第8話 真理の追求者
学園生活にも、だいぶ慣れてきた頃。
俺は大図書館にいた。
王立魔法学園の図書室は、さすが国中から知識の集まる場所だけあって、蔵書の量が尋常ではない。
天井まで届く本棚が何列も並び、魔法はもちろん、神学、錬金術、魔物学、各地の法令集まで揃っている。
その日、俺が読んでいたのは召喚魔法に関する本だった。
「……召喚、ねえ」
ページをめくりながら、俺は小さく呟いた。
異界や精霊界から、何らかの存在を呼び出す術。
使いこなせれば強力な使い魔や精霊を従えることができるが、失敗すれば最悪、術者が食われる。
なかなか物騒だ。
だが、役には立ちそうだった。
今の俺は12歳の子どもに過ぎない。
多少は魔法を扱えるようになったが、前世のように一人で魔王城を踏破できるほどではない。
それならば、自分以外の戦力を用意するという発想は、かなり合理的ではないか。
「ほう。召喚に興味があるのか?」
不意に背後から声がして、俺は肩をびくっと震わせた。
振り返ると、そこにいたのはメルキオール学園長だった。
「びっくりした……」
「すまない。驚かせるつもりはなかったのだがな」
メルキオールは俺の向かいの席に腰を下ろし、開いていた本に目を落とした。
「召喚術概論か。これから学ぶのかね?」
「まあ、ちょっと気になって」
「理由を聞いても?」
「子どもには出来ないことが多いので、代わりに働いてくれる何かを呼べれば便利かなと」
メルキオールは一瞬だけ目を細める。
「まるで大人なら出来ることを知っているみたいだね、ロスマン君」
あ、確かにそういう意味に取られるか……つい転生者仕草が出てしまったかな。
「あ、もちろんエッチなことではないですよ」
「フフ、それなら良かった。教育者として、魔法の不適切な使用は避けるべきだからね」
誤魔化せたかな?
「学園長は、召喚に詳しいのですか?」
「召喚魔法の研究は、私のライフワークといっても過言ではないな」
「ほう、そこまでですか」
「うむ。召喚魔法というのは、古くて新しい分野でね。実のところ未解明な部分も多い。
どこと繋がり、なぜ意思ある存在が応じるのか――分かっているようで、誰も完全には説明できていない」
学園長はそう言って、本の文字を指先でなぞった。
「理論を積み上げても、最後にものを言うのは術者の資質と相性だ。
召喚物に気に入られなければ契約は成立しない」
「契約といえば、俺の得意分野ですね」
「さて。君は妙に世慣れているが、同時に雑なところもあるからな」
まあ、何事も「子どもだから」で済ませる気満々なところはあるな。
「ただ――」
そこでメルキオールは、独り言のように声音を変えた。
「賢者の称号を持つ者は、制御と術式に才を発揮する傾向がある。召喚陣の構築とも相性は良いだろう」
「じゃあ、やっぱり向いてそうですね」
「もし本気で学ぶつもりがあるのなら、私が基礎から見てやろう。
君のような外れ値によって理論に新たな角度が見つかるかもしれない」
「新たな角度、ですか」
「やはり行き詰まっているところもあってな。君の研究テーマは決まっているのかね?」
「送還について調べてみようと思います。呼ぶ方法ばかり語られるけど、送り届ける方法については記述が少ない気がして」
「……ほう」
その一言で、学園長の目が研究者のそれに変わる。
「なるほど。君は、呼ぶ前に返し方を考えるか」
「だって、そっちの方が大事じゃないですか」
「なぜそう思う?」
「呼ぶことより追い出すほうが難しい――借地借家法における真理です」
メルキオールはしばらく黙っていたが、やがて深くうなずいた。
「さすがだな、ロスマン君。実に独特な視点を持っている」
なんか納得してくれたらしい。
メルキオールは立ち上がり、本棚の奥へ歩いていった。
しばらくして戻ってきたその手には、革表紙の古びた本が数冊抱えられていた。
どれも一般の棚には置かれていなかったものらしい。
「この本は?」
「閲覧制限付きの資料だ。召喚と送還に関する古い研究記録でね。いわゆる禁書に指定されている」
「そんなもの、俺に見せていいんですか?」
「君なら問題ないだろう」
いやあ、信頼されるのはありがたいけど、面倒事はごめんだぞ。
「ただし、このことは我々の秘密だ。研究が名誉や金のためというのであれば、ここでやめておけ」
「……」
「それでも知りたいか?」
俺は即答した。
「知りたいです」
「ならば、今後は少しずつ話そう」
「ありがとうございます」
「共同研究者として、だ」
その言葉に、俺は一瞬だけ目を瞬かせた。
王立魔法学園の学園長と俺が共同研究者?
「それは買い被りすぎではないですか? 俺はまだ素人ですよ」
「有望な素人だよ。とてもね」
◯
とは言ったものの、実際に始まったことは、まず文献の山に埋もれることだった。
メルキオール学園長の研究室にお邪魔して、蔵書を読み漁る。
召喚術の歴史を一から覚え、古代語で書かれた論文を読み解き、さらに注釈を書いた学者同士の罵り合いまで網羅していく。
賢者の称号による補正がなければ、処理しきれない情報量だった。
だが、面白くもあった。
俺の知っている召喚術といえばゲームかアニメの中の存在で、なんか神とか竜が魔法陣から現れて、攻撃したら返っていくという程度の認識でしかなかった。
しかしこの世界では、魔法陣とは契約書であり、そこに書かれた一文字一文字に意味があった。
例えば小さな悪魔であるグレムリンを呼び出す魔法陣では、その外周にこのような文言が書き込まれている。
汝、境界を越えて来たる小さき手よ。
我が呼び声に応じ、悪意をもって害することなく、
定められた務めを果たせ。
俺はその一文をなぞりながら、思わず眉をひそめた。
「……穴だらけだな」
「そう思うかね」
向かいに座るメルキオール学園長は、古びた羊皮紙の写本をめくりながら言った。
俺は賢者(行政書士)の見地から、一つずつ指摘する。
「相手が悪意のある解釈をすれば、いくらでも言い逃れができると思います」
「グレムリンにも知性がある。曖昧な約束でも、意味を理解し、同意しているなら拘束力が発生する」
「思ったよりも信頼関係に依存してるんですね」
「というより、あまり縛りつけると嫌がって契約そのものが成立しない」
「なるほど。仕事を頼む側の弱みですね」
「基本的にあちら側が協力する理由は『面白そうだから』という程度でしかない。弱い相手なら脅す事もできるが」
「それだとまともに働いてくれませんよね」
「うむ。難しいところだ」
俺はもう一つ気になることを尋ねてみた。
「あの、この魔法陣には『務めを果たせ』としか書いていませんが、役目を終えたらどのタイミングで帰るんですか?」
「それは……グレムリン次第だな」
「もしかして、飽きるまでいるんですか? こっち側に」
「ああ。大抵はすぐ帰る。それに、魔法陣は強固だ。決して中から出ることはできない」
「ではもし外側から魔法陣が壊れたり、書き損じなどがあれば?」
いわゆるヒューマンエラーというやつだ。術者も人間である以上、うっかりすることは必ずある。
「術者が襲われる。術者さえいなくなれば、自由に動けるのだから当然といえる」
「それなら事故が起こりませんか?」
「よくあることだ」
でしょうね。
俺も、にわか知識で挑戦するのは控えておこう。
◯
ノエルに「最近、顔色が悪いですよ」と言われた。彼女が作った炎の竜巻から逃げてる最中に。
「ちゃんと寝てますか?」
「寝てる寝てる」
「あの学園長と何かしてるのは知ってますけど……」
ノエルが炎の竜巻を消して、心配そうに声をかけてくる。
「疲れてるなら、今日の訓練はお休みにしますか?」
「いや、いいんだ。研究が面白くて寝不足なだけで、元気はある」
「そうですか。では竜巻を三つに増やしますね」
「やめてくれ」
やめてくれなかった。
さて、俺が自分の研究室に行くと、珍しくメルキオールが来ていた。
「あれ? どうしました?」
「今日は届け物にきた。大事なものなので、直接持ってきた」
俺が彼を研究室に招き入れると、一冊の分厚い本を渡してきた。
「これ、なんです?」
「学園の蔵書にも登録していない、私が個人的に保管していたものだ」
「拝見しても?」
メルキオールが意味深にうなずく。
なんだ?
俺が本を開くと、中は共通語ではない文字で書かれていた。
「……読めないですね」
「それは古代語よりも古い言葉だ」
「学園長は読めるんですか?」
「ある程度は、な。三十年ほどかけた」
「三十年……」
その一言だけで、この本が学園長にとってどれだけ特別なものかわかった。
「これは、現在の神学とはまったく異なる体系で書かれている。今の神殿が教える神々の序列や由来とは、根本から違う」
「というと?」
「ここには、三柱の原初の神について触れられている」
「三柱?」
「創造神、秩序神、破壊神」
なんだその、いかにも重要そうな連中は。
これまで神殿で聞いてきた話には、そんな名前は出てこなかった。
「で、その神様たちは今どうなってるんです?」
「去った、と記されている」
「それだけ?」
メルキオールは曖昧にうなずいた。
「そして、ここからが本題だ」
その声色が少し変わった。
俺も自然と背筋を伸ばす。
「この本には、後から現れた神についての記述がある」
「三柱の後、ということですか?」
「そうだ。その神の名は『エントロピア』――邪神とされている」
その瞬間、白いひげのクソジジイの顔がフラッシュバックした。
――わし邪神じゃし――
「ジジイがよぉ……」
「何?」
「いや」
危ない危ない。
憎しみが出てしまいました。
俺は咳払いしてごまかした。
「その神はどんな存在だって書かれているんですか?」
「記述は断片的だ。だが、秩序を乱し、既存の原理に囚われないとある」
ああ、うん。わかる。
俺の人生を何度もぐちゃぐちゃにして笑ってるところとか、モロにそう。
「しかも、この本にはエントロピアを『創られた神』と書いてある」
「誰に――って、三柱に?」
「恐らくな」
俺は腕を組んだ。
なるほど。
つまり、あのジジイは三柱と親子の関係にあるんだ。
もしくは後輩とか、部下とか、そういう関係かもしれない。
「……だったら」
思わず、口に出ていた。
「だったら、呼び出せるかもしれませんね」
メルキオールが目を細める。
「何を?」
「原初の神々です」
研究室の空気が、しんと静まった。
俺は自分でも、ずいぶん乱暴なことを言っていると思った。
小さい悪魔相手に四苦八苦してるような人間が、見たことも聞いたこともない神を呼ぶ。
だが、理屈としてはおかしくない。
今まで俺たちは、召喚魔法について研究してきた。
異界の存在を呼ぶ方法。
契約する方法。
返す方法。
だったら。
もし原初の神々が去っただけで、消えたわけではないのなら。
呼べる可能性は、ある。
「本気で言ってるのかね?」
「もちろんです」
「なぜ?」
なぜ呼ぶのか。なにをしてもらうのか。
「その本に、何が書いてあるか聞いてみましょう」
と、メルキオールには言ったが、俺の本当の目的は違う。
三柱を呼び出し、邪神の製造責任を問い糾す。
そしてやりたい放題している邪神をそのまま消すなり、どこかに捨てるなりしてもらう。
「私が本の解読に三十年かけたのに対し、君は直接聞けばいいというのか」
学園長は手を額に当てて、半ば呆れているようだった。
しかし、ふっと息を吐いて口角を上げた。
「……面白い」
「でしょう?」
「だが非常に難しいと言わざるを得ない。はるか昔に忘れ去られた神々だ。我々の呼びかけに応じる可能性は低いぞ」
「研究のし甲斐がありますね」
俺たちは顔を見合わせ、静かにうなずいた。
「早速だが、まずは調べるべきことを洗い出していこう」
「俺は魔法陣の書式を調べますよ。神様だって逃げられないやつを」
こうして研究の方向性は決まった。
だいぶ大それた話になってきたが、ようやくジジイの尻尾をつかんだ気がする。
このまま手繰り寄せて、首根っこを押さえてやるからな。




