10.飛べない金糸雀は愛の歌をうたう
『せんせいには、おかあさんはいるの?』
『おや、私の母ですか…………そうですね。母のような方が一人。ですがしばらく会話をしていませんねぇ……』
『どうして?』
『眠っているのですよ。長い長い眠りについている』
寂しそうな顔をしていたから、先生の周りにいる他の大人たちに聞けば、先生の母親は女神さまなのだと教えてくれた。
魔法を人間に与えてくれた女神さま。ボクたちのお母さんのような存在が先生にとってお母さんで、みんながそう言うのならそうなんだろうなって思った。
女神さまはボクたちのなかにある。だから会話することができない。だから先生は寂しい顔をしているんだと思っていた。
『女神はこの世に存在してはいけない』
だから先生が女神さまを殺そうとしていることを知って、ボクは先生が分からなくなった。
『フィーを殺す?本気で言ってるのか』
『俺の家族を殺すのは誰であろうと許さねえ』
『待ちなさいウォルファング!彼もフィーの子供です!』
オオカミの人が、女神さまを殺すことに怒ってた。でも女神さまをフィーって呼んでて。家族だって言ってる。
オオカミの人は一瞬で先生を刺した。先生が倒れるのを見てボクは困惑して、でもオオカミの人はすぐに先生の力で倒れた。
『ウォル!』
そしたらサイネリアと一緒にやってきた赤い髪の女の人が、倒れてるオオカミさんを見て泣きそうな顔をしていた。
『ミスルトゥ、あの赤毛の女が貴方の母親であり、貴方を捨てた咎人です』
そこで自分のお母さんを初めてみた。
赤い髪にボクと同じ角と翼を持っていたお母さんは、ボクじゃない家族を見て悲しい顔をしていた。
ボクのお母さんは咎人だった。ボクを孤児院に捨てたからだ。
ボクにごはんをくれなかったのはお母さんのせい、ボクがあたたかいベッドで寝れなかったのはお母さんのせい。ボクがいじめられたのはお母さんのせい。
そう先生は教えてくれた。
だから咎人として処刑されるのは当然だって思った。
お母さんの姿を初めて見た時、そこにサイネリアがいた。
先生はサイネリアを捨てた。先生の言うことを聞かなかったからだ。
だけどお母さんがサイネリアを抱っこしていたのを見たから、ボクはちっともうれしくなかった。
どうしてお母さんはサイネリアを抱っこしてるの?
どうしてお母さんはボク以外の家族がいるの?
どうしてボクを捨てたの?
どうして。どうして。
どうして。
―――
「おばさま、いきてますがたおれそうです……」
オルキデアにその場から去るように言われ別の場所へ転移した後も、サイネリアは魔法でオルキデアの様子を見ているようだ。
魔力暴発した人間を見たことがないのだろうサイネリアはだいぶ心配そうな表情を浮かべている。
先ほど王城の一部の建物が軽く揺れるくらい轟音が聞こえた。この場所まで冷気を感じるのでそれくらい大量の魔力が放出されたのだろう。
サイネリアはその後オルキデアが場所を転移したことを確認したらしい。
「……アリスのところに行こう。彼じゃないとオルキデアの魔力をなんとかすることができないから」
「……おじさまとはおあいしたことがないので、どこにいるのかわかりません」
サイネリアの千里眼は特定の誰かの様子を見る場合、直接対面しないと見ることができないらしく、サイネリアは困った様子をしていた。
対面しなくても探す方法はあるようだが、そちらの方は骨が折れるらしい。
サイネリアの頬が紅潮しているように見えるので、額に手を当ててみると微熱を感じた。手を握ると指先が若干冷たい。魔力の使い過ぎだろう。
達観した性格をしているがこの子は体はまだまだ幼い女の子だったことを思い出す。これ以上彼女の魔法に頼るわけにいかない。
「いままであったことがあるひとをみればわかるかもしれません、ですが……あれ?」
じっと何もない空を見つめ、見つけた。と確信した表情をしては自分の手を引く。
「ぐんのびょういんです。いきましょう」
病院なんて、誰かの見舞いに行っているのだろうか。
それにしてもサイネリアは本来混血であるはずなのに、この間も彼女の片目は赤く光らない。
魔法の使用を悟られないように誤魔化すにしても、ここまで徹底する必要はないはずだ。
「サイネリアって混血だよね……?」
「……?はい」
質問の意図がつかめないのかサイネリアは首をかしげる。気付いていないのだろうか。「ちょっと熱っぽいから魔法を使うの制限して欲しい」と伝えた。
ここまでだいぶサイネリアに頼っている。この状況で魔法を使うなと言えないのがとてももどかしい。
「………ごめんなさい」
「何も悪くないよ。あなたに無理強いさせてる私が悪いの」
自分の魔力をサイネリアに供給できればと思ったが、魔法の属性が違う他者に魔力を供給することは難しい。そもそも魔力も魔力核も女神がもともと魔力を持ち合わせていなかった生物に無理やり加えた付属品なのだ。専用の魔術や道具がないのでどうしようもない。
自分の感情が伝わってしまったのだろうか、サイネリアはぎゅっと自分の脚にしがみついてくる。
フィーは羽織っていたマントを外した状態でサイネリアを背中に背負うと、その上からマントを羽織りなおした。孤児院でガーベラが背負う子供の体を冷やさないようによくやっていた方法だ。
サイネリアはすこしもぞもぞと動き安定する場所を探すと、最終的に両腕をフィーの肩に回した。
「行ける?」
「はい」
魔術陣のある場所に立つと、サイネリアはその魔術を実行した。
場所が変わり、どこかの建物の裏にいることが分かる。ここがサイネリアが言っていた軍の病院だろうか。
皇族の転移魔術もそこかしこにあるようだが、軍の敷地内にまで隠されているなんて思わなかった。多すぎではないだろうか。
アリスが近づいているというサイネリアの言葉通り、植木の影に隠れて待っていると特徴的な白髪にうさ耳の男が見えてきた。
「アリス!!」
「フィー!?」
見慣れた顔が視界に入り、嬉しさのあまり飛び出してきたがアリスは周囲を警戒した。「誰もいないよ?」と言うと「そうじゃないんだよ」とあきれた顔をこちらに向けてきた。どういうことだ。
「どうしてここに?」
「この子がアリスを探してくれたの」
自分の背中に背負っているサイネリアを見せるとマントの隙間から恐る恐る顔をのぞかせる。
アリスは目を見開いて自分と交互に見ると少々安堵したような素振りを見せた。
「……なるほどね。フィー、事情は後で聞くから、悪いけどもう少し走れる?これからクライアンと合流する」
「大丈夫」
クライアンの魔法は視界に入っている場所以外にも予め魔力でマーキングした場所なら転移可能なのだという。
転移する距離に限界があるようだが、シャトーバニラ内ならどこでも移動できるらしい。かなり便利である。
「その前に、その子代わりに抱えようか?流石にそれは……」
抱っこの交代を提案してくるアリスの視線はマントの隙間から見えるサイネリアの素足に向けられていた。
幼女だから気にしなかったが、貴族では素肌を晒すことはよろしくないというのはフィーも知っている。特に体の一部に毛皮がない人族は素肌が晒されるのを良しとしない。
ウォルは孤児院で種族関係なく平民の幼い子供たちを見ていたからか気にする素振りはなかったが、生粋の貴族であるアリスはそうではないらしい。
だがサイネリアはアリスから視線を逸らし、自分から離れるのを拒絶した。アリスは拒絶されると思わなかったようで面食らった。
「初対面で女の子に嫌われるのは初めてだなぁ……」
「あははは……」
フィーはアリスから背を向けるとサイネリアを前に抱えなおしては、自分のマントをサイネリアの体に巻き付けた。
これなら文句も言われまいと思ったが、なんだか赤子のおくるみのようだ。
「うごきにくいです」
「しばらく我慢してて」
アリスはこちらが準備が出来たことを確認すると駆け出した。
―――
オルキデアは王笏を杖にして自身の体を支えながら、引きずるように王城の廊下を歩いていた。
魔力暴発を封じる前に、カモフラージュとして一度その場で魔力を思い切り放出した。
そのあと転送魔術で移動して魔力核を無理やり封じ込めたせいか、未だ魔力が体に残っている感覚がして体が火照る。
(……ですがこれ以上魔法は使えそうにないですわね)
魔力核は体内の魔力の貯蔵庫であると同時に、魔法を行使するための臓器でもある。封じ込められたら魔法も魔術も使えない。
しかも暴発寸前の魔力核を抑え込むために体力をだいぶ消費したため、彼女の体力は限界だった。
オルキデアの魔力を一番近くで受けていたレガリアは彼女の魔力にあてられても壊れる様子はなく、むしろ主の魔力に更に馴染んだように見える。自分の魔力で壊せる様子はなかった。
その間にもオルキデアの脳内に王笏から皇帝権限で使える魔術や国に関することが一気に流れ込んできた。
しかし瀕死の状況で体力を回復させる術は教えてくれなかったので、本当にこの杖は役に立たない。
自分は結局ここまで来てどの目的は達成できなかった。
教会が資金を私利私欲のために使っていたこと、孤児院で種族差別として混血の子供を虐待していたこと、女神の魂を受け継ぐ者を処刑しようとしていたこと。
それを公にそうにも監視された生活を送っていた自分に知り合いの記者はいないし、軍にタレコミしようにもその前に自分の身柄が確保されてしまうし、話しても公にしてくれないだろう。
なら今から広場でプロパガンダを行うか。先ほどフィラデルフィアが冤罪の疑いがあると周知されたばかりだからきっと信用されやすいだろう。
しかし広い王城の敷地から出る前に力尽きて果ててしまうことは目に見えていた。
ふと数メートル先から自分の翼で飛んできた少年を見てオルキデアは力が抜け膝が崩れ落ちる。
「どうしていきてるの?」
「……ミスルトゥ」
零れるようにつぶやいた名前に相手は「ボクをしってるの?」と問いかけながらしゃがんで顔を覗き込んでくる。
それに応えるように杖にすがりつきながら自分も目の前にいる甥を見つめた。
自分と同じ白金の髪に、母親と同じ瞳孔が立て筋に割れた金色の蛇のような目。そして特徴的な角に肌の色と同じくらい真っ白な竜の翼が背中から生えていた。
種族こそ違うが自分の兄の忘れ形見の一人。
「親戚ですもの。知らないはずはないわ」
しかし、ずっと一人の大きな大人に囲われて生きてきたはずの男の子が、一人でやってきたことにオルキデアは内心驚いていた。
本来この街は魔力攻撃を防ぐ結界がドーム状に張られており、その内部で飛行することは禁じられている。生身で飛んできたのだからすぐに誰か気付いて駆けつけてくるはずだ。
来るのが軍の人間か教会の人間かは分からないが、目の前にいる子供がどうであれ、このまま他の人間に見つかれば自分にはもう先がない。いわゆる「詰んだ」という状況なのだ。
「しんせき……?」
「そうよ……サイネリアから聞いてませんか?私はあなたの父上と兄妹です」
しかしミスルトゥは首をかしげるだけで、「あなたはサイネリアのしんせきでしょう?」と言う。その顔は身近にいるサイネリアと血のつながりがあると思っていない。
オルキデアはここでようやく前提として認識を間違えていたことを知る。
自分の意思で何度も脱走してオルキデアに接触してきたサイネリアとは違い、ミスルトゥは孤児院から保護されてからずっと枢機卿の元で閉ざされた檻の中で生活してきた。
もし枢機卿がサイネリアにミスルトゥに伝える情報を制限していたとしたら。
「あなたは、なにも、知らないの……?」
親が犯した罪、自分の生まれ、枢機卿の思惑や思想、すぐ側にいたはずの人物を姉として認識していない。
あの枢機卿はこの少年に何も教えることなく傀儡として操ろうとしていたのなら。
ミスルトゥは大きく目を見開くと表情が一変する。
これは感情の抜け落ちた表情ではない。自分はこの感情を自分はよく知っている。これは嫉妬や憎悪に満ちた顔だ。
この少年の肉体年齢は四歳程度。しかし生まれてから三年しか経っていない男の子がするような顔じゃない。
「せんせいがいってた。あなたもころさないといけないって」
小さなまるい手がオルキデアの方へのびた。
―――
陸軍の大隊長を脅して委任状を一筆したためてもらった後、クライアンと合流する予定だったが、その途中で行方不明だったフィラデルフィアとサイネリアに会えたのは幸運だった。
合流したクライアンはフィー達を見ると安堵したのか顔をゆがめていた。こんな時に感情を揺らがせたら駄目でしょうがと自分の同期にため息をつく。
「なーに泣きそうになってるの」
「違う……だが彼女たちは」
クライアンはフィーたちを軍の方で保護したいのだろう。
しかし彼女たちはどうやら自分に用があったようだし、他の上層部に話を聞かれる前に聞きたいことがたんまりある。
それに軍で保護をしようにもどこも危ない気がする。
ターゲス大将が解放されていない第一はもちろんのこと、第二の大隊長であるアコナイトの保護下であっても第二部隊も完全にはアコナイトの支配下に置かれていないのだ。
「フィーの保護するためにドックウッドを寄こしたのに、ドックウッドは命令無視するし、使える人が限られているとはいえこんな便利な魔術があるのに、なんですぐに僕らのところに落ち合おうとしなかったことが不思議で仕方ないんだけどさぁ……」
笑顔で軽く脅せばびくりと二人は肩を震わせる。小さい子供に弱いフィーのことだから、背中に背負っている自分の娘の我儘を叶えたかったのだろう。
しかしサイネリアと名乗る娘が突然空を見つめて青ざめた顔をする。
「サイネリア?」
「ミスルトゥがおばさまのところに……!」
「おばさま?」
全てを理解しきれていないクライアンに、彼女はオーキッドの子供の一人だと小声で伝えれば目を見開きつつも、一瞬で状況を理解をしたらしい。
「君は夫人の居場所が分かるのか?」
視線の鋭いクライアンに対して若干おびえながらもこくりとうなずく少女に、魔術陣が近くにあると言った。
「しかし……」
クライアンも枢機卿の保護下にあった子供を信用できるのかと疑っているのだろう。自分とて同じだ。
いくら枢機卿の言うことを破ってまでカトレアと接触してきた子供とはいえ、完全に枢機卿の手から離れているわけではない。影で枢機卿が糸を引いている可能性が高いのだ。
とはいえクライアンの魔法による転移も確実ではないし、千里眼のように遠隔のやり取りを見るようなことはできない。
便利な魔法を使える人間が目の前にいるのに信用に値する証拠がないのはもどかしい。
「アリスおじさま」
「!?……えっと、なに?」
自分が叔父呼びされることに動揺したのがばれたのかフィーは笑いをこらえている。緊急事態であるはずなのに彼女がいると気がゆるむ。
「わたしのめをみてください。きおくをみせます」
「!」
ばっとクライアンを見ると無言で頷く。もし魔法で自分に何かあったら止めてくれるはずだ。
サイネリアは右目を赤く輝かせると、彼女を抱えているフィーも息をのんだ。
サイネリアが見たカトレアに関する記憶が感情ごと一気に流れ込んできた。
そして数秒、目の前にいる少女の置かれている状況をかみ砕く。
「――僕を連れて行ってほしい」
「アリス!」
「大丈夫……ってわけでもないけど、この子は既に枢機卿から見放されている。
この子は周りの大人たちを見て学んで来たんだろうね。枢機卿の思想に染められているわけじゃないみたい」
「そんな簡単に……いやでも……」
クライアンは顔をしかめている。どうせこの子の事情を察してしまい同情とか立場とか色々葛藤しているんだろう。
長年軍に置いてる癖に未だにお人好しだ。
「それにこの子だいぶフィーに懐いてるみたいでさぁ。簡単に離れてくれないんだよ?フィーを護衛する意味でも僕がついていった方がいい」
「……分かった」
色々言いたいことを飲み込んだような顔だ。今は時間がないから小言は受け付けない。
「今の僕は死んだようなものだしね。僕が何処にいようと関係ない」
「笑えない冗談はよせ」
フィーたちも体がこわばっている。ブラックジョークが過ぎただろうか。
「じゃあ後でね。クリス」
「あぁ」
先ほど通った場所へ向かい、サイネリアはその場で魔術陣を展開して実行する。
移動した場所は中庭が見える一階の回廊だった。
サイネリアが見た先、廊下のど真ん中に二人の人影が見える。一人は翼の生えた少年がうずくまっているカトレアに両手を伸ばしていた。
「カトレアッ!?」
「来ないで!」
カトレアの制止の声に足を止める。こちらに気付いた少年の左目は爛々と真っ赤に染まっていて、まさにその手で彼女に手をかけようとしている最中を目の当たりにしてしまい全身の血の気が引く。
種族も相まってどこかフィーに似ているあの少年は、ミスルトゥと呼ばれているもう一人の子供なのだろう。
カトレアの体は魔力暴発を寸でのところで抑えたようだが、そのせいか肉体的疲労がひどい。しかしこの場で自分が攻撃を仕掛ければあの少年が先に動いてカトレアが殺されかねない。
ここは中庭が見える一階の回廊で、窓の向こうは中庭だ。現在魔法で音を聞き取っているがこの場にいる人間以外の気配を感じないし、耳にある魔術道具からもまだ到着したという報告が聞こえない。
サイネリアは一番近いところに転移したのだろうが、せめて二人の視界に入らない曲がり角だったら不意打ちも容易だったのに。転移してまさか目の前にいるなんて思わなかった。
内心焦っている状況の中、こちらを見た少年はひどく絶望したような顔を浮かべていた。
「おまえたちのせいだ」
少年は意を決したように再度カトレアの方へ向きなおし、手を伸ばす。
無我夢中でアリスは、カトレアに向かって走り出した。
しかしカトレアは緊迫した周囲とかけ離れた笑顔を浮かべながらその顔をアリスに顔を向けるが、頬に流れるその一滴が、彼女の心情を物語っている。
その時、アリスには記憶の中にあった二人の面影と重なった。
『生きて、私の、私の坊や……』
『アリス。後は、頼んだ』
「大好きよ、アリス」




