淹れ直してもらおうと腰を上げたがアイリスはそれを断り、彼女がその場から呼べばすぐに新しいお湯の入ったポットが運ばれ、淹れ直してくれた。冷める頃合いだろうと思って温め直したものを用意していたらしい。
「そういえばターゲス卿、お菓子お気に召してくれたかしら?」
「あぁ、とても美味だった。あとでフィーに教えて欲しいくらいだ」
(私が作るんだ……)
ターゲスは案外スイーツが好きだ。たまにフィーが作れば喜んで食べてくれるし作ってくれとフィーに強請ることもある。
買えば良いのにと思ったこともあったがあの図体だから店に行くのも憚られるしそれは彼の部下達も同様だろう。それに貴族だけでなく軍人でも立場が上になればなるほど毒見が必要になるためフィーが作ってくれる方がその手間も省けるから楽なのだそうだ。
フィーの中で筋肉バカな小父さんというイメージが定着してしまったターゲスでも、そういう話を聞くと彼が軍のお偉いさんなのだということを自覚させられる。
「まあ!フィーもお菓子を作るのね」
「簡単な物なら作れます」
「そう?なら今度一緒に作りましょうよ。折角だしお二人とも御夕飯はいかがかしら」
「そうだな、私も歓迎しよう」
ゲリーも歓迎してくれたがアイリスの押しに負けたように見える。ターゲスが頷けばアイリスは「なら準備しに行きますね」と言って部屋から出て行った。
折角だし手伝いに行こうかとフィーも立ち上がったが「お料理はまた今度ね」と断られた。なんとなくあの空間に居たくなかっただけなのだが逃げ場を失った。フィーはこの短時間で自分がアイリスに懐いていた事に気付く。
去り際にアイリスは茶目っ気たっぷりに片目を閉じていたが、ゲリーはそれで何か察したようで「察しが良いのも考え物だな」と小さくため息を吐いたのだった。
―――
姉さんと初めて会ったのは十三歳になって母上たちの元から離れた時だ。
周りが姉さんと呼ぶから姉さんと呼んでいるけど、あまり姉という認識は無かった。
姉弟だと言われても何百年も歳が離れているし、幼少期一緒に暮らさなかったからいまいち。
中には兄弟で番になる者もいるくらいだから他の兄弟も似たようなものだろう。
自分にとっての兄弟は幼少期共に過ごした口うるさいニンファーやうじうじしたパパルナ辺りだった。
姉さんは記憶力が良い。
大勢いる兄弟全ての顔と名前を覚えていた。
海に行った兄姉達の存在を唯一覚えていたのは姉さんだった。
姉さんはどこかで聞いたことのある伝承を一言一句諳んじて見せたこともあった。
姉さんは何でもできる。
手先が器用で飲み込みが早く、その能力も高い。
教えるにしても人に合わせて言葉を変えて指導してくれた。
だけどよく一点をじっと見つめていることがあった。
姉さんは色んな事を抱え込む。
以前はその性格も相まって里を作ろうとした時、全て自分でやろうとしていたとエライアーが言っていた。
子供のころの姉さんを知っているカマイメーロンが少しだけ羨ましかった。
姉さんは好奇心旺盛だ。
己の欲にも忠実で、熱中すると数日くらい引きこもることもあれば数日里を不在になることもある。
その情熱的は良いと思うが、何日も飲まず食わずで引きこもったり、身なりがボロボロになるまで歩き回ったりとある意味不規則な生活をするのはどうかと思った。
こういう時に叱るのはカマイメーロンの役目だった。姉さんは一番年の近いカマイメーロンの言うことは聞いた。
常に控えているんだからお前も進言すべきだとパパルナに言ったが、彼女は畏れ多いからと何もしなかった。
姉さんは誰からも慕われる。
人間と兄弟の橋渡しの役目を持っていた。
特にニンファーは幼い頃からよく母上の目を盗んで里に出向いて会っていたようで、その分姉さんに懐いていた。
海で暮らすようになってからある程度マシになったと思ったのに、その執着心は年々強くなっていた。
離れて暮らしている分一層寂しいのだろうと姉さんはいうけど、孫までいるのに姉を求めるのはどうかと思った。
甘えるのはよせと言っても「ダフニも人のこと言えませんわ」と言ってくる。
心配だからついてきて何が悪い。
姉さんは父さまと仲が良い。
だけどあまり二人が母さまの話をすることはなかった。
母さまは一体どうしているのだろう。
姉さまは母さまに会わせてくれない。
父さまもあまり私たちを母さまに会わせようとはしなかった。
そのせいか里の外には、あの山に入ると二度と帰ってこれなくなるという噂があった。
自分たちは山から来たのだ。これらの噂は眉唾ものだと思った。
姉さまは泣いていた。
母さまが麓の里に降りてきては自分の死後の始末について頼みに来た。
その後母さまと姉さまが何の話をしていたのかは分からない。
私は母さまに会えて嬉しいという感情はとうに失せていたが、姉さまは泣くほど嬉しかったのだろうか。
姉さまは冷静だった。
その静かな表情の下に何を隠していたのだろう。
パパルナがエライアーの背中に終始隠れていたくらいだ。なにか強い感情でも秘めていたに違いない。
姉さまは私達を裏切った。
パパルナが失踪したのをきっかけにエライアー、イーリス、カマイメーロンと死んでいった。
原因は母さまの血肉を食べた代償だというが、姉さんがカマイメーロンに手を出したところを目の当たりにしてしまった。
許せない。すぐに攻撃をしたが反撃されあっけなく自分は姉さまの手によって身体を封じられてしまった。




