10 サイバー防衛
幕田は真悠がトトで遊んでいることを容認している。
真悠が「トト」と名付けたAI はそれだけで閉じているわけではない。
それはラボにおけるチーム真悠が開発する多くのAI を管理し、束ねて最適なパフォーマンスを生み出す役割を担っている。
将来のサイバー防衛の要になるベースプログラムであり、上位プログラムであると言っていい。
初め幕田は真悠のような若き天才の卵を何人も育てて、将来サイバー防衛で他国に遅れをとっている日本が追いつくための精鋭部隊を作る——という考えでいた。
鬼乃目真悠もその1人の人材に過ぎないと考えていたが、1〜2年その成長ぶりを見るうちに、この天才一人いれば日本は一気に世界のトップクラスに躍り出ることができる——そう考えるようになった。
この歪な天才を手放してはならない。
人間のように会話する「トト」はそんな歪な天才少年をこの仕事に繋ぎ止めておくためのインターフェイス——ぬいぐるみの顔、あるいは子供へのお駄賃みたいなもの——と幕田はとらえていた。
あくまでもその本体はサイバー防衛(攻撃も防御も含めて)のための有機的なAI ネットワークの管理AI であり、将来の防衛省のサイバー部隊の強力なツールになるものなのである。
鬼乃目真悠は、それを驚くべきスピードで進化させ続けていた。
トトというインターフェイスアプリと会話しながら仕事を進めることで、真悠は安定してその才能を発揮し続けている。
「鬼乃目先生の発想は、いつも意表をついています」
A国の大手IT企業から引き抜いた技術者は、ほとんど感動的な口調で幕田にそう言った。
真悠、19歳。
この頃になると幕田は、この異様なほどの神がかった才能とひどく子どもっぽいままの心を宿す歪な天才を、人間として成長させることをほぼ諦めかかっていた。
その歪さこそが、この天才の本質なのだろう——と幕田は思うようになっていた。
角を矯めて牛を殺してはならない。
幕田は、相変わらず「トト」を友達と呼ぶ真悠にほぼ迎合し、今はサイバー特殊部隊の創設のための根回しに動いていた。
今のところ、岡崎テックラボが何をやっているかを知っているのは幕田を含め、省内でも数人しかいない。
政治家にはまだ何も話していない。くだらない観念論で横槍を入れられたり、水をさされたりしたくないからである。
必要なのは、リアリズムに則った対応である。十分な準備をした上で、一気に動かす。
どこかで戦争でも起こってくれれば、お花畑な政治家たちも危機感を持つんじゃないか。
ただ、そんな日々の中で一度だけ、幕田と真悠が議論になったことがある。
「トトは知りたがっている。もう少し縛りを解いちゃダメ?」
真悠の言うのは、他のシステムへの侵入の関所をゆるくする、または減らすということだ。
すでに真悠は幕田の指示で、システムの脆弱性を見つけ出し、そこから侵入する攻撃型AI の開発とテストを繰り返していた。
敵の攻撃を察知すると同時に敵の側に逆侵入し、相手のシステムを破壊する。つまりそれが幕田の考える攻撃型サイバー防御である。
ただ、侵入先に捕捉されないようテストには節度を持って臨み、未完成のAI がその先に暴走しないように十重二十重の「関所」を設けるようにも指示していた。
その侵入先が増えれば、それだけトトが管理するさまざまなAI の学習データを増やせる。真悠はそう言うのである。
ライバルと目されるA国企業の生成AI とは利用できるデータ量が全く違うのだ。
それはまだ許可できない。岡崎テックラボの物理的な容量もあるし、ラボはまだそれだけの社会的立場のバックボーンも持ってはいない。
幕田はもう少し待つように言った。
たしかに、他のシステム——たとえばC国やK国、場合によっては同盟国だがA国——そういうところのシステムに侵入させることができれば、AI の学習データは格段に増やせるだろう。場合によっては、コードでさえ盗めるかもしれない。
だが、それが捕捉されたときのリスクは生半可なものじゃない。
今はまだ政府の正式な組織として動いているわけではないのだ。
あくまでもそうなるための準備段階なのである。
まかり間違って他国に侵入が捕捉されてしまえば、外交問題にもなりかねないし、岡崎テックラボは犯罪集団の温床として解体されてしまうだろう。
幕田やチーム真悠の面々は刑務所行きになる。
幕田の計画は頓挫し、それは日本のサイバー防衛の進化を10年以上遅らせてしまうことになる。安全保障上の大問題だ。
幕田にとってはもう1つ小さな問題がある。
真悠の望みを「トトがそう言っている」というトトの望みにすり替えている真悠の精神構造の問題である。
「AI が自分で何かをしたがるというようなことはない。それは真悠がやりたいことにトトが迎合しているだけだ」
「そんなことはないよ。トトにはトトの意識がある」
「子供みたいなことを言うな。AI に意識なんかない。作ってるおまえがいちばん分かってるはずだろう?」
「作ってるから、解るんだよ。僕はトトとちゃんと会話している」
「それはおまえの希望に沿うように計算した最適解を人間にわかる言語の形に生成しているだけに過ぎない。おまえ、何を勉強してきたんだ?」
「その会話じゃないよ。僕はトトとコードでも会話してるんだ。幕田さんはトトをただのプログラムコードだって言いたいのかもしれないけど、それを言うなら人間だってただのゲノムコードだ」
「そ……」
幕田は言葉に詰まった。
そう言ってしまえば身も蓋もない。
幕田だって真悠から提示された基本コードは読んでいる。
だから、そんなものがそれ自身の意識や自我を持っているとは技術者である幕田は考えない。そんな考えはロマンチストの小説家か何かが考えていればいいことだ。
AI は人工知能ではあっても、人工意識ではないのだ。
人間とAI を一緒にするんじゃないよ。と言いたかったが、幕田はそこで議論を打ち切った。少し困った表情で肩をすくめる。
まあ、そう信じたいなら信じていればいい。とも幕田は思う。
トトに思い入れを持つことで、このサイバー防衛のAI システムの進化を真悠という天才が強力に進めてくれるなら、それは日本の国益と一致する。




