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幼馴染がクズな彼氏に裏切られた。……「もう遅い」はずの僕たちの、不器用なやり直し  作者: novelnovel


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第6話 新しい時間の始まり

拓海の痛ましい慟哭は、遠ざかるにつれて夜の静寂の中に溶けていった。

公園の入り口を抜け、見慣れた住宅街の道へと足を踏み入れた時、街灯がパッと一斉にオレンジ色の光を放ち始めた。完全に日の落ちた空は、深いインディゴブルーに染まり、冷たい夜風が二人の間を吹き抜けていく。


俺の胸の中で泣きじゃくっていた葵は、しばらくすると自らゆっくりと体を離した。

目元を赤く腫らしながらも、その表情には先ほどまでの張り詰めた緊張感はなく、どこか憑き物が落ちたような安堵が浮かんでいた。


「……ごめん、亮太。パーカー、また濡らしちゃった」

「別にいいよ。洗濯すれば済むことだ」


俺はわざとぶっきらぼうに答えながら、葵の頭にポンと手を乗せた。

いつもなら「子供扱いしないでよ」と膨れっ面を見せる葵だが、今はただ静かに俺の手の温もりを受け入れているようだった。


「少し、座るか。あそこのベンチで休んでいこう」


俺が指差したのは、歩道の脇にある小さな休憩スペースだった。自販機と、二人掛けの木製ベンチが設置されている。

葵がこくりと頷いたのを確認し、俺たちはベンチへと向かった。

葵を座らせた後、俺は自販機に小銭を投入した。冷え切った体を少しでも温めるために、ホットのココアとミルクティーを選ぶ。ガコンという低い音と共に、温かい缶が取り出し口に転がり落ちた。


「ほら、ココア。お前、昔からこれ好きだったろ」

「あ……うん。ありがとう」


葵は両手で缶を受け取ると、その温もりを確かめるようにギュッと握りしめた。

俺も隣に腰を下ろし、プルタブを開けてミルクティーを一口飲んだ。甘ったるい香りと温かさが、張り詰めていた神経を少しずつ解きほぐしていくのを感じる。


「……本当に、終わっちゃったんだね」


ココアを一口飲んだ後、葵がぽつりと呟いた。

その声は穏やかで、どこか遠くを見つめているようだった。


「拓海くんと付き合ってた日々も、結衣と笑い合ってた時間も。全部、終わっちゃった」

「後悔してるか?」

「ううん」


葵は首を横に振った。


「悲しいし、寂しいけど……後悔はしてない。だって、あのまま嘘の自分を演じ続けてたら、私、いつか本当に壊れちゃってたと思うから。だから、これでよかったんだよ」


そう言う葵の横顔は、街灯の光に照らされて、ひどく大人びて見えた。

ほんの数時間前まで、暗い部屋で一人うずくまり、絶望の淵にいた女の子とはまるで別人のようだ。

彼女は今、自分の弱さと向き合い、過去を断ち切り、自らの足で立とうとしている。その強さに、俺は深い敬意と、そして少しばかりの眩しさを感じていた。


「大学に行ったら、また一人からやり直しだね」


葵は缶を見つめながら、自嘲するように小さく笑った。


「きっと、いろんな噂が立ってると思う。一ノ瀬を振った生意気な女とか、結衣と揉めてハブられた哀れな女とか。……正直、怖いよ。誰かに嫌われるのが怖くてずっと逃げてたのに、これからは嫌われることと向き合っていかなきゃいけないんだもん」

「一人じゃない」


俺は即座にそう言葉を返した。

葵が驚いたようにこちらを振り向く。


「お前は一人じゃない。俺がいる。大学で誰がお前を笑おうが、後ろ指を指そうが、俺がお前の盾になってやる。だから、そんな顔すんな」


俺の言葉を聞いて、葵は目を丸くした後、ふふっと吹き出した。


「亮太、今日ずっとそれ言ってくれてるね。なんだか、昔の亮太に戻ったみたい」

「昔の俺?」

「うん。小学生の時、私が近所の男の子にいじめられて泣いてたら、亮太が真っ赤な顔して飛んできてくれたでしょ? 『葵は俺が守るから、お前らあっち行け!』って。あの時の亮太と、今日の亮太、そっくりだった」


葵は懐かしそうに目を細め、クスクスと笑い続けた。

俺は顔が熱くなるのを感じ、慌ててミルクティーで喉を潤した。そんな昔のこと、とっくに忘れていたはずなのに、言われてみれば確かにあの時と同じだったかもしれない。

俺の根底にあるものは、昔から何一つ変わっていなかったのだ。


「亮太」


葵の笑い声が止み、真剣な声音で俺の名前を呼んだ。


「今日、私を部屋から連れ出してくれて、本当にありがとう。亮太が来てくれなかったら、私、今頃どうなっていたか分からない。ずっと暗い部屋の中で、誰のことも信じられなくて、自分を責め続けて……一生、外に出られなかったかもしれない」


葵はまっすぐに俺の目を見つめた。

その瞳には、嘘偽りのない深い感謝の念が込められていた。


「亮太が傍にいてくれたから、私、拓海くんにちゃんとお別れを言えた。自分に嘘をつくのをやめようって、決心できた。……亮太は、私のヒーローだよ」


ヒーロー。

その言葉が、俺の胸に鋭く突き刺さった。

葵は俺に感謝してくれている。頼りにしてくれている。

でも、俺はそんな立派な人間じゃない。彼女が知ったら幻滅するような、醜く卑怯な感情を抱えていた、最低の幼馴染だ。


俺は俯き、両手で持っていた空の缶を少しだけ強く握りしめた。

言うべきか、迷った。

このまま「いい幼馴染」の仮面を被ったまま、彼女の隣に居続けることもできる。わざわざ自分の汚い部分をさらけ出して、彼女を落胆させる必要なんてないかもしれない。

でも、葵は今日、自分に嘘をつくのをやめると決意したのだ。

それなのに、俺だけが嘘をついたまま彼女の隣に立つなんて、絶対に許されることではない。


「……ヒーローなんかじゃないさ」


俺はぽつりとこぼし、ゆっくりと顔を上げた。


「俺は、お前が思ってるような立派なやつじゃない。むしろ、拓海や結衣と同じくらい、いや、それ以上に最低な人間だ」


葵が怪訝そうな顔で小首を傾げる。


「どういうこと?」

「お前が拓海と付き合い始めた時、俺がお前を避けた理由。『お前が手の届かないところに行った気がして拗ねてた』って言ったけど、それだけじゃないんだ」


俺は深く息を吸い込み、ずっと胸の奥に隠していた真実を口にした。


「俺は、自分が傷つくのが怖かったんだ。完璧な拓海の隣にいるお前を見て、自分の惨めさを突きつけられるのが怖くて、逃げた。……お前が無理してるかもしれないって、どこかで気づいていたのに、自分が可愛いから見て見ぬふりをしたんだ」

「……」

「それだけじゃない。SNSで結衣と拓海の浮気を疑った時、俺はどう思ったか分かるか? 怒りや悲しみもあった。でも、それと同時に……『これで拓海が落ちぶれれば、俺がお前の隣に行ける』って、そんな最低なことを考えたんだ。お前が絶望して、一人ぼっちになるのを、心のどこかで期待してたんだよ」


告白しながら、自己嫌悪で胸が潰れそうだった。

最低だ。本当にクズだ。

親友と彼氏に裏切られたばかりの彼女に、幼馴染までがこんな歪んだ感情を持っていたと知ったら、彼女はどれほど絶望するだろうか。俺を軽蔑し、今度こそ完全に心を閉ざしてしまうかもしれない。

それでも、俺は言わなければならなかった。これ以上、彼女に隠し事をしたくなかったからだ。


「だから、俺はお前に感謝される資格なんてない。お前を傷つけた原因の一つは、俺の臆病さと、勝手な独占欲なんだ。本当に……ごめん」


俺は頭を深く下げた。

沈黙が降りた。

車が遠くを通り過ぎる音と、風が木々を揺らす音だけが、やけに大きく聞こえる。

葵からの軽蔑の言葉を覚悟し、俺はじっと目を閉じた。


「……ふふっ」


しかし、耳に届いたのは、拍子抜けするほど軽やかな笑い声だった。

俺が驚いて顔を上げると、葵は少しだけ意地悪そうに微笑みながら、俺を見つめていた。


「なんだ、そんなこと。亮太も結構、ドロドロしたこと考えてたんだね」

「あ、葵……? お前、怒ってないのか?」

「うーん、少しは怒ってるかも。私が一人で寂しかった時に、勝手に逃げたことに関してはね」


葵は唇を尖らせて見せた後、ふっと表情を和らげた。


「でもさ、それって結局、亮太も私と同じだったってことでしょ? 自分が傷つきたくなくて、逃げて、勝手なこと考えて。人間だもん、誰だってそういうずるいところはあるよ。……私なんて、拓海くんをアクセサリー代わりにしようとしてたんだから、人のこと言えないし」


葵はココアの缶を両手で包み直しながら、言葉を続けた。


「大事なのは、その後だよ。亮太は、そんなずるい自分を乗り越えて、私の部屋のドアを叩いてくれた。私がどれだけ拒絶しても、諦めずに外に連れ出してくれた。……それが事実でしょ?」

「それは……そうだけど」

「だったら、十分だよ」


葵はにっこりと笑った。


「亮太が完璧なヒーローじゃなくてよかった。私と同じように、ずるくて、弱くて、でも一生懸命になれる普通の男の子だって分かって、なんだか安心した」


その言葉を聞いて、俺の胸の奥で固く結ばれていた結び目が、するすると解けていくのを感じた。

葵は、俺の醜い部分もすべて受け入れてくれた。

完璧な自分を演じなくていい。ダメなところも、弱いところも、すべて曝け出していい。

俺たちは今、初めて本当の意味で、対等な関係になれたのだ。


「葵」

「ん?」

「俺、お前にずっと言えなかったことがあるんだ」


俺は姿勢を正し、葵の目を真っ直ぐに見据えた。

心臓が早鐘を打っている。手のひらにはじっとりと汗をかいていた。

しかし、もう逃げない。自分の気持ちに嘘をつくのは、今日で最後にする。


「俺は、お前のことが好きだ」


静かな夜の空気に、その言葉がはっきりと溶け込んだ。

葵の目が大きく見開かれる。


「ずっと前から、お前のことが好きだった。拓海と付き合い始めた時も、諦めようと思ったけど、やっぱり無理だった。俺にはお前が必要なんだ」

「……亮太」

「今すぐどうこうしてほしいわけじゃない。お前が今、恋愛なんて考えられる状態じゃないのは分かってる。でも……俺はもう、自分の気持ちをごまかさない。お前が完全に立ち直って、また誰かを好きになれる日が来るまで、俺はずっとお前の隣にいる」


一気に想いを打ち明けた。

飾り気のない、不器用な言葉しか出てこなかったが、これ以上ないほど純粋な本音だった。


葵は驚いたように俺を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。

瞳が潤み、瞬きをするたびに小さな雫が零れ落ちそうになる。

彼女は手元の缶をギュッと握りしめ、ゆっくりと息を吐き出した。


「……ずるいよ、亮太」


震える声で、葵が呟いた。


「こんな時に、そんなこと言うなんて。私、今、心の中がぐちゃぐちゃで……拓海くんのことも、結衣のことも、まだ全然整理できてないのに」

「分かってる。だから、待つって言っただろ」

「……待たせるのも、申し訳ないよ。私がいつ、前の私に戻れるか、自分でも分からないもん。亮太をずっと振り回しちゃうかもしれない。また、亮太を悲しませちゃうかもしれない」


葵は俯き、自信なさげに首を横に振った。

彼女の心には、まだ深い傷跡が残っている。誰も信じられなくなったトラウマが、そう簡単に消えるはずがないのだ。


「振り回されたって構わない」


俺は迷うことなく断言した。


「俺が勝手にお前の隣にいたいだけだ。お前はただ、自分のペースで歩けばいい。転んだら俺が引っ張り上げるし、立ち止まりたいなら一緒に立ち止まる。……もう二度と、お前を一人にはしない」


俺は手を伸ばし、葵の冷え切った左手をそっと握った。

彼女の手は小さくて、少しだけ震えていた。俺はその震えを止めるように、優しく、しかし確かな力で包み込んだ。


葵はビクッと肩を震わせたが、手を振り払おうとはしなかった。

ゆっくりと顔を上げ、涙ぐんだ瞳で俺を見つめ返す。


「……本当に、待っててくれる?」

「ああ。何年でも待つよ」

「途中で、私のこと面倒くさくなって、捨てたりしない?」

「バカ言え。そんなことするくらいなら、最初からこんなこと言わない」


俺の即答に、葵の目からホロリと涙がこぼれ落ちた。

そして、彼女は俺に握られた手を、自分からギュッと握り返してきた。


「……うん。わかった」


涙声のまま、葵は小さく、けれどはっきりと頷いた。


「私、まだ自分のことで精一杯で、亮太の気持ちにすぐには応えられない。でも……亮太が隣にいてくれることが、今はすごく嬉しい。すごく、安心する」


葵は右手で乱暴に涙を拭い、照れくさそうに笑った。


「だから……少しだけ、待ってて。私が、嘘をつかない『本当の私』として、亮太の隣に胸を張って立てるようになるまで」


その約束は、俺にとってこれ以上ないほどの希望だった。

今すぐ恋人同士になれるわけではない。俺たちの道のりは、まだまだ長く、険しいものになるだろう。

それでも、彼女が俺の手を握り返してくれたという事実が、俺の心に無敵の力を与えてくれた。


「ゆっくりでいいさ。俺たちの時間は、これからいくらでもあるんだから」


俺がそう言って微笑むと、葵もまた、心からの笑顔を返してくれた。

今日一番の、そして、俺がずっと守りたかった、あの太陽のような笑顔だった。


「……すっかり冷えちゃったね。帰ろうか」

「ああ」


俺たちはベンチから立ち上がり、空になった缶をゴミ箱に捨てた。

帰り道は、来た時とは違って、二人の距離はぐっと近くなっていた。

手を繋いでいるわけではない。でも、肩が触れ合いそうなほどの距離で並んで歩くことに、もう何の躊躇いもなかった。


大学に行けば、また新しい試練が待ち受けているだろう。

好奇の目や、心ない噂話が彼女を傷つけるかもしれない。

でも、もう恐れることはない。俺たちは互いの弱さを知り、すべてを曝け出した上で、共に歩いていくことを決めたのだ。


「ねえ、亮太」

「ん?」

「明日、一緒に大学行ってくれる?」

「当たり前だろ。朝、迎えに行くから寝坊すんなよ」

「ふふっ、了解。お弁当、亮太の分も作ってあげようか?」

「マジか。それは楽しみだな」


何気ない、日常の会話。

少し前までは、二度と戻らないと思っていた、当たり前のやり取り。

それが今、こうして新しい形となって俺たちの間に戻ってきた。


遠回りをした。傷つけ合い、逃げ回って、たくさんのものを失った。

「もう遅い」と思っていた。

けれど、時計の針は決して止まることはなく、俺たちの新しい時間を刻み始めている。


夜空を見上げると、分厚い雲の切れ間から、小さな星が一つだけ瞬いていた。

俺はその星の光に、これからの俺たちの未来を重ね合わせながら、隣を歩く幼馴染の足幅に合わせて、ゆっくりと、確かな一歩を踏み出した。

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