第12話 ライダーキック
俺は4歳になった。
そろそろ、人間の里へ行ってみようと思った。
ケットシーたちが作った工芸品や、魚の干物、ちょっとした保存食なんかを人間の街で売る。
その対価で、村の役に立ちそうな道具や布、金物、塩、薬なんかを買って帰る。
要するに、交易である。
ケットシー村は豊かだが、閉じている。
外の技術や物資が入ってこない。
俺なら外と橋渡しができる。
本音を言えば、久しぶりに人間社会を見てみたかった。
今の世界がどうなっているのか、自分の目で確かめてみたかったのだ。
問題は、俺がどう見ても普通の人間ではないことだった。
それどころかケットシーでもない。
大きな耳があり、尻尾もある。
身体は毛皮に包まれ、長いヒゲも生えている。
ただし顔はほぼ人間。
このまま人里へ行けば、悲鳴を上げて逃げられるか、魔物として討伐されるかの二択だろう。
なので、対策した。
人間の服を着て、顔を包帯でぐるぐる巻きにした。
耳と顔を隠すにはこれが一番手っ取り早かった。
病人か重症者か、あるいは顔にひどい火傷でも負ったやつに見えるだろう。
村の連中に俺の変装姿を見せたが、反応は微妙だった。
「サン、あやしいにゃ」
「見るからに怪しいと、逆に怪しまれないのさ」
「人間って、そんな感じなのかにゃ」
「ぜんぜん違うから、俺みたいなのがいたら全力で逃げろ」
俺がそう答えると、母は不安そうにひげを揺らした。
「人間に捕まって、見世物にされたケットシーの話を聞いたことがあるにゃ……。それから怖くて、みんな人間を見たら逃げるようになったんだにゃ。サン、本当に行くのかにゃ?」
ケットシーが人間の世界へ行くことは、ここ何年もなかったらしい。
昔は多少の行き来もあったそうだが、今ではほとんど途絶えている。
だから母が心配するのも無理はない。
だが、意外なことに父が味方になってくれた。
大工ケットシーがいるように、
食堂のおばちゃんケットシーがいるように、
俺のような『人間ケットシー』がいるなら、それを止めるのは野暮だ、と。
最終的には母も納得してくれた。
ケットシー村の外れには、古びた大木がある。
幹はねじれ、根は地面を覆い尽くし、枝はどの木よりも高いところに伸びている。
その大木の根本には、大人が一人かがめば通れるくらいの大きなウロがあった。
これを、ケットシーのくぐり穴という。
ここを通れるものだけが、こちらとあちらを行き来できる。
森の外へ出るための、特別な抜け道だ。
王立魔法学園で教師をしていた俺でも、理屈はよくわからない。
たぶん魔法ではなく、神秘に類する何かなのだろう。
俺はリュックがぱんぱんに膨らむまで、魚の干物を詰め込んだ。
並のケットシーなら持ち上げられないぐらい重いが、俺の身体能力ならどうということもない。
くぐり穴の前に立つと、見送りには家族だけでなく、村中のケットシーが来てくれていた。
「サン、がんばるにゃ」
「いっぱい売っていっぱい美味しいもの買ってくるにゃ」
「変な人間に気をつけるにゃ」
母が前に出て、俺の顔を見上げた。
「危ないと思ったら、神様に祈るんだにゃあ」
父もその言葉に続く。
「きっとミュー様が、助けてくれるんだにゃあ」
ケットシーの神様、ミュー様。
俺は大木の前で、軽く目を閉じた。
正直、今の俺は神という存在を信用していない。
エントロピアのせいで、そのへんの心証は最悪だ。
だが、俺の家族が信じるというのなら、今だけは頼りにしてもいいかもしれない。
そう思いながら、短く祈りを捧げる。
「……行ってきます」
そして俺は、くぐり穴を通っていった。
◯
森を抜け、街道を歩く。
久しぶりの人間の世界は、なんというか、埃っぽかった。
乾いた空気に土の匂いが混じって、鉄と汗と、何か焦げたような匂いがする。
ケットシー村の湿った森の空気に慣れていたせいか、妙にきな臭く感じた。
人間社会って、こんな匂いだったっけな。
そんなことを考えながら歩いていると。遠くから馬のいななきが聞こえてきた。
「ん?」
俺は足を止め、耳を澄ませた。
人間だった頃より、ずっと遠くの音が拾える。
猫耳はこういうとき便利だ。
さらに目を凝らす。
すると、はるか彼方で、馬車が襲われているのが見えた。
街道の脇で横転した馬車。
怯えて暴れる馬。
周囲を囲む、武器を持った男たち。
盗賊か。
さらに目を凝らすと、襲っている人間の下卑た表情や、襲われている方の悲壮な表情もくっきりハッキリと見える。
猫の視力、すげえな。
視力5.0ぐらいあるんじゃないか。
だが、感心している場合ではない。
あのままでは馬車の持ち主が危ない。
俺は地面を蹴った。
猫の脚力で、爆発的なスタートダッシュを決める。
同時に風魔法を展開し、前方の空気抵抗を削る。
加えて、背中側へ風を噴射して、推進力を上乗せする。
一歩目で、時速30km以上は出てる。原付より速いぞ。
「うわ、自分でも引くわ」
蹴り出した地面が、粉々に砕ける。
だが止まらない。
景色が後ろに吹き飛んでいく。
あっという間に距離を詰めた俺は、盗賊の一人の横腹に飛び蹴りを叩き込んだ。
「ほぶぇっ!?」
変な声を上げて、男が吹っ飛ぶ。
そのまま駒みたいに回りながら、茂みの向こうに消えた。
残りの盗賊たちが、何が起きたのかわからない顔でこちらを見る。
その間に、背負っていたリュックを地面に置いておく。
「な、なんだてめぇ!?」
「仮面ライ……いや、快傑ライオン◯か?」
「ごちゃごちゃうるせえ!」
自分で聞いたくせに――俺は次の男の足元へ滑り込み、膝裏を払う。
体勢を崩したところへ、顎に掌底。
さらに振り向きざま、短剣を抜こうとしたやつの手首を蹴り飛ばす。
「ぎゃっ!」
「うおっ!」
「速すぎるっ……!」
そりゃそうだろう。
逆に、俺にはこいつらの一挙手一投足がスローモーションに見える。
最後の一人が慌てて斧を振り上げたので、俺はその懐に潜り込み、腹に拳をめり込ませた。
男は白目を剥いて、その場に崩れ落ちた。
瞬殺だった。
あまりに簡単だったので、助けに入った俺が一番びっくりしている。
馬車のそばにいた商人らしき男が、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。
年の頃は四十前後。
口ひげを生やした、痩せ気味の男だ。
「大丈夫ですか?」
俺が声をかけると、男ははっと我に返った。
「あっ、ありがとう……助かりました……」
男は俺の包帯ぐるぐるの顔を見て、一瞬だけぎょっとしたが、命の恩人にそれを言うほど無神経ではなかったらしい。
代わりに、何度も頭を下げてきた。
「本当に、なんとお礼を申し上げればいいか……!」
「もういいですよ。それより、縄とかあります?」
「な、縄ですか?」
「こいつら縛っといた方がいいでしょう。また起きたら面倒ですし」
商人は慌てて馬車の荷台を探り、麻縄を何本か持ってきた。
俺はそれを受け取ると、盗賊たちをまとめて縛り上げていく。
手首と足首を後ろで固定し、ついでに互いの身体も連結しておく。
こうしておけば、もし逃げ出しても転んですぐ捕まえることができる。
伸びてる盗賊を引きずってきて、手際よく縛っていく。
「慣れてますね……」
「まあ、それなりに」
元S級冒険者です、とは言えないので濁しておく。
縛り終えたところで、俺は改めて商人の方を向いた。
「で、あなたは?」
「あ、申し遅れました。私は行商人のベルナルドと申します」
「どうも」
「あの、あなたは……?」
聞かれた俺は、あらかじめ用意しておいた設定をまくし立てた。
「俺はサンといいます。この包帯は昔魔王に呪いをかけられて醜い姿になってしまったので隠しているんですよ。気にしないでください」
「お、おお、そうですか。それは大変なことですね……サン殿」
この世界、大抵の悪いことは魔王のせいにしておけば納得してくれる。濡れ衣着せてごめん、魔王。
「サン殿は、この先の街へ?」
「そのつもりです」
「でしたら、ぜひご一緒いただけませんか?」
ベルナルドは、まだ少し震える手で服の埃を払いながら続けた。
「命を救っていただいたのです。お礼をさせてください」
「お礼?」
「馬車にお乗せします。街での宿代も食事代も、私が持ちます」
ありがたい提案だった。
俺としても、初めて行く人間の街へ単独で入るより、商人の連れとして入ったほうが自然だ。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
「本当ですか!」
ベルナルドの顔がぱっと明るくなった。
よほど心細かったのだろう。
まあ、盗賊に襲われた直後だしな。
そんなことをしていると、横転した馬車から御者が這い出てきた。
今まで気絶していたらしい。
馬をなだめながらこちらに頭を下げてきたので、俺は軽く手を振って返した。
横転していた馬車は、俺が力を込めると割と簡単に起こせた。
御者とベルナルドは顎が外れそうなほど驚いていた。
三人で、ひっくり返った荷物を積み直し、それから、盗賊たちをどうするかという話になった。
「近くに詰め所か冒険者ギルドないですか?」
「この先に街道警備の詰め所があります」
「じゃあ、こいつらはそこに引き渡しましょう」
というわけで、盗賊たちは縄で数珠つなぎにしたまま馬車の後ろへくくりつけられた。
結婚式の車にぶら下げられた空き缶のように引きずる……わけではない。
歩かせるのである。ちょっとでも誰かが歩くのをサボったら全員が転ぶ仕組みだ。
俺は怯える盗賊に睨みを効かせてから、馬車に乗り込んだ。
中には布や陶器、乾物、金物なんかが積まれていた。
典型的な行商の荷だ。
なんだか懐かしいな。
賢者の時の実家は雑貨屋だった。
近所から卸してもらうこともあれば、こういう行商人から買うこともあった。
俺死んじゃったけど、母さんと父さんは元気にしてるかな。
ベルナルドは物思いにふける俺を見て、少し不思議そうに首をかしげた。
「サン殿は、街へ何をしに?」
「商売の下見です」
「ほう?」
「売れそうなものと、買うべきものを見に行こうかと」
ベルナルドの目の色が変わった。
あ、今、商人の顔になったな。
「お若いのに、しっかりしておられる」
「顔を隠してるのに分かりますか?」
「声で分かりますよ」
とはいえ、まさか4歳のケットシーとは思うまい。
馬車は盗賊たちを晒し者にしながら、ゆっくりと街道を進んだ。
途中、詰め所に寄って、こいつらを引き渡す。
兵士たちは目を丸くしていた。
「これを、あなたが?」
「ええ」
「一人で?」
「こう見えて強いですよ、俺」
兵士は俺と、痣を作った盗賊たちを見比べ、なんとも言えない顔をした。
包帯ぐるぐる男と盗賊の戦いが、想像できないらしい。
しかし、ベルナルドの証言によって、どうにか話は通った。
盗賊を捕まえたからといって懸賞金などはなかったが、剣などの装備品は俺がもらえることになった。
そしてそれをベルナルドが買い取ってくれたので、すぐに現金が手に入った。
これが軍資金になる。
ありがたい話だ。
詰め所を出て、さらにしばらく進む。
やがて、街が見えてきた。
石壁に囲まれた、小ぶりだがしっかりした城塞都市だった。
門の前には荷馬車の列ができ、人の出入りも多い。
商人、旅人、農民、兵士。
いろんな人間が行き交っている。
久しぶりに見る人間の街。
胸の奥が少しだけざわついた。
「ここが、最寄りの街です」
ベルナルドが少し誇らしげに言った。
「ようこそ、サン殿。ソシアリスの街へ」
ソシアリスの街――。
ここから、ケットシー村と外の世界との行き来が始まる。




