第11話 THE Cats
「テメェ……」
俺が低く唸ると、ジジイはのんきに笑った。
「今回はなかなか盛り上がったのう」
その一言で、地下実験室での光景が蘇る。
壊れた魔法陣。床から現れた巨大な顔。溢れ出す悪魔。
「お前……」
「なんじゃ?」
「……エントロピア」
その名を口にした瞬間、ジジイがぴたりと動きを止めた。
「ざっと千年ぶりに聞いたのう……いや、一万年か?」
「知らねえよ」
そんな大雑把なスケールを出されても困る。
こっちは今それどころじゃない。
「なんで邪魔したんだ」
「ほ?」
「チューナーを壊しただろ……そのせいで……」
その先を言い切る前に、喉の奥が詰まった。
メルキオールの最後の顔が浮かぶ。
あの人は死んだ。
ジジイは悪びれもせず、ひげを撫でた。
「ああ、あのピコピコのことか」
「ピコピコ言うな」
「人が気持ちよく寝ておるときに変な音が聞こえてきてな」
「……」
「あまりにうるさいので、たまらず止めに行った次第」
そう言って、ジジイは片手を顔の前に持っていき、軽く頭を下げた。
「あい、すまん」
まったく心に響かない。
神の謝罪がこんなに軽いとは知らなかった。
俺はしばらく黙っていた。
怒鳴り上げ、馬乗りになって拳が壊れるまで殴ってやりたい気分だった。
だから、できるだけ平坦な声で言った。
「いいよ」
ジジイがきょとんとする。
「ほ?」
「許すよ」
一瞬、邪神の顔がぱっと明るくなった。
「そうかそうか。いやー、それでは詫びとして、次は――」
ジジイが本を取り出し、視線を落とした瞬間に、俺は無言で魔力を練り上げた。
白い部屋の中で、青白い雷光が弾ける。
「【ライトニングボルト】!」
轟音とともに、稲妻がジジイの顔面へ突き刺さった。
こいつはもう、ただのクソジジイじゃない。
メルキオールの仇だ。
だが。
ジジイは、まばたき一つしなかった。
白いひげの先が、ほんの少し揺れただけだ。
「不意打ちとは卑怯じゃろ!」
「うるせえ! 死ね!」
俺は続けざまに魔法を叩き込んだ。
「【ファイアランス】!」
「【アイスエッジ】!」
「【ストーンバレット】!」
「【ライトニングボルト】×3!」
思いつく限りを連打する。
その裏で、無詠唱で組んだ四属性複合魔法を発動させる。
「【ラグナロック】!!」
このために、四年間もノエルに鍛えてもらったのだ。
俺はその全てをジジイにぶつけた。
だが、結果は同じだった。
無傷。
ジジイは少しうるさそうに眉をひそめただけで、服の焦げ一つついていない。
「たかが人間の魔法なぞ効かんよ」
そして、にやりと笑う。
「わし邪神じゃし」
「ふー……そうだろうな」
俺はそこでようやく手を止めた。
頭ではわかっていた。
俺よりずっと強いメルキオールの魔法ですら、あいつには通じなかったんだ。
だったら、今の俺でどうにかなるはずがない。
だけど、やらずにはいられなかった。
「ただの気晴らしだ」
「晴れたかの?」
「いや」
ジジイはそんな俺を見て、少しだけ肩をすくめた。
「次の転生は?」
取り出した本をパラパラとめくる。
「ふむ。希望はあるか?」
「なんでもいい」
投げやりに答える。
もう正直、どうでもよくなっていた。
どうせまた変な人生を押し付けられるんだろう。
だが、ジジイは意外そうに眉を上げた。
「さっき詫び代わりと言ったじゃろ」
「……」
「言うだけ言うてみよ」
俺は少し考えた。
これまで、
夢属性、
地雷、
ホスト勇者、
賢者、
どれもそれなりにやってきたが、賢者だけは幼児からの出発だった。
これがかなりダルい。
単純に、歩くのが遅い。年齢制限に引っかかる。単独行動がしづらい。などなど。
「子供時代はスキップしてくれ。ゆっくり成長はもう懲り懲りだ」
俺がそう言うと、ジジイは満足そうにうなずいた。
「タイパ重視というやつじゃな」
「まあ、そうかな」
「よし分かった。わしにまかせよ」
そう言って、ジジイは手をぱん、と叩いた。
視界が白く弾ける。
身体が引き伸ばされるような、押しつぶされるような、いつもの転生の感覚。
意識が遠のいていく。
そして次に目を覚ましたとき。
最初に見えたのは、猫だった。
「お前の名はサンにゃ」
……は?
ぼんやりした視界の中、目の前にいたのは、どう見ても猫だった。
丸い顔。
ぴんと立った耳。
しなやかに伸びたひげ。
その猫が、すぐ近くにいる別の小さな塊に顔を向ける。
そっちは生まれたばかりらしい、よちよちどころか、まだもぞもぞしているだけの子猫だ。
「お前の名はヨンにゃ」
あの子猫がヨンで、俺がサン。
自分の身体を触ると、柔らかい毛の感触。
その手には肉球。
俺、猫になってる。
「……にゃぜ!?」
声まで猫だった。
終わった。
今度の人生、もう終わった。
タイパ重視って、猫のことかよ……。
確かに動物の成長は人間より早いし、一年もあれば大人並の体格にはなる。
なるが、猫の身体で何ができるっていうんだよ……。
だが、結論から言うと、俺は猫ではなかった。
ケットシー。
魔物と人間の間に位置する、獣人種の一つ。
それが俺の新しい人生だった。
少し成長してから、俺は久しぶりにステータスを開いた。
そこには、はっきりとこう書かれていた。
ケットシー(Cats)
アビリティ
・華麗な身のこなし
・落下ダメージカット
「Catsって……」
なんで複数形なんだよ。
一匹だろ、俺は。
そのときは、本気で意味がわからなかった。
だが、一年も経った頃には、嫌でも意味がわかった。
俺の兄弟たちはすくすくと成長し、ケットシーらしく、二足歩行の猫人間みたいな姿になっていく。
ところが、俺だけ違った。
成長速度が、明らかにおかしい。
兄弟の倍の速さでデカくなり、身長は170センチ近くまで伸びた。
しかも、手からは肉球が消え失せ、体つきは人間そのもの。
ある日、鏡代わりの水面を見たとき、俺はすべてを理解した。
リアルな猫の毛並みに、生々しい人間の顔が融合したその姿――
「……ってこれ、実写版キャッツじゃねーか!」
◯
俺たち四兄弟は、上からイチ、ニン、サン、ヨンという名前を付けられた。
俺はサン。
三男というわけだ。
雑だが、ケットシー村ではわりと普通らしい。
他の村人もゴロクとか、ハチとか、シロミケとか。
俺の生まれたケットシー村は、森の中にあった。
木と藁で作った家が点々と並び、枝と枝を渡した足場、木の上の小屋なんかもある。
人間の村みたいに整然とはしていないが、不思議と居心地は悪くなかった。
村の連中は、日がな一日、川にかかった橋から釣りをしたり、拾ってきた瓶を磨き、それを宝物と言い張って売ったりしている。
あと、マタタビでべろべろになることもある。
初めて見たときは衝撃だった。
大の大人ケットシーが地面に転がって「にゃへへ……」とか言ってるの。
すぐ母に目を隠された。
仕事という概念は、あまりない。
だが、大工ケットシー、食堂のおばちゃんケットシー、屋台の呼び込みケットシーなど、各々が生来好きな役割を担当している感じだった。
誰かに命じられるでもなく、自然とそうなっている。
ゆるい。だが、そのゆるさが俺には心地よかった。
ちなみに、死期が近づくと行方をくらますので、墓はない。
最初に聞いたときは驚いたが、村の連中はそれを当たり前のこととして受け入れていた。
猫っぽいというか、なんというか。
最後まで自由な種族である。
この世界で俺は、しばらく何もする気が起きなかった。
神をどうにかする。
原初神を呼ぶ。
エントロピアに届く手段を探す。
そういう執念みたいなものが、いったん全部、ぷつりと切れてしまったのだ。
だから俺は、やさぐれたケットシーとして最初の一年を過ごした。
日向で寝転がり、
魚を食い、
ぼんやり空を見て、
たまに兄弟にじゃれつかれても適当にあしらう。
そんな俺の世話を、両親と兄弟は焼いてくれた。
見晴らしの良い絶景の丘にピクニックに連れて行ってくれたり、
川辺で昼寝に付き合ってくれたり、
夕日を見て思わず涙がこぼれたときには、何も聞かずにそっと寄り添ってくれたりした。
そんなある日。
俺はふと、葉っぱと木の棒を使って、小さな風車を作った。
ただの思いつきだった。
手慰みというか、暇つぶしというか。
前世の知識を使えば、このくらいは簡単だ。
風が吹くと、カラカラと回る。それだけのおもちゃ。
だが、ケットシーたちはそれにものすごく驚いた。
「にゃッ!?」
「ニャニャニャ!」
「おお……」
最後の「おお……」は俺の父だ。
あの人、たまに人間っぽい声が出る。
とにかく、村中が風車にハマった。
子どもはもちろん、大人まで夢中で回る羽根を眺めている。
風の強い日はみんなで丘に持っていって、誰の風車が一番よく回るかを競い合った。
平和。
平和、か。
村人全員の風車を作り終えた頃には、俺は二歳になっていた。
そしてなぜか、神童としてもてはやされることになっていた。
「サンはすごいにゃ」
「天才にゃ」
風車を作ったぐらいでそこまで褒められるのはムズムズしたが、悪い気はしなかった。
次に作ったのは、ハンモックだった。
最初のものは、丈夫な蔓と古布で作った。
木と木の間に張って、試しに寝転がってみる。
……これはいい。
風に揺れながら、優しい木漏れ日を顔に受けていると、心地よい眠気がやってくる。
俺が静かに感動していたら、当然のようにケットシーたちが群がってきた。
「ニャッ! またサンが面白いもの作ってるニャ!」
「ニャニャ」
「乗るニャ」
そして殺到し、壊れた。
「ほらぁ~、こうなる」
俺はため息をつきながら、すぐに作り直す羽目になった。
今度はもっと太い蔓を選び、結び目も増やし、支点を補強する。
するとこれが大当たりだった。
心地よい揺れと、包みこまれる安心感がやみつきになるらしい。
昼寝好きのケットシーたちにとって、ハンモックはほぼ最終兵器だった。
気づけば、高い木と木の間にいくつもハンモックが張り巡らされていた。
村の上空に、寝床が増殖していく。
両親はそれを見て、まるでアラクネのようだと笑っていたが、俺には笑いのツボがわからなかった。
それって褒めてるの?
さらに次の年。
三歳になった俺は、川で採れる鮭っぽい魚を加工してみることにした。
鮭節。
前世の知識を総動員して、なんとかそれっぽいものを作れないかと思ったのだ。
兄のイチとニンを連れ、川で鮭っぽい魚を釣る。
こいつらは力仕事と運搬係として優秀だった。
すぐ持ち場を離れて虫とかイモリを追いかけていってしまうがまあ、うん、いいやつらだ。
まず、鮭(仮)を茹でる。
それを乾燥させる。
さらに燻製にする。
森で良い香りのする木を探して、スモークチップから自作した。
燻製装置も、大工ケットシーから分けてもらったレンガを使い、自分で組み上げた。
この燻製作業は、回数を重ねながら一週間ほど続いた。
その間ずっと、村中に香ばしい匂いが漂っていたので、ケットシーたちは興味津々だった。
「何ができるにゃ」
「食べられるにゃ?」
「いい匂いにゃ……」
期待が高まる。
もちろん、一番期待してるのは俺だが。
そして完成し、出てきたのは――真っ黒に焦げ、元のサイズよりかなり縮んだ、かつて鮭だったもの。
「……」
「ニャ……」
「ニャア……」
落胆がすごかった。
村全体がしょんぼりしている。
だが、まだ完成ではない。
俺は石のナイフで鮭の表面を削ってみた。
すると、中から茶色く色づいた魚の身が出てきた。
「おお?」
少し削り、一口食べてみる。
濃縮された魚の身の味、こってりした脂の味、どこか爽やかな香りのするスモーキーな風味。
うん、うん、うまい。
試しに、口が開きっぱなしになっている弟のヨンにあげてみた。
ヨンは一瞬キョトンとしたあと、
次の瞬間、ギャンギャン言いながらがっつき出した。
「そんなに!?」
食いつきがすごい。
目をひん剥いている。
ガジガジと牙で噛み砕いて、あっという間に一匹平らげてしまった。
そして尻尾をぶんぶん振りながら「サン兄、おかわり」と言ってきた。
その様子を見ていた村人たちは「ニャアも食べたいニャ」と集まってきた。
ヨンは独り占めしたくて泣きながら嫌がったが、初期生産分は村で分けることにした。
まあ全員が満足する量はなかったので、一欠片ずつの配分になったが。
だけど、それでもみな喜んでくれた。
「黒いのにうまいにゃ!」
「すごいにゃ!」
「サンは天才にゃ!」
また神童ポイントが加算されていく。
こうして俺は、気づけばケットシー村の発明家みたいな立ち位置になっていった。
……神を殺す計画からはだいぶ遠ざかった気がする。
だが、不思議と悪くはなかった。
少なくとも今は、
このゆるくて、優しくて、ちょっと間抜けな猫たちの村で生きる時間が、
俺には必要だったのだと思う。




