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幼馴染がクズな彼氏に裏切られた。……「もう遅い」はずの僕たちの、不器用なやり直し  作者: novelnovel


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第5話 対峙と決別

喫茶店を出ると、外の空気はすっかり冷たくなっていた。

西の空に沈みかけた太陽が、街全体を燃えるような茜色に染め上げている。建物の影は長く伸び、家路を急ぐ人々の足音が、どこか物悲しく響いていた。

俺と葵は、肩が触れ合わない程度の絶妙な距離を保ちながら、ゆっくりと駅までの道を歩いていた。


彼女の顔色は、喫茶店に入る前と比べれば随分と良くなっていた。

何日も食事を摂っていなかった体にサンドイッチと温かいお茶が入ったことで、少しだけ生気が戻ったのだろう。しかし、それ以上に、心の内に溜め込んでいた真っ黒な感情をすべて吐き出したことが、彼女の表情を柔らかくしていた。

もちろん、これで全てが解決したわけではない。親友と彼氏に同時に裏切られたという傷は、そう簡単に癒えるものではない。それでも、彼女の瞳からはあの痛々しい虚無感が消え、代わりに微かながらも前を向こうとする光が宿っていた。


「……亮太」


ふいに、隣を歩く葵が口を開いた。


「少しだけ、遠回りして帰ってもいいかな」

「ん? ああ、構わないけど。疲れてないか?」

「うん。大丈夫。なんだか、もう少しだけ外の空気を吸っていたくて」


葵の提案に従い、俺たちは駅へ向かう大通りから外れ、住宅街を抜けるルートを選んだ。

その道の途中には、俺たちが子供の頃からよく遊んでいた、大きな県立公園がある。

春には桜が咲き乱れ、夏には蝉取りに走り回り、秋にはどんぐりを拾って遊んだ場所だ。大学に入ってからはすっかり足を運ばなくなっていたが、あの頃の無邪気な思い出が詰まった特別な場所だった。


公園の入り口に差し掛かると、夕暮れ時ということもあり、遊んでいる子供たちの姿はもうなかった。

オレンジ色に染まった広大な敷地内には、時折犬の散歩をしている人が通り過ぎるくらいで、ひっそりとした静寂が広がっている。

俺たちは言葉を交わすことなく、公園内の遊歩道を歩き始めた。


「……懐かしいな」


錆びついたジャングルジムや、ペンキの剥げたブランコを横目に見ながら、葵がぽつりと呟いた。


「小学生の時、亮太、あのジャングルジムのてっぺんから落ちて腕骨折したよね」

「おい、やめろ。いつの話だよ」

「ふふっ。あの時、亮太がワンワン泣くから、私もびっくりして一緒に泣いちゃって。お母さんたちに怒られたんだよね」


葵が小さく笑う。その笑顔は、俺がずっと見てきた、昔のままの無邪気なものだった。

他人の目を気にして無理に作った「完璧な彼女」の笑顔ではなく、ただの幼馴染である星野葵の素顔。

その顔を見られただけで、今日彼女を強引に連れ出して本当に良かったと、心の底から思えた。


「私はさ、ずっと変わらないままだったんだよね」


葵は歩みを止め、夕日に照らされたブランコを見つめながら言った。


「大学に入って、周りの子がどんどん大人っぽくなって、綺麗になっていく中で、私だけが取り残されてる気がして。……だから、必死に背伸びした。大人びた服を着て、流行りのメイクをして、明るくてノリのいい大学生を演じて。そうやって自分を偽ってないと、誰にも相手にされないんじゃないかって、ずっと怖かった」


彼女の言葉には、もう涙は混じっていなかった。

ただ、過去の自分を冷静に振り返り、分析しているようだった。


「拓海くんと付き合ったのも、その延長だったんだと思う。みんなの憧れのエースと付き合っていれば、私も特別な存在になれる。私の価値が上がる。……最低だよね。拓海くんのこと、ちゃんと好きだったつもりだったけど、半分はアクセサリーみたいに思ってたのかもしれない」

「葵……」

「だから、バチが当たったんだよ。私が自分を偽って、本当の気持ちから逃げてたから。結衣にも、見透かされてたんだと思う。あの子、昔から私のそういう弱いところ、全部知ってたから」


葵はそう言って、小さく息を吐いた。

彼女は自分の非を認め、すべてを受け入れようとしている。裏切られた被害者であるにも関わらず、自分の弱さから目を逸らさないその姿は、俺の目にとても強く、美しく映った。


「お前は悪くない」


俺は一歩だけ彼女に近づき、はっきりと言った。


「誰だって、周りからよく見られたいって思うし、背伸びすることもある。それはお前が一生懸命だった証拠だろ。それを食い物にして裏切った奴らが、絶対に悪いんだ。お前は、自分を責める必要なんてない」

「亮太……」

「これからは、もう無理すんな。笑いたくない時は笑わなくていいし、泣きたい時は泣けばいい。俺は、泣き虫でドジなお前の方が好きだからな」


照れ隠しで少しだけぶっきらぼうに言うと、葵は目を丸くした後、クスクスと笑い出した。


「ふふっ。なにそれ、全然慰めになってない」

「うるせえ。素直に喜べ」


そんな軽口を叩き合っていると、俺たちの間にあった重い空気が、少しずつ解けていくのを感じた。

もう大丈夫かもしれない。時間はかかるだろうが、葵はきっと自分の足で立ち直れる。俺はそう確信しかけていた。


だが、その時だった。


「葵……!」


背後から、ひどく切羽詰まった、掠れた声が響いた。

俺と葵は同時に振り返った。

夕日を背にして、公園の入り口のアーチの下に立っていたのは、一ノ瀬拓海だった。


俺は自分の目を疑った。

そこに立っていたのは、大学で誰もが羨む爽やかなエースストライカーではなかった。

髪はボサボサに乱れ、目の下には濃い隈ができている。着ているパーカーはシワだらけで、足元のスニーカーは泥で汚れていた。まるで、何日も寝ずに走り回っていたかのような、ひどく憔悴しきった姿だった。


拓海は俺たちを見つけると、ふらつくような足取りでこちらへ向かって駆け出してきた。


「葵、探したんだ……っ! 大学にもいないし、アパートのインターホン鳴らしても出ないし、MINEもブロックされてて……俺、どうしていいか分からなくて……っ」


拓海が葵の腕を掴もうと手を伸ばす。

その瞬間、葵は悲鳴のような短い息を呑み、怯えたように一歩後ずさった。

俺は反射的に葵の前に立ち塞がり、伸ばされた拓海の腕を強く払い除けた。


「気安く触るな」


俺は低く、威圧的な声で言い放った。

拓海は弾かれたように手を引っ込め、俺を睨みつけた。


「吉野……お前、なんで葵と一緒にいるんだよ。どけよ、俺は葵と話があるんだ!」

「葵はお前と話す気なんてない。見て分からないのか」


俺が背中の後ろを庇うように顎でしゃくると、拓海は葵の怯えた表情を見て、痛ましそうに顔を歪めた。


「葵……ごめん。本当に、ごめん。あのMINEは間違いなんだ。いや、間違いじゃないけど、違うんだ!」


拓海は必死に弁解を始めた。その声は震え、プライドの高い男の面影はどこにもなかった。


「結衣とは、本当にただの魔が差しただけなんだ。俺、怪我が全然治らなくて、スタメンから外されて、監督からもプレッシャーかけられて……頭がおかしくなりそうだったんだよ。でも、葵の前ではずっと『かっこいい頼れる彼氏』でいたくて、弱音なんて吐けなかった」


拓海は両手で顔を覆い、しゃくり上げるように言葉を紡ぐ。


「そんな時に、結衣が優しくしてくれて。葵には言えない愚痴を聞いてくれて……それで、つい甘えちゃったんだ。でも、本気じゃない。遊びだったんだ。俺が本当に好きで、一緒にいたいのは、葵だけなんだよ……!」

「ふざけるなッ!!」


俺は激昂し、拓海の胸ぐらを力任せに掴み上げた。

拓海は抵抗せず、ただぐったりと俺の力に身を任せている。


「遊びだった? 魔が差した? だから何だってんだよ! お前が自分のプレッシャーから逃げるために、葵の親友をはけ口にしたってことだろうが! それで葵の裏でコソコソ笑って、あまつさえ『適当に誤魔化す』なんて言葉を吐いた! それがどれだけ葵を傷つけたか、お前に分かってんのか!!」


俺の怒号が、静かな公園に響き渡る。

拓海を殴り飛ばしたい衝動が、右腕にギリギリと集まっていく。こいつの薄汚い言い訳を聞いているだけで、吐き気がした。葵を守りたいという思いと、こいつに対する純粋な憎悪が混ざり合い、視界が赤く染まりそうになる。


「吉野……頼む、殴っていい。俺がクズだった。最低だった。だから……もう一度だけ、葵と話をさせてくれ……っ!」


拓海は俺の腕を掴み、涙を流しながら懇願した。

俺はギリッと奥歯を噛み締め、振り上げた右拳を震わせた。

ここでこいつを殴るのは簡単だ。力ずくで追い払い、葵の視界から永遠に消し去ることもできる。

しかし、ふと背中越しに葵の気配を感じた時、俺はハッと我に返った。


これは、俺の問題じゃない。

葵の人生だ。


俺がここで拓海を追い払えば、葵は一生、拓海との関係にきちんとしたピリオドを打つことができない。逃げたまま、誰かに守られたままでは、彼女は本当の意味で過去を断ち切ることはできないのだ。

葵がこれから新しい一歩を踏み出すためには、彼女自身の言葉で、この惨めな男に引導を渡さなければならない。


俺は大きく息を吐き出し、拓海の胸ぐらからパッと手を離した。

拓海は咳き込みながらその場によろめく。

俺は一歩下がり、背後にいる葵の方を振り返った。


「……葵」


俺の呼びかけに、葵は顔を上げた。

彼女の瞳には、まだわずかな怯えと戸惑いが残っている。しかし、同時に、何かを決意したような強い光も宿り始めていた。


「俺がこいつを追い払うこともできる。二度とお前に近づかないように、徹底的にやってやることもできる」


俺は葵の目を真っ直ぐに見つめ、静かに問いかけた。


「でも、決めるのはお前だ。お前がこいつとどうしたいか、お前の口で伝えてやれ。何を言ってもいい。どんな決断を出しても、俺が絶対にお前を守り抜くから」


俺の言葉を聞いて、葵は小さく息を吸い込んだ。

そして、俺の背中を掴んでいた手をゆっくりと離し、一歩前へと踏み出した。

俺の隣に並び立ち、ボロボロになった拓海を真正面から見据える。

その横顔は、喫茶店で泣きじゃくっていた時よりも、ずっと大人びて、凛として見えた。


「葵……!」


拓海がすがるような目で葵を見上げる。


「私ね、拓海くんのこと、本当に好きだったよ」


葵の声は、驚くほど静かで、透き通っていた。

怒りも、悲しみも、憎しみも。すべての感情が濾過された後の、純粋な真実だけがそこにあった。


「拓海くんにふさわしい彼女になりたくて、ずっと無理をしてた。拓海くんがプレッシャーで苦しんでるの、本当は気づいてたのに。でも、完璧な彼氏でいてほしかったから、わざと見ないふりをしてたの。だから、拓海くんが結衣に逃げちゃったのは、半分は私のせいでもあると思う」

「違う! 葵は何も悪くない! 悪いのは全部俺だ! だから……!」

「でもね」


葵は拓海の言葉を遮り、首を横に振った。


「結衣と裏で会って、私のことを適当に誤魔化すって言い合ってたあのメッセージを見た時。私の中で、何かが完全に壊れちゃったの。私がどれだけ泣いたか、どれだけ絶望して、真っ暗な部屋で死にたいって思ったか。……拓海くんには、絶対に分からないと思う」

「……っ」

「私、もう自分に嘘をつくのはやめるの。嫌われたくなくて、いい彼女を演じるのはもうおしまい。これからは、ダメな自分も全部受け入れて、ちゃんと自分の足で生きていきたいの」


葵は一歩、拓海に近づいた。

拓海は縋り付くように葵を見つめ、震える手を伸ばそうとする。

しかし、葵はその手を取ることはなかった。


「だから、ごめんなさい」


葵は、ほんの少しだけ悲しそうに微笑んだ。


「もう、拓海くんの言葉は、私の心には届かないの」


その言葉は、冷たく残酷な宣告だった。

拓海の目から、大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。


「葵……頼む、見捨てないでくれ……俺、お前がいないと……っ」

「……もう遅いよ」


葵はきっぱりとそう告げた。

その声には、一切の未練も、迷いもなかった。

過去の自分と、そして、偽りの恋人との関係を完全に断ち切る、決別の言葉だった。


「さようなら、拓海くん」


葵は深く一礼し、それ以上拓海を見ることはなく、くるりと背を向けた。

俺もまた、絶望に打ちひしがれ、その場に膝から崩れ落ちる拓海を一瞥し、葵の背中を追うように歩き出した。


「ああああああっ……!!」


背後から、拓海の獣のような慟哭が響き渡る。

自分の愚かさに気づき、最も大切なものを永遠に失った男の、惨めで悲痛な叫び声。

しかし、俺も葵も、二度と振り返ることはなかった。


夕日が完全に沈み、公園は薄暗い蒼に包まれ始めていた。

しばらく無言で歩いていた葵が、ふいに立ち止まった。

俺も立ち止まり、彼女の横顔を覗き込む。


「……亮太」


葵は俺を見上げ、その瞳には再び涙が溢れていた。

しかし、それは絶望の涙ではなかった。張り詰めていた緊張の糸が切れ、大きな壁を乗り越えた安堵の涙だ。

彼女の小さな体が、小刻みに震えている。強がっていた反動が、今になって押し寄せてきているのだろう。


「よく言った。頑張ったな」


俺はそう言って、震える葵の肩をそっと抱き寄せた。

葵は俺の胸に顔を埋め、声を出さずに静かに泣いた。

俺は彼女の背中を優しく撫でながら、もう二度と、何があってもこの手を離さないと、心の中で強く誓った。


残酷な真実と向き合い、過去を断ち切った彼女。

俺たちはすべてを失ったかもしれない。でも、それは同時に、新しい何かを始めるための準備が整ったということでもある。


冷たい夜風が吹き抜ける中、俺は腕の中にある温かい確かな重みを感じながら、これから始まる二人の新しい時間に思いを馳せていた。

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