5 いびつな若木
岡崎テックラボは「ものづくり愛知」を支える大小の地元企業を中心に先端的 IT技術を提供する第三セクターの研究所だ。
企業の人事・給与管理AI から産業用フィジカルAI の頭脳まで、その守備範囲は地味ではあるが幅広い。
東京になく愛知県の岡崎という人口38万ほどの地方都市に構えているのは、近くに世界的な自動車メーカーがあり、その協力企業も多い製造業のメッカだからである。
表向きはそうなっている。
ただそういう民間施設にしては、セキュリティーが軍事施設並みに厳重だった。
そして最近、大統領の気まぐれから逃げ出してきたA国の技術者をそれなりの人数まとめて雇用したらしいことも、一般にはあまり知られていなかった。
学校から帰ると自室に閉じこもって何やらよくわからない機械に埋もれている息子が、母親は時々心配になった。
「マユちゃん、シャインマスカット買ってきたから食べよう。ブドウ好きでしょ」
「んー。ちょっと待って、あと少し」
カタカタと勢いよくキーを打つ音がドア越しに聞こえる。
母親はドアハンドルに手をかけかかったが、止めた。以前勝手に開けたら、真悠がひどく怒ったことがあるからだ。
反抗期なのかな? 小さい頃は甘えん坊で、母親にべったりのかわいい子だったのに——とちょっと思う。
少し寂しい気もするが、自分の道を見つけて親離れしてゆくのはいいことなんだろう……。
それに、援助してくださっている幕田さんも真悠の能力を高く評価していて「伸び盛りの時にジャマだけはしちゃいけないですよ」と言っていた。
ダイニングにやって来た真悠は瞳をきらきらと輝かせている。
父親が死んでからの2年間ほど、真悠の瞳からは光が消えていた。そんな真悠がその瞳に光を取り戻したのは、父親の使っていたパソコンでプログラミングという遊びを見つけてからだった。
そしてあの小学6年生の時、幕田さんという中央官僚のエリートに見出されてからというもの、真悠は旱の後に雨の恵みを受けた若木のように生き生きと葉を、枝を茂らせ、大きく育ち始めた。
でも……
「おー! うまそう」
真悠が椅子に座るより先にブドウの粒に手を伸ばす。
そのまま口の中に放り込んでから座り、にこっと笑った。こんな表情は小さい頃のままだ。
「マユちゃん。あんた、少しは運動もしないと」
「運動なら、学校の体育でやってる」
木で鼻をくくったような返事をして、まるで時間を惜しむようにブドウの粒を口に放り込む。
「もう少し味わって食べたら? せっかく高いの買ってきたのに」
母親が少女みたいに口を尖らせる。
それでもこんな贅沢ができるようになったのは、幕田さんという中央官庁のエリートと知り合ったからだ。
真悠にこれだけの才能がなかったら、たとえ近くにいたとしてもその出会いはたぶん、ただすれ違っただけで終わったのだろう。
才能がこの子の道を開いた。
そんな真悠がブドウをつまむ手をふと止めた。
そのままじっと皿の上のブドウを見つめている。
「どうしたの? マユ……」
「そうか! ふさの形にしてみたら……」
それだけを言うと、お手拭きがわりに濡らしてテーブルに置いておいたタオルで指を拭い、そのまま自室の中に駆け込んでしまった。
真悠はこういうことがよくある。
何かの拍子に突然、何かのアイデアを思いつくらしい。思いつけばもう、じっとしてはいられない。
「まだ中途半端に世に出る必要はない。君は今は勉強し続けるときだ」
幕田さんはそう言って、最新の専門書などを買って持ってきてくれたりした。
そんな真悠の部屋の中から真悠のものではない声が聞こえた時ほど、母親が驚いたことはなかった。
しかも、どうやら女の子の声だ。
部屋に閉じこもってばかりの息子を心配してはいたが、それにしても母親の知らないところでいきなり女の子を部屋に連れ込むなんて……。
14歳。そういう年頃ではある。……が。
「マユちゃん、誰かいるの?」
「誰もいないよ」
「でも、今……」
「ああ、トトだよ」
それから真悠がくすくす笑い出した。
「入っていいよ。女の子なんかいないから」
母親がおずおずとドアを開けると、誰もいない。
真悠だけがノートパソコンの青白い光を浴びて、にこにこ笑っている。
「トトって? 今、たしかに2人で話しているような声が……」
「声を認識しました。お母さまでいいですか?」
パソコンから少女のような子どものような声が聞こえた。
「そうだよ、トト。僕の母さんだ。ご挨拶して」
少し間が空いて、パソコンがまたしゃべった。
「はじめまして、私はトトです。マユウに造られた対話型人工知能です。驚かれるのも無理はありません」
「パ……パソコンがお話しするの?」
「プログラムだよ、母さん。これは端末」
「正しくは端末の中にも少し存在します。大多数はサーバに存在して作動しています」
「まだ言葉が硬い。これから成長させてゆくんだけどね」
真悠がちょっとドヤ顔で言った。
が、母親にはこれがどれほどすごいことかはよくわからない。ただ、コンピュータってかわいいな——と思っただけだった。
「まだ内緒だよ。幕田さんに見せるまでは」
この段階になって、ようやく真悠はトトを幕田に見せた。
どうだ。と言わんばかりの顔である。
幕田は流暢な会話をするこのプログラムに、心底驚いた。
端末の画面をスクロールしながらそのコードを読んでゆくうち、幕田のくらい瞳の中に青白い光が宿る。
それは、端末の画面を反射しているだけ……なのだろうか。
「これは……」
と幕田は言って、しばし黙った。
「マユ……。高卒認定は受けたくなければ受けなくていい。もう大学なんか行かなくても、もっといい環境をおまえに用意してやる。その代わり、これはどこにも公開するな」
防衛省の予算で第三セクター「岡崎テックラボ」が立ち上がったのはそれからしばらくしてからだった。
真悠は中卒でそこの主任研究員に迎えられることになった。




