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追想の愛は誰の為に  作者: 伊藤猫
第五章 わたしの檻
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1.清純な心



『そうであるなら、父さま、あなたは一体何者なのですか?』


 かつて女神からも言われたことがなかったことを問うた時、初めて自分の娘に恐怖を覚えた。

 当時も感情や記憶を読み取る力もないはずなのに女神について何かを察する洞察力に、どこか達観した思想を持ち、女神の力を受け継いだ故に、女神と同様に何百年と容姿を変えないまま、弟妹の子孫たちを多く導いた自分らの長子であり娘。

 しかしその不老不死の体を持って六千年以上もの長い時を生きた彼女はその奥底が読めない。


「それで、名前を偽ってまで俺を呼んだ理由はなんだ。■■■■」

「その名前、最後に聞いてから久しいですね」


 ここまで不遜な態度で振舞っていたのが一変し、眉を下げては困ったような笑みを浮かべると、ようやく【女神の夫】の記憶通りの彼女の面影が出てきた。


「ですがわたしは、主の魂を分裂させた人形にすぎません。先日お会いした時に名乗った通り、わたしのことはクローバーとお呼びください」

「待て、今魂を分裂させたと言ったか?」

「主の魔法がどんなものなのかは理解しておりますか?」

「……ああ」


 なんせ女神が初めて産んだ人型の子供だ。どんな力を持っていたのか確認する必要があった。覚えていないはずがない。


「主は女神の死後、女神の子孫が集まる里を抜け、世界中を渡り歩きながら己の魔法について理解や解釈を深めました。

 女神が己の肉体を子供たちの魔力や魔力核に変えたことも要因でしょうが、いつしか生物や植物の成長を思いのままにできる他に、魂の概念を知覚できるようになりました。

 主は長い時を生きていたためか、己の魂が人よりも各段に大きいことに気付き、己の力を半減させるためにその魂を分裂させました。

 その分裂した魂がわたしたちです。わたしたちは主が封じた記憶も一部継承しております」

「力を分裂させた理由は?」

「……主の心が人間であり続けるためだと。主は長く生きていた分、魔力も成長していましたし、特に女神の死後は己の膨大な魔力を扱うことに苦難しておられました。

 わたしたちは人形だと言いましたが、実際は人間に似た生物のようなものであるため、首や心臓を一突きすれば死にますが、自ら魔力を生成できませんし、継続的に主の御力をもらわなければ生きることが出来ません。

 こうしてわたしたちが活動することも主の御力を微弱ながらも減らしているのですよ」


 つまりクローバーのような『人形』は主の記憶が記録された水晶(記録媒体)のようなものか。

 それらを作れる時点で彼女はすでに人間から逸脱しているようだが、そこまでしないと人としての人格が保てないくらい長く生きていたことに胸が痛む。


「お前のいう人形は一体何体いるんだ……」

「これはわたしも把握していません。ですがこの館以外にもこの島の各地にいるようですよ」

「……」


 この北の神殿跡にいる者達以外にも彼女の人形は多くいるらしい。

 にっこりと笑みを浮かべながら対応する様は貴族の夫人のようだが、かつて出会ったばかりの夫を信頼しなかった女神にも似ていた。


 この会話の間に他の人形たちが運んできた茶や茶菓子を口にする。本人は人形と名乗るがそうして振舞われると彼らも生き物とさして変わらない。

 茶菓子に手を付けない自分にクローバーは怪訝な目を向けた。


「――もしかして毒を気にされてます?」

「いや……人形という割には、人間とさして変わらないのかと」

()()()()()()()()ですから。魔力もなく、魔法が使えないこと以外、体の構造は人間とさして変わりありません。ですがすぐに主が直してしまうので苦痛は一瞬です」


 つまり毒を受けても傍から症状を見破ることは難しいようだ。

 魔力で生きる分彼らは食事を必要としないようだが、振る舞いから見ても娯楽程度には食べ物を口にしているらしい。

 口にした茶はウイエヴィルで売っている茶葉と同じ香りがした。


「では、先ほどの問いに答えましょうか」


 クローバーは順を追って自分をここに連れてくることに至った経緯を説明した。 


 元皇女であるオルキデアが教会を潰す計画をしていたことを知ったクローバーの主がオルキデアに接触したことがことの始まりだという。

 二人はとある契約をしたらしく、その契約の中にロイクの身柄の保護が盛り込まれていた。

 教会の枢機卿はカレンデュラ家当主が【女神の夫】であることを知っている。甥姪を救う過程で余計なところに被害が被らないよう、念のため身柄を保護したという。


「自分の身は自分で守れる。同意しているとはいえ、これは拉致に近いぞ」

「人形に言われても今の主には届きませんよ」


 頭が痛い。子供たちを軽く人質にされた故にここまで来たがむしろ危ないではないか。しばらく監視されている気がしたが、まさか新人の使用人も教会の手の者か。


「俺のことはどうでもいい。使用人もまだ経験が浅い。子供たちの方が危険だ」

「これはカトレア=オルキデアの暴走なので貴方が懸念していることはなにも起きてませんよ。それに、教会も稀有な魔法を持っていてもろくな魔力を持たず、以前から歴代の女神の夫から聞かされていた記憶を今更聞く意味がありませんから、あなたの身柄を今更求めていませんよ。

 あっても女神への脅しの材料でしょう。フィラデルフィアがあなたと懇意に手紙のやり取りを行っていたのは知っているようです」


 「あなたの孤児院に張っていた監視も、皇女ではなくロータス家が内部で監視するためのものだったようですし」と平然と茶を飲む彼女に大きくため息を吐く。

 もし今帰ろうにも更に数日かかる。毎日夜に転移魔術で孤児院に手紙で連絡を取っていたが、孤児院からの手紙は全てガーベラの筆跡だった。何かあった時の合図も書かれていないため問題なさそうだが。

 あの皇子よりもマシだとは思っていたが、兄妹の血筋故かあの女も問題しかなかったらしい。

 三年前会った時は、年齢の割に思想や感情が偏っているように見えたが、必要最低限の良心はあると判断していたのに。

 彼女が皇帝になったらどうなっていたのかと思うと別の意味で心底ぞっとする。


「…………元皇女の暴走だと分かっているなら、受ける必要はないだろう」

「主が引き受けた理由は、『【女神の夫】が出来なかったこと』を実行するための取っ掛かりを得るためです」


 その言葉に眉を顰める。「覚えていないので仕方ありません」と彼女は肩を竦める。


「【女神】の記憶を見たいと思いませんか」



―――



「神話の、やり直し……?」


 両手を広げてこちらを見据える娘にフィーは声が震える。

 真っ赤な瞳に捕らえられたような気がして逸らせずにいる。かつて女神に睨まれた人間たちもこんな気持ちだったのだろうか。


『わたしも、あなたのようになれれば、あなたの苦しみを理解できたのでしょうか。……あなたが、わたしを憎む理由も理解することが出来たの?』


 ■■■■は女神が人間への復讐をするために初めて産んだ魔法を持った人間だった。


 しかし当時色鮮やかな髪や瞳の色を持たなかった人間達と比べて浮いていた女神やその夫と違い、黒髪に黒目という一見普通の人間と変わらない容姿に女神は彼女を心の底から愛することが出来なかった。

 それに彼女が成長するにつれて、女神が暮らしていた森の外れにあった集落に住まう人間達と仲良く暮らしていたことがとても腹立たしく、疎ましく思っていたし、それを彼女自身も察していたから距離を置くことを決めたはずだ。

 それに加え、次々と一人立ちする明らかに人間ではない弟妹達が親元を離れて暮らすことができるようにと、体のいいように押し付けた自覚もあるから、むしろ恨まれても仕方ないと思っていた。


 だからいつの間にか目の前で感情の読めない笑みを浮かべている彼女が、今更()()()に何を求めているのかが分からない。


「はい。この数千年。わたしは幾度となくあなた方が生まれた所以を探しました。なぜあなたのような人が神秘を抱えて生まれたのか、いつから存在していたのか、なぜあなたの御子達にそれぞれ違う魔法が継承されたのか。

 ずっとあなたの夫である父が誰にも明かすことなく呪いを持ったままだったのか、わたしは知りたかった」


 娘は懐から手のひらサイズの水晶を取り出す。明らかに魔術が施されているはずの水晶を見てフィーはすぐに身構えた。


「でも、これでもうじき解放される」


 手にある水晶に魔力が籠められていく。自分の身に危険が及ぶことは目に見えて分かっていた。

 ステッキの中に記録されている転送魔術は人間には使えない。

 かと言って彼女の魔法を前に自分の魔法で太刀打ちできるとも思えない。


(女神の全てを知りたいとか、そんなの……)


『どうか、俺を殺して欲しい』


 不自然に記憶が欠落しているこちらの方である。

 何も覚えていない。しかしロイクなら何か知っているのだろうか。手がかりがないかと辺りを見回すが何処もかしこも魔石ばかりである。そんな魔石の鉱床を見てふと嫌な予感がする。


 教会管理なのだろう無尽蔵にある青系統の魔石、不自然に欠落している一部の女神の記憶。そしてロイクの魔法。


(あの記憶はロイクの未来――?)


 背筋がぞくりと粟立つ。

 あの記憶の先、未来から来た夫が女神を殺すなんて言ったら女神はなんと答えていただろうか。自分の中にある記憶なのに何も思い出せないのがとてももどかしい。


『それはそっちのわたしに言って。今のわたしにとってそれはどうでもいいことよ』


 女神は自分の夫以外は何も見えていないのだ。受け答えによってはロイクが殺されかねない。


(もう、嘘でもなんでもいいから全部思い出して――!)


 パリンと何かが割れた音と共に、自分の頭上から多くの出来事が雨のように降り注いできた。

 不自然にぼやけていた記憶だけでなく、今までフィーが夢の中で見てきた記憶にも、当時女神でしか知らなかった感情が補完されていく。



///



ずっと嘘だって気付いていた。

嘘は歳月を経るごとに、段々真実になっていった。

それでもずっと変わらないものはあったから、わたしはそれをずっと大事にすれば良いと思っていた。


殺してほしかった。あなたもわたしを殺してくれるって分かったから、私はあなたに期待した。

だけどそれはあなたの心を苦しませていた。

だからあなたを何度も殺したのに、あなたはずっとわたしを愛してくれた。


わたしたちはずっと一緒に居たいって気持ちだけは変わらなかったのに、わたしたちはどこかずれていた。


心のどこかで分かっていた。

だけどこれだけはどうしようもなくて、わたしは、わたしたちは、どうしたら良かったのだろう。


何が正解だったのだろう。


正解を教えてくれるカミサマはどこにもいない。

わたしを生んだカミサマはもうどこにもいない。


だから何度も何度も何度も考えた。わたしたちの最適解をずっと探してた。


何度も恨んだ。何度も殺した。

わたしにしか出来なかったから、あなたの代わりに何度も憎んだ。


何度も愛した。何度も慈しんだ。

あなたにしか出来なかったから、わたしの代わりに何度も愛した。


何度も育んだ。何度も苦しんだ。

あなたに抱えて欲しくなかったから、あなたの代わりに何度も間違いを重ねた。


あなたはもう苦しまなくていいよ。だからわたしと一緒にいよう?

なのにあなたはずっと考えを変えてくれないまま、この世界にずっと縛り付けられている。


その果てで、わたしもあなたと繋がったままになった。


愛してはいけないのに、愛してしまった。

殺さないといけないのに、殺せなかった。


そんな後悔でずっとあなたは苦しんでる。

何百年も何千年もずっと。



///



 どれくらい時間がたったのだろう。

 降り注いでくる記憶を受け止めていたフィーを娘は呆然と見るが、その数秒後突然娘はこめかみに指を抑えたと思えばうろたえた。


「――『父』が居なくなった……!?」

「ロイクは何処にいったの!?」

「っ……!」


 娘の肩を掴み鬼気迫った表情のフィーの姿を見て、娘は一瞬幼子のように怯えた目を見せた。フィーも慌てて手を離す。


「……いいえ……あなたが気にすることでは」

「違う」


 フィーは情緒不安定な娘に懇々と説明する。


「アセビ……いやロイクにかかってる呪いを解く。それは私が決めたことだし、今の貴女と話す前に解決しないといけないことだ。そうでないと、貴女に対しても誠実じゃない」

「誠実かどうかはわたしが決めます」

「いいえ、今までわたし達は都合のいいことしか覚えてなかった。わたしが、アイビーがそれを望んだから。そんな曖昧な状態で貴女に話せる事実はどこにもない」


 娘はフィーの言葉に顔を歪ませた。きっとアセビが何もかもを鮮明に覚えていたから忘れているなんて思わなかったのだろう。

 彼女の持っていた水晶がするりと手から滑り落ち、地面に落ちた途端その魔術の効力を失ったのか、黒く濁ってしまった。

 何に使おうとしたのかは分からない。だけど彼女の戦意は喪失したように見えた。


 ロイクが行おうとすることを今するとは思わないけれど、もし今ロイクが過去の女神に会いに行こうとするなら時の魔石がある場所だろう。

 この場所が【水】の魔術の礎なら各々の属性を象徴とする礎があるはずだ。

 そうでなくともロイクのいる場所を念じれば勝手に転送できるのではないか?


 娘はそんなぶつぶつとつぶやきながら考えごとをするフィーを見てひとりごちる。


「今のあなたは、かつての母さまには程遠いですね……」


『あなたがまた父さまと会えるまで、わたしが、あなたにまた会えるまで、わたしはずっと待ってます。母さま』


 愛情がなかったわけではない。だがきっと自分たちが臨んだことを掛け違ったのだろう。

 フィーは娘になにも声をかけずこの場から去った。



―――



 姉さまはなんでもお見通しだ。

 姉さまは遠くの村や里をひとまとめにしているからだ。

 わたくしが海で子孫たちが繁栄していった様を知っている。

 わたくし達に歯向かった人間をわたくしの子供が首を遺して食べたことを知っていた。

 姉さまは、「母さまはどう言うかしら……」と不安げだったけれど、母さまも同じだと思うと言えば、悲しそうな表情をした。


 姉さまは母さまが大好きだ。

 だけど母さまは父さまのことしか見ていないという。

 どうしてこんなに素晴らしい姉さまを母さまは褒めてくださらないのだろうと思ったら、「母さまは人間が嫌いだからですよ」というので、「姉さまは人間ではないでしょう?」と言えば「見た目は人間でしょう?」と言った。

 母さまの血をもらったのは一番上である姉さまだけだと、姉さまは知っているのだろうか。


 姉さまは美しい。

 毎日姉さまに仕える者が徹底して姉さまをきれいにしたし、姉さまの艶やかな黒髪に雪のように白い肌、父さまによく似た切れ長な瞳、輝く周りの者も姉さまの容姿を褒めたけれど、姉さまが真に受けている様子はない。

 姉さまは自分の顔が父さまにそっくりで、母さまの瞳と同じ真っ赤な瞳をしていることを自覚しているのだろうか。


 姉さまは自分の姿を見るのが嫌いだ。

 母さまと父さまに近いお姿をしているのに、理由は「人間みたいだから」と言う。

 母さまからもらった御力を持っていること以外は人間とさほど変わらないという姉さまの部屋には鏡が無い。


 姉さまはいつも正しい。

 姉さまの助言の通りにすれば事が上手くいく。

 たとえそれが周囲の者があまりいい顔をしなくても、姉さまがしたことはすべていい方向に持って行った。

 だから母さまが死んだ後、わたくしたちが母さまを食べるのだと言われた時も我慢して食べた。

 姉さまが、母さまが出来なかったことを行うために、わたくしをここに眠らせると言ったことにも頷いた。

 姉さまは「本当にいいの?」と不安げにおっしゃったけど、わたくしも姉さまほどじゃなくても十分生きた。子供も孫もひ孫もその先の子供達をたくさん見たし、たくさんの幸せを噛みしめたから眠ることは嫌ではない。


 だけど姉さま。わたくしは貴女ともっとお話がしたかった。

 姉さまは多くの者に慕われているから、あなたを独占することは叶わなかったけれど、一晩でいいから共にお話がしたかった。


 姉さまの好きな娯楽はなにかしら。

 歌ならどんな歌が好きか知りたいわ。

 姉さまの好きな食べ物はなにかしら。嫌いなものもあるのかしら。

 姉さまは母さまからなんて呼ばれていたのかしら。

 姉さまの子供は誰だったのかしら。番は誰なのかしら。

 姉さまは今までどんな恋をしたのかしら。


 この眠りの先、己の肉体が朽ちて塵になることになっても、わたくしは姉さまを恨まない。首輪をかけたって構わない。

 だけど、わたくしの心残りは姉さまが永遠の時を生きる先で、孤独になることだ。



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