第9話 それぞれの進路
それから四年は、驚くほどあっという間に過ぎた。
気づけば俺は16歳になっていた。
声変わりも終わり、身長もそれなりに伸びた。
見た目だけなら、ようやく「子ども」から「同級生」くらいには昇格した気がする。
この四年で、学園での立場もだいぶ固まった。
俺の『教養』の講義は、相変わらず魔法学園らしからぬ内容だったが、なぜか評判は悪くなかった。
「先生のおかげで、父と経営の話ができるようになりました」
と、嬉しそうに報告してくれる生徒も出てきた。
「家令の転記ミスを指摘したら嫌な顔をされました」
という話もあったので、人のミスを指摘するときはやんわり伝えたほうがいいとも教えておいた。俺の生徒には、ネチネチと間違いを指摘するような人でなしにはなってほしくない。
一方で、魔法の習得も順調だった。
ノエルのしごき――もとい指導のおかげで、基礎属性魔法は一通り実用レベルに達したので、上位属性に手を出してみた。
すなわち、炎、氷、地、雷の四属性だ。
特にやりたかったのが、地属性と雷属性を融合させて地雷属性を生み出すことだ。
これは前世で慣れているのもあって、すぐに成功した。
ノエルは「地と雷で地雷って、バカみたいですね」と言っていた。
俺もそう思う。
彼女はもともと優秀だったが、この四年でずいぶん成長した。
特待生に恥じない成績を維持しながら、俺の訓練と教職試験の勉強を両立させて、首席で卒業することが決まった。
卒業式の日、俺は研究室の窓から中庭を見下ろしながら、少しだけ感慨にふけっていた。
あの小うるさい優等生も、今日で学園を出ていくのかと思うと、なんだか落ち着かない気分である。
「先生、聞きましたか」
式の後、研究室に顔を出した金髪撫で太郎ことアルベール・ド・サンルグランが、なんとも言えない顔で言った。
「どうしました?」
「ノエルの進路です」
「教職試験、受かったのでは?」
「落ちました」
「は?」
思わず素の声が出てしまった。
あのノエルが落ちた?
「なんで?」
「面接で教育論を語ったそうです」
「うんうん」
「魔法は筋肉と」
「あー……」
いや、その魔法=筋肉理論は正しいよ。俺は身にしみて知っている。だけど、教育の現場がそれを受け入れるかは別だ。
「その結果、『君のそれは教育ではなく虐待だ』と指摘されたとか」
「そうじゃない、と言い切れないのが厳しいところだな」
「そうですね」
俺たちは二人して、ため息を吐いた。
「で、試験に落ちたノエルの進路については?」
「結局、地方の防衛隊に入るそうです」
「へえ、最初に言っていた通りですね」
「ですが、また来年教職試験に挑戦すると言っていました」
まあ、あいつならやるだろう。
一度落ちたくらいで諦める性格ではない。
そして、さらに驚いたのはその次だった。
「アルベールは王都の防衛隊でエリートコースでしたっけ。そちらは問題ありませんか?」
「辞退しました」
「え、なんで?」
「僕もノエルと同じ防衛隊への入隊を希望しました」
俺は思わず顔をしかめた。
「アルベール、それ……」
「はい」
「ノエルのこと好きすぎでは?」
アルベールはわかりやすく目を逸らす。
「……否定はしません」
なるほどなあ。
最初の講義で俺に絡んできたあの嫌味な坊っちゃんが、今ではノエルを追って地方勤務を選ぶまでになってしまったか。青春だねえ。
だが、俺の感想は一つだった。
「ストックホルム症候群ですね」
「何ですか、それは?」
「人質が犯人に好意を寄せる異常な心理状態のこと」
「違います!」
耳が痛くなるぐらい大きな声で否定された。
「じゃあ吊り橋効果ですね」
「何ですか、それは?」
「死の予感を恋の予感と勘違いする現象のこと」
「全然違います!」
今度は顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。
「ごめんごめん、冗談ですよ」
「あまりからかわないでください」
そう憤慨する彼だが、これでもずいぶんと丸くなったものだ。
アルベールは、一緒に訓練してから俺の講義を真面目に受けるようになり、こういった冗談も気軽に言えるような仲になっていた。ノエルと勉強会も開いていたようで、成績は急上昇。学年でもトップクラスにまで成長していた。
そんなふうに、周囲の人間関係はそれなりに動いていた。
俺の方はといえば、召喚魔法に関する論文を一本出した。
題して『多重召喚陣による階層型使役体制の構築』。
召喚した対象というのは、術者が高圧的に命令したり、脅すように従わせたりすると、案外まともに動かないことが多い。
露骨に反抗こそしなくても、命令を曲解したり、手を抜いたり、ひどいときには悪意をもってわざと間違える。
そこで考えたのが、さらに別の召喚を重ね、上位個体に下位個体の統率と監視を担わせる方式だ。
召喚体同士に明確な指揮系統を作ることで、術者が末端を直接管理しなくても、全体を安定して運用できるようになる。
まあ要するに、「怖い中間管理職を置いて、あとはそいつに見張らせよう」という発想だ。
実際に、グレムリンにパワハラするインプを学園長に披露したところ、「非人道的だが実に効率的」と褒められた。
だが、本命の研究の方はといえば、いよいよ煮詰まっていた。
原初神の召喚。
断片的だった知識は少しずつ繋がり、仮説はだいぶ形になってきている。
しかし理論は理論、実験は実験である。
文献をいくら読んだところで、実際に術式が動くかどうかは別問題だ。
ある日の夜。
研究室で古代語の写本を睨んでいたメルキオールに、俺は言った。
「そろそろではないですか」
学園長は顔を上げた。
「机上の空論を現実にするときです」
メルキオールは片眼鏡を外して息を吐いた。
「……私もそう思わなかったわけではない」
「では?」
「しかし、これは危険な実験だ」
学園長は机の引き出しから、古びた書類の束を取り出した。
どれも端が擦り切れ、何度も開かれた跡がある。
「長年、安全審査委員会には申請を出している。しかし、何が起こるのか、何も起こらないのか、説明できないことには場所も資金も提供できないの一点張りだ」
「では、ここまでですか」
俺がそう言うと、学園長は眉を吊り上げた。
「何を言うか。この研究は我が生涯の悲願だ。諦めるわけがなかろう」
「それなら」
「うん?」
「すでに許可は取っています」
俺は鞄から一枚の書類を取り出し、机の上に乗せ、メルキオールにつつつっと差し出した。
「……なに?」
署名入り。印章付き。文句なしの本物の実験許可証だ。
学園長はそれを手に取り、目を通し、もう一度見直した。
「偽物には見えないな」
「本物ですから」
「どうやって取った?」
俺は肩をすくめた。
「安全審査委員会の不透明な金の流れを匂わせたら、簡単に取れました」
メルキオールが、ものすごく微妙な顔をした。
「それは……脅迫ではないのか?」
「言質は取られていません」
「そういう問題か?」
「不正するやつが悪いんですよ」
立派な学園長の倫理観からすると、禁書を隠し持つことより、悪人を利用することの方が悪い行いのようだ。
「俺はこの実験に本気なんですよ」
「……それは、私も同じだが」
「でしたら、これからは共同研究者ではなく」
俺は手を差し出す。
「共犯者ですね?」
メルキオールはおずおずと手を伸ばし、ちょこんと握手する。
「……う、うむ」
返事がちょっと情けなかった。
こうして俺たちは、ついに実証段階に踏み込むことになった。




