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追想の愛は誰の為に  作者: 伊藤猫
第五章 わたしの檻
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3.再会



 ターゲス大将の指令により、海岸沿いの町や村に駐在していた兵士たちを中心に大勢の兵士が駆り出されているが、旧王都であるシャトーバニラにいる兵士も出動対象だった。


 シャトーバニラは鳥族であれば三十分程飛べば一番近い海に着く場所にある。

 交易で取引されたモノをいち早く運ぶことができるということもあるが、元々このメイラ島が南北に伸びた細長い形になっているため、その島の中央にあるシャトーバニラから東西の海までは必然的に近くなる。

 本来実践で戦うのは憲兵を務める第一部隊の管轄ではないが、戦闘経験のある者や魔力の多い者、または飛びぬけて戦闘能力がある者は第一部隊でも現場に駆り出されていた。


 その出動された一人であるジルベールは己の魔力で生成した金属製のナックルを拳にまとい、崖の上から飛び降りる勢いで魔獣に直接殴りこむと、魔獣は首が大きく傾き倒れる。


 黒くごわついた毛皮に牙の鋭い牛のような頭。左右に三つもあるギラついた目に獅子のような尾。そしてトナカイのような大きな角が生えていた。

 そしてこの周囲の木々を枯らす程の禍々しい魔力は明らかに魔獣である。


 首ごとへし折られて即死したのを確認すると、薄紫色の髪をかき上げては雄叫びを上げるように周囲の仲間に呼びかけた。


「あ"ぁ"あ"あっ!!スケイル!ジュリア!俺はもう飽きた!なんで同じバケモンばっかなんだよ!!他にバリエーションねえのかよ!!」

「アタシは良いけどね!人様殺すよりは平和じゃない!?」

「害獣放流してる時点で平和もクソもないけどな」


 ジュリアはヘラヘラと、スケイルは冷静に返す。

 周囲の魔力を吸い取っている時点で、近くに農村があれば致命的だ。こんな魔力不足のご時世に大陸の国は面倒くさいモノを寄こしてくる。


 本来護衛をメインの任務を行う部隊に所属されている彼らがなぜ遠征に駆り出されているのかというと、彼らは数年前の内乱での戦闘経験があるからだ。

 内乱が終わってから軍は職を求めて人が増えたものの、この数年で兵士の能力が簡単に上がるわけがなく、全体的に兵士の質が低い。ということもあって彼らはサポート役として出動が命じられた。


 それが表の理由だが、彼らの上司(アリス)が反逆を謀った疑惑が建ったせいで彼らも謹慎を受けてしまい、上層部へのストレスが溜まっていたため、その矛先を変えるのにちょうど良かったというのもある。(彼らの手綱を引くアリスからの提案だ。)


 しかしいざ出動してみれば、上陸した敵の軍勢はすでに陸の人間に仕留められてしまい、残ったのはこの国では何十年も前に狩り尽くされたはずの魔獣だった。


 この国の若い兵士達は長年の内戦の影響で大陸に足を踏み入れたことがない人間がほとんどだ。

 大量の魔力を取り込んで異常に成長した獣を討伐することはままあれど、本物の魔獣を討伐したことも直接見ることも初めてであるが、慣れていけば動きが単調である獣相手なので飽きも出てくる。


「抑えろ単細胞」

「あぁ!?お前だって似たようなモンだろうが」


 手持ちの槍で魔獣の首を一気に切り落としたスケイルは普段被っているフードを外し、もみあげだけを三つ編みにした癖のある紺色の髪をあらわにしていた。

 灰色の瞳を光らせ、二股の舌で舌なめずりをすればもう狩りをする蛇の顔である。


「アンタたちイチャついてないで戦え!」


 褐色黒髪でツインテールの豚族のジュリアは魔力を込めた水の渦で魔獣を誘い込んで剣を使って切り付けている。


「これのどこがイチャついてるって言うんだ!」

「趣味悪いこと言うな黒豚!!」


 反論するスケイルとジルベールにジュリアの青い目がギラリと光った。


「あぁ"!?テメェらまとめて魔獣のエサにしてやろうか!?」

「はぁあん!?海が近いからってここぞとばかりに有利になりやがって!」

「非効率なやり方しやがって!」

「文句言うなら魔力吸い取ってる魔獣に言え!!」


 この三人はそれぞれ内乱を経験し幾度も命の危機を乗り越えているため、個々の能力は高いし、任務時は真面目に隊長の命令は聞くのだが、そうでない時は自由奔放で面白そうなところに吸い込まれがちな問題児でもあるため他部隊の信用は薄い。

 そんな彼等は一応応援として来たにも関わらず、押し込められるようにまとめて魔獣を倒す役に回されていた。つまり悪いのは彼らの性格である。


「大物が来たぞ!」


 スケイルは遠目に他の部隊から誘導されてきた巨大な魔獣を確認する。

 面倒な奴らに面倒な敵を放り込むのは嫌がらせにも思えるが、この状況下においてあのレベルの魔獣を倒せるのはこの三人しかいない。

 三人の口角は上がる。


「野郎ども準備はいい?」

「あぁ」

「おーおー、いっちょやりますか!!」


 ジルベールとスケイルは懐に持っていた人口魔石を砕く勢いで強く握り締めるとその魔力を体内に吸収する。

 三人が開けた場所まで向えば巨大な魔獣がぎょろりと複数ある目を向けてこちらを確認した。平民の家くらいあるこの魔獣大分大物である。


 ジルベールは素早く地面に手を付けると魔獣の下に向かって一直線に己の魔力を放出した。

 魔力が魔獣のいる場所に届けば、魔獣の下は砂状の穴に変わり、魔獣の足はもつれた。

 どんなに足掻いて抜け出そうとしても、今度はスケイルの風の魔法によって上から大量の砂をかけられるので抜け出すことが出来ない。

 沈められて身動きが取れなくなっていく魔獣に今度はジュリアが乗っかると、水で作った鎖鎌を首に刺した。

 鎖鎌を通じて内側から無理やり魔獣の血液を制御し、ジュリアの魔力が注がれていくと魔獣は酷く雄叫びを上げた。


 この一連の流れは巣穴に入り込んだ獲物に砂をかけ続けることでそれを捕らえ、最後は己の消化液を注入して殺し喰らう蟻地獄のようだ。


 本来魔獣や人など生まれつき魔力核を持った生き物は、意図的に必要以上の魔力を体内に注ぐと、属性が合わなければ拒絶反応を起こして最悪死に至り、そうでなくとも許容量を超えると加減を誤れば魔力を発散するために魔力暴発するか、魔力核が硬化して死に至る。魔獣に行えばどちらにせよ暴れるので危険な行為だ。


 しかしジルベールとスケイルが作り上げた砂穴の影響で身動きが取れない状況下であり、且つジュリアの血液操作の技を用いれば容易に魔力核を硬化するように行うことができる。

 この大掛かりな技は開けた場所に誘い込む必要があり、三人の魔力が十分にある状態でないと行えないため、使用する状況が限られている。

 そのため魔獣を誘い込む兵士達は開けた場所まで誘い込む必要があるため、一番危険なのは彼らである。


 魔力を注がれた魔獣は暴れるものの、徐々に衰弱していく。血流が止まったのを確認すれば、ジュリアは水の槍を引き抜いた。


「これでよし」


 ジュリアが魔獣から避けるとジルベールとスケイルは魔法で魔獣を運び出し、残った砂山は元の硬い地形に戻した。砂穴が増えれば足場が悪くなってしまう。


 討伐完了の信号弾を飛ばしたスケイルは、平民の住まう家くらいの大きさのある魔獣を見上げてぼそっと呟いた。


「……あの魔獣食えるのか?」

「それならしばらくは肉食い放題だな」

「でもあんなでかいの絶対大味でしょ」


 三人は戦地での経験が長い。食料が不足して腹を空かせたこともあるため食にがめつい。

 大抵魔力で巨大化した獣は軍が討伐すると、その肉は次の日軍の食堂で調理される。貴重な食料源であることもあってか、軍の経理に携わる者は少しでも食費が浮くので大喜びだったりする。


「お前ら本当に草食動物か?」

「「人間だよ!」」


 蛇は兎も角、豚と山羊(ヤギ)は本来草食だ。しかしスケイルのそれは冗談だと分かっている二人は笑いながら反論した。


「焼きたてに塩かければなんでも美味いだろ。俺は肉ならカエルでもネズミでも食えるぞ」

「ははっ、アタシも~」


 ジュリアは笑いながら同意する。戦闘後にこんな話をしていれば肉が食いたくなる。


「あー、腹減ってきた」

「やめろ言わないようにしてたのに!」


 この魔獣討伐において彼らは魔獣の首以外傷付けてはいけないと言われている。

 これは現場指示した陸軍からの嫌がらせだが、彼らは言われた通り討伐する魔獣全てを斬首か、頸動脈を切ったことによる失血死。または今のような魔力核硬化による心機能の停止にすることで済ませていた。


 別のところで信号弾が打ちあがるのを確認する。三人は休む間もなくすぐに場所を移動するのだった。



―――

///


 わたしは赤子の頃から母から継続的に血を与えられながら育った。

 わたしは生まれた時から母から貰った力を持て余し、赤子の身体でその力は耐えられなかったからだそうだ。


 わたしは生まれながらに未熟だった。


 わたしは生まれながら周囲の生命力を吸い取る力が強く、わたしは力を制御出来るまで弟妹達に触れる事も出来なかった。

 だけど両親はその辺の植物や動物に魔法をかけて練習し、制御出来ればとても喜んで褒めてくれた。


 家族が増え、母からわたしへの触れ合いが減っても、母の一番は父だからわたしが二番目なのだと思っていたし、まだ小さい弟妹達のために譲るのだと思って我慢できた。


 だけど違和感を感じたのは三番目の妹が生まれた頃だった。

 花を持って母に上げた弟の頭を撫でる時、母は頬を染めて目を細めて笑いかけていたのだ。

 あの母の笑顔は花が咲くように美しくて、目を離せなかったのと同時に、わたしにその笑顔を見せて欲しいと幼心なりに思うようになった。


 それからのわたしは母に褒めてもらおうと必死だった。


 その頃のわたしは母の力を使うことが出来るようになっていたし、弟妹達と遊ぶことも出来るようになっていた。

 身体が出来上がってきたことを理由にその頃から父から徐々に狩りの仕方を教えてもらうようになっていた。

 己の魔法を極めて、狩りをして、機織りもして、今思えば男がする仕事も女がする仕事もしていたような気がする。だけど母は弟妹達が増えるにつれてわたしを見てくれなくなった。


 母から直接血をもらうことが無くなり、血の入ったスープを出されるようになってから猶更焦りを感じた。

 そのスープを初めて出された時、色が赤いからビーツが入っているのだと思った。実際に母が調理をしている時、ビーツを入れているところを見たからだ。

 だけど一口濃い鉄錆の味を感じてすぐに母に目を向けた。母はわたしの視線にすぐに気付き「あなたのにはわたしの血を入れたの。味は悪くないと思うのだけど……」と恐る恐る話した。その表情を向けられたら否定の言葉は言えなくなるのだと初めて知った。


 父にわたしのスープについて聞けば、「もう母親の指をしゃぶる歳でもないだろう?」と困った顔で言う。

 わたしは親を困らせたくなかった。あの時はそれ以上の言葉を紡げなかった。


 あの時、わたしは母の指が欲しかったんじゃなく、母と触れ合いたかったのだと自分の気持ちを理解していれば何かが変わったのだろうかと思う。


 だけどあの時のわたしは自分の感情が分からなくて、泣いて、一人で森の中をとぼとぼ歩いていれば、山のふもとに住む人間たちとばったりと鉢合わせてしまった。

 父と一緒に狩りをしている時にも多少の関りはあったけれど、父がいない時に話すことは初めてで、戸惑いはしたけど、相手は泣いていたわたしを気にかけてくれて、それからわたしは時折彼らと話するようになった。


 人間と関わった日、母はわたしから何かを感じたのか、今まで見たこともない嫌悪の表情をわたしに向けて唇を少しだけ動かした。


 読み取れてしまった言葉の意味をわたしは最初理解できなかった。だけどあの時母がわたしに向けていた感情は明らかに嫌悪のそれで、硬直から解け、わたしは母から「醜い」と言われたのだと理解した時、わたしはなぜ母がわたしを醜いと言うのかが分からなくて、そう思う母がとても恐ろしかった。


 父にその時のことを話してみれば「お前を嫌っているわけじゃないんだよ」とわたしを抱き締めるだけで、これ以上は何も言わなかった。


 母さま、あなたはどうしてあの時わたしに「醜い」なんて言ったの。

 聞けなかった。聞くのがなんだかとても怖かった。


 母は一層弟妹達に愛情を注ぐ。わたしは人間と交流を持つ。


 わたしは次第に母から貰った()を素直に受け取れなくなって、7歳になったある日こっそり隣にいた弟の皿と取り替えた。


 だけど弟は母の血液入りのスープを口にした途端倒れてしまい、わたしは必死に弟の名前を呼んだ。

 弟は事なきを得たが、わたしがスープを取り替えたことを確信したのか、母は絶望的な顔をした。父から「彼女の血は弟妹達にとって猛毒だ」と説明された時、わたしは母がさらに恐ろしく感じた。


///

―――



 女神アイビーが夫であるアセビを待っていた樹木の下に向う。

 湖の近くにある穴が空いた大木に向かうと言えば、彼女はなにか納得したような顔をしていた。


「どうしたの?」

「いいえ……あの木は暫定で【空】と【時】の礎の代わりを担っておりました。……一番女神の魔力が集まっていた場所だったので」


 他の魔術の礎が女神の肉を食した者の肉体を触媒にしている反面、【時】と【空】の属性は女神とその夫の一部を触媒にすれば問題なく稼働したらしい。

 ただ、なぜか夫の方は女神の姿が消えるまで魔法も魔力も持たなかったせいか、魔力を引き寄せることができなかったので、女神の肉体と一緒にせざるを得なかったらしい。

 フィーはそんなクローバーの解説になるほど。と納得する。


 その身体の一部が何処なのか、どうして一つ残さず女神の肉体を消してくれなかったのかを聞くのは、後にしよう。


 地図上における礎の配置はなんだか不自然な気がするが、他の礎は国を守る役目も兼ねていたから、きっと誰もが魔術を使えるようにするための手段として作るだけならどうでもよかったのだろうと自己完結する。


 なら中央にある王城にある供給の間は一体何のために置かれているのだろう。魔術の起動装置として置くならその場所は魔力の供給場所である必要はないはずだ。


 共にいたクローバーは、なぜフィーがその場所を知っているのか聞きたそうな様子だったが、「全部終わったら話す」と言えばその場で飲み込んだ。

 アセビの死後、アセビが生まれ変わって迎えに来るまでアイビーが木の洞の中で眠っていたことを知らなかったらしい。ソーレル。いや、■■■■とアイビーはあの13年程度の時間しか共に生きていない。

 お互い長い時間を生きていたにも関わらず、自立する時とアイビーが死ぬと宣言する時だけしか親子らしい語らいをしなかったのだなと思う。


 駆け足で向かう道中に近くを横切った時に見た湖は、水の量が増えたのか当時よりも若干広くなっているように見える。

 暗くてよく見えないが既にその水面も錆びた鉄で赤く濁ることなく無色透明な綺麗なものになっているのだろう。その様子にフィーは内心安堵していた。


 ようやくたどり着いた大木を見上げると、その姿は長い年月をかけて様変わりしているにも関わらず、その下ある洞の大きさや形は変っていなかった。

 本来なら成長に伴って穴が埋もれてもおかしくないのに、その木は誰かを待つように、その根本だけは人一人分が入る程度の大きさを保っていたのはクローバーが礎だと言うように、定期的にそこを管理していたからだろうか。


 洞の中に入ろうとするが、クローバーが先導すると言って先に入っていく。

 フィーも後に続けば、洞の奥にはアイビーがいた頃にはなかったはずの階段が作られていた。

 クローバーは己のステッキを取り出すと先に光を灯して使って奥深くにある階段を下った。


「この下に礎の触媒があると言われています。わたしは主から記憶を共有していませんのでその先の詳細は分かりませんが」

「詳細を知らない?」

「……わたしに、いや、人形にその記憶を共有しなかったのは、主にもお考えがあるからでしょう。わたしが知っているのはここまでの記憶だけです」


 二人がたどり着いたのは杯が置かれている空間だった。

 魔力供給する場所にも似ているが、その杯にはたぷたぷと赤と緑が入り混じったような色の液体が満杯に溜まっている。


「……【時の魔石】?」


 目の前にあるのは魔石ではなく魔力で出来た液体なのだけれど、その色はシャトーバニラにある教会に置かれている【時の魔石】に似ていた。

 その魔石は普段はエメラルドのように緑色に輝く石だが、似た色である【地】の魔石とは決定的に違う特性がある。

 それは発光性のある魔石。すなわち【光】属性の魔力に照らされると赤く輝くのだ。

 教会に飾られている【時】の魔石はその特性を見せるために、一部だけ赤く輝かせるために光の魔石を近くに設置してある。


「……いいえ、【時】と【空】の魔力だと言われています」


 そういえばソーレルが話していた礎の元になった女神の子供達のなかに【時】と【空】がいなかったのはなぜだろう。

 しかしそんなフィーの思考も気にせずクローバーは魔力を認証するパネルに手を当てると、その左隣に扉が現れた。


「この先に触媒があります」

「……クローバーは?」


 彼女は無言で首を横に振る。彼女もこの先にロイクがいると確信している。

 フィーは扉のノブに手をかければ問題なく扉が開いた。扉の先は真っ暗で何も見えないが、その先の方が何度も感じた濃厚な魔力の気配がある。


「ご不運を」


 後ろからかけられたクローバーの声はどこか硬く感じた。



―――



 己の長い長い遠い昔の記憶が蘇ったとき、知恵熱で高熱で寝込み、熱でうだるげになった頭で実の両親はもう死んだのかと父上に問えば、彼は驚きつつもすぐに動いた。

 結果を言えば当時王城の宮中伯として働いていたらしい自分の実父は前日に事故で亡くなったことが発覚し、それからすぐに自分はゲリーとアイリスの子供として正式に養子縁組され、そのままカレンデュラ家の次期当主に内定してしまった。


『僕は女神に会いに行かなければなりません!彼女は――』

『ロイク、女神はここにいるんだ。これからもな』


 混乱する頭で事情を察していたらしい父上に女神に会いたいと懇願するも、父上から諭され、もう二度と女神に会えないという絶望を抱いた。


 そして記憶の整理と当時の感情のすり合わせが出来ていない状況で、当時まだ幼かったダリアが自分に問うた。


『おにいちゃん……あなたは、だれ?』


 彼女からは孤児院に入って早くから随分と懐かれていたこともあり、すぐに別人なのだと察知された。

 そして彼女からの純粋な疑問は絶望を感じていた自分にかなりの衝撃を与えられ、自分が何者なのか分からなくなった時期があった。


『お兄ちゃんはお兄ちゃんでしょ?ダリアのために色んな事をしてくれる優しいお兄ちゃんはあなただけだよ』


『女神様が好きなの?ロイクが好きなら私も好きよ!』


 それでもダリアが自分を肯定してくれたことで現状と感情の擦り合わせが出来た。


「お前には感謝しきれないな。ダリア」


 自分の手元には自分が結婚を機にダリアに送ったチョーカーにぶら下がっていたチャームがある。ダリアの死後ロイクが外して革紐に通して肌身外さず身に着けていたものだ。

 チャームには己の魔力の色を閉じ込めた石が使われており、透明な水晶の中に若草色の緑とほのかに赤の色がインクを垂らしたように混ざり合っていた。光の魔石に反応しているのだろう。


『ロイクが誰を好きであろうと、私がロイクと家族でありたいって思うのは、ロイクにとって辛いこと?』


 ダリアは己の心に寛容だった。

 それに甘えていた自分は彼女を妻として尊重することは出来ても、彼女が死ぬまで愛することは出来なかった。

 それでも【女神の夫】ではなくロイク・フォン・カレンデュラとしての自分を作り上げることができたのは彼女の一助もあった。


 チョーカーを懐に仕舞い、目の前の魔石と対峙する。


 発光性のある光属性の魔石の光にあてられた魔石は炎のように赤く輝く。

 青緑色とも碧色とも呼ばれる大地の魔石と間違われやすいその魔石は、太陽の下では緑色で、魔力を帯びた光にあてられると赤く輝く性質があった。

 それは宝石である金緑石(クリソベリル)の変種とよく似ている。

 【時の魔石】と呼ばれているが実際は【時】と【空】の魔力が入り混じっており、普段は女神の夫の属性であると言われている【時】の魔力が女神の属性と呼ばれる【空】の魔力を閉じ込めているだけである。

 それに気付いたのはたった数十分前のことだ。なぜ隠されたものを暴く性質のある光の魔力によって赤くなるのか、なぜダリアに渡したチョーカーの石の色に赤と緑が混じっているのかを考えたことがなかったのかと、愚かな自分に嫌気がさす。


 自分はかつてのアセビとして女神アイビーと向き合わなければならない。


「アセビ」


 久しく聞いていなかった聞き馴染みのある女の声が狭い遺跡のような空間に響く。その肉体に合わせた年端のいかない少女のようで、しかしどこか老成したかのような声だ。


 こうして彼女が自分をアセビと呼ぶのは二度目だった。


「……アイビー」


 唯一の出入り口からコツコツと足音を響かせながらやってきた女が半月前に会った少女の容姿とかけ離れていることに目を見開く。

 竜族だと一目で分かるくらい特徴的な角と左頬の鱗は消え、その代わり少しでも屈めば地面に引きずりかねないくらい長い赤毛を揺らし、真っ赤な双眸をこちらに向けていた。


「久しぶりね」


 寂しげに浮かべた笑みが生前のあの笑顔と同じで、この場にいる二人はロイクとフィラデルフィアではなく、アセビとアイビーだと自覚させられた。


 自分はすぐ腰のベルトに差し込んでいた短剣を彼女に差し向けたが、すぐに見えない壁によって弾かれてしまう。


「……この力も、本来ならあなたのモノだったわね」

「分かってるなら、どうしてこれを受け入れてくれない?」


 知らずに声が上ずってしまう。

 たった半歩分の距離にある見えない壁がもどかしい。


 何が起こったのか頭痛と共に解けた女神の呪いは、『記憶を忘れない呪い』ではなく『記憶を忘れる呪い』だった。

 そして一気に思い出された記憶から、自分は彼女を殺さないといけないという使命が己の身体を焦らせた。


「ここに来たのは、わたしを待つためじゃないでしょう?」

「……」


 彼女が向けた視線の先。光の魔力にあてられて真っ赤になった魔石の中にある、よくできた作りの良い人形が触媒と呼んだそれに自分も視線が向いた。


「骨や臓物は食べることができても、首までは食べられなかったみたいね」


 真っ赤な魔石の中にはアイビーとアセビの生首が閉じ込められていた。


 アセビは死んだ当時と同じ老人の顔だったが、アイビーの方は良く知っているあどけない少女のそれだった。

 アイビーは死ぬためにアセビと同様に老化していたはずだが、肉体が死亡した直後に元に戻ったのだろう。


「君がここに来なければ、俺は、フィアを殺さずに済んだのに」

「女神の記憶に、未来のあなたがいたの。何回も、あなたはわたしを殺そうとして、わたしに殺されるか、何らかの形で姿を消していた」


 見えない壁を解いた彼女は自分が彼女に向けた短剣の切っ先を握りこむ。

 掌から滲んだ血を見てすぐに引き離そうとするが、案外彼女の力が強いせいで中々引き離せない。

 ぼたぼたと流れた血が地面に落ちた瞬間、ぱきぱきと音を立てて透明な結晶を作る。


「アイビー!」

「殺されに来たあなたもいた」

「!」


 彼女はゆっくりと手を離し、血まみれの手で自分の頬に手を伸ばす。彼女の匂いと血潮が混ざり合って、あの日の出来事が鮮明に思い出される。


「どうしてなのか、あなたにわかる?」

「……そうした理由は、今の僕には分からない」


 呪われていたころの記憶はなぜか感情まで思い出せなかった。前後の記憶からなんとなくその時の状況は理解できるが、それすらも正しいのかも分からない。


「わたし達は、愛し合ってたはずなのに、今も昔も、お互いを守ろうとするだけで、何も言えなかった」

「……」


 掌の傷から零れる血がべとりと己の左頬に塗られる。


「初めて会った日、わたしは嬉しかったの。ようやくわたしを解放してくれる人が現れたんだって。でもそれはあなたにとって、酷く苦痛だったのも伝わった」


 幾度となく耐えたその欲求が蘇る。これは酩酊しそうなくらい、甘い、甘い毒だ。

 今すぐ彼女の血をすすりたい。だが自分が満足した頃には彼女はもうどこにもないのはわかっている。


「あなたがわたしに『我が鎖』って呼んだのはどうして?」

「……君なら分かっていたんじゃないか?」

「アセビ」


 突き放しても彼女が折れる様子は無い。

 彼女の手を取り、軽く舐めとれば彼女はすぐに手を引いた。長く生きている君でも、そうして初心なところがあるのが愛らしかったことを思い出す。

 引かれた手を引き戻し掌を見る。傷はすでに彼女の力で治されていた。


 引き戻した手を両手で握り、その場で跪いては己の額に持っていく。


「僕から君への愛が僕にとっての鎖だったからだ」


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