第13話 霊魚と月の木
街に入ると、まずはベルナルドの案内で宿へ向かった。
その宿は、重い荷物を抱えて歩きたくないという商人たちの御用達らしく、門からそう遠くない場所にあった。
石造りの一階に、木造の二階が乗った、頑丈そうだが素朴な雰囲気がある。いいね、こういうの好きだよ俺。
俺は一旦、部屋に荷物を置いた。
持ってきた干物の入ったリュックは、さすがに街中をずっと背負って歩くには目立つし動きづらい。
それに、今後の商売のことを考えるなら、まずは落ち着いて情報収集したかった。
ちなみに、客の荷物が盗まれた場合は、宿の主人がその損害を賠償しなければならないという法律(宿主責任法)がある。
なので安心とはならないが、貴金属じゃなくて干物ぐらいなら宿に置いておいても問題ないだろう。
一息ついたところで、ベルナルドがドアをノックした。
「サン殿、よろしければ食事でもいかがですか? ご馳走しますよ」
「いいんですか?」
「もちろんです。これはお礼ですので、懐は気にせず飲み食いしてください」
そう言って連れて行かれたのは、最高級とまではいかないが、わりといい感じのレストランだった。
木の扉には洒落た彫刻が施され、店内には香草と焼いた肉のいい香りが漂っている。
客層も、疲れた旅人とか、報酬を受け取ってそのまま来た冒険者たちではなく、身なりの整った商人や役人のような人間が多い。
俺が想像していた「行商人のお食事処」よりずっと上等だ。
「おお……」
「お気に召しましたか?」
「ええ、思ったよりちゃんとしてて驚きました……って言ったら失礼ですね。すみません」
「ふふふ、私の贔屓にしている店です」
席につくと、ベルナルドは慣れた様子で料理と酒を注文した。
俺は酒は断って、水にしておく。
会ったばかりの人の前で、酒を飲むのは軽率だろう。
まあ、マタタビでべろべろになるケットシーなので、アルコールがどう作用するか分からなくて怖いのもある。
俺が顔に包帯を巻いたまま、器用に飯を食ってると、その姿をベルナルドがちらちら見ていた。
「魔王の呪いで」
「そ、そうでしたね。不躾で申し訳ない」
料理はどれもなかなか美味かった。
鶏肉とか野菜のスープとか。
味がどうというより、人間の街の料理はやっぱり懐かしい。
食事が進んだところで、ベルナルドがふと思い出したように言った。
「そういえば、宿代の件ですが」
「はい?」
「約束通りこちらで持ちますので、何日くらい滞在される予定か教えていただけますか」
俺は少し考えてから答えた。
「とりあえず、一週間で」
「承知しました」
それぐらいあれば、市場の相場も見られるし、必要な物資も揃えられるだろう。
空気を読むにはちょうどいい長さだ。
ベルナルドはうなずくと、今度は俺が持ってきていた手荷物へ視線を向けた。
「ところで、そちらは?」
「ああ、そうだ。これ、もらってばかりで悪いので、少しですが」
そう言って、持ってきていた魚の干物をベルナルドにプレゼントした。
中身は大したことないけど、ちゃんと大きな葉っぱで包んで蝶結びで縛ってある。気持ちはラッピングに表れるからな。
「これは、とんでもありません。私の方は命を救っていただいたお礼をしている身。サン殿にそこまでお気を遣わせてしまうなどかえって恐縮です」
ベルナルドは小さく息を呑み、本当に申し訳なさそうな顔をした。
だが、こちらが差し出した手を引っ込めないと見ると、今度は嬉しそうに目元を和らげ、「それでは、ありがたく頂戴いたします」と両手で包みを受け取った。
「本当にありきたりなものですよ」
「ははは、サン殿の言う『ありきたり』がどのようなものか、今から楽しみですよ。せっかくですから、拝見させてもらいますね」
ベルナルドは指先でそっと蝶結びの紐を引いた。するりと紐が解け、大きな葉が左右に開かれる。
中から現れたのは、きれいに重なった、飴色をした干物だ。
「おや……」
ベルナルドはそれをひっくり返したり、匂いを嗅いだり、指先で表面を確かめたりしている。
さすが商人、目利きモードに入っている。
「変わった魚ですね」
「そうですか?」
「ええ。このあたりでは見たことがありませんよ」
言われてみれば、俺もこの鮭っぽい魚はケットシー村で初めて見たな。
ベルナルドはしばらく観察したあと、顔を上げた。
「味見しても?」
「え? ここでですか?」
「ええ」
「俺は別に構いませんけど」
まあ、少し齧るぐらいなら、レストランの人も別に怒ったりしないだろう。多分。
ベルナルドはナイフとフォークで干物を小さく切ると、それを口に運んだ。
「これは……」
低い声だった。
さっきまでの商人の軽やかさが消えている。
「どうしました? おいしくないですか?」
俺が尋ねると、彼は干物を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「昔、食べたことがある」
俺は黙って続きを待った。
「私が子どもだった頃の話です」
ベルナルドは、ここではない遠くを見るような目になった。
「亡くなった父が、病で伏せっている私に食べさせてくれたことがあるのです。『とても珍しい魚で、一匹食べればどんな病気も治る』と」
なんだその、いかにも怪しい悪徳商法みたいな売り文句は。
と思ったが、ベルナルドは真剣のようだった。
「後に私は、それが霊魚だと知りました」
「霊魚?」
「精霊界にしかいないという、とても希少で、とても高級な魚です。それはそれは、父の愛の深さを実感できるほどに」
……はい?
「どこで……これを……?」
その目には、好奇心と興奮が入り混じっていた。
俺は思わず、皿の上の干物を見た。
ケットシー村だったら年中採れるし、干物にしてるのも保存が効くからじゃなくて旨いからだし。
俺はとりあえず、
「内緒です」
と言ってみた。
すると、
「なるほど」
と言って、何かを察してくれた。
ベルナルドは額に浮いた脂汗を拭いながら、細く息を吐いていた。
俺はついでにもう一つ、反応を見たかったものを取り出した。
「こういうのもあるんですけど」
ヨンに黙ってこっそり持ってきていた、鮭節である。
俺の自信作だ。
正直、これがこの世界の人間にどこまで通用するのか気になっていた。
「拝見します」
うやうやしく、まるでお宝を扱うように受け取った。
いや、そんなに?
彼はまず匂いを嗅いだ。
次は表面を少し削った。
さらに、その粉のような欠片を舐めてみる。
そして。
「こ、これは……」
険しい顔で固まった。
「どうですか?」
「霊魚の燻製……のようですが、この香りは……?」
俺は少し考えてから答えた。
「いい香りでしょう。春になると、淡いピンク色の花が咲く木でいぶしてあります」
ベルナルドの顔色が変わった。
「もしや……月の木では?」
「なんですかそれ」
「この世のものとは思えないほど美しい花を咲かせるので、きっと月から来たのだろうと言われている木です」
「へえ。確かに言い得て妙ですね」
桜に似てるんだよな、あれ。
村では普通に生えてたから、そんな大層な名前がついてるとは思わなかった。
だが、ベルナルドの次の言葉で、俺はさすがに焦った。
「現存するのは、聖都で厳重に保護されてる一本だけですが……」
「……へえ」
それが精一杯だった。
いや、待て。村に何本も生えてたぞ。
春になると、そこらじゅうピンク色になってたぞ。
ケットシーたち、木登りして走り回ってたぞ。
なんだあの村。
思ってたよりだいぶやばいな?
ベルナルドは、霊魚の干物と鮭節を前に、完全に商人の顔を通り越して、何か神聖なものを扱う信徒みたいな顔になっていた。
「サン殿」
「はい?」
「本当にこれをお売りになるんですか?」
「そのつもりですけど……」
椅子をガタッと勢いよく倒しながらベルナルドが立ち上がる。
「どこですか!? 在庫は、どこに置いてるんですか!?」
テーブルに手をつき、血走った目で俺に詰め寄る。
「宿に――」
「すぐ取りに行きましょう! もっと安全な宿に! いや、銀行に預けましょう! 衛兵も雇いましょう!」
そう言って俺の腕を引っ張り出した。
俺が「宿の主人が守ってくれるから大丈夫ですよ。盗まれても弁償してくれますし」と言うと、
「誰が弁償できるっていうんですか!? 街中の金貨を集めても無理ですよ!!」
と、泡を飛ばしながら怒鳴られた。
あ、そう言えば……、
「部屋に鍵かけてきたっけ?」
「な、にを、呑気なことをおおおおおぉぉーーーっっ!!!???」
ベルナルドは聞いたこともないような奇声を上げると、俺の腕をつかんだまま、ものすごい力でレストランを飛び出した。
「あ、手土産の干物が――」
「あばばばば!!」




