5.雨の匂い
カタバミが泣き晴らした頃には既に空が白じんでいて、そろそろ外に出ようとロイクが促した先では、カタバミの眷属であるクローバーが無言で一礼をしていた。
カタバミが使う転移魔術はカタバミの眷属がいる場所に転移できるものだったらしく、島のほぼ最北にある『北の神殿』近くからシャトーバニラに向かうのは案外容易かった。
海岸沿いでは上陸した敵軍との戦闘だったり敵国が放流した魔獣の討伐の影響で土地が大荒れになっていた。
王城で展開した大規模なシールドは一時的なモノだったらしく、たった一時間半程の時間稼ぎにしかなかったのだけれど、それでも各領地に通達する為の時間稼ぎにはなったという。
しかしその土地の守りが各領地に委ねられることになってしまったため、魔石や魔力の多い者がいる領地の被害は比較的少なかった代わりに、純血主義が根強い元貴族が管理する領地では魔力の少なさがより一層目立つ結果となった。
―――
真っ先に視界に入ったのは真っ白な天井だった。
その場でぼんやりと見渡せば左隣には薬品が入った管がぶら下がっている。
確か自分はあの枢機卿を殺して、でも自分が刺した枢機卿は偽物だった。しかもその後不意打ちで転送魔術だか収納魔術だかで現れた剣で背後から貫かれたのだった。
オルキデアもなぜか魔力暴発する寸前で、自分はもう死んだと思って……。
「かっ……!?はっ、あ……」
喉が掠れて声が出にくい。しかも少し動こうとすれば身体のあちこちが痛む。
看護婦らしき恰好をした女がそんな自分を見つけると慌てて自分の近くにあったらしい呼び出し専用の魔術道具に触れている。
それから自分の名前は分かるかなどの質問をされるが、自分が声が出ないことを察すると看護婦は水を持ってくると言って病室を出ていく。しかし、入れ替わりに入ってきた人間に自分は大きく目を見開いた。
「貴方本当、異常なくらい頑丈ね……」
ブートキャンプ中であるはずのリナリアだ。
一ヶ月見なかったうちに雰囲気が大分入学式よりも変化しているが、その灰色と青色のオッドアイを見てすぐに分かった。
息を上げながら水差しを持ってきた幼馴染は格好こそ軍事学校で支給される戦闘服だが、左腕には主に見習いが着ける黄色の腕章を身に着けており、日頃手入れしていたことによって真っ直ぐに保たれていた長髪も編み込んでまとめているが若干ぼさついていた。
トレードマークだった眼鏡をかけず、癖毛の前髪が左右に分かれたのも相まって、棘のある顔がはっきりと見えるが、その姿の方が以前よりも幾分かマシに見える。
なぜここにいるのかはこの数秒で何となく察することは出来たがなんだか戸惑う。情けなくとも起き上がらせてもらい、受け取った水差しから水を飲んで喉を潤すと、真っ先に聞きたかったことを言った。
「り、リナリア、フィーはどうした?」
水差しを隣の机に置くとリナリアはため息を吐きながら近くにあった木の椅子に座った。
「その前に、貴方はどうしてここにいるのか分かってる?」
「……腹を刺されたからだろ?それで、多分、魔力暴発に巻き込まれた」
なんでリナリアが眉を下げて悲壮に満ちた顔をしながら聞くのかが分からなかった。嫌な予感を抱きながらリナリアの話を促す。
「ウォル、貴方は一週間も昏睡状態だったの。後でお医者様が来ると思うけど、流石にあと数日は休養が必要よ。だって点滴以外何も口にしていないし筋力も落ちているんだもの」
「一週間!?それでフィーは?」
眉を寄せ首を横に振る。
「……分からない」
リナリアから聞いた言葉に自分はベッドから離れようと動くがリナリアは立ち上がり自分の肩を抑える。
「さっきも言ったけど貴方は病人。ここから動かないで!」
「そう言われたって動かずにいられるか!」
「だけど今の貴方は確実に魔力も血液も足りない。今の貴方が行ってもフィーを見つけることもできないし役立たずになるだけ」
「っ……!」
正論を突き付けられ言葉に詰まる。リナリアは座りなおした。
「どいつもこいつもホント馬鹿ばっか……」
「おいそれは――」
心外だと反論しようとしたのに止まる。視線を下げた彼女の両目は灰色に変わり涙を溜めていた。フィー達がリィと呼んでいた状態だ。
灰色になる時は決まって彼女から独特な魔力の匂いがする。虫よけ効果のある薬草や花や実を全て精油にして混ぜこんだような誰も近寄らせない匂いだ。
なのに今の彼女から感じる匂いには毒々しさを感じなかった。
「私は、守ることが出来ても、貴方みたいに戦えない。……誰かが死ぬのを見るのは辛い」
戦場が怖いのは当たり前の感情だ。誰だって死ぬことは怖いはずだ。
自分が刺されたのは感情をコントロールできなかった自業自得だ。それを言えばリナリアなら「油断して刺されるなんてとんだ間抜けね」と罵倒するだろう。
罵倒を求めている訳ではないが、こうしてしおらしくなっている彼女を見るのはなんだかやりにくい。
リナリアから手を握られ自分は思わず手を振り払いそうになるが、しっかりと掴まれる。あかぎれだらけの手は自分の手首を探り、脈を測るように握ってきた。
「俺はフィーがいるから戦える。本当は俺だって死にたくない」
「自分で真正面に進んで刺されに行ったくせに死にたくないですって!?」
リナリアのその表情はどこか見覚えがあった。自分の母親だ。家族の目を盗んでは村の外に出て兎を狩りに行ったことがある。でも森の奥深くに入ってしまい道に迷い帰ることが出来ず、めそめそしていたら村の大人たちに見つかった。母親からはげんこつを食らうかと思ったら涙目で抱きしめられたのだ。
少し視線をずらせばリナリアの後ろにいつの間にかやってきたらしい医者がカーテン越しに様子を伺っていた。
「リナリア……」
「貴方がフィーの為に戦うのは知ってるわよ!でも貴方がフィーのために傷付いたらフィーがどんだけ悲しむか分かってるの!?もうあの子のために勝手に行って犠牲にならないでよ!死ぬなら自分のために死ね……!」
顔をベッドにうずめる彼女と握られた手を見て自分は、なんだか悪いことをしている気分になった。人のことは言えないがコイツも不器用にも程がある。
「その……悪かった」
―――
メイラに侵略してきた中立国もといエイリース国から提示された停戦条件はエイリース国の属国に入ることだった。それに対して同じく長年中立を保ってきたメイラ国側はもちろん反対した。
エイリースはメイラにある魔石を求めていた。あちらの国も十年ほど前に隣国が戦争をしていたために魔石が不足していた。しかしプランツ教の影響下にあったエイリースも魔石の管理はプランツ教が行っていたようだ。
エイリースは魔石を独占するプランツ教に長年魔石の価格交渉をしていたようだが、ある理由で魔石の枯渇が著しくなりとうとう武力行使に出ようとしていた。
対するプランツ教はエイリースの動きを警戒していたと共にメイラでの権力が削がれることを危惧していた。
プランツ教は「メイラは魔石が多くそのほとんどを国が占有しているのだ」とエイリースを唆すことで、エイリースの怒りの矛先をメイラに向けさせることで発散させ、ボロボロになった島の中で、己の権力を復活させようと考えていた。
なぜエイリースの魔力が一気に枯渇したのかといえば、エイリースの東隣には竜信仰の厚い国があり、その国が十年前にエイリースのと敵対していた南隣の国に加担したからだ。その戦争で目立ったのは竜人族だったという。
女神とは違い本物の竜から生まれたという竜人族は総じて魔力と肉体が強く、生まれ持った魔法に違いはあれど、基本的に全ての属性の魔術が使えることもあり一人一人が圧倒的な戦力を誇っていたために南隣の国は戦争に勝つことが出来たのたそうだ。
そのためエイリースは竜人族を積極的に起用して強化している隣国を恐れ、それに対抗するための戦力を欲するために魔石を欲しがったのだそうだ。
この侵略が始まってから二日後、マグノリアは議員や軍の関係者らが大勢集まる場で本人が今まで歴史に葬られていた教祖マグノリア=ソーレルもといカタバミの存在と自らの罪を話した。
マグノリアの隣で黒い衣装を着ているカタバミの存在感は異質だった。
少女の姿をしていたので中には即興で仕立て上げた教祖ではないかと疑われていたが、カタバミが自らの髪の毛を一瞬で魔石に変えたり、自らナイフを腕に突き立てた後すぐに傷を回復させるなどの見世物をしたことで周りは信じざるを得なかった。
カタバミ本人の口からは何故この国で全ての属性の魔術が使用出来るのかの仕組みと経緯の説明、そして魔石が生成する教会の秘儀の存在を明かした。
処刑された皇帝やモス=オーキッドの肉体が死後残らず魔力核だけが残った理由も説明されれば、信じられないと疑う者も多くいたが、同じく壇上に立ったオルキデアの腕に刻まれた蘭を象った魔術陣とそれに反応する王笏を見せれば彼らは驚愕の目を向けていた。今まで行方不明になっていたレガリアをオルキデアが手にしていたからだ。
王笏は皇帝の座に返り咲くために手にしたのか、なぜ今まで言わなかったのだと野次が飛ばされたが、「王笏の保管場所を伝え、手にしろと言ったのはワシじゃ」とカタバミがオルキデアを庇った。
歴代の皇帝や皇位継承者に刻まれたその印は一部の皇族にしか使えない魔術を使用する代わりに死後肉体を魔石に変えるものであり、その魔石は誰も封じられていない【闇】の礎を補完するためのものだった。
混血を進めたのも良質な魔石を作るためであり、死後遺体が残らなかったのは肉体の隅々まで魔力で満たされ飽和し、細胞が耐えられなかったからであるようで、皇族が魔力暴発を起こさなかったのも魔術陣の影響だった。
ここで伝えられる情報量が多すぎて、事前説明を受けなかった者達は説明に追い付かずそれでもカタバミは反発することなく言葉を重ねた。
その様子を見てカタバミが女神の直系の子であることを否定する者は消えずとも、彼女がマグノリアよりも上位の存在であることを認めざるを得なくなった。
ちなみにこの場ではいずれその礎を壊す話はしなかった。別の形に変えることは考えているもののそれが完成するまではかなり長い道のりがかかるし、この場で更に混乱することは目に見えているからだ。
一通り話した後、カタバミはとある宣言をした。
教会は今後魔石の管理を国に委ねること、魔術学院が開発した人口魔石やそれを作る技術の存在について今後口を出さないというものだ。
そして教会は今まで秘儀の一つとされていた魔石の鉱床を増やす儀式のやり方を明かすという。
ここまで話を聞いた上でメイラ国はエイリース国をこちらに誘導した罰として、これらの件に関わったプランツ教幹部は処刑、枢機卿マグノリア一世はプランツ教からの追放からの五百年の禁固刑、教祖マグノリア=ソーレルもといカタバミはプランツ教からの追放そして彼女が起動していた魔術や人形達の機能を停止させた上で辺境の地で同じく五百年間の幽閉となった。
もちろんカタバミとマグノリア二人を処刑する意見もあった。
しかし二人はその場で首を胴体と切り離しても死ぬことが出来ないことが証明されてしまった。国外追放するにしてもその追放先の土地を牛耳られても困る。
その結果二人は普通の人間ではありえない期間閉じ込めることとなったのだった。
プランツ教は今後軍が探った不正も含めた汚職がわんさか出ては色んな者に罰則が降りるだろう。それがエイリースにも伝わればエイリースの矛先は正しくプランツ教に向かい、そのまま解体に向かうだろう。
ここで終わるかと思えば新たに声を上げる者がいた。オルキデアを形だけでも皇帝にしたらどうだという意見だ。
今回の件において国全体のシールドを起動させた功績もあり賛同する者が幾人かいたのだが、それらにオルキデアは首を横に振り、自分は既にロータス家に降嫁した身であり王笏も自分が愛する国を守るために一時的に手にしただけに過ぎないと、皇帝になることを拒否した。
その証拠としてオルキデアは持っていた王笏をカタバミに渡し、その魔術を作ったカタバミに返却した。それを受け取ったカタバミはその王笏を自らの手で破壊することで魔術は機能を停止させ、完全に『皇帝』を示す魔術は消えた。
壊す間際、なぜかカタバミはその場にいた者達よりも惜しむような顔をしていた。
裁判が終わった後、マグノリアとカタバミがお互い寂しげにしつつも「また五百年後」とお互いに言葉を交わしていたのが印象的だった。
―――
外国からの侵略が来てかれこれ二週間が経ち、ようやくフィーは学院に復帰することができた。
侵略を受けて学院も安全のため全体で休講となっていたので他の学生にとっても久しぶりの授業となる。
再開して更に四日は授業の遅れを取り戻すことに必死で、五日目の授業が終わった頃にコスモスと落ち合い、食堂近くのテラスで話をすることになった。
フィーとコスモスの後ろにはフィーの護衛としてウォルの先輩騎士がいるが、それも二人は既に慣れてしまった。
この場所は普段人が少ない時間であるにもかかわらず、周囲の学生達が遠目にフィーたちの会話に聞き耳を立てている。しかしフィーの護衛が目を光らせているしコスモスが試作した魔術道具を使っているので聞こえることはない。
以前モス=オーキッドの際もこうしてひと段落した折りにコスモスと学生寮で話をしたことを思い出す。あの時は流石護衛は部屋の外だったのだけれど。
「彼らも都合の悪い所は発言を避けましたね」
コスモスは魔術が施されている新聞を見て顔をしかめながら、前に下がった髪を耳にかける。
教会がこれまで行ってきた処刑は私刑だ。異端審問とは言うが、その罪状はでっち上げのものも多かった。それらの一部は独房に閉じ込められたマグノリアも加担していた。
フィーは食堂で頼んだティーセットの茶を口にする。
元々孤児院でガーベラやマーガレットによって身に着けた礼儀作法だったが、高等部に上がった際に入った研究室で一緒になった同期から一方的に指導されてからは更に洗練された振る舞いになった。と思う。
しかし今はコスモスの前なので口調だけは普段の砕けたものだ。
「こればかりは他の政治家や元貴族も関わっていたから避けたらしいよ。処罰しようにもキリがないとかで」
これ以上死人が出ればまた戦争が起きるかもしれない。
枢機卿も教祖も現時点でまだ規格外の存在だから殺しても生き返るのだ。痛みを与える分には十分な処罰になるかもしれないが、彼らへの恨みが晴れることはないだろう。特に枢機卿マグノリアについては五百年もの間、カタバミと離れ離れになるのだ。
カタバミ曰く彼に対して十分な罰になるだろうとのことだ。彼女からすれば眠っている間も構われ続けていたので清々するとは言っていたが彼女にとっても十分な罰なのではないかと思った。
「でもそれは私に話しても良かったことなの?それに貴女被害者なのになぜそこまで呑気なのです?」
コスモスはチラチラと後ろにいる護衛を見るが、彼らが口を挟まないということはこれは話しても問題ないのだろう。
「大丈夫じゃない?……謝罪はもらったしね」
枢機卿マグノリアとは保護者など大人たちも交えて対面で話す機会があった。
一応公式の場でもあったのでこちらも表向き謝罪は受け取った。
コスモスは新聞を自分の鞄に仕舞い、フィーの顔をじっと見る。
コスモスは小等部の頃と比べて見違えるように綺麗になった。成長して三つ編みのお下げを解きメガネを外したからだけではないだろう。純粋にこの学院生活を謳歌していて楽しそうなのだ。
「フィーどこか抜けてますね。姿が変わったことといい、まだ復帰しない方が良かったのでは?」
「そう?私は元気だよ」
フィーの身体も変化した。
カタバミと面と向かって話をした三日後。フィーの身体が前世の女神の姿ではなく、元の竜人族の姿に戻ったのだ。
しかし以前の姿とは違い、両脚は竜のかぎ爪に変り、両頬に竜の鱗が浮き出て、尾てい骨から尻尾が生えた。
ウォルファングはフィーのその姿を見て顔を一瞬だけしかめたが何も言わなかった。流石にリナリアに頼んで元に戻してもらおうなんて思わないようだ。
ウォルはフィーが女神になった姿を見ていない。王城の魔術陣に魔力を注いだ際に撮影された水晶の映像でもフィーの姿は竜人族のままだったのだ。
しかし目撃者が多く、何だったのだろうと疑問を持つ者はちらほらいたが、あれは幻を見せる魔術の一種だろうということで片付けられた。
ターゲスからは「よくもまあこう何度も姿が変わるものだな」と関心するような目を向けられた。確かにフィーもそう思ったが、もうこれ以上自分の姿が何らかの力で変わることはないだろうなとも思う。
翼も尻尾も生えたことで衣服も背中の翼も含めて穴をあける羽目になり、背中の露出が増えたことに少々羞恥を抱いたが、そんな中でなぜか以前ロイクから贈られた衣服は問題なく着れたのでまさか、彼はここまで読んでいたのではなかろうかと一瞬疑ってしまった。
ロイクの呪いは未だ分からないことだらけだ。なのでカタバミと三人で模索していくことになった。
カタバミは現在幽閉ということになっているが、マグノリアとは違い外部からの干渉がない訳ではない。魔石を生成する魔術を除いたすべての魔術が使えなくなったが、贅沢しない範囲で紙やペンこれまで遺していた書物の貸し出しはしてくれるようで、彼女の気分としては幽閉というより蟄居に近い状態らしい。
本来女神の血肉をロイクが全て喰らえば解決することだったらしいが、今女神の中にあった竜の力の大部分が全世界にばら撒かれており、カタバミをはじめとした数人の女神の子供達が代わりに残った女神の血肉を喰らったのでフィーの中には竜の力は他の人間とそう変わらない量しか入っていない。
ロイクは再度フィーの血を舐めて試してみたりもしたが、それではロイクの中にわずかに魔力が増えるだけで何も変らなかったようだ。ロイクは「今更魔力が増えてもな」と複雑そうな顔をしていた。
カタバミの力はロイクがカタバミの血を介して女神の力を吸い上げることで弱まっていくことが分かった。
不老不死の体質も彼女の魔力が飽和して常に放出しないといけない状態だったからなってしまっただけで、周囲の魔力を吸収せず、一般人と同じくらいの魔力量まで減ればその後徐々に成長し老いることが出来るだろうとのことだ。
カタバミを食らう必要がないようでなんとなくフィーは安心した。
しかし当の彼女は戸惑いもありそうだ。色々察するものもあるが期限はロイクの呪いが解ける算段が着くまでだろう。
しかし色々終わりに近づいていることを実感したフィーはどこか無気力になっている。
アイビーがアセビにかけた呪いも二人に記憶が戻ったことで知らず知らずのうちに解除してしまったからだ。
それにフィーは島の外に出たことがないので自覚が無かったが、フィーはアイビーの頃からずっと島の中に閉じ込められている。だがそれもロイクにアセビの記憶が戻ったことで解除される目途が立ったという。アイビーではなくフィラデルフィアとしては本当にその実感がないのだが。
フィーの中でどこか腑に落ちないところもあるものの、解決に進んでいる以上フィーがこの学院でする目的も無くなってしまった。
「学院、やめようかな」
「えっ!?」
「言ってみただけだよ」
フィーはロイクの功績のおかげで学費を免除してもらい学院に通えているのだ。
しかも呪いのことは良いからせめて学院は卒業して欲しいとロイクから言われた。経緯は知らないが頑張っていたのに退学になった悔しさが彼の中に残っているのだろう。
「やはりまだ休んだ方がいいのではないのですか?」
「一ヶ月以上も休んだのに?」
かれこれマーガレットの見舞いに葬儀、教会によって誘拐されたり処刑されたりと色んなことに巻き込まれた挙句に侵略が始まり、休校。結果、ズルズルと休みが長引いてしまった。
出席日数が単位に関わるわけではないが、元々二年から三年に進級する際が危うかったのだ。卒業しろと言われた以上進級して早々単位を落とされたくない。
「だけど……」
「授業は受けるよ。でも……呪術の研究はしないかも」
フィーの所属していた研究室は呪術だったが、その呪術を極める理由がなくなったのだ。課題もレポートもある程度はこなせるだろうがそこまでだ。
ロイクやカタバミのように興味関心好奇心があっても満足するまで調べたい研究したいとまでは思えない。
「今日は金曜日ですし、明日はまた休みですから、ゆっくり休んでくださいね?」
「ありがと」
平和だ。まだなにも解決できていないけれど、六月初めの木漏れ日の中フィーはそう感じたのだった。
―――
「墓参り?」
その日フィーがウォルと共に夕食を摂っている最中のことだった。
「そう。行かないか?でも時間がかかるから行くなら学院の夏季休暇の頃になると思うけど」
「いいけど、でもどうしていきなり?」
学院の夏季休暇は長いので日程からして特段問題はないが、この前アイーシュまで長旅したばかりだ。墓参り行くことに否定はしないが突然の提案に首を傾げた。
「……それが、さ……」
どうやらウォル曰く、現在廃村になった故郷が新たな村を作るため開拓される計画が立っている話しを聞いたのだそうだ。
以前より内戦で廃村になったり激戦地で更地になってしまった場所の復興は行っていたが、それは旧王都であるシャトーバニラと南側の地域がほとんどで中々進んでいなかった。
それが徐々に復興する地域も北上し、フィーとウォルが住んでいた場所にも着手しようとしているという。
元々入り組んだ地形なので俗世から分断され易く住みにくい場所だが、周囲には今まで育てた果樹が野生化しつつあるがたんまり残っているらしいので、特産として有効活用しない手段はない。その果樹を世話をする農民や廃墟になった村の家々を建て直したりするなど開拓するための人手を難民を中心に移民する者を募集しようとしていたのだそうだ。
しかしエイリースからの侵略のせいで大勢の民を移動させる計画は停滞しており、難民の移動が始まるのは当分先。しかし現在の状況が落ち着いたらすぐにでも計画を進めていく方針なのだそうだ。
そのため現在の村を見れるうちに行きたいということだ。
「それなら、この前アイーシュ行った時に行ければ良かったね」
「……そうだな」
実際ロイクがかつての幼いフィーとウォルを抱えて孤児院まで一日で歩いて行けた距離なので頑張れば行けなくもないのだが、何年も手入れされていない場所を歩くのは危険だと判断し、その時の墓参りは見送ったのだ。
シャトーバニラからフィーたちの故郷があった旧オレンジ領まで狼族であるウォル一人の足なら三日で着くが馬車を使えば五日はかかるし、途中から道らしい道がないので徒歩で向わないといけないのだから仕方ない。
「そっか……無くなるんだ……あの村」
三年前、フィーの両親を埋葬した際に参加して以来二人は墓参りに行っていない。
当時はまだ手を付けられておらず、墓も以前は畑だった場所に村人全員が埋められていただけなので焼かれた後の屋根のない家々が残っていた。
それらが無くなるのは寂しいと思う反面、フィーはまた時間に取り残されたような感覚を抱いた。
―――
次の日クライアンに呼び出され、案内された軍本部にある研究所で見せられたのは見たことがない小動物だった。
「魔獣?」
「あぁ。どうやら放流された魔獣の中に一緒に紛れ込んでたみたいで、小さいしおとなしいから人間に無害だと思っていたんだが、毒性が強いことが分かった。今のところ流行り病は聞いていないから取り合えず見つけても触れないように注意を促している」
「へぇ……」
目の前にはネズミくらいの大きさで、身体と同じくらいの長さのある大きくふさふさな尻尾、キツネのような大きな耳と大きな目をした真っ白な生き物が四角い籠の中に入っていた。夜行性のようで今はうとうとと船をこいでいるがその生き物の牙の毒性は強いらしい。
魔獣とは魔力を喰らうことで生存する生き物だ。魔力が多い場所で育てば成長スピードも上がる。
ちなみにこの生き物は食らった魔力の属性によって毛や瞳の色が変わるらしい。均等に魔力が増えれば増えるほど身体が真っ白になりそれに反して瞳は真っ黒に染まるのだそうだ。
「捕らえることができた個体は調査のために本部と学院でしばらく預かることになっているが、扱えるのは毒魔法を持つ者だけだろうな」
「そうなると大変そうですね」
そういえば学院の一部の人間がその魔獣を愛玩用動物にしようと大陸の書物を漁っているという噂をコスモスから聞いた。
(これも、最初は女神が作ったんだよね……)
こんなかわいらしい個体を生み出した記憶はないが、おそらく何千年もの間でその土地に適応して進化したのだろう。元々人間を滅ぼすつもりで魔獣を生み出したのだ。おそらく魔獣はその環境に適応するのも早いのだろう。
クライアンが連れてきた理由もフィーの持つ知識を参考にしたかったからだそうだが、残念ながらこの場で役に立ちそうもない。
「魔獣は見たことがないので……生き物は専門外です」
「……そうか。君に何か分かることがあれば教えて欲しかったんだが」
こういったことに関してはやはり軍よりも学院の方が詳しいだろう。今でこそ魔力のない貴族たちばかりの学院だが、歴史自体は長いし蓄えてきた知識の量も半端ではない。
しかし学院も軍には表向き従っているように見せているがあちらも一枚岩ではない。フィーは魔獣に無関心だったので気付かなかったが、一部の教授に睨まれていたのはこういった事情もあるのだろう。実際フィーも養父がターゲスである以上学院に在籍していてもその思想や立場はどちらかと言えば軍側だ。
今日はとりあえず現時点でフィーの女神の記憶にある魔獣の生態を軍の研究者と話し合いながらまとめてもらうことで終わった。念のため学院にはフィーから情報提供されたことは伝えないで欲しいと言うことも伝えておいた。
その日の帰り、クライアンと共に帰る途中の馬車の中でクライアンに問いかけられた。
「フィー、どうかしたのか?」
「何がですか?」
「……いいや、君はどこか抜けていると報告を聞いている。先日の出来事からそう経っていないから無理もないだろうが……」
「あぁ、そういう……」
コスモスと話したのが護衛を通じて伝わったのだろう。しかし伝わるのが早いしそこまで心配されるようなものだろうか。
「別に、なんともないですよ。むしろ今まで怒涛の勢いだったので、もう私の中で全部終わったみたいで」
始まりはロイクと出会ったあの日からだろう。それから自分は何処か自分じゃないような気持ちがあった。あれからもう四年もの月日が流れている。
共に暮らしているウォルも何か心境の変化があったのか何か考え込んでいるのでまた自分は置いてけぼりだ。以前はどうやって過ごしていたのかも忘れてしまった。
「そうか……」
クライアンの言葉が馬車の音にまぎれて空虚に溶けた。
フィーはクライアンにつられて馬車の外を眺める。先ほどまで晴れていたのに今は雲が覆っている。今夜は雨が降りそうだ。
あと何話ぐらいかで本編は完結する予定ですが、基本的に無計画なのでいつ終わるかは分かりません。
終わったら閑話休題をいくつか上げて完結する予定です。




