第10話 天国を探す
去ったとされる原初神はどこへ行ったのか。
研究室で資料を広げながら、俺はずっとそのことを考えていた。
そして、ふと思い出した。
あの白ひげクソジジイの言葉を。
――天国の手前じゃ――
俺を転生させるたびに、あの白い空間で待っていた邪神。
もしかして、創造神たちに置いていかれたのでは?
だったら。
「原初の神たちは、天国にいるんじゃないですかね」
俺がそう言うと、メルキオールはペンを止めた。
「非常に概念的だな」
「理想郷と言い換えてもいいですが、必要なのは取っかかりです。何を探すかを決めておかないと動けませんので」
「そうだな。だが、天国をどう探す?」
そこが問題だった。
天国はこちら、なんて看板が立っているはずもない。
異界接続の理論上、位相の違う領域を探るには、接続条件を少しずつずらしながら反応を見るしかない。
つまり。
「チューナー方式でいきましょう」
「……何?」
「チューナーです」
俺は机の上に広げた設計図を指で叩いた。
「接続先を固定せず、位相を少しずつ回して合わせるんです」
「回す?」
「ええ。ノブを回して、チャンネルを探すみたいに」
メルキオールは怪訝そうな顔をした。
無理もない。
ラジオもテレビもない世界で、チャンネル合わせの概念を説明するのは難しい。
「要するに、接続先の座標を連続的にずらせる装置を作るんです。反応のある帯域を探り、そこから絞り込んでいく」
「なるほどな……異界を段階的に走査するわけか」
「そういうことです」
理解が早くて助かる。
さすが学園長だ。
◯
召喚に使う魔法陣そのものは、従来のものを基礎とする。
だがその外周に位相調整用の補助環を何重にも重ね、俺がチューナーと呼ぶ制御装置と導線で接続する。
見た目は、巨大な魔法陣の横に、仰々しい金属製のノブ付き台座が生えた感じである。
「本当にこれでいけるのかね」
「理論上は」
「それなら、理論を食って生きている我々のような人種には十分だな」
「爆発したときは笑って忘れましょう」
妙に軽口を叩いてしまうのは、俺もメルキオールも緊張しているからだろう。
一応の安全措置も取っている。
何かが来たとき、あるいは繋がってはいけない場所に繋がったとき、即座に追い返せるようにする必要がある。
そこで俺は、魔法陣のあちこちに送還命令を書き込んだ。
言い回しを変え、構文を変え、古代語と現代語を混ぜ、意味だけは一貫させる。
――帰れ――
何万回も書き込んだ。
「……呼びつけておいて『帰れ』というのは失礼にならないか?」
とメルキオールは気にしていたが、「初対面で命令するよりはマシでしょう」と納得させた。
そして、準備は整った。
実験場に選んだのは、学園の敷地のさらに奥、普段は立入禁止になっている旧演習棟の地下だった。
もともとは大規模魔法の実験や、危険な召喚術の検証に使われていたらしい。
だが、何十年も前に事故があってから封鎖され、そのまま半ば忘れられていた場所だという。
安全審査委員会が渋るわけである。前科持ちの施設じゃないか。
俺はチューナーの前に立ち、深く息を吸った。
「じゃあ、天国探しを始めますか」
よろしい、と学園長はうなずく。
魔力の強さを調整しながら、魔法陣に流し込んでいく。
外周陣が起動し、補助環が順に光り始める。
チューナーの受信スピーカーが低く唸り、ノブの周囲に刻まれた目盛りが赤く浮かび上がった。
俺はゆっくりとノブを回した。
最初の帯域。
ザーザーとノイズが聞こえる。
「反応なし」
「記録しておこう」
次の帯域。
ピーガガガガー!と激しく乱れた。
「ここはやめておきましょう」
「うむ」
次の帯域。
今度は陣の一部がかすかに震えた。
だがそれだけだった。
「微弱反応」
「調査は後にしよう」
次。
次。
次。
繋がった異界を、勘と雰囲気で選り分けていく。
異界って、思ったより雑多なんだな。
そんなことを考えながら、少しずつ帯域を狭めていった。
「っ!」
ノブを回していた手がびりっと痺れる。
今度は、陣の中心に黒い染みのようなものが浮かびかけた。
「閉じろ!」
「はい!」
即座に送還命令を流し込む。
床に刻んだ『帰れ』が一斉に発動し、黒い染みはしゅるりと縮んで消えた。
「……いまのは、開いてはいけないところでしたね」
「うむ。君の帰れ文言が役に立って良かったよ」
「全くです」
そうして何度目かの調整をした、そのときだった。
「やっほ」
場違いなほど軽い声が、実験室に響いた。
背筋が凍る。
俺が聞き間違えるはずがない。あの声だ。
振り向くと、いつの間にか壁際に白いひげのジジイが立っていた。
邪神、エントロピア。
「……出たな」
「おお、久しぶりじゃのう」
メルキオールが一歩前に出る。
その顔にはわずかな緊張が見えた。
「ロスマン君、こちらは? 君の知り合いかね?」
「違います。敵です」
そう言った瞬間、荒野のガンマンのような早打ちで、学園長は魔法を放った。
「【ライトニングボルト】!」
青い閃光がジジイに突き刺さり、そのまま壁まで抜けていった。
「やった! 死ねクソジジイ!」
「ロスマン君」
学園長が、俺の口の悪さをたしなめるように言った。
「せっかく寝ておったのに、こいつがうるさいんじゃ」
耳元で聞こえたジジイの声。
「なっ――」
いつの間にか俺の隣にジジイがいて、チューナーのノブに手を伸ばしている。
「まずい!」
ジジイはノブを目一杯回した。
それだけで――魔法陣がめちゃくちゃになった。
外周の補助環がねじれ、古代語の刻印が反転し、送還命令がばらばらに千切れていく。
俺はジジイを突き飛ばし、なんとかノブを元に戻そうとしたが、チューナーが火花を散らし、ノブが勝手に回転を始めた。
「いかん! 逆流しているぞ!」
メルキオールが叫ぶ。
俺もすぐに魔力流路を押さえようとしたが、間に合わない。
天国を探すための接続が、裏返る。
上へ向けていたはずの針が、下へ。
光へ向けていたはずの回路が、闇へ。
天国が、反転して地獄に繋がった。
陣の中心が、ぱっくりと割れた。
暗く、底がない。
「閉じろ!」
「閉じてます!」
俺は直接魔力をぶつけて押さえ込もうとした。
しかし、さながらダムの決壊を前にしたような、どうしようもない絶望感しかなかった。
「くそっ、閉まれ!」
俺の努力もむなしく、穴から、何かが溢れ出した。
悪魔だ。
小さいもの。
細長いもの。
羽のあるもの。
牙だらけのもの。
人のようなもの。
そうでないもの。
とにかく、悪魔がジャバジャバ漏れ出してきた。
「うわああああ!?」
「数が多すぎる!」
メルキオールが光線を飛ばして撃ち落としていくが、焼け石に水だった。
エントロピアはその様子を見ながら、茶をすすっていた。
「いやあ、とんでもないことになってしまったわい」
「てめえ……!」
殺す。今すぐ殺す。俺は自身の最大火力である四属性複合魔法・ラグナロックの準備に入った。
「ロスマン、床だ!」
メルキオールの叫びに反射で視線を落とす。
実験室の床そのものが、ぶくぶくと泡立つように膨らんでいた。
石床が溶けるように歪み、その中央から、巨大な顔がせり上がってくる。
目。
鼻。
口。
人の顔に似ている。だが大きすぎる。
乱杭歯の生えた、巨大な口が開く。
「メルキオール! 飛んで――」
周囲の空気ごと、俺たちの身体が引きずられ、足が浮く。
メルキオールが何か叫んでいる。
俺は四属性を対消滅させ、生まれた膨大な熱を巨大な口の中に向けて放った。
「【ラグナロック】!」
白熱した奔流が、喉の奥まで焼き尽くしていく。
轟音。
閃光。
爆風。
実験室そのものがひっくり返ったかと思うほどの衝撃が走り、巨大な顔の上半分がまとめて吹き飛んだ。
乱杭歯がばらばらに砕け散り、焼けた肉片とも石片ともつかないものが雨のように降り注ぐ。
「やったか――」
と言いかけて、やめた。
吹き飛んだはずの顔の断面が、ぶくぶくと泡立っていた。
焼けただれた肉の奥から、新しい目玉がいくつも開く。
歯が生え直し、口が、さらに大きく裂ける。
「再生しているのか……!」
メルキオールの声が引きつる。
だが正直、そんなことはもうどうでも良かった。
巨大な顔の向こうから、次々と悪魔どもが雪崩込んでくるのが見えていた。
「ロスマン君!」
メルキオールが光線を乱射しながら叫ぶ。
「もう地下だけでは済まん!」
その言葉を裏付けるように、地の底から重い振動が上がってきた。
それはまるで足音のようだった。地獄の軍勢が、突如空いた風穴に殺到するような。
あるいは、地獄そのものが浮上する音かもしれない。
俺は舌打ちした。
「最悪ですね」
「うむ」
「これ、王都まで行きますよ」
「そうだな」
俺たちは背中合わせで短く肯定する。
否定できないとき、人はこんなにも簡潔になるらしい。
エントロピアは少し離れたところで、爪をいじっていた。
「がんばれー!」
「黙れクソジジイ!」
もう一発ラグナロックを撃とうとして、息が詰まった。
魔力が足りない。
さっきの一撃でごっそり持っていかれた。
その隙を突くように、地面から伸びた黒い腕がメルキオールの足首に絡みついた。
「ぬっ――!」
学園長は即座にそれを焼き切った。
だが、次の腕、次の腕、そのまた次の腕が、まるで飢えた蛇の群れみたいに殺到する。
「メルキオール!」
俺は炎弾を叩き込んで援護した。
何本かは焼けた。
だが全部は無理だ。
黒い腕の一本が、学園長の胴に巻き付いた。
ぎしり、と締め上げる音がした。
「が、ぁ――」
地面が裂けてまた巨大な口が現れる。
身動きが取れなくなったメルキオールを、飲み込もうと大きく開いていった。




