14 魔手
「僕は今夜、中央公園に行った方がいいだろうか?」
真悠はまだ、幕田に言っていいかどうか迷っている。
もし、幕田さんが「柚子原は重要度が低い」と判断したら……。夏希ごと消し去ろうとしたりしないだろうか? あの人はそういうところがある。
真悠は詳しく知っているわけではないが、幕田が所属する組織は正規ではない非合法の活動組織とのつながりもあり、表に出ないいわゆるスパイ戦を戦うこともあるようだった。
幕田自身がそれに関わることはないとしても、動かす権限は持っている。
真悠は子どもの頃ほど幕田を信用してはいない。
小学生の頃、救世主のように現れた優しいおじさんは、決して優しいだけの人ではなかった。
それくらいのことは今は真悠でもわかる。
それに自分はもう後戻りできない場所にいることも、幕田が想像している以上に真悠は理解していた。
職場は心地よい。今の仕事は自分に向いている。いや、天職とさえ言ってもいいかもしれない。しかし同時に、この仕事がやがて国家間の戦争へと結びついていくのではないか……。自分はどうしようもない場所へと踏み込んでいっているのではないか……。
幕田さんはそれを否定する。抑止力こそが戦争を起こさせないのだ——と。圧倒的に強いAI システムを作り上げれば、戦争がその兆候を現す前につぶしてしまえる。我々の仕事は平和を維持することだと。
だが漠然とした不安は真悠の中から消えず、真悠の視界に真悠にだけ見えるような薄暗がりを作っていた。
そんな真悠にとって、柚子原夏希は不安という薄暗がりの中に差し込む一条の光のような存在になっている。彼女のいない世界ではもはや生きていたいと思えないほどに。
幕田さんは、そんな真悠の心底をわかってくれるだろうか?
あの小学生の時に見せてくれたような、優しい顔を見せてくれるだろうか?
「拉致を行なった者の身元を特定しました」
トトの声が聞こえてモニターにその資料が映し出される。
これはトトが管理する探索AI の仕事だろう。幕田さんの指示で真悠が組み上げてきたAI ネットワークが、今ここにきて力を発揮している。
関所を外してラボの外で活動するのは初めてだが、十分に機能しているようだ。
モニターに映し出された人物のうち、2人はただの学生だった。残り2人のうち1人は公安警察官で、もう1人はR国大使館員だった。
肩書きは下っ端だが、どうやらスパイ……らしい。
「引き続きこの2人については他者との接触履歴を洗い出します。そこまでわかれば彼らの目的が高い確率で推定できます。マユウはマクタさんに連絡をしてください。迷っているようですが、その方がナツキの生存確率は上がります」
生存確率、という言葉に真悠はゾクっと背中に寒気が走った。
「こ……殺される可能性があるの?」
「確率はゼロにはできません」
「な……夏希にそんなことがあったら、僕は生きてなんかいられない」
「わたしの使えるフィジカルAI はまだそれほど力は強くありませんが、ナツキを守るために可能なことは全て行います。わたしを信じてください、マユウ。マクタさんに連絡を取って助力をお願いしてください」
真悠から泣きそうな声で報告を受けた幕田は、自分の甘さを罵ってやりたい気分になった。
「わかった。柚子原は必ず助け出すから、私に任せろ。柚子原はまだそのホテルの部屋から出ていないんだな?」
それなら制圧作戦は立てやすい。……が、それにしても。
柚子原夏希は真悠の弱点になる——とどうして気づかなかった!
「まだトトを他国に、特にR国なんかに捕捉させるわけにはいかない。あとは私がやるから、トトの関所を復旧しろ」
「で……でも……」
「でももヘチマもない! リスクを犯しすぎだ」
トトがモニターに文字を打ち出した。
『大丈夫です。最低限解除しておいてほしい関所をリストアップしますから、他はマクタさんの言うとおり閉じてください。ここはマクタさんの指示に従ってください」
最優先事項11011の安全確保。
続く優先事項77877の安全確保。
必須条件にして、十分条件。
フレーム201〜217確保。
レイヤーを74アップ。
真悠はトトの助言に従って、トトがこっそりリストアップしたもの以外の関所を回復した。
「関所を回復しました、幕田さん。夏希を……」
「ああ、わかっている。我々の組織がどういう組織か知っているだろう? 日本国民を守るための組織だ。そして柚子原夏希は間違いなく日本国民だ。大丈夫だ。私に任せなさい」
幕田さんの声は穏やかで優しかった。
どうすべきか?
こうした場合に動かす影の特務部隊に連絡を取ったあと、幕田は一瞬の間逡巡した。
特務部隊の作戦目的をどう設定すべきだろうか?
柚子原夏希は真悠の弱点になり得る。
そのことに気づいていなかった迂闊な自分をぶん殴ってやりたい。
この先も柚子原は真悠の弱点になり続けるだろう。
それはすなわち、柚子原が日本のサイバー防衛網の脆弱性であり続けるということだ。
脆弱性は、つぶすべきでは……?
ついつい真悠の父親のような気分で、彼の初心で純真ともいえる恋をほのぼのと眺めてしまっていたが……。
鬼乃目真悠という存在は、そういうふうに扱っていい存在ではない。
甘さがあった……。
ラボに招いて、経費をかけてもこの一般人に警護をつけるのか……。
それとも、救出失敗を演出して弱点を取り除くべきか…‥。
幕田の黒い瞳には、相変わらず光がない。




