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追想の愛は誰の為に  作者: 伊藤猫
第五章 わたしの檻
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犠牲の愛は誰の為に

女のために嘘を吐き続けた男の話。



 まだ幼い赤毛の娘を遺し、自分は土砂崩れに巻き込まれて死んでしまう夢を見た。


 自分は本来人間を愛した白竜の眷属で、寿命が近い白竜の代わりに白竜の友であった赤竜の子孫に己の力を託した。そしてその子供を育て、その力を自分に取り込むのが自分の役目だった。

 だが自分は眷属であっても人間とそう変わらないため体は脆い。不慮の事故で自分はそんな幼い娘を遺して死んでしまった。


 そんな夢を見たのは()()自分を産んだ両親が死んでからの事だった。


 それが契機だったのか、自分の魂に刻まれた記憶が呼び起こされたらしい。

 はじめはただの夢かと思った。だがその夢はやたら非現実的なのに限りなく現実に近く、自分が生まれてからそう遠くない昔のことだったようだと知れたのは、人伝に竜の話を聞いたからだろうか。


 白髪色白に緑眼。実の親ですらそんな色の髪や瞳を持っていた訳じゃない。特に浮くこの見た目もあり、記憶が蘇る前からあった違和感と己が生まれた理由が絵合わせ(パズル)が全て綺麗に揃ったように納得してしまったのだ。


 両親の葬儀を終わらせると同時に、「旅に出る。ここには二度と帰ってくることは無いだろう」と、持っていた全ての財産を近くに住んでいた親類たちに押し付け、自分はその最期に見た娘と同じ顔をした子供を探す旅に出た。十歳の頃だった。



 その記憶を頼りに島を転々と渡り歩き、自分は不思議な力を持つ赤毛の子供について聞き回った。

 なぜその子供に会いたいのか特段考えていなかった。その子供に宿した力を今更取り返したいとは思わなかった。

 ただ単にその夢が本物だったという事実を確かめたかっただけなのかもしれない。


 そんな確信の無い、終わりのない旅を続けている間、自分はその土地で見知った多くのことを目に焼き付けた。

 色んなところで色んな人と巡り会い、色んなことを経験し、多くのトキメキやワクワクを感じる事が出来たその数年間は退屈なものではなかった。


 そして目的の赤毛の少女と出会ったのは、旅を初めて五年程経った春の頃だった。


「ここから出て行って頂戴」


 獣道を掻き分けて開けた所に出ると川で水浴びをしていた少女と遭遇してしまった。


 長く炎のように真っ赤な髪を丁寧に濯いでいた彼女の視線は恥じらいなど皆無で、目の前にいる自分に対して不愉快に感じているようだった。

 流石の自分も女性の裸体を眺める趣味は持ち合わせて居ない。慌ててその場から背を向けて座り込む事にした。


「……君は、この辺で暮らしているのか?」

「だったら何?でもわたしから盗れる物なんて何も無いわ」

「僕は旅をしている。丁度、君のような赤毛の人を探していたんだ」

「……図太いわね。口説く相手を間違えていると思うわよ」


 初めは自分を盗賊だと思っていたらしい。彼女は自分を図太いと言うが、男の自分が目の前にいるのに平気な顔をして水浴びを続けている彼女の方がむしろ図太いと思うし、少々心配になった。


「君こそ、その恰好で僕に警戒しないのか?」

「警戒しても意味がないわ。貴方は私を犯す真似をするつもりないでしょう?女の体に見慣れていないようだし」


 嘲りも混じったような声に顔に熱が集まる。


「……余計なお世話だ」

「ならさっさと出ていきなさい」


 ざぱざぱと川から上がる音としゅるりと布が擦れる音が何だか艶めかしく感じた。

 見た目の年齢は自分とそう変わらないのに、その態度や振る舞いはまるで子供をからかう妙齢の女性のようだ。

 受け答えはしてくれるようなので、自分は勝手に話をしてみる。


「僕は人ならざる力を持つ赤毛の人を探している」

「お生憎様、そんな人この辺にどこにも居ないわ」

「伝承を聞いたんだ。赤毛の少女について」

「……デンショウ?」

「言い伝えとか、何年も語り継がれる話を聞いた事ないか?」

「知らない。そもそも話する相手が居ないもの」

「……そんな気はしてた」

「むしろ、貴方の方がそのイイツタエにで出来そうな見た目ね」


 その話に一瞬肩が強張ったが、彼女は音もなく自分の肩をぽんと叩いた。水浴びをしたばかりなのに、ふわりと彼女の匂いが香った。


「暇つぶしに付き合いなさい……その言い伝えってなに?」


 それは君の事だと言ったら自分はすぐに射殺されていたかもしれない。

 赤髪に赤目の少女。ようやく目が合った彼女の顔を見て、「やっと会えた」と口に出さなかった自分を褒めて欲しい。


 自分は主の記憶と主の眷属だった頃の記憶の二つを持っている。主はすべてを言わない分、すべてを託すつもりで姿を消す際に自分に己の記憶を渡した。

 そんなかつての主が自分に託した使命を思い出す。


『この子供に宿した力を今度はお前に託す』


 前の自分が死んだ時彼女はまだ三つだった。だが彼女の姿やこの島の地形を見る限り相当長い時を生きていたのだろう。


 残念ながらこの島にあった彼女に対する伝承は幸福ではなく、感情の起伏であらゆる天災を呼ぶ厄介な魔女として言い伝えられていた。

 その正体が目の前にいるのに、ありのまま彼女に話すのははばかられた。なので全く違う土地の伝承を伝えることでその場を凌いだ。


「……私とは大間違いね。同じ物を持っているのに、カミサマみたいに愛されるなんて」


 唯一人間と交わった赤竜の血を受け継ぐ竜人族。その娘に全ての竜の力を与えた。要は心が読めるのだ。

 しかし彼女はその力を持っている自覚が無いのか、それとも自分が即興で作り上げた話を娯楽の様に聞いているのか、自分が話していることが嘘だと思わなかったらしい。


「自己紹介をしてなかったね。僕はアセビだよ」


 自分はかつて主から授けられた花の名前を名乗った。しかし彼女は覚えていないようだった。


「君の名前は?」

「忘れた。貴方が勝手に付ければ?」

「よくないよ。自分の名前だよ?」

「名乗ってもいないのに、みんな勝手に化け物と呼ぶんだもの」


 そうだ、この子は名前を呼ばれた記憶がないのだ。


「『ヘデラ』」

「……」

「あの木蔦のことだよ」

「蛇みたいじゃない」

「なら『アイビー』、かな。僕の名前と似てるんだ。気に入った?」


 自分が博識であることに不満を感じたのだろうか。気に食わない顔で視線を逸らすが否定しなかったのでそのまま呼ぶことにした。


 それから自分は伝承だけではなく、自分が見聞きしたモノを彼女に教えた。自分が当時感じた感情ごと全て彼女に話せば、それが伝わってきたようで、彼女も自分と同じような顔をして目を輝かせていた。


「なら一緒に旅をしよう!君がいてくれればもっと楽しいはずだ」


 はっとした自分は思わず口を閉ざした。

 光を失った彼女の瞳に背筋が凍る。


「……それはできない」

「それは、どうして?」

「昔、海の向こうへ行こうとしたの。でもわたしを通さない透明な壁があってなぜかわたしはこの島から出られない」


 主は自分の力と自分に課した呪いごと彼女に継承していた。つまり、今彼女を閉じ込めているのは自分だ。


「不思議ね。わたし、人間が嫌いなのに、あなたなら大丈夫なの」

「……理由を聞いてもいい?」

「憎いの。ただひたすら」


 最初は冗談だと思っていた。

 しかし時折彼女が身体や顔にべっとり血を付けて戻ってくること、その血がその辺に生息している動物ではなく、人間の血液だと理解した時、彼女がどれくらい人間が憎いのか嫌でも察してしまった。


 皮肉なものだ。人間を愛した竜の子孫は人間が嫌いだった。人の姿をしているが人ならざる姿をしている彼女のことだ。これまで多くの人間から酷い仕打ちを受けたのだろう。

 その力は人間の手に余る。解放してやらないといけないのかもしれない。だが解放するには彼女を殺さなければならない。どうしたものか。


「もし、僕が島から出られない代わりに、君が島から出られると言ったら君はどうする」

「それなら、わたしも島から出ない。あなたが出られないもの」

「そっか……なら僕も島から出ない」


 それから自分は彼女と色んな話しをした。

 この島に至るまで自分が見聞きしたことを話せば、彼女もそれに興味を示したのか目を輝かせて聞いてきた。

 はじめは彼女の瞳が主の記憶にある赤竜の瞳と似ていると思った。

 自分が気付いた頃にはすでに彼女の髪に触れていた。彼女の香りが自分を酩酊させる。自覚した途端もう後に戻れなかった。

 雌雄の概念がない主は友である赤竜に対してこういった感情を向けていたのだろうか。だがこの感情は誰のものでもない、彼女へのものだ。


 自分は大馬鹿者だ。いつか殺すことが決まっていたのに、自分は彼女を愛してしまった。


 彼女の髪から頬に触れた辺りから彼女の空気が悪くなり結果は散々だった。だけど彼女が自分に対して同じ気持ちを持ってくれることに時間はかからなかった。

 彼女が心の奥底に抱いていた狂気も愛情も丸ごと全て自分は愛してしまった。


 このまま彼女を食らいたくて仕方がなかった。反面、自分はこの現状にも満足してしまって、使命とか本能とか何も考えられなかった。


 自分は白竜の眷属だ。だけど人間として生まれた故にその肉体は脆く、老いに負けてしまう。

 彼女と同じ時間を歩むことが出来ず、結果自分は老衰でぽっくりと死んでしまった。



「……やっちゃった」


 理由は様々だがどうやら自分を産んだ親は自分が十歳になる前に死ぬらしい。そして自分は主から課せられた使命を果たさない限り何度も生まれ変わる呪いにかかっていた。

 かつての主は自分にとんでもない使命を課した。


 殺したくない。だけど自分は彼女に会いたい。


「嘘よ。どうして?わたしは夢を見ているの?」


 荒野で倒れていた彼女の前にしゃがみ、名前を名乗り、彼女との思い出を一つ二つ話せば、彼女は自分が生まれ変わったことに戸惑っていた。


「―――きっと、君が縛ってくれたんだ。【我が鎖】」


 とっさに吐いた嘘を彼女はずっと信じた。嘘でも本当でも良いと思った。

 そして自分のことを愛してくれる度に狂気さを増した。


「ごめんなさい……!!今治すから!!」


 彼女自身は自分を『人間』だから傷付けてしまうのだと言った。

 どうやら自分は彼女への好意が性欲や食欲に変換されるらしい。だからこの暴力は彼女なりの愛情も理解できて、自分を傷付ける彼女も愛することができた。

 彼女を殺しそうになる分、これで彼女を殺さなくて済むことに安堵する自分もいた。


 そんな自分の心情を他所に彼女は彼女なりに考えついたことを密かに実行していた。


「アイビー、その、お腹どうしたの?」

「子供よ。あなたとわたしの」

「え……?」


 昨日は大きくなかった彼女のお腹が突然大きく膨らんでいた。恐る恐るそのお腹に手を重ねればそれに応えるように動く。生命の鼓動を感じた。

 彼女とはそういうことをしなかったわけではない。その際に血が出るほど噛み付いてしまったこともある。だけどまさか竜人族の血を引く彼女と自分との間に生命が宿るなんて思わなかった。

 自らの胎に命を宿すなんて君の体にどんな影響があるか分からないのによくそんな決断をしたものだ。


 だけどこれは自分たちの間に子供が出来たという単純な話で終わらなかった。


「この子たちが人間に成り代わるの」

「……は?」

「わたしの子供たちが世界中に広がれば、わたしの復讐()が完成する」

「…………」


 かつての主は彼女から力を奪い、その後力を人間に分配しろと言われていた。人の手に余る力だから、その管理を行うために託されていた。

 しかし彼女は自分の力を子供に分け与えようとしていた。自分が考えもしなかったことを彼女は行おうとしようとしていたのだ。


 だから自分が彼女の行いを否定することは出来なかった。

 彼女はずっと孤独だった。だから彼女と同じ存在がいれば彼女は孤独にならないから良いのかもしれないとも思ってしまった。


 最初に生まれた子供は人間の形をしていなかった。しかもほんの数日しか生き永らえなかった。

 それから彼女は何度も子供を産んだ。最初は一週間、次は一ヶ月かけて。だけどどの子供もボウフラのような、ヒルのような、毛玉のような、醜い姿で産まれ、その子供も長くは持たなかった。

 次は丈夫に生まれてくるように二人で祈りを込め、何か月もの時間をかけて生まれた丈夫な子供は黒髪で黒い目の人間の姿をしていた。


 産後の肥立ちから回復した彼女の手を取った。子供一人産んで微々たるものの、彼女の中にある竜の力が削がれていることに気付いて希望を抱いた。


 自分は歓喜極まったけど、彼女はそんな赤子の首を締めようとしていた。


「アイビー、ダメだ」


 自分が彼女の手を止めると状況を理解したのか、赤子を抱き締めたまま泣き崩れた。


「なんて、この子はこんなに醜いの……なんでっ!!」


 愛するほど殺したい。だから赤子を醜いと言って誤魔化す。

 いつかそうすると分かっていたから、自分は彼女から片時も離れなかった。止めることが出来て酷く安堵した。


 彼女が子供を愛していることは隣にいる僕が一番よく分かっていた。


 彼女の腕の中にいる子供は何も知らないのかきゃっきゃと笑っている。自分が殺されそうになっていることに自覚が無いなんて呑気な子である。


「それでも、この子は僕らの子供なんだろ?なら、愛してあげないと。それが僕ら親の責任だ」


 その後自分達が住んでいた小屋の近くを生い茂っていた草花の名前を与えた。

 その子供たちが成長するにつれて、狂気を増してしまう彼女をコントロールするのが自分の役目だった。


 しかしこの黒髪の子供は体が弱く、授けられた彼女の力に耐えきれず、弱っていく赤子を見て彼女は憔悴していった。

 そしてなにをとち狂ったか、彼女は自分の指を切って己の血液を与えると、みるみるうちにその体は回復した。


 彼女の血の匂いを感じれば、軽い酩酊と、焦りを覚えた。

 彼女の血を一滴残さず飲みたい。飲まなければならない。

 口付ける際に、何度彼女の体液を口にしても足りなかった。だから血を与えられる娘が羨ましかった。


 それから彼女は子育てと並行して一、二年に一度子供をもうけ、二人で愛情を注いだ。

 力の使い方を教えた。生きていく為の術を教えてた。

 彼女が産んだ子供の姿形はまちまちで、犬や兎などの獣の耳や尻尾が付いていたり、髪や瞳、肌の色も違う。時には蛇の鱗のような肌に魚の子供も居た。大分人間からかけ離れた姿をした子供もいた。


 しかしたくさんの子供を産んでも尚、彼女の中にある竜の力は削がれるのは微々たるもので、彼女の中から力が無くなることはなかった。


 そして子供が大きくなれば子供自身も、アイビーの感情に疑問を持つ時が来た。


「父さま、父さま。どうして母さまはわたしを見て泣きそうな顔をするのですか?」

「……おまえを、嫌っているわけじゃないんだよ」


 愛してる。でも憎い。幼い子供にそれを理解するのは酷だ。

 アイビー自身もそれを分かっているのか、子供が寝静まった後、葛藤する彼女の姿を何度も見た。


 アイビーは娘に与える血液を直接ではなく、スープに混ぜるようになり、娘もそれに疑問を抱いたようだが、それに応じた。

 しかし何を思ったのか、ある日娘は自分のスープを弟である息子のスープと取り替えると、息子がそのスープを口にした途端倒れた。

 一瞬何が起こったのか分からなかった。娘もこうなると思っていなかったのか混乱していた。

 息子はすぐに吐かせたので大事に至らなかったが、娘はショックで憔悴していた。


 自分が知らない間に娘がアイビーと何か話をしたらしく、それからアイビーはさらに憔悴していった。互いを理解することが難しかったのかもしれない。


「おまえはこの家を出なさい。僕から一人で生きる術は全て教えた。自立することは出来るだろうし、麓の村で暮らすこともできる。村長には僕から伝えておくから」


 そしてこれからまた自立していくだろう弟妹たちが生きていける環境を整えて欲しい。そういって十三歳になった一番上の娘を送り出した。

 子供に彼女を支えるのは酷だと実感した。はじめは何か言いたげな顔をしていたが察したようで、素直にうなずいてくれたのは幸いだった。


 さすれば自分らが暮らしている場所の麓で新たな集落を作り、細々と周辺の村と交流を重ねていき、次第に発展していった。



 だけどある日彼女の想いを全て受け止めようとした時、自分は油断して死んでしまった。


「またか……」


 すでに慣れてしまったこのループの最中、自分は慣れた手つきで今世生まれた家を出る準備をしていた時、珍しく来客があった。


「お久しぶりです。父さま」

「……はは、よく見つけて来たな」

「親の魂を忘れるなんてありえませんから」


 やってきたのは長らく顔を見ていなかった一番上の娘だった。

 この娘も顔立ちこそ自分に似てしまったものの、母親の力を色濃く受け継いだ子は、一定の年齢を過ぎると老いることがなくなり、彼女と同様に不老不死の力を持ってしまった。

 母の力と似た力を持っているこの娘なら母親と寄り添えると思っていたが、見た目が大多数の人間に紛れるこの娘を彼女は母親でありながら、心の底から受け入れることができなかった。


「父さま、また母さまのところに戻るのですか」

「そのために迎えに来たんじゃないのか?」

「……いいえ…………」


 娘はあの島の現状を説明した。

 娘が母と慕う彼女は感情が荒れに荒れ、何年も雨が降らないため作物が育たず、島の生態系が崩れてしまい、人が住まうことが難しい状態だという。


「もう見ていられません。母さまの心は確かに父さまでないとどうにかできないでしょうが、根本的にどうにかしないとあの島だけではなく世界にまで及んでしまう」


 そう豪語する娘は、振舞った茶の入った木製のカップを両手で抱えながら続けて何か言い淀んだ。


「……まだなにか?」

「父さま……今まで、あなたは人々から神と畏れられる母さまに寄り添える。その精神力が異常なのだと思っていました」

「はは……こうはっきりと言われるのは堪えるな」

「ですが……あなたと他の人達を比べると益々あなたが、わたしや母さまのように、人間と乖離しているように見えました」

「それは、何度も生まれ直してるからだろう?自分でももう何回生まれ直したか分からないんだよ」


 自分は見た目こそ浮いているものの、人間との間に生まれているから肉体は完全に人間だ。

 魂こそ竜の影響を受けているが、まさかと自分は娘の光の差さない黒い瞳と視線が交差する。

 彼女の瞳が底の見えない深い闇に染まってから久しい。そうなってしまった要因に自分も含まれるから目の前の娘には色々後ろめたさがあった。


「……初めはわたしもそう思いました」


 彼女はそう言うだけで、「母さまのところまで案内しますよ」と言って旅支度を手伝ってくれた。


 娘の案内のおかげであの島に向かうのが随分と楽だった。

 しかしその島に近づくにつれて島の周辺の空気が一定の境界から明らかに違うことが目に見えて分かった。

 大陸は比較的温暖な気候だったが、季節もあって過ごしやすい気候である反面、島の方はそう距離があるわけでもないのに日照りが強く、島周辺の海は濁り、魚や海鳥の屍骸がところどころ浮いている異様な状況だった。


 その様子を見ながら娘は話を続けた。


「……父さま。あなたは以前、母さまはこの島に閉じ込められていると言っていました。

 わたしは最初、普通の人間では扱いきれない力を持つ母さまを封じるためだと思っていました。ですが、ここまで明確に抑え込まれている理由が分かりません」


 明らかに生き物が済むことが出来ない領域が彼女が住まう境界線なのだろう。隣にいる娘を見れば娘もこちらに視線を寄こしていた。


「あなたは母さまが閉じ込められている理由を知っていて、母さまと共にいるのではないのですか?」

「……」


 思わず眉間にしわが寄る。

 母親をこの島に閉じ込めているのは父親なのではないかと遠回しに聞いているのだと理解するも、そう考える娘を見るのが怖かった。

 この沈黙で娘は自分が肯定したと思ったらしい娘は更に追求する。


「そうであるなら、父さま、あなたは一体何者なのですか?」


 答えることができなかった。



 島に上陸し娘と別れてから、彼女の元へ戻れば所々骨が落ちている砂漠に若干埋もれた状態で屍のように横たわっていた。

 彼女は自分の気配を察知したのか一瞬その赤毛が震える。そしてこちらに見向きもせずその場で拒絶し、ばちんと見えない壁で自分の行く手を遮った。


「もうあなたを殺したくない……ここから去って」


 苦しむ姿を見たくて彼女といることを選んだわけじゃないのに。


 自分は狡い人間だ。彼女を殺さなければいけないのに、殺さないでずっと生かしているから、自分は彼女とずっと一緒に居たいから、苦しんでいる彼女を楽にしようとせず殺さないでいる。

 もし彼女を殺したら自分は彼女と同じように、長い時間を一人で生きることになる。彼女がいない世界で生きる自分が想像できないのだ。


 これは罰だ。苦しんでいる彼女をここまで放置した自分への罰だ。


「ならば僕だけを殺せばいい。僕なら一人ぼっちになった君をまた見つけ出せる。君を救える自信はないけれど、隣にいることは出来る」


 彼女を独りにさせないと誓っているのだ。殺される程度どうってことない。また生き返って彼女の元へ帰ればいいだけのことだ。


 また彼女は自分を殺した。それでも自分は彼女の元へ帰った。

 子供を殺さなかっただけ僥倖だと思ったが、彼女自身はそうではなく、自分を殺す度に彼女の精神は摩耗していった。


 彼女の中にある力を削ぐため、彼女の心を埋めるために彼女との間に多くの子供を育んだ。彼女が孕む度にその力を胎の子供に注ぐように促した。


 時折彼女を閉じ込める壁の境界線を見に行った。

 彼女の感情関係なくその領域は彼女の行く手を阻む檻となっていた。

 彼女が鎖なら自分は檻だ。これを解放する方法は既に分かっていた。だけどそれは出来なかった。


 しかし彼女の中にある力を削ぐよりも先に、子孫たちの数が多くなるにつれて、その子孫同士で争うことが多くなっていた。戦争だ。

 昔から些細ないざこざはあったけれど、それなりの規模で争いが行われた。国同士で争うのは今に始まったことじゃないけど、竜の力を使うのは初めて見た。これでは竜のいた時代と何ら変わらないではないか。

 それを知った時彼女が何をしでかすかわからなくて、それを考えることすら恐ろしかった。


「アセビどうしたの?」

「大丈夫だよ……ちょっと疲れたみたいだ」

「嘘」


 流石に彼女にはお見通しだった。

 ひたすら言葉を選んだ。しかし全て伝えれば案の定彼女は泣き崩れた。


「どうしてそんなっ……!」


 竜だって争い合う。人間に竜の力を渡したところでそれは変わらない。そして一番悪いのはそれを教えなかった自分だ。


「僕のせいだ」

「違う!!」

「……僕は、君が知っての通り人間だ。僕は確かに兄弟仲良く生きてほしいと思って彼らを育てた。でも子供たちだけではなく、その子供……子孫にまで手を尽くすことが出来なかった」

「そんなのあなたのせいじゃないわ……!」


 彼女の言葉に首を横に振る。


「子供達の中には、姿こそ獣に近い姿でも君の持ち合わせる力を持たず生まれてきた子がいたし、逆に人間と変わらない姿なのに君と同等の力を持って生まれた子もいた。

 なのに僕という存在で、彼らの中で人間という概念が曖昧になった」

「…………なら、わたしは……どうすればよかったの?」


 身勝手な感情を鎮め、忘れてしまえば幸せだったかもしれない。

 だけどその憎しみをなくした状態で僕と出会っていたら、僕は主からの言いつけを守るために君から力を奪うために君のことを殺していたかもしれないし、もし殺さなくても君は僕以外の人間を選んでいただろう。


「……もし君が人間でない者を生み出したとしても、知性や理性があるのなら、育てた者やその周辺の環境に影響される。僕らの子供達もいずれは各々家族を持って、子供を育んでいく。僕らの孫やその先の子孫まで影響を及ぼすのは難しい。

 君の力を神からの授かりものだと思う者がいる反面、体のいい武器のような扱いをする者もいた」

「それじゃあ、わたしが作った意味がないじゃない……っ!」


 ごめんアイビー。僕は子孫たちがどうしようと何も感じない。僕はこれを知った時の君の怒りを恐れた。


 君は優しすぎた。君は何度も人の善性を信じたのだろう。裏切られた時の憎悪はよほどのものだっただろう。

 そして僕は、そんな君が人間とさほど変わらないことを教えることが出来なかった。


 もうじき自分達の子孫は世界中を埋め尽くす。彼女の復讐はもうじき完成する。

 そうだ。彼女の『復讐』が終わった時、彼女の血を飲み干そう。そして一緒に自分も死のう。彼女と永遠を共にしよう。それならあの島の檻からも解放される。


 そう考えた自分もきっと既に心が摩耗していたのだろうか。


 しかし自分よりも彼女の方が上手だった。


「は?……なに言って」

「だから、わたしが子供たちの中に入るの。そしてその力に制限をかける」

「ダメだ!!」

「もう遅いわ。あなたの心臓とわたしに寿命を結び付けた」


 そして自分の肉体が朽ちない時の保険まで用意周到に準備していた。


 彼女はそれからというもの、己の長い髪を切っては燃やすようになった。

 自分の一部が煙となって、空に流れ、雨が降り、それが世界中に渡れば、いずれ子供たちの中に入るだろうとのたまう。

 呪いも言霊も、教えたのは自分だ。彼女はそれを己の力を使って手探りで行う。

 時には自分の腕を切り落とそうとしたので必死に止めた。彼女の身を削ごうとする姿が見ていられなかった。


 死ぬときは一緒よ。

 無理だ。君が死んでも、自分はまた生まれ変わる。

 君がいない世界に自分は置いてけぼりにされるのか。耐えられない。


 そして自分はずいぶん昔に吐いた嘘を思い出した。


 ―――ずっと一緒だよ。我が鎖。


 自分は今、彼女と同じ時間を歩んでいる。今まで出来なかったことが叶っている。

 だが彼女の老いた姿を見る度に罪悪感に苛まれた。

 長い長い嘘吐きの末路がこれだ。老いて、彼女の髪に白髪が混じる度に彼女のこの先を案じた。


 彼女も体を無くすだけで、子供達の中で生きるだろう。だけどそれは自分の望んでいたことではない。


 ずっと騙していた。打ち明けたら彼女は自分を恨むだろうか。今度こそ世界を壊すくらいには恨むだろうか。

 分かっていた。自分が彼女をコントロールするということはこの世界を命運を左右することくらい。

 罪悪感に苛まれる度に自分の老いが早くなるのを感じる。最後の最後で、自分は心労で死ぬのかと苦笑した。


「ありがとう、アイビー。僕はこれまでの千年。君といられてずっと幸せだった」

「まるで今日で終わるみたいな言い方ね」


 幸福だった時を自分の手で止めるのはとても辛い。だけど終わらせないといけない。


「君が死んでも僕はまた生まれ変わる。だから」


 僕が君を殺す。持っていたナイフを彼女の前に突き出した。

 これまで生きる為に獣を殺したことはあっても、人を殺したことも、ましてや愛する妻を殺したことなんてなかった。

 どういう意味か分かったのか、彼女は俯き、苦し気な笑顔で彼女はこちらを見つめた。


「とうとう、この時が来たのね」


 彼女は自分の両腕を掴み、ナイフごと自分に引き寄せる。

 白い服が、彼女の真っ赤な色に染まる。


「は……?」


 何が起こったのか分からず、膝から崩れ落ちるアイビーを黙って見ていた。

 彼女の口から喀血すると意識が引き戻され、自分は慌てて彼女の身体を起こし、刺さったナイフを抜こうとするが、それを彼女が拒絶した。


「……ずっと、あなたがわたしのことで悩んでたのは、気付いてた。それこそ……出会った時からずっと……」

「!……どうしてそれを今!」

「あなたと出会う前から、人の心は読めていたの……はじめは、嬉しかった。でも、あなたは優しかった。だからこそ、あなたに責任全てを負わせることは……できない」


 彼女の汗と血の匂いで眩暈がする。こんな時でも彼女を欲している自分が嫌になった。


「嫌だ……僕はこうしてずっと君を縛り付けた!!責任から逃げていたのは僕だ!だって僕が……自分が……!」

「……わたしを呪ったのがあなたなら、わたしもあなたを呪う。『あなたが吐いた嘘を全部忘れましょう』」


 彼女は傷口を抑えていた手を自分の頬に伸ばす。彼女の血が自分の口に入り込む。


「っ……!?」


 自分の心臓にナイフに刺されたような衝撃と痛みが襲う。

 呼吸と心拍が乱れ、彼女を抱きかかえながら横たえた。


『あなたの心臓とわたしに寿命を結び付けた』

『死ぬときは一緒よ』


 彼女はずっと前から心中することを決めていた。


 早く自分のことを彼女に伝えられたら、彼女を無理に背負わせることなんてなかったのだろうか。

 せめて自分のことを憎んでくれていた方がまだ楽だったのに。


「嫌だ……忘れたくないっ……君との思い出は全てっ」

「違うわ……魂に刻むのは、わたしたちが楽しかったことだけ。あなたが味わった苦しみも葛藤も、わたしが全部持っていくから」


 何度も何度も首を横に振った。ずっと苦しかったのは彼女の方だ。

 自分はずっと謝りたかった。だけど彼女に憎まれるのが怖くて嘘を重ねて何度も逃げてきた。


「アセビ、愛してる……」


 血に濡れた手で何度も自分の頬を撫でる。声にもならない声で、想いを伝えてくれる彼女の顔が、痛々しいほどに慈愛に満ちていた。


 息が詰まり意識が遠くなる中、必死に彼女の身体をかき抱くが、力が入らない。


 自分は彼女に何も出来なかった。彼女がしたいことを何もしてやれなかった。むしろ気負われてしまっていた。


 彼女を閉じ込めたのは他でもない自分だというのに。

 この先自分は彼女をなくして、意味のない転生を繰り返していかなければならない。


 今でなくていい、お願いだから、また生まれ変わったら、僕の前に現れてくれないか。

 そして僕の隣で生きてくれないか。


 彼女に言いたいことが言えないまま、意識が消えてしまった。


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