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邪神絶対殺す  作者: 逢魔ヶぽこぽこ
ケットシー編
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33/34

第33話 奇跡は起きない


「……本当に、学園長なんですか?」


 俺は呆然としたまま、そう口にしていた。


 彼がいつも着ていた紺と白の法衣は破れ、束ねていた長い白髪は乱れてぼさぼさになっている。

 はだけた肌には、何度も傷ついた歴戦の痕が刻まれていた。

 だけど、探究心に満ちたその目だけは変わっていない。


「君は?」


 メルキオールが訝しげに尋ねた。


 あぁ、そういえばこの姿(ケットシー)で会うのは初めてだったな。


「こんな見た目ですけど、ロスマンです」

「なんと」


 メルキオールは俺の頭に手を伸ばし、ふさふさした毛を撫でた。


「実に面白い」


 そう言って俺の耳をめくったり、頬をつついたりして、観察を始めてしまった。


 あの、俺、血反吐まみれなんですけど。


「地獄で君の声を聞いた」

「俺の?」

「あの時、私は悪魔に食われ、その喉元を滑り落ちた。そして辿り着いたのは、地獄だった」


 メルキオールが手を止めて、俺に肩を貸して立たせる。


「っ……」

「悪魔の跋扈する屍山血河で途方に暮れていたとき、君の『来い』という声が聞こえた。きっと『帰れ』の文言が反転したのだろうな。それを頼りにここまで来られたのだよ」


 メルキオールのその言葉に、俺は暗い表情で言った。


「そうですね。悪魔もそのせいで地上に溢れていますが……」


「ロスマン君。何事も二面性がある。あれは忌むべき事故だったが、そのおかげで私は帰ってこれた。礼を言おう」


 複雑な気持ちだったが、なぜか涙が溢れてきた。


「俺……」

「おっと、再会を喜ぶのは後にしよう。まずは厄介事を片付ける」


 その言葉と同時に、万魔の主の唸り声が響いた。


『……小賢しい』


 俺は血の混じった唾を吐き捨て、ふらつく足に力を込めた。

 さっきまで限界だった身体に、もう一度だけ火が入る。


「結界石で魔法陣ごと封印します。時間を稼いでください」

「よろしい。君は休んでいたまえ」

「やれますよ」

「ならば、よし」


 万魔の主が翼を広げる。

 空気がわななき、クレーターの底に熱風が渦巻いた。


『少しは歯ごたえがあるようだ』


 それにメルキオールが反応した。


「私は地獄で悪魔を食らい、血を啜って生き延びたが、中々美味だったぞ」


 うお、煽るね。


『何、だと……』


「貴様らに、食われる側の気持ちを分からせてやろう」


『お前――』


 万魔の主が吠えた。

 憎しみを込めた咆哮が、クレーターの中を反響する。


『骨も残さず焼き尽くしてくれるわ!!』


 万魔の主は、号ッと炎を吐いた。


 俺はすかさず風を吹かせて防御する。


「【ウィンド】」


 俺たちの前に風洞ができ、炎が左右に分かれていく。

 そして――


「実に器用な魔法だな。さすがロスマン君」

「褒めてないで、やってください!」


 メルキオールは不敵に笑い、構えを取った。


「【ライトニングボルト】!」


 轟音。


 俺のものとは比べ物にならない太い稲妻が、炎を切り裂きながら逆流していく。


『クッ!!』


 万魔の主が翼でガードする。

 しかし肩口を撃ち抜かれ、その巨躯をわずかに傾かせた。

 そこへ俺が潜り込み、脇腹に渾身の右ストレートをぶち込んだ。


『ぬう……! 小癪な!』


 振り払われた腕――その下をかいくぐる。


「ロスマン君、跳ぶのだ」

「はいよ!」


 言われるまま横へ跳ぶ。


「三連――【ライトニングボルト】!」


 直後、俺がいた場所を三本の雷光が通り抜けた。


『――ガアアアアッ!』


 雷が万魔の主の全身を焼く。


「今だ!」


 俺は地を蹴り、奴の股下をくぐって背後に出る。

 そして延髄、脊柱、腰椎にマッハの正中三連突きをぶち込む。

 ごりっ、と拳がめり込んだ。


『がっ……』


 前のめりに崩れ落ちる万魔の主。


 だが、俺の顔面めがけて尾が飛んできた。


「うおっ!」


 不気味な唸りをあげる尻尾を、紙一重で躱す。


 そんなのもあるのかよ!


『おのれ、ちょこまかと』


 メルキオールはその間にも詠唱を終えていた。


「十連――【ライトニングボルト】!!」


 やべ、緊急回避!!


 十本の雷が、時間差で、角度を変えて、万魔の主へ降り注ぐ。


『オオオオオオッ!!』


 万魔の主が両翼を身にまとい、雷を防ぐ。

 だが防ぎきれていない。

 灰色の外殻が焼け、紫の比翼が裂けていく。


『フゥ……フゥ……!』


 それでも、倒れない。


「今のも耐えるか……」


 学園長がひりついたように言った。

 俺は彼の隣に帰って来ると、冷たい目を向けた。


「今、俺ごと焼こうとしませんでした?」

「なあに、君なら躱す」


 さいですか。


 クレーターの縁では、決死隊が今も悪魔の群れと戦っていた。

 神官たちは三方向に散らばり、祈りを重ねている。

 結界石から伸びた淡い光の線が、少しずつクレーターの上空を結び始めていた。


 もう少しだ。


 万魔の主は、俺たちを見比べるように首を巡らせたあと、ふいに視線を上へ向けた。


 兵士長と神官たち。


 まずい。


「学園長!」

「分かっている!」


 だが遅かった。


 万魔の主の、タールの流れる黒い眼窩に、赤い光が灯る。


 その刹那。


 鋭い光線が放たれた。


 光線はクレーターの側面を焼きながら、一直線に神官たちへ向かう。

 焼けた土が爆ぜ、石が溶ける。

 あんなもの食らったら、神官団ごと蒸発する。


「やめろオオオオ――!!」


「【ホーリーライト】」


 上から、光が降った。


 白金の輝きが、光線の進路へ割り込む。

 眩い光の壁が赤い奔流を受け止め、ぶつかり合った衝撃がクレーター全体を揺らした。


 さらに、その光の余波だけで、周囲にいた悪魔たちが悲鳴を上げて消し飛ぶ。


 俺は思わず、上を見た。


 クレーターの縁に、人影が立っていた。


 逆光の中でも分かる。

 槍を肩に乗せ、全身を聖属性の光輝に包まれた男。


 ルークだった。


「……生きていたのか!」


 俺が叫ぶと、ルークはこっちに向かって手を振った。


「なんか急にー! 聖属性のコツがー! 分かりましてー!」


 なんだその雑な説明は。

 だが、そうか……理解した。


「死亡フラグ重ねすぎてオーバーフローしたんだ!」


 ルークは、槍を掲げた。


「【ディバイングレイス】!」


 空から、無数の光が降り注いだ。


 雨のように。

 木漏れ日のように。

 裁きのように。


 広範囲に降り注ぐ聖なる光が、クレーターの斜面を這い上がっていた悪魔どもを次々と焼き払っていく。

 フィーンドが、ヘルハウンドが、ワーボアが、光の中で灰になっていった。


 決死隊の兵士たちが、呆然と空を見上げる。

 そして神官たちは、祈りを捧げながら涙ぐんでいた。


「これは……勇者の光……!」

「おお……勇者が誕生した……!」


 ルークはそのまま、背に光の翼を展開した。


 おいおい、盛り過ぎだろ。

 そんなに処理できないよ。


 彼はふわりと宙へ浮き、そのままクレーターの底へ降りてくる。

 俺とメルキオールの隣に着地すると、照れくさそうに頭をかいた。


「サン殿、遅れちゃいました!」

「いや、間に合ったよ。ありがとう」

「ロスマン君、こちらは?」

「え、サン殿?」


 ごちゃごちゃしてきたな。


「説明は後です。雰囲気で理解してください」


 俺が目配せすると、二人が万魔の主の視線に気づいた。


『光……忌々しい……』


「あー……そうですね」

「うむ。まずはこのデカブツを処理しよう」


 俺は気配を消して左へ。

 ルークは槍を構えながら歩いていく。

 メルキオールは後方で魔法の詠唱に入った。


 万魔の主がルークへ腕を振るう。

 だがルークは、以前とは別人みたいな動きでそれを躱した。

 槍が光を帯び、灰色の外殻を切り裂く。


『グッ……これほどとは……!』


 万魔の主がよろめいた。


 カチ。


 どんっ!


『ハアアッ!!?』


 こっそり敷設した地雷(・・)が爆発し、奴が空中に跳ね上げられた。

 でも――


「これ、あんまり威力はないな」


 ごめん、ただの嫌がらせだったわ。

 万魔の主は空中で翼を広げ、体勢を立て直した。

 そこへ、メルキオールが激しく畳み掛けた。


「百連――【ライトニングボルト】!!!」


 嘘だろ、百連って言ったぞこの人。


 無数の雷光が、鞭のように、剣のように、矢のように、万魔の主へ襲いかかる。

 頭を打ち、翼を裂き、脚を穿つ。


 その雷の檻の中へ、ルークが飛び込んだ。


 槍が、太陽みたいに輝く。


「これで――終わりだあああああっ!!」


 聖なる一撃が、万魔の主の胸を貫いた。


『オオオオオオオオオオオオオッ!!』


 巨体がぐらりと傾き、胸から腹にかけて、大きく裂ける。

 胴体が千切れかけたまま、それでもなお奴は倒れない。


「閉じ込められますよ! 脱出してください!」


 クレーターの上から、神官の声が響く。


 見上げれば、三つの結界石を結ぶ光が、ついにクレーター全体を覆い始めていた。


 地獄の釜の蓋が、閉じようとしている。


「逃げるぞ!」


 俺たちは一斉に駆け出した。


 だが、その瞬間。


 死にかけの万魔の主が、最後の力で腕を伸ばした。


 灰色の巨大な手が俺の足を掴む。


「うおっ!?」


 引きずられる。


『逃さんッ! お前だけはッ!』


 俺、なんかしたっけなあ!?


「サン殿!」


 ルークが振り返り、光の槍を一閃した。


 万魔の主の腕が、肘から先ごと斬られて飛ぶ。


 俺は転がるように脱出した。

 その直後、メルキオールが振り向きざまに指を向ける。


「往生際が悪いぞ――【ライトニングボルト】!」


 雷光が、胴体の千切れた万魔の主を撃ち抜いた。

 そのまま奴の体は、壊れた魔法陣の穴へ叩き落とされていく。


『オ、オオオオオ――』


 断末魔が、地の底へ吸い込まれていった。


 ◯


 ――はぁ……はぁ……――


 全速力で駆け上がる俺たちの後ろで、結界が閉じていく。


 クレーター全体を覆う光の蓋が完成し、壊れた魔法陣ごと、地獄との接続を遮断する。

 吹き上がっていた熱風が止まり、硫黄臭さが薄れていく。


 静かだった。


 あれほど騒がしかった戦場の最後は、あっけないほど平穏だった。


 俺は唾を飲み、息を吸うと呟いた。


「……終わった?」


 土の上にへたり込んだルークが噛みしめるように漏らす。


「やった……俺たち……やったんですね……!」


 クレーターの縁では、決死隊の兵士たちが互いの無事を確かめ合っていた。

 兵士長も生きている。

 神官たちは泣きながら何度も印を切って祈っていた。


 そこで、ようやく一息ついた。


「いやあ、死ぬかと思いました」

「君は実際、かなり死にかけていたね」

「学園長こそ、なんで地獄から生還してるんですか? てっきり死んだものだと思ってましたよ」


 俺が聞くと、メルキオールは顎に手をやって考え込んだ。


「ふむ。あれから何日経ったのだろう。時間の感覚がないのだ」

「四年ですよ」

「そんなに」


 メルキオールは目を白黒させていた。

 今度はルークに声をかけた。


「勇者ルーク。いいとこ全部持っていったな」

「ええ? 勇者ですか……参ったな……」

「なあ、どうやって覚醒したんだ?」


 俺が尋ねると、ルークは笑った。


「なんでなのかは分かりませんが、きっと神様のおかげですよ」

「神様ねぇ……」

「信じてないんですか?」


 信じてるさ。

 嫌というほどな。


「サン殿、ルーク、おお、そちらのご老人も。見事な戦いぶりでした」


 兵士長が近づいてきて、深く頭を下げた。


「皆のおかげで、王都は救われました」

「まだまだこれからですよ」

「それでも、大きな一歩です」


 そう言って、彼は珍しく笑った。


 決死隊の兵士たちも、神官たちも、疲れ果てた顔で、それでも笑っていた。


 奇跡は起こらないから奇跡という。


 俺たちの勝利は、奇跡なんかじゃない。


 自力で掴み取った結果なんだ。


 かつん――


 何かが地面に落ちる音がした。


 見ると、俺の懐から、セレスティアに貰った万年筆が転がり落ちていた。

 戦いの最中に服が破れたせいだろう。


「あっ」


 俺は万年筆を追いかけて手を伸ばした。


 そのとき。


 世界が止まった。


 風が止む。

 兵士たちの笑顔が止まる。

 神官の涙も、ルークの瞬きも、全部がぴたりと止まる。


 俺の身体も止まっていた。

 かがんだ姿勢のまま、指先だけが万年筆に届かない。


「……なにこれ」


 ちょこ、ちょこ、ちょこ。


 小さな足音がした。


 視線だけ動かすと、そこにいたのは一匹の猫だった。


 左手を上げた、招き猫。


 なんで?


『下らない理由で死にそうだにゃあ』


 口は動いていない。

 なのに声が頭の中に響いてくる。


「だれ?」


 招き猫は胸を張った。


『我はケットシーの神、ミュー様なのにゃ』


 その名を聞いて脳裏に浮かんだのは、ケットシー村の入り口に描かれた招き猫。

 俺がセレスを連れて村に帰ったとき、くぐり穴を魔力鏡に通してみたら、落書きみたいな光の線が見えたんだ。

 あれにそっくりだ。


『サン、お前をずっと見ていたにゃあ。危なっかしくてミューの寿命は縮んだにゃあ』

「と、言われても……」


 ミューは左手を上げたまま、俺を見上げた。


『同族のよしみにゃ。一度だけ、死を回避させてやるにゃ』


 ふいに、俺だけ時間が動いた。


「っと、と……」


 姿勢を立て直す。

 だけど周囲はまだ止まったままだ。


『さ、雷から離れるにゃ』


 雷?


 ミューのその言葉で、俺は空を見た。


 雲の間に、青白い光が渦巻いている。

 見覚えがあった。


 あれだ。

 最初にメルキオールがぶっ放して、上空へ逸れていったライトニングボルト。

 帰ってきたのかよ。

 ツバメじゃねーんだぞ。


 しかも、落ちる先は。


 目の前に転がっている、万年筆。


 俺はもう一度、万年筆を拾おうとして手を伸ばした。

 だけど届かない。

 なにか見えない壁でもあるみたいに、指先が弾かれる。


『動けるのはお前だけにゃ』


 ミューが言った。


『願いは一つまでと相場は決まってるにゃ』


 俺は少しだけ考えた。


『どうしたにゃ? 早くどくにゃ』


 ――やるべきことはやりきった。


 自分の命に、もう未練はない。


「俺より、万年筆を守ってくれ」


 ミューが目を丸くした。


『にゃおん! それじゃお前が死ぬにゃ』


「大切なものなんだ」


『命よりもかにゃ?』


「そうかもな」


 ミューは無言で俺を見ていたが、やがて上げていた左手を下ろし、代わりに右手を上げた。


『変なやつにゃ』


 すぐに見えない壁は消えた。


 俺は万年筆を拾い上げ、しっかりと握る。


 ミューが、ちょこんと首を傾げた。


『バイバイにゃ』


 時間が動き出した。


 風が吹く。


 そして俺は、万年筆を握ったまま顔を上げた。


 ただ視界が真っ白になって、次の瞬間には全部が消えた。


 ◯


 気づけば、あの場所に倒れていた。


 天国の手前。


 白くて何もない場所。


 ――万年筆はあった。


「ありゃ!? 順調そうじゃったのに、何で死んだんじゃ?」


 白いひげ。白いローブ。邪神エントロピアが俺を覗き込んでいた。

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