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追想の愛は誰の為に  作者: 伊藤猫
第五章 わたしの檻
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6.気分転換



 外国からの侵略が来て一ヶ月が経とうとしていた日。

 ロイクの母であるアイリスからお茶会のお誘いが来たのでゲリー夫妻の家に訪問することになった。

 ちなみにウォルも誘ってみたが別の任務があるらしく断られた。ウォルの先輩にあたる兵士や騎士も護衛として付き添う予定なのでプライベートで行くのは気まずいというのもあるのだろうが、やはり最近のウォルはそっけない。

 どうやらウォルは退院してから休む間もなくターゲスの仕事に付き添う頻度が増えたようで二人一緒に家に帰ってくるようになった。おかげで筆頭側近であるクライアンは多少の余裕が生まれたらしい。

 無理して今度は過労で倒れなければいいが大丈夫だろうか。


 乗り慣れた馬車に揺られながら外の様子を眺める。

 最近霧のようなしとしとした雨が多い。魔術道具があるので濡れることはないが湿気も多いので憂鬱に感じた。

 かつては女神の感情によって天候が左右されたが、この天気はどういう感情だったろうか。自分の感情だったのにこれに関してはあまり覚えていない。


 目的地にたどり着き、先に馬車から出た護衛に手を差し伸ばされるとフィーはその手を取って馬車から降りる。

 シャトーバニラにあるカレンデュラ邸を訪れるのは二度目だ。

 以前は主人が不在だったので入ることは出来なかったが改めて外観を見ると、その佇まいは少し小さいが旧カレンデュラ領の孤児院に似ている。それに建築してそんなに経っていないのか周囲の建物と比べて随分と綺麗に見えた。

 元々周辺は再開発中なのかところどころ建築中の建物があり、逆に取り壊し作業をしているところもあった。大雨ではないからか雨天の中でも活気づいているようだった。


 門の前で鳴らした呼び鈴に応じた中年の侍女が一礼し玄関の扉を開くと、中でアイリスが出迎えてくれた。


「会えて嬉しいわフィア。マーガレットの葬儀以来ね」

「はい、お久しぶりです」


 アイリスは元々商人の家の生まれだと聞いているがその振る舞いは貴族と変わらないのでついついフィーも畏まってしまう。

 フィーの中でゲリーとアイリスは良くも悪くも貴族らしい貴族だと思っている。普段は積極的に難民キャンプの中で汚れ仕事をするようだが、それ以外の振る舞いは貴族のそれと同じだ。


「そう堅くならないで頂戴な。今日はゲリーもいないから気を緩めていいわよ。今は託児所を見ているから」

「いえ、お構いなく」


 フィーはアイリスのことをよく知らない。ロイクは母親なのになぜか苦手意識を持っているようだったが。

 応接室に案内されると、後ろに控える侍女が淹れたての茶を出す。ガラス製のポットにはハーブだろうかたくさんの白い花が入っていた。出されたお茶をアイリスに倣って口にする。リンゴのような爽やかな香りがした。


「庭のカモミールを使ったの。ハーブは使用人の趣味で育てているのよ」

「へぇ、美味しいです」


 アイリスの斜め後ろにいる侍女が得意げに笑みを浮かべているので彼女のことだろう。主人であるアイリスとの付き合いは長そうだ。


「……綺麗な振る舞いね。教えてくれたのはガーベラやマーガレットではないわね?」

「孤児院にいた頃はおばあちゃん達からも教えてくれましたよ。……細かい指導は学院の同期が教えてくれました。『隙を与えたらその場で終わりなのですわ』って」

「ふふっ。良い同級生に巡り会ったのね。安心しました」


 それから背中から翼が生えたことや騒動の件について少し話を振られ、エイリース国が侵略してきた当時のことを互いに話したりと他愛ない会話が続いた。


 オルキデアが魔力暴発した時、王城の一部が爆破したこともあり街中がどよめいたという。

 王城は高い場所にあるが街の周囲から遠目で見える。しかも氷の魔法だったのであれは元皇女だったのではないかと噂されたらしい。本当のことだがフィーは念のため黙っておいた。

 しかもその日の深夜に王城の上空で戦闘が始まったり空に大きな魔術陣が展開されたり、街の城門がやたら騒がしかったりしていたようだが、外国から侵略されかけたという情報が庶民にまで伝わったのは遅く、二日後のことだった。


「でも案外公園にいる人たちは慌てて無かったわね。ほとんど野ざらしの生活だし、流れ弾に当たる可能性もあるかもしれないのに。それで聞いてみたのよ。そしたら『人間ならまだ話が通じるけど逃げている間に出くわす獣の方が怖い』ですって」

「へぇ……」


 それは意外だった。彼らが何年もあの場所でテント生活をしていたのは夜の獣に襲われる心配がないということもあるからだろうか。


「でも沿岸部で魔獣が放流された話を聞いた時は、魔獣のお肉が配給されるんじゃないかって、みんなよだれを垂らして期待してたのよ?流石に来なかったけど」


 クスクスと無邪気に笑うアイリスは少女の様だった。


「アイーシュでもありました」


 フィーが孤児院にいた頃に突然巨大猪が現れ、街の近くまで来ていたらしいがロイクが一蹴りして倒したのだ。流石に一発で仕留められなかったようだが、その後は近隣住民の協力もあってあっけなく終わった。

 その話を子供たちは楽しそうに聞いていたし肉は街に配給されたが、しばらくはアイーシュ街の肉屋では肉が売れず協会に苦情が来たらしい。


「あれのことかしら、ロイクが一発で仕留めたせいでお肉屋で閑古鳥が鳴いてるって手紙がガーベラから来たことがあったの」

「多分それです」

「手紙と言えば、ロイク、いえ。これはカレンデュラのお話かしら。実は昨日手紙が届いてね」

「何かあったんですか?」

「実は、ね……」


 楽しい話に花を咲かせていたのにアイリスは少し眉を下げ表情に影を落とした。

 アイリスの話によると、カレンデュラ家は完全に領地管理する役目から手放すことにしたらしい。


 フィーは今まで知らなかったが、協会にはカレンデュラ家と血縁のある者がそれなりにいるのだそうだ。領地内にいる富豪の平民に嫁入り婿入りする者がこれまでいたらしく、ゲリーの妹。つまりロイクの叔母にあたる者もその中にいるのだそうだ。

 ロイクはそんな親戚達と協会や今後のカレンデュラ家について話し合う機会を設けた。


 現在の旧カレンデュラ領は国からの干渉がほとんど無い。それは元貴族で文官資格のあるロイクが相談役とはいえ協会に籍を置いているからということもあるが、旧カレンデュラ領ではカレンデュラ家以外の貴族はおらず、平民達だけでその運用が完結していたからだ。


 本来なら領地運営をする管理者は、国が定める一定の階級の文官資格を持つ者が長にならなければならない決まりがあり、それはかつて貴族の家に連なっている者でなければ取得することが出来ない。

 なので協会においてロイクの立場は相談役となっており、税の管理などの指導を定期的に行うことで現状を維持していたが、それは現在の国の在り方からは若干逸れている。ロイクはそんな曖昧な立場から離れたかったらしい。


 以前ロイクはダリアが亡くなったショックで失踪したことがあった。フィーとウォルがロイクによって拾われた時だ。

 その時はマーガレットからの説教を甘んじて受けるだけで終わったが、今回の件でまたロイクに何かあった時、ロイクの代理で指揮ができる者が必要だと再度認識したのだそうだ。


 しかし今後協会にカレンデュラ家の庇護が無くなり、この土地の将来が国の行く末によって左右されやすくなることに微妙な顔をする者も多く居た。

 旧カレンデュラ領の領民はかつてのロイクが行っていた政治が強引だったこともあり良い感情を持っていない。それでも他の元貴族よりはマシだとでも思っていたのか、領民がカレンデュラ家を蔑ろにしなかった。

 それはカレンデュラ家に他領の元貴族から守ってもらう為でもあったので、ロイクというよりもカレンデュラ家が協会から離れることを嫌がったのだ。


 だが貴族制は廃止され、文官資格を取得する試験は誰でも受けられるようになった。しかし彼らは貴族同然の立場になることも彼らは嫌がった。彼らには既に今の生活があるし余計な役目を受けたくないのだろう。

 かと言ってまだ若いリナリアに任せられるのかという疑問もあった。実際彼女は今、軍人としてシャトーバニラにいるし経験も浅い。しかし国の文官資格を持っている者が、協会でほとんど仕事をしていないというのも問題があることは彼らは十分理解していた。


 その結果、協会は他領でいう『ギルド』と同じ立ち位置に下がり、その組織は残しつつ領地の管理は国に完全に任せることになった。平民同士のことは協会で、領地のことは国に完全に任せることにしたのだ。

 ということでカレンデュラ家は協会ごと完全に領地運営から手放し、今後やってくるであろう国の文官に運営を託すことにしたという。


「どうして今そんなことを……?」


 むしろ今は他国からの侵略で警戒しなければならない状況だ。旧カレンデュラ領は内陸の領地なので直接関係ないのだが、放流された魔獣は駆除しきれていないし、今後領地に侵入されないとも限らない。

 問われたアイリスは自分の頬に手を添え、困った顔を浮かべた。


「表向きは国の意向に従う為だけど、ロイク、どうやら疲れちゃったみたいで」

「え……?」


 この前までカタバミと楽しそうに解呪や魔術について話をしていたではないか。これからも研究する気満々だったと思っていたのだが。


「事情は会って話すって言うばかりで私にも分からないわ。でも水晶で見た限りではそんな雰囲気があったわ。フィー、何か知らない?」

「……ごめんなさい、分かりません」


 アイリスはロイクの正体を何も知らないし、フィーが女神の生まれ変わりであることも混乱を防ぐ為にも秘密にして欲しいとターゲスからは口止めされてしまった。

 最後会った時は呪いについて解呪するために意欲的だったから、疲れたというのは納得できるがだからといって領地の管理を手放すまでとは聞いていない。


「いいのよ。でもゲリーもちょっと気が立っててまたアイーシュに帰る気満々で」

「それは……大変ですね……」


 隠居しているとはいえ自分の意見を求めず進めてしまったことに腹が立ったのだろう。しかしまだ二人とも元気そうだが年に何度も長旅をして体力的に大丈夫なのだろうか。


「んー、でももう昨日からロイクが王都に向ってるからそれまでヤキモキしてるみたい」

「え、ロイクがシャトーバニラに来るんですか?」

「えぇ、そうよ。国への報告義務はロイクにあったんだからロイクが行くのが筋よね」


 確かに文官資格を持っているのがロイクしかいないのであればロイクが行くのが筋だ。きっと先代当主であるゲリーに報告した後そのまま国に返還手続きをするのだろう。


「それに孤児院も協会に管理の権限を渡しちゃうって決めたみたいで」

「それでいいんですか!?」

「私は否定も肯定もしないわ……でも子供達のことはちょっと心配ね……それにゲリーにとっては生まれた家だしね……」


 これにはゲリーもご立腹になるはずだ。孤児院にはロイクを父と呼び慕う子供もいるのにその子供達も捨てるのかとフィーも憤りを感じる。

 建物についても、あれは先祖代々の思い出が詰まっている家であるはずだ。しかしその邸まで手放すなんてロイクはこの先どうするのだろう。


「それでねフィア。これを貴女に話したのは、一度ロイクと婚約を破棄したらどうかと提案したかったからよ」

「……!」

「手紙が昨日来たばかりだから話そうか迷ったけど、ロイクの意志も固いようだから……貴女が今のロイクと添い遂げるつもりがあるならそのままでもいいけど、貴女はまだ若いから未来がある。すでに成人しているとはいえ学院卒業してすぐ結婚して家庭に入るのはもったいないわ」

「もったいない、ですか……?」

「そう。色んな経験を積んでからでも遅くないと思うの」


 聞けばアイリスはゲリーと結婚するまでは実家の商会で商人として一人で店を切り盛りしていた時期があったらしい。

 ゲリーと結婚したことに後悔はないが、あの時間もかけがえのない楽しい思い出だったという。

 今までは家のこともありロイクの今後も考えてフィーとの婚約はアイリスも純粋に喜んだが、カレンデュラ家を実質解体させるような選択をしたロイクにわざわざフィーが付いて行く必要もないと考えたのだそうだ。


 しかしフィーはその提案に困惑した。いや卒業後ロイクと結婚する未来を今まで想像できていなかったことを突き付けられたような気がした。


「……」

「今すぐ決めろとは言わないわ。でもこういう選択ができるのも今のうちだと思ったのよ。最近まで色々大変だったのは重々理解してるわ。

 でも女は結婚すればやりたいことも一気に制限されてしまう。主人が家を手放せばその生活は厳しいものになるわ。やりたいことももっと制限されてしまうでしょうから……」


 アイリスの言いたいことは何となく分かる。ロイクが財産を手放した後の生活を心配しているのだ。


「本当に、ロイクで良いのか考えて欲しいんですね」

「……私は貴女のことも好きだし、正式に娘になっても構わない。だけど現実を見ることも必要だから……ロイクがいる時に貴女もロイクと話しが出来るように調整出来るかしら」

「ありがとうございます……」


 アイリスの気持ちも分かる。しかし自分はどんな気持ちでロイクと会えばいいのか分からなくなった。



―――



 アイリスとのお茶会を終え、軍の敷地内にある自宅に帰るとまだ昼なのにすでにターゲスが帰ってきており、庭で練習用の大剣を使って素振りしていた。半裸なので汗で筋肉が光っていてまぶしい。

 ターゲスに割り当てられた寮は一軒家だが敷地を囲う柵はないので庭の中は外から丸見えだ。柵がない理由は全てターゲスがトレーニング中に吹き飛ばしたからだという話を聞いたことがあったが、実際彼が大剣を振るう時の風が凄まじいので本当だろう。

 魔術の研究のために育てる植物を庭に植えるのではなく鉢植えにして室内に置いたくらいだ。おかげで秋は落ち葉の掃除が楽なのだが。


「おぉ!フィー帰ってきたか!」

「ただいま帰りました。早いですね」

「今日は早めに切り上げたんだ。どうだった。アイリス夫人とは」


 フィーは苦笑しながら「色々聞きましたよ」と返す。ターゲスは大剣を降ろし汗をぬぐいながら「風呂に入る。後で少し話をしよう」と大剣を庭にある倉庫掃除用具入れに仕舞いに向かった。

 一体何の話だろうと思いながらフィーはお茶を淹れるために湯を沸かし始めた。


 薬缶の湯が沸いた頃、汗を流し切ったターゲスは軍で支給された戦闘服でリビング兼応接間の長椅子に座ると、隣にある一人用の椅子に座るようフィーに促した。

 ターゲスというより旧王都にいる軍人は全員いつでも出動できるよう、非番でも出かけることが無ければ軍から支給される戦闘服で過ごしており、寝る時もその恰好だ。

 フィーは慣れてしまったが、彼らが戦闘服で寝ているのに自分が普通の寝巻に着替えるのが時々申し訳なくなる。


 ターゲスは豪快な態度で振舞うことが多いが、軍の中で一番規模の大きい第一部隊をまとめるくらいだ。なんやかんや理知的な性格である。

 こうして真面目に話をするのは何度目だろう。フィーが成績不振で留年寸前になり学院から保護者へ通達された時以来か。いや最近軍本部の建物内で話したばかりだった。おかげでフィーのカップを持つ手が汗で湿る。


 ターゲスは目の前にあるマグカップに淹れた茶に砂糖を入れ混ぜ、何口か飲むと話を切り出した。


「ロイクが王都に来るのは聞いてるか?」

「……はい。領地の管理から手を引くって」

「そうか、私も先ほど本人から水晶で聞いた。俺の仕事の範疇ではないが」


 ターゲスが担う仕事ではないのにターゲスには連絡するのだなと思った。


「どうした、拗ねたか?」

「いいえ。……ですがゲリーさんはそれよりもロイクが孤児院からも手を引くことに怒ってるみたいです」


 ターゲスはそれには初耳だったようで一瞬手を留めた。それを見逃さなかったフィーは内心得意げになる。

 本来他の旧貴族家だったら気に留めることでもないだろう。本来なら出資するしないの問題だからそこで動く金の方に気を留める。自らの手で他人の子供の世話をすることはしない。

 それなりにカレンデュラ家のことを知っているターゲスは「それは本当か?」と怪訝な目でフィーを見るとフィーはそれに頷いた。


「ゲリー殿には会わなかったのか」

「アイリスさんは私と二人で話をしたかったみたいで。それでその……婚約を破棄したらどうかと言われました」

「だろうな……夫人も君を含めて、色々心配なんだろう」

「……」


 アイリスは将来フィーからすれば姑、義母になる予定の相手だ。

 婚約すると報告した際の彼女の顔のにやけようはよく覚えていたため、そんな彼女から破棄を提案されることに驚いたが確かに領地を手放す者に嫁ぐ娘を案じるのは自然だろう。

 ターゲスは一瞬考える素振りをしたがフィーに問いかける。


「それで君はどう思った」

「正直……ちょっと困りました」


 それにアイリスから破棄を提案された際、真っ先に浮かんだのは今は軍に隔離されている自分の子供二人だ。フィーが学院を卒業したら二人は正式にフィーの子供として迎え入れることになるが、アイリスはそのことを知らないから提案してくれたのだろう。

 実際ロイクが孤児院を手放した後どうするのかを知らない。アイリスはロイクが疲れたとかなんとか言っているがロイクだけに任せられない状況になってないだろうか。

 考えれば考えるほど将来が暗くなってきたことに頭を抱える。


「学院でも研究室を変えようかなって考えてたところだったのに……」

「……呪いのことか。アレはほとんどロイクとソーレルが進めてしまっているからな」

「はい……」


 フィーが学院に通う理由をターゲスは知っている。しかし結局自分が努力し手身に着けた知識は必要なさそうでやるせなさを感じた。


「そもそも私、呪われてるか確認してないです」

「確認できるのか?どうやって確認するんだ?」

「……分かりやすいのは外に……海に出て一定の距離まで沖に向かうと女神だけが透明な壁に阻まれるんです」

「ならば明日にでも行くか?海に」

「へ?」


 ターゲスのあっさりとした態度にフィーは拍子抜けした。

 墓参りですら準備が必要なのだから無理だろうと考えていたのだ。思わず「冗談ですよね?」と聞き返す。


「ははっ!冗談な訳があるか。俺とて思い切り羽を伸ばして息抜きがしたいと思ってたんだ」


 確かにターゲスのその大きな翼はいつも窮屈そうだが、ターゲスはもう第一部隊の大隊長ではない。先日軍の最高司令官の役職を正式に任命されたばかりだ。そんな立場の養父が用意に軍の敷地外に出て行っていいのだろうか。


「フィーの護衛は私がいる。まぁなんだ、しばらくウォルばかりに構ってばかりだったからな。それにそろそろフィーも飛び慣れたんじゃないか?」

「え?」


 つまり飛んでいけば賊に襲われる可能性は低くなると。しかし拳銃などで撃たれたらどうするのだろう。それにフィーは長時間飛行したことがない。魔力は持つだろうか。

 ターゲスも一晩で王都からアイーシュまで飛んでいったことがあるらしいが、それは筋肉が成せる技だからだろう。流石に途中で陸地に降りて休んだりしたはずだが。

 それに各領地にあるシールドは魔力に弾かれるからフィーは海に行く前に違う壁に阻まれる。それはどう回避するのだろう。


「安心しなさい。それにちょうどいいと思っていたんだ。各所には連絡を入れる。流石にウォルは今回は留守番だがな」

「え、でも」


 ターゲスは立ち上がり台所に向かう。フィーはそれを駆け足で追いかけた。


「フィーは人数分の昼食を用意してくれればいいさ。材料は……あるな。人数は後で連絡しよう。ちょっと非番の者達を招集してくる」

「は?え、待ってくださいターゲスさん!?」

「ははは!!夕飯には帰ってくる!」


 庭への扉を開けると暴風を上げてあっという間に飛んで行ってしまった。

 それから夕方頃に来た家政婦兼寮母のヒヤシンスはターゲスから自分らを含めた十人分の弁当が欲しいという伝言と追加の食材を持参してきた。

 何かを察したヒヤシンスはその日の夕飯と共に明日の弁当の下ごしらえを手伝ってくれたのだった。

 ちなみに今夜のターゲスの夕食はパンとスープだけにしておいた。健啖家のターゲスには少ないだろう。



―――



 次の日、早朝からターゲスに連れられて来たのは軍管轄の研究所だった。

 軍の研究所は武器の研究や魔術の開発を行う部署だ。フィーは先日魔獣を見に行ったばかりである。

 研究者たちはフィーを見て「また君か」と言わんばかりの顔を向けていた。日曜日の朝に突然駆り出されて申し訳ないとは思っている。文句はターゲスに言ってくれ。

 フィーは待っている間急遽駆り出された護衛から色々話を聞かされたりしながら転移陣の準備を眺めていた。


 向かう場所は旧パイン領の灯台の下だ。以前フィーが魔力を注いだ場所である。アコナイトの家が管理している領地でもあるので転移場所として協力してくれるのだろう。


 結果としてフィーの魔力で転移することは出来たが、その後魔力不足で軽く眩暈がした。予め作っていた魔石がなければ危なかっただろう。

 他の者達は魔石の力で転移するらしい。はじめからそうすればよかった。


 そして転移した先でフィーは潮風に当たりながら真っ青な水平線を眺めた。


「これが海……」

「朝の海を見るのは初めてだったか」

「はい」


 後から来たターゲスが後ろから声をかけてきた。彼らも問題なく移動できたようだ。

 ここからでは見えないが、水平線の先にはまだエイリース国の船がいるのだそうだ。エイリースはメイラから見て南の国なので南東にある旧パイン領は襲われやすい地域にあり、実際魔獣の被害と討伐した後始末で奔走してる農民や兵士がちらほらいた。

 エイリースはまだメイラ国を侵略しようとしているのだろうか。


「こんな状況で海に出て大丈夫なんですか?」

「本来なら直接飛んで確認したかったんだが、あちらの国だけじゃなく自国の海軍にまで怪しまれるからな。だから最初は海軍の巡視船に便乗する予定だ。途中から船の近くを飛行して確認したあと、飛んで陸へ戻ろう」

「分かりました」


 灯台から少し歩いた場所に港が見えてきた。灯台から歩いて行ける距離にあるとは思わなかったが、軍が所有する港だからだろうか、港を初めて見るフィーでもどこか物々しく見えた。

 その中で複数人の兵士が作業している船が何隻か見えてきた。あれがこれから乗る巡回船だろう。


 表向きは以前シールドを張った場所の水質調査の視察と灯台にある礎の調査だ。元々シールドを張った後の魔力含有量を継続して調べていたのでターゲスとフィーはあくまでその見学として参加している。

 そんな中で学生用の戦闘服を着た部外者の自分はかなり浮いていると思ったが、ターゲスの方が目立つことに気付く。

 若くして最高司令官となったターゲスが気になるのか船に乗る直前も人がわらわらと集まっていたくらいだ。皆の視線は自分の養父に集まっているだろう。

 ちなみに昨日ターゲスが頼んだのは護衛と研究員も含めた分だったらしい。大食いである兵士基準で作ったので量が多いかもしれない。


 はじめは緊張していたが、フィーとしては初めての海に船なので物珍しさで色んなところに視線を彷徨わせていれば、ターゲスの側近兵が気を利かせてくれたのか海軍の騎士が案内がてら船内を色々説明をしてくれた。

 ちなみにこういう時必ず側にいるはずのクライアンは珍しく本部で待機だそうだ。


 いつの間にか案内されるがままになっていたフィーはシールドが張られていた境界地点まで船内見学を満喫してしまっていた。


 研究員によって水質調査が始まるとフィーはターゲスと複数の護衛達と共に飛んで周囲を回る。あくまで更に沖を進める船に付いて行く形だ。

 旧王都では特定の場所以外で空を飛ぶことはできない決まりとなっているので、こうして伸び伸びと飛ぶのは久しぶりだった。

 しかしかつて女神だったころに思い切り顔面を強打したことを思い出し、フィーは慌てて顔面を片腕で守った。

 とはいえ女神だった頃は一人だったから分からなかったが、女神が通れない壁は陸からどれくらいの距離にあるのだろう。

 船から離れ、上空へ上がれば水平線の上に戦艦が小さく三隻ほど見えてきた。エイリース国の船だろう。ターゲスの方を見れば大丈夫だと頷き、下の船へ合図を示す。


 だがこちらからあちらの船が見えた以上、これ以上沖へ向かうのは無理だろうなと思った途端、己の腕ではなく頭の(ツノ)が何かにぶつかった。


「~~~~っ!!??」


 フィーは頭にある角の根本をさすりながら陸の方に視線を向けるがまだまだくっきりと島が見える。シールドの境界線からもそう遠くない。もう一度沖に向かって手を刺し伸ばしたが見えない壁に阻まれて向こう側に行けない。

 フィーの異変に気付いたターゲスは、フィーの周りを大きく旋回しながら魔術道具越しにフィーへ呼びかけた。


「フィー!どうした!?」

「これ以上無理です!」


 ターゲスはそれだけで通じたようで、周囲の護衛に向って合図をすれば彼らも旋回して二人の様子を伺っていた。


「分かった。もう少し上空へ向かってから翼をひっこめろ!」

「はぁ!?」

「俺がお前を抱える!このまま近寄ったら吹き飛ばされるぞ!」


 ターゲスは落ちてくるフィーを受け止めるつもりのようだ。フィーはターゲスを信じて更に上空へ上がり、そのまま背中の翼を引っ込めると一気に体は急速に落下する。

 その二秒後に浮遊感を感じると目の前にターゲスの顔があった。


「おう、よく頑張ったな!」

「容赦ないですね……」


 フィーはターゲスに抱えられた状態で壁を越えられないか試したが今度はターゲスごと壁に阻まれた。


「ほう、これは面白いな」

「楽しまないでください!角が痛かったんですよ!?」


 角自体に痛覚はないが根本に衝撃が響くので普通に痛い。ターゲスはそんなフィーを見て苦笑する。

 位置を変えて試したりもしたがフィーは一定の距離から出られないのは変わらない。

 ターゲスではなく別の護衛に抱えなおされ試したがやはり結果は同じで、用意した魔術道具を身に着けた状態でもその場から出られなかった。

 その後目線でその壁があるであろう場所から陸地への距離を測った後、一度船に戻り船員達に挨拶すると、共にいた護衛を連れて少し陸の周辺を旋回した後陸地に戻った。


「どうだフィー、気分転換にはなったか?」

「……息抜きにはなりましたよ」

「それはよかった」


 ターゲスは満足気ににかっと笑う。今回の件は少々強引だったがフィーなりに楽しめたと思う。

 出来ないとは思わなかったが自分が長時間飛べたことには驚いた。それに何も考えず飛んでみるのも悪くないと思えたから気分転換にはなったのだろう。

 島の外から出られない事実に今更悲観的になるつもりはないが、アイビーがアセビと出会う前のように、心のどこかで自分がもっと色んなところを見たいという気持ちがあったことに気付く。


 そんな気持ちで視線を灯台に移すとあることを思い出した。


「そうだ、ターゲスさん。灯台の地下に行けませんか?」


 今回の調査のなかに礎のことも含まれていたはずだ。

 以前見たのは【水】の礎でそこにはニンファー(水連)が眠っていた。この近くの礎は【火】の礎だから眠っているのはダフニ(月桂樹)だろう。オオトカゲの男だった。

 突然の我儘にターゲスはフィーを訝し気に見る。


「出来ると思うが、どうしたんだ急に」

「墓参りです」


 それだけ言えば分かっただろう。「聞くだけ聞いてみよう」と言ってターゲスは近くにいた自分の側近兵に問えばすぐに動いてくれた。案外言ってみるものだなとフィーは思った。



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